09/05/26 18:27:46 0
律子さんか。後援会会長の植木等か。
だいぶ前から身体が悪かったと思う。昭和45年名古屋も肝炎だったと思うが
そのせいで9勝しか出来なかった。昭和44年の夏、名古屋も体調を崩していた。
46年初場所も休場が噂された程体調が悪かった(肘を痛めたのか記憶が定かで
はない)が、いざ取り出すと完璧な相撲を取っていた。特にイレブン北の富士
に完勝して今場所は貰ったと思ったが、千秋楽はないよな。45年初場所の千秋楽
共々涙にくれたよ。何のこれしきってね。
上の方で三重の海に負けたことを書いている人がいるけど、あれは勇み足なん
だよ。まああれで三重の海は勝ち越して関脇になり大関候補と言われるように
なったけど、玉にしては珍しい取りこぼし。
番付上の不運はあったと思う。43年夏場所後に昇進させてもよかった。また
45連勝の大鵬と(2場所連続)終盤で1敗で対戦して掬い投げで転がされた
印象も強い。大鵬の方が核上であったのは間違いないけど、それだけに44年秋
(天覧相撲)とか46年春の本割で勝ったりすると力が入った。
不思議なことに玉は横綱になってからの方が北の富士に分が悪い。北が連覇
した44年九州からの2年では×○(×)××××○○○×○×だった。(括弧
は優勝決定戦での勝敗)。45年秋の千秋楽とか全勝の癖に10勝の北に負ける
なんて信じられなかった。横綱になってから下位への取りこぼしは減ったけど、
20敗のうち対横綱戦で10敗(大鵬に4敗、決定戦でもう一つ)もしている。この
辺もなんのこれしきだったのだけど、これからというときに死んでしまったな。