11/06/25 09:00:09.22 hb/KITHZ0
出雲系入植者が武蔵野に殺到したからね古代に
寒川神社や氷川神社があるところはその証と考えといていい
彼らは権力闘争の敗北者だっただけで、彼らが悪いんじゃない
悪いのは彼らの社会性人格を踏みにじり続けた大和政権の残虐性
そのシンボルが中臣氏(藤原氏)の拠点鹿島神宮だったりするから面白いね
農民と畜産皮革産業従事者が睨みあう秩序がまだ残ってるってのも笑える
ちなみに武蔵野って名称は「ムサ氏野」という意味でムサ氏とは実は中臣氏の前身
今の埼玉から東京、千葉太平洋沿岸にかけてムサ氏が支配権限を認められていたってことだ
ムサという言葉は連想可能な通りその後ムシャつまり武者として発展する
ムサ氏とは冶金と乗馬技術に長けた渡来人集団であり、後の平家、源氏といった坂東武者の母体でもある
日本書紀を編纂した藤原不比等の先祖であることも視野に入れると将に文武両道の基礎を築いた異常な氏族
憐れな出雲系入植者の末裔たちは彼らの社会基盤に参加することを拒まれまたは愚かにも拒み、
「まつろわぬもの」「あくとう」として平安・戦国・織豊時代を生き抜いた。
そして江戸時代に入り寺社制度(=戸籍管理・監視制度)の確立段階に至った時点で彼らは存在そのものを否定された。
ヒニンでありエッタであった。
明治の開国体制を得ると、挙国徴兵の充実化を目的に身分制度の撤廃が掲げられ政府は彼らの存在を戻す必要があった。
しかし現実には地域の排他性が色濃く残った影響で彼らが陛下の神兵として採用を拒まれることも多く、結果彼らは国内で
多く生き残り終戦を迎えるようになる。
彼らにとって身分保持者が目の前で命を落とし、異国の地で大量に命を落とす事態は神がかったことに見えたろう。
生き残った者が力を発揮できる終戦後の混沌とした時期に、彼らは異様な勢力台頭を見せるのである。
実に2600年を経たターンオーバー、歴史とは本当に恐ろしい。