ネトウヨってホモ右翼の三島由紀夫を崇拝してるの?at SEIJI
ネトウヨってホモ右翼の三島由紀夫を崇拝してるの? - 暇つぶし2ch570:名無しさん@3周年
11/09/01 00:00:11.49 UErYQ/IK
井上:バンコックで薔薇宮の三島の取材ぶりには、その徳岡さんがびっくりなさったとか。
徳岡:そう。あれはねえ、三島夫人にアンタよくねえ殺されなかったね、もし二人とも撃ち殺されたって文句
言えないよって。日本政府が大使館通して抗議したってさ、有名な小説家かどうかなんか知ったことじゃない。
共産党鎮圧本部CSOC、(中略)今でも覚えてる。その司令官よく知ってて僕はよく遊びに行きましたけどね。
ブーゲンビリアの生垣から夫婦揃って覗いてたらアンタ、そりゃ撃ち殺されますよと、私は三島夫人に言った。
井上:(中略)(三島は)もう一度行きたかったんだけど、行けなかった。この薔薇宮の創作ノート、ここに
取材の様子が……。
(中略)
徳岡:凄いなあ。だから真面目にやってはったんですよ。文学を真面目に考えていはったんですよ。三島が
死んでからそういう人いない。こっちも真面目に読んでやらないとっていう気になりますよ。遊び心ってな言葉
流行ってさ、遊び心で書かれたような文学、金出して読まれへんもん。

徳岡孝夫「バンコックから市ヶ谷まで」より

571:名無しさん@3周年
11/09/01 10:57:30.64 UErYQ/IK
松本:そろそろ昭和四十五年十一月二十五日の話へ……。僕が一番気になるのは、最初の目標は三十二連隊でしたよね、
あれが変更になった。
徳岡:直前に変わったでしょ。
松本:ホントに直前に変わったんですかね。
徳岡:そうらしいですねえ。やはりわからない。
松本:だけど、意味が違うと思うんですよ。三十二連隊の隊長を拘束するのと、総監を拘束するのと、随分違うと思う。
徳岡:場所が違うしね。三十二連隊なら、決起して国会へ行ったかもしれないよ。
松本:楯の会の会員が集まっているわけですね。三十二連隊が標的なら、それがものをいうことになる。そして、
徳岡さんが車の中におられるわけですね。だからおっしゃるように違った展開になった。
徳岡:だからね、三十二連隊の隊長が不在とわかったんで、三島さんの行動がより象徴的なものに筋書きが
変わっていったんじゃないですかね。
松本:それは成り行きであって、もしかしたら、三島さん、本来は別のことを考えていたんじゃないかなって。
徳岡:わかんない。

徳岡孝夫「バンコックから市ヶ谷まで」より

572:名無しさん@3周年
11/09/01 10:58:36.22 UErYQ/IK
井上:裁判の記録からすると、三十二連隊長が当日不在であることが、十一月二十一日にわかり、その日、
中華第一楼へ五名が集まったところで森田が連隊長がいないことを報告、それから計画を練り直したと。
松本:だからね、僕ね信じられないの。
徳岡:ほんとねえ。
山中:そうなると、徳岡さんも書いていらっしゃいますが、あのバルコニーでの演説にしても、たまたまそうなって
しまったという。
徳岡:みんながね、三島が最期の劇を演出したとか何とかいうけどもね、ほんまかいなーって僕は思うんですよ。
早い話が、雨降るかもわからんし。何もね、三島さん、演出とかね、そんな筈じゃなかったと思うんですよ。
結果的にああいうふうになっただけであってね。
井上:十月の二日の会議の時点で、連隊長を拘束し、それが報道されるように、信頼出来る人二人を、つまり
徳岡さんとNHKの伊達宗克さんですけれども、呼ぶ、と。でも、拘束してどうするかっていう具体的なことは
あまりハッキリしないですね、十月二日の時点では。

徳岡孝夫「バンコックから市ヶ谷まで」より

573:名無しさん@3周年
11/09/01 10:59:54.41 UErYQ/IK
山中:(三島からの手紙の)封筒の中からいきなり写真が出てきたりして、えっと思いますよね。
徳岡:封筒開けてこうやると、一番重たいものが一番先に出てくる。で、写真が。しかし、写真よりは、手紙を
まず読みました。それから、檄を読んで、写真を見て。で、写真、あの本(五衰の人)に書きましたように、
森田の署名の筆圧に驚いたんですよ。グッグッグッグッって書いてあるんですよね。明日死ぬ若者が書いたんだ、
パレスホテルの一室で。
(中略)
松本:これ、相当激しい筆圧だね。
徳岡:もの凄いでしょ。ガッガッガッって書いてるでしょ。表にも出てるんですよ、その字が。それを見て、
こりゃ何かあると思いましたね。必勝君が心を込めて書いた字でしょうね。
井上:いい顔ですね。
徳岡:そうや。うん。この時二十五?
山中:そうです。森田だけ、なぜ二枚入れたのかな。
松本:こちら、笑ってると感じが違うね。
山中:夏服というのが珍しいですね。
徳岡:これや、これ一番印象がある。表情があるでしょう。僕としては貴重なもんです。

徳岡孝夫「バンコックから市ヶ谷まで」より

574:名無しさん@3周年
11/09/01 11:03:57.54 UErYQ/IK
井上:しかし、ホントに当日連隊長がいたとしたらどういう……。
松本:変わってたねえ。あの部隊じゃ、同じ建物の中に東京裁判の会場があるという、象徴的な意味が消えちゃう
からねえ。
徳岡:三島さん、要するに、死ぬのにさ、無為に死ぬかもわからんと、それでいいんだと思ったんでしょうね。
高倉健とか池部良が猛烈にいいと言っていたからね。
松本:より無駄死の印象が強くなる。
徳岡:そうだろうねえ。無駄死するつもりやったんだろうけどねえ。
(中略)
山中:もしちょっとした齟齬によって、これだけ変わったんだったら、偶然なのか、偶然とは言い難い何か
あったのか、やっぱり謎だと思うんですけど。
松本:偶然とは思えないけどなあ。
山中:どの程度用意したか、ですよね。その垂れ幕の長さは……。
井上:二十一日に連隊長がいないことがわかってから、準備した。パレスホテルでの準備もその後だからさ。

徳岡孝夫「バンコックから市ヶ谷まで」より

575:名無しさん@3周年
11/09/01 11:05:10.02 UErYQ/IK
松本:三十二連隊長といえば、実際に軍備を持っているのはあすこだけですね?
徳岡:ああそう、そうらしいですね。あとは司令部ですか。
松本:それから通信、補給関係。
徳岡:実践能力のある、連隊のあそこを制圧できたらね、火薬庫やって自殺できた筈だからね。
井上:最初はそういうプランもあったみたいですね。弾薬庫を爆破させるとか。
徳岡:まあ、僕よりももっといろいろ、三島さん考えたでしょうね。
(中略)
松本:多分、三十二連隊を標的にしたのは森田の主張で、三島は一旦、譲ったんでしょうね。
徳岡:あのね、無駄死と言うたけど、無駄死という観念が全く三島さんにはなかったと思うな。何故かというとね、
神風連がそうだ。あれを無駄死といえばあんな無駄死はない。
井上:それでよしとする……。
徳岡:そう、それでよしとする。熊本行きましたか。神風連の墓……。
熊本のあの神社。あれと、忠臣蔵の泉岳寺とは全然違う。一本の線香も立ってないんだ。何日も何ヶ月も人が
来てないってことがわかる墓地や。

徳岡孝夫「バンコックから市ヶ谷まで」より

576:名無しさん@3周年
11/09/02 23:50:35.01 vcPU65lQ
井上:ところで、森田必勝の持ってる影響力ってのは非常に大きかったでしょうね。
徳岡:いや、どっちが決起へ引っ張っていったかわからないと思いますよ。(中略)
松本:中村彰彦さんが『烈士と呼ばれる男―森田必勝の物語』に書いています。彼も、森田必勝が引きずって
いったんだっていう考え方ですね。(中略)
井上:森田の文章なんか、独特の何かを感じさせますね。
徳岡:文章は稚拙ですね。しかし、体から発散するものは凄かったでしょうねえ。それがアンタ、二十五で
死ぬんだもん。死ぬしかないって思ったんだもん。
山中:どちらかというと、三島の方が、青年達のそういった命がけの、何かもの凄いものに巻き込まれていく
というような感じで、結局、具体的な死の予定というかスケジュールを組んで行ったんじゃないと思われるんですけどね。
徳岡:お互いに励まし励まされて行ったんじゃないかな。わかりませんがね。いずれの結論にも達するような
原稿書こうと思えば書けると思いますよ。指導権はどっちだと。しかし、それは意味がないですよ。

徳岡孝夫「バンコックから市ヶ谷まで」より

577:名無しさん@3周年
11/09/02 23:52:39.08 vcPU65lQ
井上:死ぬ覚悟ってのは、昭和四十四年の10・21とか、ああいうときに、巻き込まれて命落とせばそれはそれで
いいって思ったんだろうという、そんな感触があるんですけど、その辺は如何ですか。
徳岡:僕はその時日本にいなかったから。
(中略)
井上:三島はその時自衛隊の治安出勤があったり楯の会の出番があるんじゃないかとホントに思っていたような節が
あって、昭和四十四年のその頃は、ある程度死を意識していたような気もするんですが、しかし、国際反戦デーが
思ったほど激しくならず、四十五年になってしまい、その時点で藤原定家について小説を書きたいと言う。また
『天人五衰』のごく初期の創作ノートなんですけれども、(中略)四十五年の初めの頃だと、その年の十一月に
死ぬっていう感じはないんですね。だけど、三月頃になったらやっぱり、決起するっていう形になってくる。(中略)
徳岡:私は(中略)三月に(ベトナムから)帰ってきたんですよ。そして、六月、帰国して三ヶ月後に会いに
行ったんですね。
松本:決心を固めた後に、お会いになったんでしょうね。

徳岡孝夫「バンコックから市ヶ谷まで」より

578:名無しさん@3周年
11/09/02 23:53:53.85 vcPU65lQ
井上:楯の会の運動も袋小路になって、一種追いつめられた状況にいた時に、徳岡さんが近くにいらっしゃらなかった。
徳岡:いやあ、僕そんな存在じゃないですよ(笑)。あの当時はね、三億円事件の犯人が三島じゃないかって
言われてたの。
井上:顔がちょっと似てる……。
徳岡:顔が似てるよ。あんな複雑な筋書き考えられるのは三島由紀夫だけで、しかも楯の会で金を必要として
いましたからね。
井上:あの頃の週刊誌を見ると、新年の時点で、「平凡パンチ」の一九七〇年の予想特集というようなページで、
防衛大学の学生が反乱を起こして、それを鎮圧するために自衛隊を使うのはよくないので楯の会が出勤、その功績で
三島が防衛大臣になる。しかし、大御心を悩ます悪書追放リストに「悪徳のよろめき」が入っていることがわかり、
天皇に申し訳ないことをしたといって、切腹をしたら失敗し、三島はその後左翼に転向したっていう(笑)。

徳岡孝夫「バンコックから市ヶ谷まで」より

579:名無しさん@3周年
11/09/02 23:57:45.76 vcPU65lQ
松本:『和漢朗詠集』については、お貸しになっただけで、なにもお話しなさらなかったのですか。
徳岡:返してもらった時、「ありがとうございます、楽しかったね、面白かった」ってねえ、三島さん言っただけ。
(中略)
山中:このページを三島が見たんですね。
徳岡:漢詩三篇と、沙彌満誓の歌ね、「世の中をなにゝたとへむ(中略)
山中:天人五衰の言葉が出てくるのは、これですね。「生ある者は必ず滅す(中略)天人なほ五衰の日に逢へり」。
徳岡:それと、「朝に紅顔あつて世路に誇れども 暮に白骨となつて」ちゅうのと、同じ頁だ。(中略)後で
これを見て、あっこれだなって思ったんですよ。
井上:バンコックの時点ではまだ『天人五衰』ってタイトルは考えてないですね。
四十五年になってから、小島さんに『天人五衰』にするって言うんですね。ただ天人五衰って言葉自体、確か、
戦争中の文章で使ったと思う。知らない言葉じゃなかった。
山中:しかし、この本を開いて見ると……。
徳岡:三篇並んでるからね、パンチが凄いんだ。

徳岡孝夫「バンコックから市ヶ谷まで」より

580:名無しさん@3周年
11/09/02 23:59:43.27 vcPU65lQ
山中:徳岡さんはストークスの翻訳を出されていますね。新版も。
徳岡:本人が一生懸命やっているから翻訳してやらないわけにはいかないからやってるんですけどね。ある意味では、
東京にいた新聞記者で、日本人を含めて、三島さんがやってること、これはなにかあるぞ、と思ってたの、
ストークスだけなんですよ。自衛隊の演習だって付いていったんだから。(中略)一流の作家がね一生懸命
やってるんだ。新入社員鍛えるのに自衛隊体験入隊したり、これ昭和元禄の発想や。そんなんじゃなしに、
何かあると思ったら、ね。日本の新聞はそういうふうにはなってない。日本の新聞は、よそに抜かれないように、
デフェンスの取材しかやってないんですよ。
(中略)
松本:あれから後、市ヶ谷へ行かれたことありますか。
徳岡:何十年か経って正門から坂道を登ってみたけど、うわーこの坂走って登ったんかーって驚いた。もの凄い
坂なんですよ。こう曲がって、左手にバルコニーが……。

徳岡孝夫「バンコックから市ヶ谷まで」より

581:名無しさん@3周年
11/09/03 00:03:58.15 uPs5NZDk
松本:あの時、よく誰何されませんでしたね。
徳岡:いや、あの時はそれどころじゃなかったんや。僕は、走りながら腕章してね。それからここへこれ……
(檄文や写真を指さし)。(中略)
松本:走りながら、足のどこに。
徳岡:ここ。靴下の後ろ側。(中略)ソックスの中に隠して……。だからねえ、『五衰の人』をどうしてもね、
書かないかんと思った。だけど、三島はおもろい奴やったなあってことしか書けないんですよねえ。頭は良いし、
原稿書いてもうまいし、そいでアンタ思い切ったことやる。自分の思ったことやり遂げるっていうねえ、こんな奴
ほかにおらへん。
松本:僕は、(中略)いいようのないショックを受けて、数日間もの凄く憂鬱でしたね。(中略)この世は
生きるに値しない、と三島に宣告されたような気がしたんですね。だけど、そうじゃない。逆なんだ、生命を
投げ出してもよいだけのものが、この世にはあるんだ。また、そうでなければいけないんだ、と三島は主張したと
いうことが、だんだん分かって来た。時間がかかりましたけれどね。

徳岡孝夫「バンコックから市ヶ谷まで」より

582:名無しさん@3周年
11/09/11 20:33:26.99 ebVw4h19
アメリカの大神殿というべきWTCに旅客機が突っこみ、赤い炎に包まれながら超高層ビルが崩れ落ちていった日、
あの9・11を忘れる人はどこにもいないだろう。もう一つ、同じような分岐点がある。
作家・三島由紀夫が割腹自殺したとき、自分がどこで何をしていたか、たちどころに思いだせるはずだ。
…一九七〇年、長距離バスでイランの砂漠をよぎっていたときのことだ。
まわりの乗客たちはモスリムの人々ばかりだった。(中略)
モスリムは一日に五回の礼拝を欠かさない。その時間がやってくると、屋根を踏みならす音が響いてくる。
…運転手がしぶしぶエンジンを止めると、乗客たちは屋根や窓から飛びだし、いっせいに砂漠へ走っていく。
そして四つん這いになり、焼けついた砂に額を押しつけながらアッラーの神に祈る。車内に残っているのは、
運転手と、ぼくと、イギリス人だけだった。礼拝が延々とつづいているとき、
「ユキオ・ミシマのハラキリについてどう思うか?」唐突に、若いイギリス人が語りかけてきた。

宮内勝典「混成化する世界へ」より

583:名無しさん@3周年
11/09/11 20:34:27.73 ebVw4h19
ぼくはしばらく考えてから答えた。
「ああ、映画の話だろう」
「いや、ほんとうにハラキリしたんだよ」と読みかけのNewsweekを差しだしてきた。(中略)
窓の外ではモスリムの人々が真昼の砂漠にひれ伏しながらアッラーの神に祈っている。
そして、ふるさとの日本では「天皇陛下万歳!」と叫びつつ、三島由紀夫が切腹したのだという。茫然となった。
(中略)アフガニスタン、パキスタンを過ぎてインドに入り、カルカッタの日本領事館の新聞でついに
確かめることができた。切断された首が床に据えられていた。
金とセックスと食い物しかない日本で、一つの精神がらんらんと燃える虎のような眼でこちらを見すえていた。

宮内勝典「混成化する世界へ」より

584:名無しさん@3周年
11/09/11 20:35:44.06 ebVw4h19
それから二十数年が過ぎて、かれが切腹した市ヶ谷駐屯地の総監室を訪ねることができた。(中略)
三島由紀夫が日本刀をふりおろしたときの刀傷が、飴色のドアの上に残っていた。
…モスリムの人々が礼拝する砂漠で三島由紀夫の自決を知ったのだが、偶然とはいえ、イスラム原理主義者たちと、
かれの思想には、通低するものがあると思われてならない。
…アッラーの神のような超越性のない日本で、かれは天皇に固執した。文化を防衛しようとした。
むろん肯定できないが、三島由紀夫の文学そのものをぼくは畏敬している。恥ずかしいがあえて洩らせば、
十代の頃、かれの文章をノートに筆写していた。
…紙数が尽きたから結語を述べよう。ぼくもまた西欧近代に追随したくはない。
だがそれを拒むナショナリストにもなりたくない。ぼくは混成化していく世界を生きたいと思う。

宮内勝典「混成化する世界へ」より

585:名無しさん@3周年
11/09/12 23:53:11.80 uaU6Ul2M
三島由紀夫て世間の事まるで判って居ないお坊ちゃまで終わったね。
誰もお前の言葉に付いて行かなかった無能な奴で割腹自殺アホな奴

586:名無しさん@3周年
11/09/28 17:30:44.55 21BhYjA9


587:名無しさん@3周年
11/10/07 11:12:46.53 GSCbcrz/

なぜ三島が天皇なのか?と疑問に思うファンは多い

武家と公家の祖先を持つ三島由起夫

彼にとって日本の古典が命そのものであった

記紀以前の古史古伝に行き着いた三島由起夫は

上記(うえつふみ)、竹内文書に出会い天皇という魔力を知る

URLリンク(www.youtube.com)

588:名無しさん@3周年
11/10/09 08:25:55.41 +QTnpFOc



ネトウヨ連呼厨は在日民団です
スレリンク(seiji板:327番)





589:名無しさん@3周年
11/10/15 09:41:52.55 yfMrEAPQ
たしかに三島君には、絶望するだけの根拠も資格もあった。彼は言葉のなかに生きていた。あるいは、言葉を
生きていた。(中略)言葉によって存在するためには、まず対話の真の意味を理解し、その姿勢を身につける
ことから始めるべきなのである。(中略)
それにしても三島君は、まさに対話の名手だった。もちろん対話は相手を選ぶ。すくなくともぼくにとっては、
得がたい対話の相手だった。真の対話には、論破することも、されることもない。論争とは違うのだから、
勝敗は問題にならないのだ。また、社交でもないのだから、譲歩しあう必要もない。なんの妥協もなしに
対立し合い、しかも言葉のゲームにたっぷり堪能するという、いわば対話の極致を体験できたのも、三島君との
出会いのおかげだったと思う。(中略)三島君にはつねに他者に対する深い認識と洞察があった。絶望はいわば
その避けがたい帰結だったのだ。

安部公房「周辺飛行19」より

590:ふ
11/10/15 09:58:03.48 Uvf9Siyo
この酷い成り済ましをみんなで削除依頼出そうぜ!

三島 由紀夫 大阪府大阪市 AB型 ガテン系
mixi id=36697458


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