11/05/11 13:47:19.61 RtK5KfAP
元来、日本人は草食である。
しかるに、南方の山野の草木は
これ全て食料なのである。by牟田口廉也
東条の政治的リーダーシップ維持のために発案。
1発の弾丸も、1粒の米も補給されない現地調達の、無謀極まりない東条の作戦。
10万人以上の将兵が参加。
日本軍の、ぬかるみの中飢えと寒気と英印軍の追撃に苦しみながらの退却は凄惨をきわめた。
ジャングル内の道には、白骨となった死体が続き(戦死および戦傷病で倒れた日本軍兵士は
7万2千人。生き残った兵士はわずか1万2千人にすぎなかった)
兵士たちはこの道を「靖国街道」・「白骨街道」と呼んだ。
第33師団長柳田中将はティディム作戦での失敗を問われ更迭、
第15師団長山内中将は病気のため解任、第31師団長佐藤幸徳は、
独断でコヒマへの撤退を命じ、この判断は全く正しく退却した部隊は助かったが、
佐藤は直ちに罷免され、敵前逃亡罪で軍法会議にかけられたそうになったが、
「精神錯乱」を理由に不起訴処分となった.。
作戦に参加した3師団長がすべて作戦中に入れ替った。
安全地帯から死守を命じ罷免を繰り返した第15軍司令官牟田口廉也
(むだぐちれんや)は作戦も将兵もなくなった後、責任を部下に押し付けた。