10/08/25 04:18:40
法定的符合説は、「およそ人」を殺そうと思って「およそ人」を殺したのであるから、客体の錯誤の場合も方法の錯誤
の場合も、殺人既遂罪の成立を認める。たしかに、責任の面と違法の面とが「人を殺す」という点で一致するならば、
その限度で既遂の責任を問うても差し支えないようにも考えられる。
しかし、故意というのは、一定の客体に対して自己を実現してゆく意思なのであって、主観面と客観面とが構成要件と
いう抽象的な「指導形象」で一致するというだけで既遂の責任を認めていいかは、なお疑問がある。
法定的符合説の欠陥は、もっと実際的な点にもある。方法の錯誤の場合、すなわちAを狙って撃ったところ、そばに
いたBに当たった場合、法定的符合説によれば、Bに対する既遂が成立することは問題がないが、Aに対する未遂が
成立するかどうかは、論者の間でも一致していない。
判例は、Aに対する未遂の成立を認めない。ところがAにもBにも当たってともに死んだときは、AB両者に対する
2個の殺人罪を認める。これは一貫していない。この場合2個の殺人罪を認めるならば、Aが死ななかった場合でも
Aに対する未遂の成立を認めるべきであろう。
そこで学説は、多く、Aに対する未遂も認める。しかし、殺人の故意は「およそ」人を殺す意思ではなく、「1人の」
人を殺す意思なのであるから、1個の故意しかないのに、殺人既遂と殺人未遂の2罪を認めるは不当である。そうだと
するとAに対する未遂とBに対する過失致死を認めるほかない。