11/05/13 00:07:05.81 3nHtF7sg
>>829
>政府による統治に独占的に必要な物。合法的に暴力の行使が認め
>られる存在と言う事。クーデーターや革命を否定している事なんだよ。
暴力装置の意味合いは、トロツキーの主張を肯定する形で主張してる。
つまり、「すべての国家は暴力の上に基礎づけられている」とする、
憲法が抱える社会契約説的な理解と異なる上で、使われてる言葉である。
「国家とは暴力の上に」書いてる以上、暴力というの独立因子としての存在である一方で、国家とはその従属因子としての存在。
また正統(合法的)な暴力の独占とは、従属因子としての国家が基礎付けられた場合における論理的な帰結。
つまり暴力装置というのは、前国家的~後国家的な状況を跨ぐ中に、その役割を認めてるものである。
政治家である仙谷は、こうした前国家的な役割を含むような上記語句によって、自衛隊の性格を示す事になった。
それは憲法や法律を尊重する義務を有する政治家としては、適切な言葉だとは言えない。
>暴力と言うと過激に感じるようだけど、警察が犯人逮捕に必要な力の行使であったり、不審船
>が進入してきて発砲してきた場合に、海上保安庁や自衛隊が取る必要な措置の事。
また暴力という語句は、他の人も書いてあるように、不当な実力行使等で使われるような語句でもある。
よって、自衛隊法や警察官職務執行法にしても、暴力等とする文言はでてこない。
国会でも上記組織における法的枠組み内での実力行使に対し、暴力という文言を当て嵌めた政治家も過去に居たとは思えない。
政治学に深い造詣があるならば、むしろ自衛隊に対し避けて使うべき言葉であったといえる。