11/09/18 21:04:49.94 dUTxRHSU
日本人志願兵は約600名に上るとされており、陸軍第34独立混成旅団参謀の井川省少佐を
始めとする高級将校から兵卒にいたるまでの多くの志願兵が独立運動に参加していた。
日本人志願兵はベトミンに軍事訓練を施したり、作戦指導を行っていた[2]。ベトナム初
の士官学校であるクァンガイ陸軍中学の教官・助教官全員と医務官は日本人であった。30
名を上回る日本人がベトナム政府から勲章や徽章を授与されていることが確認されている。
部隊脱走・インドシナ残留の背景として、
① 仏印進駐から敗戦まで、日本軍将兵および日本民間人がベトナム人と概して友好的な関
係を保ち、諸部隊の「兵補」(通訳などの補助的軍事要員)を含む各層のベトナム人と私的
に交流する機会が少なくなかったこと、
② 日本敗戦から武装解除の任に当たる英軍および中華民国軍の到着まで約1カ月の「猶予
期間」があり、その間、日本軍諸部隊の規律の緩みから敗戦以前に増してベトナム人男女と
の交流が頻繁であったこと、
③ 北緯16度線以北では中華民国軍の日本軍管理が極めてルーズで、収容所の出入りやベ
トナム人との接触も容易、また16度線以南では英軍による行動規制が厳重であったもの
の、英軍監督のもとにベトミン討伐に駆り出されることが多く、その間に旧知の男女を含
むベトナム人の「独立への情熱」に触れる機会が少なくなかったことを指摘されている。