11/05/05 18:50:22.03 YYlKQhk3
なんだか良くわからないような社会の中で、継承され残り続けたものは、
慣習としての価値基準を提供し、現実との整合性に問題がなければ、積極的に疑われることもない。
それは天皇制もそうだし、憲法9条も同じ。
但し、天皇制は権力をもたない存在である以上、酷く敏感な妄想好きの人間を除けば、
国民との関係で言えば影響が無いのと比べ、憲法9条は時と場合によって、
国民にとって大きな影響を及ぼす為に関心が高い以上、現実との整合性が問われる頻度が高い。
しかし、一般国民の眼差しからすれば、それでも国際政治なんて物は地平線のぼやけた先にある出来事であって、
身近なところに関心があるのは、夜になれば平井理央のパンティーが見えるかどうかったりする。
改憲を考える上で、リアル現実との対比が難しい中では、身近な問題として考えないといけないよう事が突発的に起きないと、
疑いの眼差しを持つ事も難しいだろう。
本当にそれで良いのか? 憲法9条の制約が仇となって、国民に大きな犠牲が起きてからでは遅いのではないかと?
平井理央のパンティー以上に興味を引くような主張をし続けることによって、日常的な国民が抱えてる個人としての関心から、
より広い視野に立脚した考えに言論を通じて誘導することは、これから日本にとってみれば大切な事だと言えるだろう。
こうした語りかけを通じた意識改革は、天皇制に比べれば憲法9条改正等は遥かに容易だ。
参考先:URLリンク(ja.wikipedia.org)