11/05/11 12:26:12.12 Cyv9kYpv
>>661
人間の認識を考えるときに、ヘーゲルで頂点を極める近代哲学が、
人間の思惟と客観的な存在の一致することを前提にした、その証明に至る為の過程だったことに対し、
現代哲学の基本的な眼差しを提供するフッサール以降の現象学では、
人間の認識は、自分の意識の中で、客観的(仮説的でしかないが)な存在としての像を、
どのように構成し自分で確立して行くのかという点でしかないとされた。
確立に至る背景を考えるときに、現代哲学では実存主義に見られるような、主意主義的な面が強調された一方で、
構造主義では人間を取り巻く社会や組織といった構造に着目し、論争が展開されるようになったが、
実存主義的な考え方は、哲学の世界において構造主義と比べると、その理解が広がるような物にならなかった。
自己同一性を考えるときに、それに至る認識に対する理解が、恐らく君には足りないのだろう。
人間の思惟と客観的な存在の一致を前提にした、アイデンティティを考えてるから、
いつまでたっても、リクエストに応じてイワシで例えてもわからないのだろう。