11/05/06 10:53:49.31 /NiExjVH
>>205
>個人の尊厳の実現・維持ために、民主政の過程は存在し機能する。
例外がないと指摘するのは間違いだな。
アメリカであってもコミュタリアンのように、民主制とは個人の尊厳といったと特定の目的の為に存在するのではなく、
共通善の実現の為にその政治過程は存在し、それこそが共和主義的な考え方だと主張してるからな。
例えば中絶問題でも、女性の尊厳を尊重するといった考え方よりも、キリスト教に根ざす価値観が強く支配する地域では、
中絶禁止が法律で定められ、個人の尊厳よりもそのようなコミュニティに認められる考え方が優先される場合もある。
つまり、民主制とは必ずしも個人の尊厳を最大限に擁護する為にある訳じゃない。
伝統的な考えが個人の考えもよりも、優先させられる場合もあるということだ。
もちろんヨーロッパでも似たような所があるじゃないかな。
フランス社会は日本でも政教分離原則が厳格なお国柄だが、イスラム女性がするスカーフ着用禁止にみらえるように、
政教分離原則が意味するとこは、非宗教性の全員に対する”強要”だ。決して個人の尊厳の実現の為に政治過程が存在し、
そのような原理原則がある訳でもない。
リバタリアンのような理念実現の為だけに、必ずしも民主制のような政治過程が存在しないということだ。