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集団での蜂起以外にも、朝鮮人個人の犯罪を朝鮮人全体が賛美した例も少なくありません。
1958年(昭和33年)8月20日、東京都江戸川区の進学高校、小松川高校に通っていた太田芳江さんが
何者かによって犯され殺された事件がありました。
犯人は犯行後に遺体から遺品を盗り、送りつけて遺族の悲しみを煽ることで楽しみ、また警察へ対しては
自分の犯行を楽しそうに語る電話をかけました。
この様子は全国的にラジオで報道され、犯人の残虐性に多くの日本人が畏怖しました。
後に逮捕された犯人である在日朝鮮人の李珍宇は、逮捕後に別の女性もレイプして殺した事を自供しました。
通行中であった田中せつ子さん(当時23才)を突き飛ばして怪我をさせ、動けなくした所でレイプし、その後
殺害しました。
犯人の李珍宇は死刑判決を受けましたが、犯人の母親は「息子の行いへ対して死刑は重すぎる」と主張し、
控訴・上告をしていますが棄却されています。また、「差別されているのだから強姦や殺人を行っても仕方
ない」と主張する、在日朝鮮人ら数万人の減刑嘆願署名が集まりました。これには共産主義者文化人の
大岡昇平も協力していました。
このようにして当時、多くの在日朝鮮人が「我々は差別されていたので、日本人女性をレイプして殺しても
仕方がない」という主張をしていました。これは、現在の朝鮮総連関係者が言う「植民地統治されていたの
だから、日本人数名を拉致したくらいなんだ」という論調と酷似しています。