10/09/05 18:05:26
途中から予備校に通い始め、大学3年時に択一・論文と合格することができた。
ほとんど準備せずに最終の口述試験に臨んだところ、最後で1割の不合格者の中に入ってしまった。
司法試験予備校で講師やったりしながら迎えた1997年1月、ボストン・コンサルティング・グループ(BCG)から
1通の手紙が届いた。
封筒を空けてみると堀紘一さんが写真付きで挑発的なメッセージを書いていた。
「日本の会社では考えられない機会と報酬を約束する。キミも、挑戦してみないか」
給料もたくさん出るとのことだったので、春休みの2週間のアルバイトに応募してみることにした。
それまでは弁護士に会っても「この人すごいな」と思ったことはなかったが、BCGのコンサルタントのなかには
「すごい!」と思わされる人が何人もいた。
インターンが終わった翌日に電話がありオファーをもらった。
「司法修習はいつでも行けるんだろ?2年だけうちでやってみなよ」と口説かれた。
4年生の秋に口述試験に合格したが、その後、BCGのリクルーターが連れてきた
ヨーロッパの帰国子女→東大法→BCG→長島大野法律事務所と、自分の先を歩いてきたような人と会い、
「まずは、BCGで修行せよ」と英語交じりの雄弁なトークで説得され、結局2年だけやってみることにした。
今から思えば、BCGのコンサルタントにとって、世間知らずの大学生を説得するなんて朝飯前のことだったのだろう。
(「ハーバードMBA留学記」岩瀬大輔(ハーバードビジネススクールでベイカ-スカラー受賞) 著)