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わが国で、現在、最も有力な平野シューレ(山口・西田・前田・佐伯・町野・林幹人)を理解するためには、
原点(原典)に帰って、平野の『刑法総論Ⅰ、Ⅱ」を読む必要がある、しかし、物理的な制約により原典を
読めないというロー生も多いだろう。本稿は、そのようなロー生のために、平野説をコンパクトに、しかも
原典にできるだけ忠実に再現するものである。
【刑法と倫理】
法と倫理の関係如何は、法哲学の重要問題の一つである。
刑法学では、この問題は、刑法は、社会倫理を維持するためのものであるのか、それとも、法益の保護を任務
とするものであるのか、という形で提起される。
Welzelは「刑法の任務は、基本的な社会倫理的な心情(行為)価値の保護にある」とした。これに対して、
刑法改正代案を作成した若い教授たちは「刑法は、法益の保護に奉仕するものである」として「刑法の倫理化」
に反対した。
わが国で、団藤が「社会生活に必要とされる最小限度の道徳規範は、法によってこれを強行することを要する。
その限度において、道徳規範は法規範に帰化することになる」とするのは、Welzelに近い考え方である。
刑罰は、必ずしも常に社会倫理を維持するための適切な手段ではない。とくに現在の社会では、何が倫理的に
正しいかは、しばしば相対的である。違った価値観自体に対しては、社会は寛容でなければならない。法は
ただ、違った価値観を持つ人の共存を保障すればいいのである。
国家的同義(小野)や社会倫理(団藤)の維持を刑法の任務とすることは、刑法に対する過大な要求である
だけでなく、自己の価値観を、法の名のもとに他人に強制することにもなりかねない。