ネトウヨってホモ右翼の三島由紀夫を崇拝してるの?at SEIJI
ネトウヨってホモ右翼の三島由紀夫を崇拝してるの? - 暇つぶし2ch500:名無しさん@3周年
11/08/08 10:56:35.42 mc8a90+o
司会:(三島は初恋の園子と)学習院の友人の妹として知り合って、手紙のやりとりをするようになり、彼女の
一家は軽井沢に疎開するんです。(中略)そこへ三島が、主人公がですね、訪ねて行くんです。それで旧軽井沢の
ゴルフ場で接吻をすると書かれています。だけど、この恋愛は実らずに終わってしまって、三島はずいぶん
苦しんだようです。だから戦後は、辛い出発をしなければならなかった。

本野:まあ、あの当時でもそういうことはあったでしょうね。これは僕個人のことなのだけれども、一学年下に
黒田っていうのがいたでしょ、黒田一夫。その妹と僕が恋仲になって、だけど彼女が亡くなってしまったんだ。
それはショックでね。昭和二十年頃だったんだけれども。そのとき平岡に話したのかな、よく覚えていないけれども、
彼からお悔やみの手紙をもらったんですよ。なくしてしまったんだけどね、残念なことに。それがことのほか
よい文章でね。自分のことがあったあとだから、ああいう手紙が書けたのかなっていまちょっと思いましたね。

本野盛幸、六條有康「同級生・三島由紀夫」より

501:名無しさん@3周年
11/08/08 10:58:35.83 mc8a90+o
司会:(三島は)高等科では総務部総務幹事になっていますでしょ。四人の幹事のうちの一人です。集会などで
号令をかけたり、挨拶したり、そういう点では目立っていたのではないですか。

本野:いや、そんな記憶はないですね。目立つということは、彼の場合はほとんどない。

司会:高等科で、さっき話の出たお芝居を書いてますね。それで演出もしている。そういう点では、ある面の
中心的な存在だったのではないですか。

六條:それはね、小説や演劇のこととなれば、彼の右に出る者なんかいないんですよ。その点ではもう別格。
それだけはみんなが一目置いていた。

本野:成績もね、僕らがどんなに勉強しても絶対に一番にはなれなかった。全然違うんですよ、彼の一番は。
記憶力とか理解力とか群を抜いていた。二番を引き離した一番だったんです。ましてや文学に関しては全く
次元が違う。

司会:ということは、性格的にリーダーになるとかいうのではなくて、お芝居となれば、身につけたものや才能で
平岡を据えるのが当然だということになっていたと、こういうことなんですね。

六條:ええ。

本野盛幸、六條有康「同級生・三島由紀夫」より

502:名無しさん@3周年
11/08/08 10:59:58.64 mc8a90+o
本野:彼は優れすぎているというか、異なりすぎているということですよ。それで彼は優越感をもつとか
そういうのでなくて、自然に優れていたということでしょうね。

司会:三島の側から言いますと、外務省なり文部省なり社会に出て仕事をしている人たちがいて、自分はもの書き
という特殊な立場にいて、何というかコンプレックスのようなものをもったのではないか。文学者というのは、
本当の意味での一人前の社会人ではないんじゃないかという意識ですね、そういうものがあったのではないか。

本野:彼とは割と簡単に話もできたし、間に垣根があるという感じでもなかったんですよ。でも、彼は自分の
世界を持っていたんですね。

司会:いや、石原慎太郎との違いということにもなるかもしれませんが、実社会の中で何かをするという意識を
ずっともっていたのではないかと思うんです。(中略)
(そして、その)行動が象徴性のレベルになってしまう。芸術家の行動というのは象徴性というところへ
行かざるをえないんじゃないかな。

本野盛幸、六條有康「同級生・三島由紀夫」より

503:名無しさん@3周年
11/08/08 11:01:14.44 mc8a90+o
司会:これは僕自身の気持ちが入っているのですけれども、少年のときから文学の世界を目指して、それで
文学の中でやってきたんですが、いまの歳になると一種の空しさみたいなものを感じるんですよ。実業の世界で
生きている人は、何か世の中に痕跡を残していて、小説家がやってきたことと言えば言葉をただ並べただけだと
いう空しさですね。そんなものが三島にはあったのではないか。空しさをあえて突き抜けてみせるという意志が
あったように思います。

本野:空しいという感じは超越していたと思うなあ。(中略)あれが彼にとって自然な姿だったんじゃないだろうか。
昔彼と話をしていても、全く偉ぶった感じがしない。そのまま別の世界にいるという感じだった。あなたもそうでしょ。

六條:うん、そう。平岡は平岡でしたよ。それでいて我々とは全然違うんだ。それがすごいことだとみんな
感じているんだけれども、学校ではね、そういうことは小さなことだったんです。頭がいいとか、文学をよく
知っているとかは。

本野盛幸、六條有康「同級生・三島由紀夫」より

504:名無しさん@3周年
11/08/09 20:34:55.46 jw9wAb1l
司会:この間、演劇で三島と関わった和久田誠男さんの話を聞いたんですが、宇宙人じゃないかと思ったと
言ってました。会っているときはそうは思わないけれども、家に帰って三島さんのことを思うと宇宙人としか
思えないと言うんです。いまのお話は、そういうところと関係しますね。三島さんのそういう面が現れるのは、
高等科からですか。

六條:そうねえ、中学のときはたわいもない子どもでしたよ。むしろ北条浩の方がずっと弁が立ったし、
理屈っぽかった。

司会:北条さんというのは、創価学会の会長になった人ですね。

六條:ええ、学習院を終えて海兵に行って。北条はよく平岡に食ってかかって、口論というか口喧嘩をしていましたよ。

司会:三島というのは、やっぱり天才と言うしかない人だったと思うのですが、それがどういうところで
形成されたのか、そこが知りたいですね。

六條:それはね、清水先生の感化ですよ、清水先生にもそういうところがあったんです。

本野盛幸、六條有康「同級生・三島由紀夫」より

505:名無しさん@3周年
11/08/09 20:36:39.82 jw9wAb1l
六條:岩田先生も(三島に)目をかけたでしょうが、岩田先生や佐藤文四郎先生は、清水先生とは違いましたね。
(中略)「輔仁会雑誌」に書いて清水先生に認められ、「文芸文化」に小説を発表することになるのですけれども、
あの清水先生に認められ可愛がられたというのが、大きかったんだと思いますよ。

司会:なるほどねえ。三島由紀夫がいたから清水文雄がいたんじゃなくて、清水先生がいたから三島由紀夫が
いたということですね。

六條:「輔仁会雑誌」に平岡の書いたものが載るでしょ。われわれからすれば平岡のが載るのは当たり前だと
思っていましたよ、平岡もそんなふうでしたよ。だけど、僕らには、彼の書くものが分からないんだ、難しくて(笑)。

司会:清水先生を読者だと思って書いていたんでしょうね。

六條:だから、僕らの前ではひょうひょうとしていましたよ。体が弱かったけれども、コンプレックスなんか
もっていなかったみたいですよ。驕らないし見下しもしないし、卑下している様子もなかった。ひょうひょうとして
当たり前の顔をしていました。

本野盛幸、六條有康「同級生・三島由紀夫」より

506:名無しさん@3周年
11/08/09 20:48:20.61 jw9wAb1l
司会:中等科から高等科にかけて、四歳年上の東文彦と三島は親しくなります。(中略)(三島は)自分の作品が
くだらないものに思えたとか、そういうことも書いています。だから、自己評価も素直で、また思うように
ならないことにはどんどん愚痴を言うといったタイプだと思っていましたが。

本野:そういう相手もいたんでしょうね。僕らにも愚痴を言ったのかもしれない。でも、愚痴に聞こえなかったんだね。

六條:彼は意志が強かったからねえ。(中略)

本野:それとね、家柄というんでしょうか、彼は普通の家でしょ。やはり華族の子弟との違いというのが
あったように思いますね。彼が優秀な人間だったということを関連づけてみると、そう思います。(中略)
あなた(六條さん)のように京都の古い家柄の華族とはやはり違う。(中略)反面、だけど俺の方ができるぞ
といった気持ちですね、そういうのが三島にもあったんじゃないかと推察します。

司会:それは確かにあっただろうと思います。あったから『春の雪』といった小説が書けたんですね。

本野盛幸、六條有康「同級生・三島由紀夫」より

507:名無しさん@3周年
11/08/11 09:41:09.49 baiHCRzB
司会(松本徹):(三島は)最初は着物姿で現れたとか。終戦間もなくのあの時期、若い人で着物着ているひとなんか
いなかったでしょうね。

川島:そうですよ、あの時代、講談社の社屋は焼夷弾でね、黒こげになっているんですよ。(中略)そういう時代に
彼は紺絣に袴をはいて来ました。それはちょっと印象的でしたね。

司会:太宰治に会う時、着物を着て懐に匕首を呑んだような気持ちだったと三島は書いてますけど、講談社へ
行くのにもそういう気持ちだったんじゃないですか。

川島:どうですかね。相当緊張してました。
会ったのは僕だけでした。(中略)今日はこういう新人が来るから、頼むよ、と言われて。

司会:(中略)今後いけそうかどうか、見極めようと。

川島:ええまあ、やっぱり違いましたよ、普通の作家とは。僕たち池袋あたりでカストリ焼酎飲んで、檀一雄を
はじめとして、まあ無頼の連中とばかりつき合ってました。ところが、そういう文壇とは関係がない。なんか
スッとした、まあ貴公子っていう言い方はあんまり正確でないけど、何かスカッとした、よそ者が入ってきた。

川島勝「『岬にての物語』以来二十五年」より

508:名無しさん@3周年
11/08/11 09:43:22.12 baiHCRzB
川島:プライベートなことになるけど、三島由紀夫の妹美津子さんっていうのがね、家内の同級生なんですよ。
三輪田高女のね。同級生で親しくしていた。そこでね、三島のお母さんの倭文重さんもまた三輪田出で、遊びに
来るようにって言われてね、何回も遊びに行ったことがある。三島家へですね。三島由紀夫を訪ねるのとは別です。
家内について何回も行ったことがある。

司会(井上隆史):講談社で三島由紀夫の来訪を受けた後ですね。

川島:ええ。そんなことから親近感持つようになった。そして家族ぐるみの付き合いになった。だから僕がね、
馬込の三島家を訪ねると、玄関左手に日本家屋があったんですよ。そこに親爺さんと倭文重さんがいて、僕に
気づくとね、あ、川島、こっちだよって必ず呼ぶの。(中略)今ね、うまい焼酎があるよって。その頃の
焼酎ってのはね、芋焼酎でね(笑)。(中略)

司会:三島が焼酎を飲んだとは聞きませんが。

川島:ええ、息子の方はね、全然ダメ。銀座のエスポワールってとこへ一緒に行ったことあるんです。でもね、
水割り一杯飲んで、真っ赤になってね、大変だった(笑)。写真ありますよ、探せば。

川島勝「『岬にての物語』以来二十五年」より

509:名無しさん@3周年
11/08/11 09:44:40.91 baiHCRzB
司会:林房雄なんかと、早くから会ってましたね、三島は。

川島:ええ。

司会:川島さんも勿論……。

川島:ええ、会ってます。(中略)林房雄がね、山の中腹に書斎を作ったんですよ。その書斎びらきをするって
いうんでね。三島さんと呼ばれたの。そしたらね、その頃ちょっと忙しかったのかな、途中で帰ってしまった。
そしたらね、三島が帰ったら、花がなくなったよってね、林房雄は酔っぱらって言い出したんだ。じゃああれ呼ぼう、
熊谷久虎という映画監督がいるが、その義理の妹のあれを呼ぼうって。あれは誰だろうと思ってたら、原節子なの(笑)
君ィ迎えにいってこいよっていうからね、地図書いてもらって、(中略)湯上がりの彼女連れて僕は林房雄の
家へ行った。

司会:じゃあ三島は会ってないわけですね、原節子と。

川島:会ってたら、いやあ、どうだったか。

司会:何年頃のことでしたかご記憶ありますか?
『仮面の告白』は出版されていました?

川島:もう出ていた。林房雄は三島をかわいがってますよ。

川島勝「『岬にての物語』以来二十五年」より

510:名無しさん@3周年
11/08/11 09:46:29.73 baiHCRzB
司会(山中剛史):川島さんのお仕事では講談社インターナショナルでのものがありますね(英訳版『太陽と鉄』を
見せる)。

司会(佐藤秀明):ああ、インターナショナルに移られたんですね。

川島:これはねえ、(社で)反対が多くてね。カバーの裸の写真はやめてくれっていうんだ。

司会:三島さんは是非ともこれでって……。

川島:ええ。アメリカじゃね、裸の写真こういうふうにするとね、ゲイのね、一つのシンボルになるから、
それだけはやめてくれっ言われたんだけどねえ、「いや、是非ここにこれやってくれ」って(笑)。

司会:いい本ですよ。いい本だ。
中は二色刷りで、お金かかってますよね。

川島:かかってんだよこれ。それで、裏に署名。それが効いてるんだ。
(中略)
司会:帯をするとちょうど褌が隠れるようになってるんですね。

川島:そうそう。隠したんだよ(笑)。

司会:英語の題字も三島の筆ですか。

川島:そうですよ。そちらもどっかにあるんだけど。

川島勝「『岬にての物語』以来二十五年」より

511:名無しさん@3周年
11/08/11 09:49:27.36 baiHCRzB
川島:ある時ね、三島家を訪ねて、一緒に出たら、「川島さん今日はあいてる」っていわれてね、僕は会議が
あるので社に帰らなくちゃといったら、「それじゃいいや、この次にしよう」って。パレスホテルへ送って行くと、
「出来たらあなたと一緒に行きたいんた」って、楯の会だね。

司会:決起の予行演習とか。

川島:いや、一緒に飲むんだって。「川島さんがいると盛り上がるから」って(笑)。僕酒飲みだからね。
彼あまり飲めないから、「代わりに飲んでくれないか」っていうふうに話してたね(笑)。(中略)ああいう時はね、
惜しいんだよな。会社のことなんか別にしてね、三島がそんなこと言うのはあんまりないからね、あの時期にね。
どうして一緒にいかなかったかと悔やまれますけど。まあ人生ってそういうもんだよね(笑)。

司会:最後の別れみたいな、そういうことはありましたか。

川島:いや、別にないですねえ。あれが実はそうだったのかなあ。うん。ただ凄く忙しかったからね、例会とか
なんとかでね。

川島勝「『岬にての物語』以来二十五年」より

512:名無しさん@3周年
11/08/11 19:17:57.53 baiHCRzB
司会:映画「トラ・トラ・トラ!」を見にいこうと誘われたというお話ですが、それも晩年ですか。

川島:そうです。

司会:三島が好きだった戦争映画ですね。

川島:「トラ・トラ・トラ!」はね、楯の会の推薦映画だったの。隊員と一緒に何回もみてるらしいよ。志気を
鼓舞するために。まあ、あの事件も真珠湾攻撃みたいなところがあるからね(笑)。でも、今ねえ、三島由紀夫
みたいのいないもんな。もう全部フラットになっちゃってね。人間ね。

司会:数世紀の間に一人出るかどうかの人ですね。
(中略)
司会:川島さんが親爺さんと意気投合したってのは(笑)。

川島:いやあ、あの親爺とはホントによくつき合った(笑)。

司会:テレビ局や編集の人なんかが来ると、親爺さん見ているわけですよね。親爺さんと言葉を交わして帰る人は
そんなにいなかった。
(中略)
司会:お母さんが、あれだけ早熟な才能を育てたと思うんですが。

川島:やっぱり、原因はお袋じゃないかな、あの親爺よりも。「年取ると段々親爺に似てくるからやだよ」とかって
いってたけど(笑)。

川島勝「『岬にての物語』以来二十五年」より

513:名無しさん@3周年
11/08/11 19:19:50.12 baiHCRzB
司会:ジョン・ネイスンが評伝で、家庭の中のことを結構書いてしまいましたね。あれは、ちょっと平岡家に
とっては、喜ばしくないような……。

川島:喜ばしくない。
ネイスンってのはね、あれ変わった奴だ(笑)。僕は非常に親しくしてて、渋谷の恋文横丁かなにかに連れてったんだ。(中略)
面白い男ですよ。ただ、まあねえ、聞き書きによる取材だから、よく分かってないですよ。

司会:彼は、日本語はよく出来るの?

川島:出来ますよ。僕は会ったときに、落語を一席なんて言うんだあいつ(笑)。その落語がね、なんだかね
「火焔太鼓」じゃなくて、なんか、聞きかじりのやつやって、日本語これだけ出来るんだって誇示してた。
まあよく出来る男ですけどね。でかくて、オートバイ専門で、ホントにアメリカンスタイルね。いい意味でも
悪い意味でも。どうしてんだろうなあ、今。
司会:カリフォルニアのサンタ・バーバラにいるんじゃないですか。
一時映画界に入ってたみたいですけどね。

川島:撃たれ役じゃないんですか(笑)。

川島勝「『岬にての物語』以来二十五年」より

514:名無しさん@3周年
11/08/15 16:22:50.11 Y0zDt5fk
秋山:(昔から)三島由紀夫の存在は知っていた。早稲田に入る前なんかでも本屋に行けば、「花ざかりの森」を
売っていたからね。これがあの早熟の才能ある者が書いたのかと、あちらこちらの本屋を見てまわった。読みは
しなかった。翻訳本をやらなくちゃいけなかったから、そんなものは読んでいられなかった。

井上(司会):秋山さんはいつ頃から、三島由紀夫に同時代の感覚や接点を感じるようになったのですか?

秋山:言いにくいけど、それはないよ。ないというより、「花ざかりの森」という早熟のタイトル。題が題じゃないか。
そんなかっこいいもの、関係ないと思っていた。
(中略)どこが違うのかと、後になっても感じたことだが、やはり階層が違うということだよ。(はじめて三島と
会ったきっかけは)村松剛や佐伯彰一がいた「批評」という雑誌に、村松に誘われて加わった、その時にね……。

松本(司会):昭和四十年一月ですね。

秋山駿「『内部の人間』から始まった」より

515:名無しさん@3周年
11/08/15 16:24:38.74 Y0zDt5fk
秋山:そう。なぜか遠藤周作が三島さんの家に連れていってくれた。その時、初めて社会的なことにちょっと
目覚めたんだよ。一月だったし、何か持って行かなくてはと、奮発して煙草の「ケント」をワンカートン買い、
持って行った。ところが遠藤周作と一緒に行ったら、三島さんが玄関で出迎えてくれて。まるで舞台だよ。
遠藤周作は三島に花束を持って来ていて、渡しながらご挨拶なんかしている姿を見て……。

井上:ちょっと違うなと。

秋山:ちょっとどころじゃないよ。持参した煙草は持って帰ってきちゃったよ。はっきりとこれは階層が違うなと。

井上:その時、階層というものをリアルにお感じになったのですか?

秋山:はっきり感じましたよ。西洋の何かを模したような立派な家だしね。特にやってることがさ。遠藤周作も
こんなことやるんだなと。

井上:遠藤周作についての見方も変わったのでは?

秋山:かなり変わりました(笑)。

秋山駿「『内部の人間』から始まった」より

516:名無しさん@3周年
11/08/15 16:26:02.23 Y0zDt5fk
松本:外野席から見ていたわたしたちにとって、秋山さんの登場は非常に鮮やかでした。(中略)
「内部の人間」「想像する自由」(昭和三十八年)を発表されてからの秋山さんの存在感は凄かった。三島も
即座に認めた。
(中略)秋山さんから、三島はかなりの衝撃を受けたのではないかと思います。

秋山:未だによくわからないが、三島由紀夫は私に非常に親切でした。それはなぜだったか、現在でもよくわからない。

松本:なぜ親切だったのか色々と考えたいのですが、一つは、三島由紀夫の「太陽と鉄」(昭和四十年十一月
連載開始)は、秋山さんの仕事の影響があるのではないかと思うのです。(中略)評論かエッセイか小説か、
わからない新しい仕事というのは、秋山さんのほうが先ですよ。秋山さんがすでにやっておられる。そのとき
三島は、「なるほど、これだ」と思ったのではないかと私は思います。

秋山:あそこで文章の波長が共鳴したのかね。そう考えるといいけど、未だにわからない。

秋山駿「『内部の人間』から始まった」より

517:名無しさん@3周年
11/08/15 16:28:07.85 Y0zDt5fk
秋山:私がある時から思っていたのは、もしかすると先ほどの階層の話に繋がるが、階層や絶対的な教養の違いが
あるからね。こちらは正反対の何もわからない奴、というふうに(笑)。

井上:しかし、明らかに三島由紀夫は、人間的な好感を秋山さんに対して持っていたと思うんですね。存在に
対する好感とでもいうものを。
(中略)
秋山:三島さんは最初の頃から、しかるべき外国の作家、作品に手を掛け、自分のものにして進んでゆく。一方、
こちらは何もなく、敗戦を契機に今まで読んできたものを捨てなければならないと思っていた。ただ一つ私が
大切に持っていたのは、志賀直哉だけです。

井上:しかし、三島はそういう秋山さんのことを、なんて言うのかな、セクシーだと思ったんじゃないでしょうか(笑)。

山中(司会):ストイシズムというか、ギリギリのところから出てくる魅力というか……。

秋山:私が考える対象としたのは、道端の石ころ。三島さんはそうじゃないからね。

井上:三島にとってそれが魅力的なんですね。

秋山駿「『内部の人間』から始まった」より

518:名無しさん@3周年
11/08/15 16:32:16.58 Y0zDt5fk
秋山:私だけの考えですが、「仮面の告白」は、三島さん自身も説明し難い色々な意味があると思います。つまり、
私も後に、〈私〉という主格を中心にしての連作をやる。(中略)〈私〉という主格が行う人形劇のようなものに
すぎない。そこが「仮面の告白」に似ているのかもしれない。(中略)私は、三島さんの「仮面の告白」を
(「昭和文学ベストテン(小説篇)」)に挙げましたが、私が三島を挙げたことに、他の人は意外だったらしい。
三島さんは凄い人です。物を書くといってもただ書くのではなく、細部の密度、明晰さ、集中力を持って書く。(中略)
松本:「仮面の告白」にも書かれていますが、人間として生きていく資格のない人間だという認識がまず
前提としてある。そして、そこから、どうにかして生きていきたいという時点で、書くという行為が始まる。
これは秋山さんと同じなんですよ。(中略)しかし、お二人の行き先が全く違う。しかし、間違いなくここで
クロスしている。

秋山駿「『内部の人間』から始まった」より

519:名無しさん@3周年
11/08/15 16:35:15.09 Y0zDt5fk
秋山:私は、あのときから今に至るまで、道端の石ころですよ。今だってそうです。すべてそこに還元される。
三島由紀夫は、やはり特別な人です。つまり、三島由紀夫は主人公なんです。日本の文学者にはあまりいない。

井上:(中略)それぞれ違う道を歩んだ。そのところについてどうお考えになりますか?

秋山:物の考え方ですね。根本の波長が違うのです。三島さんは特別な人だということで、私は時折、中原中也と
比較することがあります。中原中也は、毎日毎日、昼起きて、散歩して、夜に詩を少し書く生活を七、八年続ける。
あの生活の時間の在り方というものは大変なもので、普通の人がそのような生活を送ったら、二、三年で気が
狂ってしまう。それを持ち堪えた中原中也の強さというものは凄い。私は中原中也の詩が心に食い入っているほど
好きですが、一瞬一瞬の生き方が違うと思いました。一瞬一瞬が前後に繋がるのではなく、完結しながらの
一分一時間の密度になっている。そこが三島と重なる。こういう人は、長生きしようとかそういうことではなく、
その都度、完結し、その連続を生きる。

秋山駿「『内部の人間』から始まった」より

520:名無しさん@3周年
11/08/16 10:37:26.21 u4AXceHR
秋山:三島や中也、そして信長も、その都度完結する。だから戦争ができる。完結するということは、死と
裏合わせですよ。いつ死んでもいいと思っている。だから奇妙な戦争の仕方ができてしまう。あとは運ですね。
そういったことから考えると、多くの人が言っている信長と違った信長像が立ち上がってくる。
井上:中原中也と信長との繋がりなど普通は連想しませんが、秋山さんのおかげで一点繋がるなと考えさせられます。
中也と三島にしても本質的に相当違うと思いますが、密度の濃さという共通項が挙げられる……。
秋山:本質的には違うでしょうけれど、中原中也も主人公でありたいと思った人です。
(中略)中也と三島を考える上で、間に小林秀雄を入れて考えてもいい。やはり重要なのは出発点です。
中也は(中略)いわゆるランボオなんですよ。
いわゆるランボオに傾倒したら、社会の中の主人公にはなれない。しかし三島の文学はそうではない。ラディゲの
「ドルヂェル伯の舞踏会」などの方面ですから。

秋山駿「『内部の人間』から始まった」より

521:名無しさん@3周年
11/08/16 10:38:24.31 u4AXceHR
秋山:ランボオはいわゆる西洋を変えようということや、不可解なものに手で触るようなところがある。
そういったものを、実は三島も持っている。しかし、そちらへは進まなかった。
井上:どうしてでしょう。ラディゲに触れるのが早過ぎたからでしょうか?
秋山:いやいや。触れる段階の早さではなく、文学に取り組む姿勢の違いでしょう。文学のモデルの違いです。
中原中也の場合、文学のモデルは詩です。ランボオやヴェルレーヌです。三島の場合は小説です。小説は社会、
むろん政治も含んでいる。
あれほど一々のことを管理し決定して小説を書いていた人はいません。実際わかっていて、故意にそのプロセスを
飛ばしたと言えます。だから、所々で恐ろしいことを言っている。それは小説に対する疑いです。中村光夫との
「対談 人間と文学」の中で、小説に登場する〈彼〉という存在の、その〈彼〉に対して、どのような責任を
持つのかと言っていますが、これはそもそも小説の否定です。

秋山駿「『内部の人間』から始まった」より

522:名無しさん@3周年
11/08/16 10:39:48.40 u4AXceHR
井上:小説を考えていく上で、それを言ったらおしまいということがあるのですね。なぜ三島は、そういったことを
言ってしまうのでしょう? (中略)
秋山:やはり三島さんは、主人公であることを生きた人だからね。たいへんな主人公になろうとしたのではないか
というのが私の考えです。織田信長と一緒です。(中略)
山中湖の文学館にある原稿などを見ましたが、あのような原稿の書き方をする人はいない。あれはすべて遺品ですよ。
いつ終わってもいいような、完結した原稿になっています。主人公の話に戻りますが、三島は日本あるいは
日本文化の中の主人公になろうとしたのでしょう。
松本:最後のところは、条件付きで賛成してもいい。例えば「日本文学小史」などは、いま秋山さんがおっしゃった
ような意図があったでしょう。日本文学の歴史と自分の文学を一体化させ、さらに先へ進もうとした。(中略)
一番肝心なのは、日本文学全体を考え、それを提示しようとして、三島は死んだんだと捉えることでしょう。

秋山駿「『内部の人間』から始まった」より

523:名無しさん@3周年
11/08/16 10:41:00.86 u4AXceHR
山中:ご自身の仕事に注目していた、そして親切であったという三島の死に直面し、秋山さんは会社をお辞めに
なるほどショックだったとお聞きしましたが。
秋山:ショックどころではなかった。なぜ三島由紀夫が、あれほどまでに私に親切にしてくれたのかわからず、
それに対してきちんと対応していませんでした。今にして思えば、私の「簡単な生活」をペンギンブックスに
収録してくれたことは、たいへん大きなことです。しかし、その時は全く関心がなかった。(中略)外で泥酔して
いたとき、わが家に三島さんが電話をくれた。その電話に家内が出ると、「私は小説家の三島由紀夫です」と
名乗られた。まずそのことに感銘を受けましたね。(中略)電話をすると、「ペンギンブックスの件はちゃんと
済ませてあります」と。三島さんが死ぬ一ヶ月前くらいだったと思います。(中略)同時に収録される埴谷雄高は、
「秋山君、ペンギンブックスの件はどうなったかな?」などと言っていました。

秋山駿「『内部の人間』から始まった」より

524:名無しさん@3周年
11/08/16 10:41:50.77 u4AXceHR
井上:三島と埴谷の関係というのは微妙なんですね。
秋山:それが意外ね。
井上:本音がよくわからない。たぶん三島由紀夫は埴谷の考えていることは理解できるが、存在として感覚的に
好きではなかったのではないかという気がします。
しかし、もう少し接点があってもいいと思うのですが。
秋山:いや。対談や批評でも接点はかなりある。三島さんは埴谷のこともよくわかっている。
山中:(中略)同族嫌悪といったような、ある種埴谷に似たところを感じて、わざと避けたということも
あったのではないですかね。
秋山:たしかに似たところも感じていたでしょう。ドストエフスキーの小説でいうならば、埴谷雄高はどこかしら、
地下組織の秘密委員会の委員長のようなところがありますからね。(中略)一方、三島さんも楯の会を組織するしね。
松本:「豊饒の海」のような作品を構想するのには、やはり「死霊」のような小説が前提にあるでしょうね。
あれに対抗する輪廻転生の小説世界を作ってやろうという思いはあったかもしれない。

秋山駿「『内部の人間』から始まった」より

525:名無しさん@3周年
11/08/16 23:48:09.24 u4AXceHR
秋山:これは空想の話になりますが、「死霊」の中にはもう一つの流れがあって、現実に対して悪いことを
考える首猛夫、あれなんか三島さんは好きだったんじゃないかな(笑)。社会の中で悪いことを起こそうなんてね。
しかし、そのようなやり方ではなく、自ら実行しようと思ったのでしょう。三島さんは行動力があったからね。
ただ、今でもわからないが、長篇小説などを書く場合、主人公の意味が二つになる。一つは作品の主人公。
ところが三島さんの場合、現実の自分が主人公。これが素直に繋がるのか、打ち消し合うのか……。
井上:原理的には打ち消し合うはずなんですよね。
秋山:私小説というのは、作者が主人公になっては駄目。ところが三島さんの場合は、作品の主人公ではなく、
現実の中の主人公が強いから。
井上:作品と現実が重なってしまうのは、一つの幻想ですね。しかし、あえてそうした幻想を恐れなかったと
いうところもあるのではないでしょうか。

秋山駿「『内部の人間』から始まった」より

526:名無しさん@3周年
11/08/16 23:49:29.07 u4AXceHR
井上:変な喩えですが、デカルトと三島は似ているところがありまして(笑)。つまり、原理的にそれを言っては
おしまいだというところまで相対化し、思考実験でゼロからスタートする。そして自明性というものを棚上げする。
現象学で言うところのエポケーというものを、ある意味でデカルトは徹底的に行うわけですが、三島由紀夫にも
そういうところがあって……。
(中略)
秋山:デカルトを文学として置き換えるならば、あれは宇宙の主人公ですよ。
井上:そうですね。そして、自分ですべてを構成してしまう。
秋山:よく冗談で言われているように、デカルトは宇宙の運動が神の一突きによるとするから、何もしなくても
よいのであれば、神は不在で済ませたかもしれないと。これも主人公です。物を考えるということはどういうことか? 
それは驚くということが第一だとも言う。まったくその通りですね。
山中:すべて疑ったのちに、考えている自己を見出す。コギトですか。
秋山:そして、精神指導の規則や情念論などすべて集約されている。大主人公ですよ。

秋山駿「『内部の人間』から始まった」より

527:名無しさん@3周年
11/08/16 23:50:53.56 u4AXceHR
松本:三島の場合、現実の行動によって自分が主人公になれる、とは絶対に思っていなかったと思う。石原慎太郎と
違うところです。石原慎太郎は自分が主人公になり、少なくとも東京都を自分の意図するように整えようという
気持ちがあるけれど、三島は自分にはそれはできないという認識はあったでしょう。それが芸術家であると
いうことなのです。
山中:しかし、芸術家として自分自身が出てくる部分もあるのではないですか?(中略)
井上:石原慎太郎と比較するとよくわかります。慎太郎はアイロニーがなく、三島にはあったという話では
ないですか(笑)。
秋山:そう言われるとそうだけどね。とても言いにくいことだが、三島さんは石原慎太郎なんて小さいと
思ってるんじゃないの(笑)。東京都では、志が小さいからね。
あれくらいじゃな(笑)。(中略)例えば、日本文化というものを背負って歴史小説などを書いていた森鴎外と
いう人はどうだったのでしょう。
松本:鴎外の場合は、「古今集」までは遡りませんね。

秋山駿「『内部の人間』から始まった」より

528:名無しさん@3周年
11/08/16 23:53:10.09 u4AXceHR
秋山:喩えとしてはかけ離れていますが、信長はある程度天皇と仲良くやっていこうと思った人です。
松本:信長が天皇とどれだけ向き合ったか知りませんが、三島の場合、天皇を問題にしたのは、あくまで文化の
次元において、日本全体を長大な時間と空間の両面から考えてですね。
秋山:三島さんはそれよりも上に行こうと思ってたのでは?
山中:同一化ではなく、さらに上ですか?
井上:三島は幻想において、源為朝、もっと遡って日本武尊などにも自己同一化しようとしたので、三島にとって
文化的天皇というのは日本武尊の系譜になりますね。そうすることによって、自分の理想の天皇になろうとしたと
いうことはあるのではないでしょうか。現実の天皇よりはるかに上になりますね。
松本:天皇というものは、なろうと思ってなれるものではないし、三島はそのようなことはまったく考えて
いませんね。(中略)普通の人間は絶対に神になれない。三島にしてもそうです。だから、人であり神でもあり得る
希有な存在、天皇に対して、厳しく要求したのです。

秋山駿「『内部の人間』から始まった」より

529:名無しさん@3周年
11/08/17 10:22:38.47 hE/Rohwu
松本:三島にとって小説は、基本的に少し合わないところがあると思います。(中略)ぴたりと合うのは、
やはり芝居の世界ですね。
井上:しかしどうでしょう。三島はニヒリズムや疎外感といった主題を抱えていたと思うのですが、芝居の世界に
行ってしまえば、そういったテーマを充分に追究できなかったのでは?
(中略)
秋山:三島由紀夫と小説の問題はかなり厄介ですよ。(中略)三島さんは小説に対して非常に難しい考えを
持っているね。
井上:テーマという言い方は適さないかもしれませんが、つまり風船を作れば結び目があり、三島由紀夫という人は、
風船の結び目がどうしても見えてくる人だと思うんですね。その結び目をどう名付けるか。私はニヒリズムと
名付けていますが。(中略)三島が、本気で書いた小説は、この結び目は何なんだ? ということをずっと
考えていたはずで、それはデカルトの主人公の問題と繋がると思うのです。

秋山駿「『内部の人間』から始まった」より

530:名無しさん@3周年
11/08/17 10:30:15.25 hE/Rohwu
秋山:ニヒリズムねえ。
松本:三島にとって小説を書くということは、初期においては自分をどう変えていくかという問題であり、後半は
言語というものをどのように整えるかという問題だった。(中略)
ニヒリズムなんて、今の時代、皆持っていますよ。
井上:人間である以上、皆持っているでしょうね。しかしそれに気づかないふりをしている。だが、三島の場合
「鏡子の家」の中で、青木ヶ原樹海で物が見えなくなるというシーンがありますね。あれは比喩ではなく、
リアリティーだと思うのです。実際の感覚として、あのようなことがあるだろう。あるいは物の意味が解体して
いくというような。
松本:それは、秋山さんが書いておられることでもありますね。意味が失われるというリアリティーね。
井上:人間として我々はニヒリズムを持っていると言っても、意味が解体していくことを、はたして朝から晩まで
感じていられるかどうか。三島という人は感じていただろう。また、例えば、中原中也のような一瞬一瞬完結した
生き方を我々は普通しないと思います。しかし三島は中也とは違う形で、そういった生き方を強いられている。
連続性がその都度途切れるという感覚です。

秋山駿「『内部の人間』から始まった」より

531:名無しさん@3周年
11/08/17 12:43:40.64 hE/Rohwu
秋山:三島さんが私に親切だったというもう一つのエピソードとして、日生劇場の「恋の帆影」の切符をくれた
ことがある。とにかく行かなくちゃと思って行ったら、私の周りは皆、有名な人ばかり。幕間になったら
三島さんが来て、その人たちにいちいちご挨拶なんかやってる。先ほどお話した、三島邸を訊ねたときの遠藤周作と
三島じゃないけどさ(笑)。私はそういうこと、全く向かないと思っているから、これはいけないと思い、
トイレに行くふりをして逃げちゃった(笑)。
そういうことばっかりしてたから、もう少し三島由紀夫という人に向かい合って、何かやるべきだったと思ってね。
三島由紀夫に死なれてみたら、それが負い目になっていた。それから親切心の一つとして私にサービスしてくれたのか、
「三田文学」のインタビューの途中、篠田一士へ電話を掛け、問い合わせをした。すると篠田一士は、迅速に
詳細に教えてくれる。三島さんは「篠田一士はこういうときに便利な人なんだ」とか言ってね。この人、言うなあ
思ったよ(笑)。あとはドナルド・キーンにも電話をしていたような気がする。

秋山駿「『内部の人間』から始まった」より

532:名無しさん@3周年
11/08/17 12:45:35.00 hE/Rohwu
秋山:対談後、帰る際に三島さんと一緒に歩き出したら、意外と小柄でね。でも身体は立派。対談は上半身裸で
やったんですよ。見事な身体。ただし意外と足は小さい。そして、「喜びの琴」で揉めていることを私に
訴えかけるように話すんですよ。
松本:杉村春子の悪口を言っていましたか?
秋山:いやいや。私はその頃、そちらのことは関心がなかったけど。対談の最中は、豪快に高笑いするなどして
いたが、なぜこんなに抒情的なんだろうと。意外な面も持っている人だなあと思ったよ。ただし「恋の帆影」を
見に行ったとき、(中略)階段を駆け上がったところで女性にぶつかりそうになり、ふとその女性をみると
清宮だった。やはり階層の問題ですね。
松本:華やかな空間には、秋山さんは合わない。(中略)その点では恐ろしくかけ離れた、対照的な存在でした。
それでいて、通低するものがあり、かつ、そこでは三島が受け取るものの方が大きかった。年齢の差はありながら、
同時代を生きた文学者同士の係わりようを如実に伺い知ることができたと思います。

秋山駿「『内部の人間』から始まった」より

533:名無しさん@3周年
11/08/17 18:21:50.64 gI2FU90v
病的で変な人だったけど、きっとあの時代から日本潰れちゃうのわかってたんだよ。
司馬遼太郎?もヤバいよ~ってずっと投げかけてたんだよね。

534:名無しさん@3周年
11/08/17 18:52:35.61 cqnf+da0
脳味噌破壊状態で毒舌は居ていたアホな右翼か
三島のお坊ちゃま

535:名無しさん@3周年
11/08/18 22:50:30.79 IjSma7NX
松本(司会):(憂国の)音楽はワーグナーの「トリスタンとイゾルデ」でしたね?
藤井:はい。
音楽の打ち合せをした時、レコードを聞きながら三島さんがストップウォッチで計るわけですよ。で、「音楽を
どこから流すんだ」、「ここから流しちゃおう」ということになりまして、(中略)麗子はこういう姿勢でいて、
こういうふうに動く……、ってありますね。そこへ音楽を同時に流すわけですよ。するとピタッと合うわけです。
井上(司会):偶然、象徴的に合うわけですね。
藤井:例えば麗子が夫の帰宅の気配に気がついて振り向いたところで、牧笛が軍隊のラッパのように聞こえるんです。
シーン15です。皆びっくりしてね。神がかりだって。「ええっ!」って素直に子供みたいに喜んだ。あれは
三島さんな芝居したんじゃないかと思ったほどでしたよ。
井上:う~ん、可能性としてあるかもしれませんねぇ。
藤井:いや、やっぱり芝居じゃないんですよ。ある種のフロックだと思います。

藤井浩明「映画製作の現場から」より

536:名無しさん@3周年
11/08/18 22:51:39.56 IjSma7NX
井上:能舞台のようなセットに、「トリスタンとイゾルデ」という組み合わせが独特ですね。
藤井:ワーグナーは三島さんが最初から使いたかった。
井上:外国で上演するということを意識して?
藤井:いや、そうじゃないと思いますね。あの人はね、もともと外国人に見せようなんて思っていなかった。
はじめ「16ミリでやる」と言っていたので、僕は「やるんだったら35ミリでやりましょう。一般の劇場で上映できるし、
外国の映画祭にも出せるじゃないですか」と言った。それまで三島さんはそういうことを考えてなかった。
いわゆる短いプライベートフィルムを作るのが、小説家とかいろんな人たちのあいだで当時流行っていたんです。
それがベースにあったかもしれませんが、しかし、道楽でやるんじゃないと、三島さんは最初から言っていましたね。
そこで、「あなたの原作、脚本、製作、監督、主演でなきゃ商売になりません」と言ったんですよ。三島さんも
納得してくれました。

藤井浩明「映画製作の現場から」より

537:名無しさん@3周年
11/08/18 22:53:10.40 IjSma7NX
藤井:(憂国は)最初はブニュエルの『小間使の日記』と二本立てでしたからね。これもいい映画でした。
(中略)
山中(司会):ブニュエルと一緒にカップリングしてやるということに対して、三島が何か言っていたことは
ありますか?
藤井:いや、特にないですよ。(中略)
三島さんはね、例えば市川雷蔵の『眠狂四郎』とか勝新太郎の『座頭市』とか、高倉健の任侠ものとかとの
二本立てが出来ないか、というのが第一希望だったんですよ。「俺は芸術映画と一緒にやるというのは嫌いだ」
って言ってた。
井上:それは面白い話ですね(笑)。
藤井:この組み合わせは三島さんの意図に反しているんです。だから三島さんはATGでやりたくなかったんです。
だけど当時は二本立てが普通で、例えば『眠狂四郎』と『座頭市』をやる時に、どっちかを外して『憂国』では、
劇場が買わないんです。(中略)そうしたら、川喜多かしこさんが「洋画と組んだ方が良いんじゃないですか」と
言って下さった。

藤井浩明「映画製作の現場から」より

538:名無しさん@3周年
11/08/18 22:54:33.82 IjSma7NX
藤井:話は前後しますが映画が出来た時に、三島さんが「内緒で一般のお客さんに見せてくれ」と言うんですよ。
「飲み屋のおばさんとかそこらにいるあんちゃんとかそういう人たちを集めて」って。
それでね、(中略)新宿に「十和田」という、有名な飲み屋がありましてね。(中略)女将さんと、ごく普通の
町の人たちに見せたんです。十五、六人いたかな。終わったら、女将が言うんですよ、「どうして日本の音楽を
使わなかったの?」って。(中略)そしたら、バーンスタインが東京に来た時、東宝の試写会でこっそり『憂国』を
見せたら、同じことを彼が聞くんです。「一つだけ君に質問がある」って、三島さんがいないところで私に聞いた。
「なぜワーグナーを使ったの? どうして日本の音楽を使わなかったの?」って。僕は新宿の飲み屋のおばさんを
思い出した。映画もわからないし、音楽もわからないんだけれども、巨匠と同じことを奇しくも言ったのは
不思議だなぁと。

藤井浩明「映画製作の現場から」より

539:名無しさん@3周年
11/08/18 22:56:09.77 IjSma7NX
佐藤(司会):『憂国』という映画は、最初は漠然としたプランから始まって、ATGで大成功するまで大きく
膨らみましたね。
藤井:僕もプロとして真剣にやった。単に嬉しがって一緒になって道楽映画をやってたら、「お前何やっているんだ」
ということになって、会社を首になってますよ(笑)。スタッフも内緒で呼んだわけですからね。会社の誰も
知らなかったですよ。
(中略)
松本:(大映社長の)永田さんに叱られませんでした?
藤井:言われましたよ。「お前が今度やる時は俺にちゃんと言ってからにしろ」って。
松本:それだけで済んで良かったですね。
藤井:永田雅一は三島由紀夫の大ファンなんですよ。永田さんは学校もちゃんと出てないし、田中角栄とか
ああいうタイプなんです。(中略)二十八歳くらいで第一映画というのを作ってますが、今じゃ想像できないくらい、
才能というんですかね、それがあったんですよ。(中略)そういう永田雅一にしてみれば三島由紀夫は凄い存在。
若くしてデビューしてあれだけ売れまくった小説家というのは永田雅一にしてみれば天才だ。

藤井浩明「映画製作の現場から」より

540:名無しさん@3周年
11/08/18 22:59:49.78 IjSma7NX
藤井:だから、別の時ですけど、市川崑さんと僕がフランスへ合作の仕事で行くことになりましてね。三島さんが
講談社の榎本昌治さんと一緒に送りに来てくれたんですよ。その時永田雅一も羽田に来ていました。僕を送りに
来たんじゃないですよ。たまたま国内線で飛ぶために羽田へ来たんです。そうしたら三島さんがいるんで、僕に
向かって、「お前のために天下の三島由紀夫が来るわけがないだろう」って言って、「三島由紀夫が何故ここへ
来てくれたか、わかっているか?」って訊ねるんですよ。「社長、送りに来てくれたんです」って答えたら、
「お前を送りに来たんじゃなくて、お前が大映の人間だから来たんだ」って。
山中:嫉妬しているわけですね(笑)。
藤井:猛烈にやきもち焼いてる。「お前、誰に月給貰っているんだ」、「あなたに貰っている」、「俺が社長を
やっている大映にいるから、三島がお前を送りに来た。だから俺に感謝しろ」って。しょうがないから、
「どうもありがとうございました」って言った(笑)。三島さんは、よく永田雅一の真似をしては、まわりを
笑わせていました。

藤井浩明「映画製作の現場から」より

541:名無しさん@3周年
11/08/19 16:10:51.03 2x6Ue2kT
井上:『からっ風野郎』の時はいかがでしたか。
藤井:『からっ風野郎』の時は、講談社の榎本昌治さんが、僕に「三島の映画やらないか」と言ったんですよ。
「監督? 主演?」って訊ねたら、「馬鹿。主演だ」って言うから、「あ、そう? で、何やるの?」。そうしたら、
「何でも良い」って。(中略)
松本:映画は榎本さんの発想なんですか?
藤井:いやいや、三島さん。
松本:三島さんがそんなに望んでいたんですか?
藤井:ええ。
松本:日活の『不道徳教育講座』にちょっと出てますね。あれがきっかけですか?
藤井:いや、その前からですよ。
松本:何で三島さんは、そんなに望んでいたんでしょうね?
藤井:やっぱり映画に出たかったんじゃないですか(笑)。自分が監督するんじゃなくて、要するに、役者とか
俳優としてですね。
佐藤:その前に『鏡子の家』の映画化の話がありましたでしょう? 大映で。それがいつの間にか『からっ風野郎』の
主演の話になってきますね?

藤井浩明「映画製作の現場から」より

542:名無しさん@3周年
11/08/19 16:12:07.49 2x6Ue2kT
井上:『鏡子の家』を市川崑監督でやると、「スポーツニッポン」が報じてますね。
藤井:市川崑さんが『炎上』をやりましたでしょう。傑作だと思うんですけど、市川さんもあれから三島由紀夫に
注目するようになったんです。『鏡子の家』は、雑誌「声」に冒頭部分が載った時から目をつけていて、本に
なると同時に、市川さんに話しました。やる、と言ってくれたんで、永田雅一に、三島さんが書き下ろしの大作を
出したので、市川監督でどうですかと言ったら、それ以上何んにも聞かなくて、「乗った!」って言うんですよ。
会議できめなきゃいけないのに、もうそれで決まっちゃった。そんな時に、主演の話を榎本が持ってきたんですよ。
『鏡子の家』とは関係なく。つまり、三島由紀夫原作の映画化と、三島由紀夫というスターの主演映画が、運悪く
バッティングしてしまった。それで『鏡子の家』のほうが後回しになっちゃったんです。
井上:そういうシチュエーションがあったのですか。

藤井浩明「映画製作の現場から」より

543:名無しさん@3周年
11/08/19 16:13:35.53 2x6Ue2kT
松本:脚本はどうでした?
藤井:最初はね、「白坂依志夫でやろう」って言っていた。白坂は、『永すぎた春』でも脚本を書いたし、
三島さんともお互いとてもよく知っているんですよ。(中略)二人は話していて、「インテリをやりたくないん
だったら、じゃあ競馬の騎手をやろう」ってことになった。三島さんの体型って割と小柄だし、良かったんですよね。
それでね、「凄い名馬に乗る競馬の騎手が、八百長をやる話」に、三島さんも乗ったわけなんです。それで脚本を
作って、(中略)この時は重役も皆参加して本読みをやった。脚本を読むと、割とよく出来ていたんですよ。
八百長やって最後にカムバックするんですけど、ゴールインした時に死んでしまう話で三島さんにぴったり。
そしたら、永田雅一がですね、「お前何考えているんだ!」って怒り出したんですね。「俺を何だと思っているんだ。
俺は中央競馬の馬主会の会長だっ!」って。「中央競馬が八百長だって、そんなのは絶対できない!」って(笑)。
佐藤:でも、これ実現していたら良かったでしょうね。

藤井浩明「映画製作の現場から」より

544:名無しさん@3周年
11/08/19 16:16:38.11 2x6Ue2kT
井上:しかし、大映の他に日活とか松竹に話は?
藤井:三島さんは、仁義のかたい人だから、そんな軽々しいことはしませんよ。だけど、三島さんは映画のために
二ヶ月もスケジュールを空けているわけですからね。それで「弱かったなぁ」と思った。「とにかく考え直そう」と
いうことになって、フッと思いついたのが、菊島隆三さんが石原裕次郎に当てて書いた脚本があったんですよ。
僕は菊島隆三と親しかったから、すぐに電話して、(中略)「どこにも売ってないですね」って念をおしたら、
「売ってない」って。(中略)そして、菊島さんのところに三島さんとすっ飛んで行って、その場で読んだんですよ、
脚本を。三島さんは「やる! これでいきましょう。」って言った。これが原型なんですよ。それをまた
増村(監督)が直したわけです。三島さんは増村が言う通りにやって良かったわけですよ。(中略)二代目だけど、
気が弱くて、腕力がなくて、組の存続も危ぶまれる、気がいい男。そういう風に全部変えちゃったわけ。あれは、
やっぱり増村の凄いところですね。

藤井浩明「映画製作の現場から」より

545:名無しさん@3周年
11/08/20 14:25:52.02 XX1OpbdX
松本:だけど、『からっ風』の三島には、どこか借りてきた猫のようなところがありますね。
藤井:その点、『人斬り』は文句のつけようかないでしょう。
松本:そうですそうです。あの存在感は見事ですね。
藤井:もうぴったりです。一本やっているからキャリアが違うっていうかな(笑)。
山中:『人斬り』の時は藤井さんがマネージャーみたいなことをなさってたんですか?
藤井:勝新太郎がまだ大映にいて、(中略)僕はその頃企画部長やっていた。勝が僕にね、「ちょっと頼みが
あるんだけどさ、三島さんに出て貰えない?」とか言うんですよ。
松本:五社監督からじゃなかったんですね。
藤井:ええ。それで「何やるの?」って聞いたら、「人斬り新兵衛だ」って言った。僕はね、一発で出ると思った、
三島さんは。だけど、少し勿体つけなきゃいけない、マネージャーとしては。そこで「勝さん、それはわかんないよ」
と言った(笑)。(中略)で、三島さんに「こういう話が来ているんですけどね」と言ったら、「俺やるよ」って、
やっぱり一発で決まった。

藤井浩明「映画製作の現場から」より

546:名無しさん@3周年
11/08/20 14:26:20.18 XX1OpbdX
藤井:三島さんは、「この田中新兵衛なら絶対にやる!」って言うんですよ。で、勝さんに、「この間、話したら、
三島さんは、やっても良いと言っているけど」と伝えたら、「会わせてくれ」って。勝もとっても喜んで
くれました。(中略)
松本:三島さんは勝さんの演技に全面的に支えられている感じですね。それが見ていて、気持ちよかった。
藤井:そうですね。それで、(中略)京都の撮影所まで行く。そうしたらね、勝新太郎がね。京都駅のホームまで
迎えに来ているんですよ。で、自分の車で、自分の運転で、都ホテルへ送ってくれて、「それじゃ、三島さん
明朝何時に撮影所で」って言う。その時、「テープにもう入れてある」って言うんですよ。三島さんの台詞と
勝の受けの台詞と両方を。次の日に行って、僕がテープを聴きますとね、勝が一々全部フォローしてくれて
いるんですよ。「ここはこう言った方が良い」とか。
佐藤:三島は、勝新太郎に随分世話になったとか、面倒見てもらったとか書いていますけど、そういうこと
だったんですね。

藤井浩明「映画製作の現場から」より

547:名無しさん@3周年
11/08/20 14:29:53.13 XX1OpbdX
藤井:それで、セットに入って、宣伝用の撮影にかかったら、当時日本で一番有名なキャメラマンの宮川一夫さんがね、
ふらっと入ってきたんですよ。「あれ宮川さんどうしたの?」って言ったら、「三島さんと君が来ているというから、
俺、応援に来たんだ」って。それで天下の宮川さんが、三島さんのメイクをチェックしてくれるんです。すると、
スタッフの気持ちが全然違ってくるんですよ。宮川さんが三島由紀夫のためにここへ来てくれている。それは
異例のことです。それでいてね、三島さんっていう人は勉強家ですから、都ホテルに戻って「明日は撮影所に
十時」とか予定を確認するでしょ。そうするとね、荷物をポンと机の上に置く。原稿用紙と『椿説弓張月』の本です。
(中略)もう撮影所へ来たんだからそっちの方へ頭が行くのかと思うと、そうじゃないんですね。夜の何時頃からに
なると、『椿説弓張月』に取りかかる。その時は『人斬り』じゃないんですよ。そして、朝起きると、また
大スターになっているんです。

藤井浩明「映画製作の現場から」より

548:名無しさん@3周年
11/08/20 14:31:52.98 XX1OpbdX
井上:たとえば昭和四十四年の六月七日は京都で『人斬り』のラッシュを見てから、帝劇に駆けつけて
『癩王のテラス』の稽古はじめをして、翌日は楯の会の六月例会です。次の九日は楯の会の活動をやって、十日は
『椿説弓張月』のスタッフ会議、こういう感じですね。動き回っている。
佐藤:切り替えと集中力が凄いですね。
藤井:凄いですね。ちょっと真似できないですよ。
佐藤:それでどうなんですか、実物は。色んな人が書いてますけど、やっぱりあたりを払うような存在感がある?
藤井:それはあるんじゃないですか。
佐藤:そういうのと、映画の銀幕に乗るのとは関係があるんでしょうか? つまり、スターと呼ばれる人は、
もうそこにいるだけで、何かオーラを発していて、それが銀幕に自然に現われるものなんですかね?
藤井:やっぱりね、三島さんは大スターなんですよ。
佐藤:『人斬り』の宣伝写真で、仲代達矢、勝新太郎、石原裕次郎と四人で並ぶけど、負けてないですね。

藤井浩明「映画製作の現場から」より

549:名無しさん@3周年
11/08/20 16:03:24.41 9Aglusc6
難しいことを言わずして簡潔に言えばさ、

三島は脱米で独立自存で自力救済の共存共栄、ネトウヨは媚米で米国依存の他力本願の弱者は氏ね。

これでしょ。

550:倭人 ◆eKPWkfPmuI
11/08/20 16:07:59.76 vZl/A10D
チョンって寄生虫で、強姦殺人マニアなの?

551:日本義士
11/08/21 00:47:55.35 c64rfBhm
フジTVが絶対に触れない韓国人犯罪者リスト。(北朝鮮人は除く)

李昇一 「フジテレビ社員成りすまし少女140名強姦事件」2000年
宋治悦 職業不詳 「目白 ナイフで一人宅侵入19人強姦事件」2000年
織原城二(金聖鐘) 「ルーシーブラックマン事件」 2004年
金保(通名:永田保) 「聖神中央教会連続少女強姦事件」2005年
金山昇一 「カナヤマン少女連続強姦事件」 2005年
金允植 「大阪で200人強姦」 2007年
張今朝 「小学4年生を強姦」 2007年
李桐昊 留学生 「新宿、オートロックマンション尾行強姦 他3人」2007年
李正遠 「静岡浜松市、民家侵入し強盗強姦、5か月で8件」 2008年
文相勲 「愛媛マンダリンレイパーツ外野手が強姦」 2009年
ぺ・ソンテ 「女子小学生14人を強姦」 2009年
卞在昌 「国際福音キリスト教会連続強姦事件」  牧師 2009年逮捕
韓東翰(ハン・ドンハン)「韓国男が女性の顔を蹴り強盗」2009年
金平和 「大阪市女性2人キャリーバッグで拉致強姦」 2010年逮捕
呉紘希 「北区 路上ナイフ女子高生連続強盗強姦+パンツ窃盗事件」2011年6月
李泰成(通名:角岡,西本) 「MMEレコード韓国人経営者少女強姦事件」 2011年7月
竹田直季(通名) 「東灘区 女子大生 ナイフで公園で強姦2か月で2名」  2011年7月
(まだ公判がされてない韓国人犯罪者は、通名報道のままです。)

さらに2011年8月だけで次の韓国人が捕まった。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
・ソウ・ヨンソック24無職「女性を車で数百m引きずり殺そうとした在日韓国人逮捕」
・丹羽雄治(通名)「女子大生モデル強姦殺人事件」←フジはテコンドー看板をモザイク
・米田吉誉(通名)「被災地で偽医者。過去にはパイロット詐欺」 ←医師免許は韓国で偽造
・田村智(44無職)「RV車運転し、妊婦暴行し逮捕」北海道朝鮮初小中高級学校卒という情報(未確定)
・まだあるよね。8月だけでも。もう行数たりません ><

フジTVだけ、韓国人であることを隠して報道。その後の扱いも小さすぎる。


552:名無しさん@3周年
11/08/21 03:34:31.19 2f3Exczi
もしご存命なら防衛省あたりとケンカしてたかな。80代の今なら三宅氏みたいな感じだろーか( ̄◇ ̄*)

553:名無しさん@3周年
11/08/21 20:22:05.70 O8tatfWF
中曽根氏がまだ生きてるのを知ったらびっくりすると思う。

554:名無しさん@3周年
11/08/22 12:00:41.42 Iv+VP7B3
松本:『からっ風野郎』の時と全然違うんじゃないですか?(中略)
藤井:全然違いますね。やっぱり一本通して主役をやると、違ってきます。それに『人斬り』のようにゲストとして
出る場合は、気が楽なんです。おまけに五社英雄さんは、増村みたいにがんがん言わない、まっしぐらには
来ないんですよ。おだてあげておいて、「はい、じゃあこのシーン行きましょう!」と。三島さんがとっても
ハッピーになったところで、バーンとやる。切腹するところでもね、三島さんはね、ボディビルで鍛えてるから、
腹筋が動くんですよ。三島さんがこう動かすでしょ。すると、スタッフが「三島さん、もういっぺんやって!」
とか言うとね、喜んじゃって、また見せてくれるんです。もうリラックスしていて、それで撮影するわけですよ。
外へ出ると、今度は「三島さん、居合いをやってよ!」と勝が言うんです。すると本気でやるんですよ。うまいんです。
そうすると勝がね、「でも、あんまり強そうじゃないな」とか「手を切らなきゃいいけどな」なんて、からかう。
僕は心配して見ているんですけど、本当にうまいんですよ。

藤井浩明「映画製作の現場から」より

555:名無しさん@3周年
11/08/22 12:01:10.61 Iv+VP7B3
井上:三島は非常にご機嫌でしたね、『人斬り』のロケの時は。
藤井:それでね、五社さんが何かに書いてましたけど、名古屋かどこかにキャンペーンに行くんですよ、京都から。
佐藤:帰る時ですね。
藤井:三島さんは仕事で東京へ帰らなきゃいけない。五社さんや勝新太郎は名古屋でキャンペーンがある。で、
名古屋駅で三島さん一人を残して、「じゃあ」って別れて新幹線を降りた途端に、三島さんはこうスチールを
取り出して見るんですよ、嬉しそうな顔して。それをね、新幹線の窓の外から勝や五社が見ている。そういうところは、
何て言うんですかね、やっぱり大物なんですよ。僕らだったら、「あいつらがちょろちょろしていて見られたら
沽券にかかわるから、名古屋を発車して五分くらい経ってから見よう」なんて思いますよね。しかし三島さんは
すぐに見る。
井上:見たくなって、もう我慢できなくなって見ちゃう。
藤井:それが子供のように可愛く映ると、五社さんが書いている。

藤井浩明「映画製作の現場から」より

556:名無しさん@3周年
11/08/22 12:01:43.08 Iv+VP7B3
松本:三島さんとは映画についてどんな話をなさいましたか。例えば過去の良い映画として、三島さんは
どんなものを挙げてました?
藤井:あの人はね、限りなくひどい映画ばっかり話題にするんですよ。『大アマゾンの半魚人』だとかね。
山中:新東宝とかそういうのが好きでしたからね。
松本:晩年は東映のヤクザ映画。
井上:まあ、映画は趣味娯楽として面白いものに徹していたところがありますね。
藤井:でも、本当は『大アマゾンの半魚人』で満足しているような人じゃないです。
佐藤:映画の心理描写が嫌だっていうようなことを言いますよね。カメラワークや技術で人間の心理を見せようと
するのは嫌だとか、そんなことを言ってましたね。心理ではなくて、物として見せられるかどうかが勝負だって。
三島の『潮騒』のロケ随行記がありますでしょ。あれを見ると、こういうところから三島は始まっているんだ、
(中略)一本筋が通っているのは、映画は物としての人間を見せなければ駄目だというところですね。これは
変わらないなと思いましたね。

藤井浩明「映画製作の現場から」より

557:名無しさん@3周年
11/08/22 12:02:26.09 Iv+VP7B3
藤井:やっぱり基本的に言えば「映画は心理を語れない」っていうのが、よくわかっていたから。増村も同じことを
言ってますよ。
山中:増村監督もそう言いますか。勘所は通底しているんですね。
佐藤:やっぱり活字文化で育ってきた人の心理ってね、違うと思うんですよね。(中略)
井上:「映画は心理を語れない」という見方では、三島と増村には接点があったことになるでしょうか。さっき
佐藤さんが触れた藤井さんの文章で、増村の論文「原作小説とその映画化」から引用しています。「具象的な
音と画で表現できない主観的なものは、徹底的に客観的なものに転換しなければならない」。こうなんですね。
(中略)
佐藤:増村は大正十三年生れでしたね。
松本:三島と数ヶ月しか違わないわけか。だけど、『からっ風野郎』の撮影の現場では、時には刺々しいことが
あったようですね……。
藤井:刺々しいなんてものじゃないですよ。もう、罵詈雑言、凄いですよ。

藤井浩明「映画製作の現場から」より

558:名無しさん@3周年
11/08/22 12:07:51.66 Iv+VP7B3
井上:凄い罵詈雑言?
藤井:ええ。それで、増村は撮影が終わった時に言うんですけどね。僕は半分本当で半分嘘だと思うのですけど、
要するに、「俺は三島さんでやろうとお前が言うからやったんじゃないか。俺は三島と東大法学部の同級生だ。
やる以上は彼に迷惑をかけちゃいけない。世間から三島由紀夫が映画の主役をやったって笑われちゃいけない。
だから、叩かなきゃいけないんだ。その叩き方も、なまじじゃとても駄目だ。芝居にならない。同じことを何回も
何回もやらせて、その良いところだけを取って、それをつないでいかなきゃならない」って言うんですよ。(中略)
そうじゃなくても増村はかなりうるさいんですからね。「三島さん、何ですか! その芝居は!」って感じで。
「三島さん、あなたのその目はなんですか? 魚の腐ったような目をしないでください!」って酷いことを言う。
スターに言っちゃいけないようなことを、バンバン言う。皆、ハラハラするんですよ。
井上:若尾文子も、気の毒でとても三島由紀夫の顔を見ることができなかった。

藤井浩明「映画製作の現場から」より

559:名無しさん@3周年
11/08/22 12:08:19.17 Iv+VP7B3
藤井:若尾文子は、自分の出番がない時は、セットの隅で祈っていた。「このシーンが無事にいきますように」って。
だけど、やっぱり三島さんは偉かった。あれ、普通だったら喧嘩しますよ。
井上:そういう感じですね。
藤井:それくらいボロくそに言うんですから。「だったら俺はもう辞めた。勝手にやってくれよ」って言って
辞めればいい。だけど、三島さんは最後までやり通した。
佐藤:そうなると、三島由紀夫は『からっ風野郎』に出て、本当に良かったんですか?
藤井:いや、映画っていうのが良くわかったんじゃないですか? 凄い経験になったと思いますよ。
(中略)
佐藤:あれに出なかったら『憂国』はなかったとは思うのですよ。仮に藤井さんが話を持っていったとしても。
井上:そうですね。
藤井:やっぱり自分の好きなようにもういっぺんやってみたかったんですよ。それはわかりましたね、僕は。
三島さんも言わないけれども、『からっ風野郎』で味わおうと思って味わえなかったことを、『憂国』で自分の
好きなようにやろうとしたと思うんですよ。

藤井浩明「映画製作の現場から」より

560:名無しさん@3周年
11/08/23 14:31:09.41 sSHayI5d
松本:『からっ風』のロケで頭を打って病院に入った時、「増村を殴って来てくれ!」って言っていたとか?
藤井:それはね、半分本気半分ふざけてそう言ったんですよ。そこらへんはもうゆとりが出て来ていたんです、
最後のシーンですから。
佐藤:でも、あれだって一週間ぐらい入院してましたでしょう? 一週間目くらいには結果がわかっているから
いいようなものの、一日目、二日目って、もう頭の中どうなっちゃっているんだろうって不安だったでしょうね。
これにはムカッともするし、とんでもないことになっちゃったみたいなことにもなったでしょう。(中略)
藤井:(中略)もろに頭を打ったわけですからね、バーンと。
井上:その瞬間は?
藤井:見ましたよ。あれは神山繁っていう文学座の役者が殺し屋で出ているんですが、「三島さんね、もっと
バーンと派手に倒れなきゃ駄目だよ」とか余計なことを言うものだから、三島さんも、「そうかな」なんて思って
バーンと倒れた。
松本:三島ってひとは素直だなあ。

藤井浩明「映画製作の現場から」より

561:名無しさん@3周年
11/08/23 14:31:48.01 sSHayI5d
藤井:それで神山にね、僕は大分後に言ったことがあるんですよ。「あんたが余計なことを言うから」、「いや、
俺はあそこまでやるとは思わなかったから」って。
井上:実際はどのような感じだったんですか?
藤井:神山が三島さんを拳銃で、ダンと撃つ。
井上:それでエスカレーターへ倒れたんですね。
藤井:ええ。当然バーンと倒れました。エスカレーターが上がっていくから、三島さんは逆さまになって上へ
運ばれていく。本当は撮影ももっとうまくやれば良かったんですけれども。でも、あんなに派手にバーンといくとは
思わなかった。エスカレーターの段の角のぎざぎざがあるでしょ。それにバーンと頭を打ちつけた。よくあれで
済んだものですよ。僕は病院へ行ってね、「三島さんすみませんでした」とかなんとか言ったけど、黙ってましたよ。
割とムスッとしてました。
井上:不安だったんじゃないんですか?
佐藤:不安だったろうと思いますよ。

藤井浩明「映画製作の現場から」より

562:名無しさん@3周年
11/08/23 14:32:30.03 sSHayI5d
藤井:でもまぁ、冗談も出たんでもう大丈夫と思いましたが……。
山中:撮り直しの時は怖かったでしょうね。
藤井:その時は万全な体制。で、永田雅一がそれはもう、三島さんのために現場に来たわけですから。スタッフも
ピリピリしていましたよ。二度とやっちゃいけないから。神山ももう何も言わない。三島さんも真剣っていうか
真面目なんですね。そうじゃなきゃ普通二度とやらないですよ。
松本:そういうところまで責任を貫くんですね。
藤井:映画が完成してから、三島邸に増村や僕たちが招待されたんです。その時、三島さんのお父さんが増村に
お礼を言ったんです。「下手な役者をあそこまできちんと使って頂いて」って。増村は驚いてました。けがを
させて申し訳ないと思っていたのに。帰り道、「明治生まれの男は偉い」と、お父さんをほめていましたよ。
お父さんは増村の一高の先輩なんです。

藤井浩明「映画製作の現場から」より

563:名無しさん@3周年
11/08/23 14:33:17.49 sSHayI5d
松本:最後に、(中略)十一月二十五日をどういうふうに受け取られたか、そこをお聞きしておかないと。
藤井:(中略)十一月二十一日、夜中に帰宅したら、三島さんから「今夜どうしても電話欲しい」っていう伝言が
あった。「いくら遅くてもいいからかけてくれ」って。僕は、あの人は夜中から朝まで仕事をするって聞いて
ましたから、余程大事な用があるんじゃないかと思って電話入れたんですよ。『憂国』の話をまた始めたんです。
この間トリノでやった日本映画のシンポジウムで『憂国』が凄く評判が良かったらしいって前に僕が言って
いたものですから。そしたら、その話をもうちょっと聞かせてくれって。僕もあんまり詳しく聞いていないので、
「映画評論家で立ち会った人がいるから、その人にもうちょっと詳しく聞いておきます」て言ったんですよ。
「悪いけどそうしてくれ」って言うんです。「連休明けにその人に聞いてまた連絡します」って答えたら、
「そうして欲しい。じゃあ」って。

藤井浩明「映画製作の現場から」より

564:名無しさん@3周年
11/08/23 14:34:10.21 sSHayI5d
藤井:でね、あの人は話が終われば「じゃあお願いしますねっ!」ってすぐ切る方です。忙しいですから。
でも、その時に限って電話を切らないんですよ。僕は勘がいいほうじゃないから、「じゃあ調べときます」って
また言って、切ろうとしたら三島さんが切らない。それで一時の間ができてね。それで、「じゃあ」って
もういっぺん言うわけですよ。そうしたら「さようなら」と言うんです。二回くらい言いましたかね。で、
電話切ってから「今夜はおかしいな」って思った。あんなに歯切れのよい人が今夜に限って、電話をなかなか
切らなくて。でも一瞬ですからね。不思議な気が直感的にしただけで、何にもわからなかったです。どうして
「さようなら」って言ったんだろう。それはおかしいなって思うけれども、疑いもしませんでしたよ。
三島さんとわたしは、映画を通じて結びつき、長くお付き合いをして頂いたのですが、映画『憂国』が最後の
会話となってしまいました。

藤井浩明「映画製作の現場から」より

565:名無しさん@3周年
11/08/23 14:36:46.89 4+wsAGZ1
つまらんかった。低学歴には読み切れない

566:名無しさん@3周年
11/08/31 23:53:20.49 fYFQbL9b
徳岡:ここに三島さんに貸した本があります。バンコックでね。
山中(司会):『和漢朗詠集』ですね。
(中略)
井上(司会):三島さんにお会いになったのは、偶然なんですか。
徳岡:いやあ、バンコックに来るなんて知りませんでしたから。
井上:その『和漢朗詠集』を貸したのは……。
徳岡:三島さん退屈してましたから。三島さんもインドからの帰り道で、インドについては私と全く意見が
違いまして(笑)。僕はあんなとこ地上最低の国だと。(中略)三島さんはそんなことはないって。
(中略)インド人が古いものを守っているということは何事かだって言うんです。インドに向かって、早く
日本のようになれと言うのは全く見当違いだと言うんです。
井上:ガンジーのことなんかしきりに言っている時期がありましたね。
徳岡:あのガンジーの話もしたでしょうけれども、インディラ・ガンジー、あの当時の首相とも会っているんですよ、
三島さんは。だから『暁の寺』にはやっぱり、インドが入ってきて……。

徳岡孝夫「バンコックから市ヶ谷まで」より

567:名無しさん@3周年
11/08/31 23:54:44.38 fYFQbL9b
徳岡:(三島全集に)僕と三島さんとのバンコックでの対談というかインタビューが入ってます。三島さんは
おそらくノーベル賞とるだろうから、取ったらこれ載せたろ、思ってね、「三島さん、暇でしょ? インタビュー
でもしましょ」って言うたら、「やろう」って、ホテルの庭でやったんですよ。
山中:「インドの印象」ですね。(中略)
徳岡さんがインドをお嫌いだから、話が盛り上がっていて。
徳岡:そうそう。三島さんを挑発した(笑)。エラワンホテルの庭でやったんですよね。あれは可笑しかった。
三島さんもう真面目になってね、そういう考えの人はダメだって言うんですよ。
松本(司会):その姿勢が切腹にまで貫いててる……。
徳岡:そう。
井上:徳岡さんは、エラワンホテルに泊まってらしたんですか。
徳岡:いや、そうじゃない。私はまだ家族が来てませんでしたので、単身赴任の日本人が何人か泊まってるとこに
いました。
井上:バンコックで初めて三島を見かけたのもそのホテルのテラスで……。

徳岡孝夫「バンコックから市ヶ谷まで」より

568:名無しさん@3周年
11/08/31 23:56:07.32 fYFQbL9b
徳岡:テラスじゃなくて、ステーキ・ハウス。三島さんはアメリカ人のデッかい男と話していた。
井上:それはもうかなり真面目に……。
徳岡:アホかと思うた、三島さん一生懸命。相手はね野球帽被ってね、Tシャツや。こんな太ったアメリカ人。
ちょっと知ってたんですね、三島という名前を。そうだ、その頃「ライフ」に載ったんですもん。「ライフ」の
影響力って今じゃちょっと想像出来ないでしょう。だからね、日本の自衛隊のこと言ったんでしょう。ほんなら
三島さん、一生懸命に説明する。英語はうまかった。
井上:うまかったですか。
徳岡:うまかったよね。それで一生懸命説明する。アホかと思うて、アメリカ人の後に寄って、三島さん行こ行こと
言うたんですけどね、三島さん、ステーキ食ってる相手に、演説するんですよ。過剰なほど真面目なところがある。
観光客やからいい加減にごまかしておくという態度じゃあなかった。
井上:テンションが凄かったんでしょうか?
徳岡:テンションというんじゃない。静かではあったけど、生真面目。

徳岡孝夫「バンコックから市ヶ谷まで」より

569:名無しさん@3周年
11/08/31 23:58:22.80 fYFQbL9b
松本:徳岡さんはベトナム戦線へ取材に行かれていますが、三島とのかかわりにおいても大きかったんじゃ
ないですか。
徳岡:だったんじゃないかと思います。(中略)当時、共産党が善で、アメリカ帝国主義は悪だというような
傾向があったんじゃないですか。それが六七年の五月頃の香港取材でちょっと崩れました。文化大革命……それから
六八年のテト攻勢で、こりゃ、僕ら忘れられないです。ユエ市民がずーっと長蛇の列をなして、解放されたユエから
逃げて来るんですよ。そういう解放とか平和とか民主って信用できますか。いわゆるね、人民解放軍なんていう
言葉なんかね、ふざけるなといいたいですね。
松本:だけど、それが結局勝っちゃったんですからねえ。
徳岡:いやあ一九七九年には、ベトナム解放しようとした中国人民解放軍がコテンパンにやられるんですよ。
それを誰も思い出さないんだ、日本の新聞は。
松本:だから、日本のジャーナリストの中でも特異な存在にならざるをえない。
山中:その分だけ、やっぱり三島も信をおいていたという……。

徳岡孝夫「バンコックから市ヶ谷まで」より

570:名無しさん@3周年
11/09/01 00:00:11.49 UErYQ/IK
井上:バンコックで薔薇宮の三島の取材ぶりには、その徳岡さんがびっくりなさったとか。
徳岡:そう。あれはねえ、三島夫人にアンタよくねえ殺されなかったね、もし二人とも撃ち殺されたって文句
言えないよって。日本政府が大使館通して抗議したってさ、有名な小説家かどうかなんか知ったことじゃない。
共産党鎮圧本部CSOC、(中略)今でも覚えてる。その司令官よく知ってて僕はよく遊びに行きましたけどね。
ブーゲンビリアの生垣から夫婦揃って覗いてたらアンタ、そりゃ撃ち殺されますよと、私は三島夫人に言った。
井上:(中略)(三島は)もう一度行きたかったんだけど、行けなかった。この薔薇宮の創作ノート、ここに
取材の様子が……。
(中略)
徳岡:凄いなあ。だから真面目にやってはったんですよ。文学を真面目に考えていはったんですよ。三島が
死んでからそういう人いない。こっちも真面目に読んでやらないとっていう気になりますよ。遊び心ってな言葉
流行ってさ、遊び心で書かれたような文学、金出して読まれへんもん。

徳岡孝夫「バンコックから市ヶ谷まで」より

571:名無しさん@3周年
11/09/01 10:57:30.64 UErYQ/IK
松本:そろそろ昭和四十五年十一月二十五日の話へ……。僕が一番気になるのは、最初の目標は三十二連隊でしたよね、
あれが変更になった。
徳岡:直前に変わったでしょ。
松本:ホントに直前に変わったんですかね。
徳岡:そうらしいですねえ。やはりわからない。
松本:だけど、意味が違うと思うんですよ。三十二連隊の隊長を拘束するのと、総監を拘束するのと、随分違うと思う。
徳岡:場所が違うしね。三十二連隊なら、決起して国会へ行ったかもしれないよ。
松本:楯の会の会員が集まっているわけですね。三十二連隊が標的なら、それがものをいうことになる。そして、
徳岡さんが車の中におられるわけですね。だからおっしゃるように違った展開になった。
徳岡:だからね、三十二連隊の隊長が不在とわかったんで、三島さんの行動がより象徴的なものに筋書きが
変わっていったんじゃないですかね。
松本:それは成り行きであって、もしかしたら、三島さん、本来は別のことを考えていたんじゃないかなって。
徳岡:わかんない。

徳岡孝夫「バンコックから市ヶ谷まで」より

572:名無しさん@3周年
11/09/01 10:58:36.22 UErYQ/IK
井上:裁判の記録からすると、三十二連隊長が当日不在であることが、十一月二十一日にわかり、その日、
中華第一楼へ五名が集まったところで森田が連隊長がいないことを報告、それから計画を練り直したと。
松本:だからね、僕ね信じられないの。
徳岡:ほんとねえ。
山中:そうなると、徳岡さんも書いていらっしゃいますが、あのバルコニーでの演説にしても、たまたまそうなって
しまったという。
徳岡:みんながね、三島が最期の劇を演出したとか何とかいうけどもね、ほんまかいなーって僕は思うんですよ。
早い話が、雨降るかもわからんし。何もね、三島さん、演出とかね、そんな筈じゃなかったと思うんですよ。
結果的にああいうふうになっただけであってね。
井上:十月の二日の会議の時点で、連隊長を拘束し、それが報道されるように、信頼出来る人二人を、つまり
徳岡さんとNHKの伊達宗克さんですけれども、呼ぶ、と。でも、拘束してどうするかっていう具体的なことは
あまりハッキリしないですね、十月二日の時点では。

徳岡孝夫「バンコックから市ヶ谷まで」より

573:名無しさん@3周年
11/09/01 10:59:54.41 UErYQ/IK
山中:(三島からの手紙の)封筒の中からいきなり写真が出てきたりして、えっと思いますよね。
徳岡:封筒開けてこうやると、一番重たいものが一番先に出てくる。で、写真が。しかし、写真よりは、手紙を
まず読みました。それから、檄を読んで、写真を見て。で、写真、あの本(五衰の人)に書きましたように、
森田の署名の筆圧に驚いたんですよ。グッグッグッグッって書いてあるんですよね。明日死ぬ若者が書いたんだ、
パレスホテルの一室で。
(中略)
松本:これ、相当激しい筆圧だね。
徳岡:もの凄いでしょ。ガッガッガッって書いてるでしょ。表にも出てるんですよ、その字が。それを見て、
こりゃ何かあると思いましたね。必勝君が心を込めて書いた字でしょうね。
井上:いい顔ですね。
徳岡:そうや。うん。この時二十五?
山中:そうです。森田だけ、なぜ二枚入れたのかな。
松本:こちら、笑ってると感じが違うね。
山中:夏服というのが珍しいですね。
徳岡:これや、これ一番印象がある。表情があるでしょう。僕としては貴重なもんです。

徳岡孝夫「バンコックから市ヶ谷まで」より

574:名無しさん@3周年
11/09/01 11:03:57.54 UErYQ/IK
井上:しかし、ホントに当日連隊長がいたとしたらどういう……。
松本:変わってたねえ。あの部隊じゃ、同じ建物の中に東京裁判の会場があるという、象徴的な意味が消えちゃう
からねえ。
徳岡:三島さん、要するに、死ぬのにさ、無為に死ぬかもわからんと、それでいいんだと思ったんでしょうね。
高倉健とか池部良が猛烈にいいと言っていたからね。
松本:より無駄死の印象が強くなる。
徳岡:そうだろうねえ。無駄死するつもりやったんだろうけどねえ。
(中略)
山中:もしちょっとした齟齬によって、これだけ変わったんだったら、偶然なのか、偶然とは言い難い何か
あったのか、やっぱり謎だと思うんですけど。
松本:偶然とは思えないけどなあ。
山中:どの程度用意したか、ですよね。その垂れ幕の長さは……。
井上:二十一日に連隊長がいないことがわかってから、準備した。パレスホテルでの準備もその後だからさ。

徳岡孝夫「バンコックから市ヶ谷まで」より

575:名無しさん@3周年
11/09/01 11:05:10.02 UErYQ/IK
松本:三十二連隊長といえば、実際に軍備を持っているのはあすこだけですね?
徳岡:ああそう、そうらしいですね。あとは司令部ですか。
松本:それから通信、補給関係。
徳岡:実践能力のある、連隊のあそこを制圧できたらね、火薬庫やって自殺できた筈だからね。
井上:最初はそういうプランもあったみたいですね。弾薬庫を爆破させるとか。
徳岡:まあ、僕よりももっといろいろ、三島さん考えたでしょうね。
(中略)
松本:多分、三十二連隊を標的にしたのは森田の主張で、三島は一旦、譲ったんでしょうね。
徳岡:あのね、無駄死と言うたけど、無駄死という観念が全く三島さんにはなかったと思うな。何故かというとね、
神風連がそうだ。あれを無駄死といえばあんな無駄死はない。
井上:それでよしとする……。
徳岡:そう、それでよしとする。熊本行きましたか。神風連の墓……。
熊本のあの神社。あれと、忠臣蔵の泉岳寺とは全然違う。一本の線香も立ってないんだ。何日も何ヶ月も人が
来てないってことがわかる墓地や。

徳岡孝夫「バンコックから市ヶ谷まで」より

576:名無しさん@3周年
11/09/02 23:50:35.01 vcPU65lQ
井上:ところで、森田必勝の持ってる影響力ってのは非常に大きかったでしょうね。
徳岡:いや、どっちが決起へ引っ張っていったかわからないと思いますよ。(中略)
松本:中村彰彦さんが『烈士と呼ばれる男―森田必勝の物語』に書いています。彼も、森田必勝が引きずって
いったんだっていう考え方ですね。(中略)
井上:森田の文章なんか、独特の何かを感じさせますね。
徳岡:文章は稚拙ですね。しかし、体から発散するものは凄かったでしょうねえ。それがアンタ、二十五で
死ぬんだもん。死ぬしかないって思ったんだもん。
山中:どちらかというと、三島の方が、青年達のそういった命がけの、何かもの凄いものに巻き込まれていく
というような感じで、結局、具体的な死の予定というかスケジュールを組んで行ったんじゃないと思われるんですけどね。
徳岡:お互いに励まし励まされて行ったんじゃないかな。わかりませんがね。いずれの結論にも達するような
原稿書こうと思えば書けると思いますよ。指導権はどっちだと。しかし、それは意味がないですよ。

徳岡孝夫「バンコックから市ヶ谷まで」より

577:名無しさん@3周年
11/09/02 23:52:39.08 vcPU65lQ
井上:死ぬ覚悟ってのは、昭和四十四年の10・21とか、ああいうときに、巻き込まれて命落とせばそれはそれで
いいって思ったんだろうという、そんな感触があるんですけど、その辺は如何ですか。
徳岡:僕はその時日本にいなかったから。
(中略)
井上:三島はその時自衛隊の治安出勤があったり楯の会の出番があるんじゃないかとホントに思っていたような節が
あって、昭和四十四年のその頃は、ある程度死を意識していたような気もするんですが、しかし、国際反戦デーが
思ったほど激しくならず、四十五年になってしまい、その時点で藤原定家について小説を書きたいと言う。また
『天人五衰』のごく初期の創作ノートなんですけれども、(中略)四十五年の初めの頃だと、その年の十一月に
死ぬっていう感じはないんですね。だけど、三月頃になったらやっぱり、決起するっていう形になってくる。(中略)
徳岡:私は(中略)三月に(ベトナムから)帰ってきたんですよ。そして、六月、帰国して三ヶ月後に会いに
行ったんですね。
松本:決心を固めた後に、お会いになったんでしょうね。

徳岡孝夫「バンコックから市ヶ谷まで」より

578:名無しさん@3周年
11/09/02 23:53:53.85 vcPU65lQ
井上:楯の会の運動も袋小路になって、一種追いつめられた状況にいた時に、徳岡さんが近くにいらっしゃらなかった。
徳岡:いやあ、僕そんな存在じゃないですよ(笑)。あの当時はね、三億円事件の犯人が三島じゃないかって
言われてたの。
井上:顔がちょっと似てる……。
徳岡:顔が似てるよ。あんな複雑な筋書き考えられるのは三島由紀夫だけで、しかも楯の会で金を必要として
いましたからね。
井上:あの頃の週刊誌を見ると、新年の時点で、「平凡パンチ」の一九七〇年の予想特集というようなページで、
防衛大学の学生が反乱を起こして、それを鎮圧するために自衛隊を使うのはよくないので楯の会が出勤、その功績で
三島が防衛大臣になる。しかし、大御心を悩ます悪書追放リストに「悪徳のよろめき」が入っていることがわかり、
天皇に申し訳ないことをしたといって、切腹をしたら失敗し、三島はその後左翼に転向したっていう(笑)。

徳岡孝夫「バンコックから市ヶ谷まで」より

579:名無しさん@3周年
11/09/02 23:57:45.76 vcPU65lQ
松本:『和漢朗詠集』については、お貸しになっただけで、なにもお話しなさらなかったのですか。
徳岡:返してもらった時、「ありがとうございます、楽しかったね、面白かった」ってねえ、三島さん言っただけ。
(中略)
山中:このページを三島が見たんですね。
徳岡:漢詩三篇と、沙彌満誓の歌ね、「世の中をなにゝたとへむ(中略)
山中:天人五衰の言葉が出てくるのは、これですね。「生ある者は必ず滅す(中略)天人なほ五衰の日に逢へり」。
徳岡:それと、「朝に紅顔あつて世路に誇れども 暮に白骨となつて」ちゅうのと、同じ頁だ。(中略)後で
これを見て、あっこれだなって思ったんですよ。
井上:バンコックの時点ではまだ『天人五衰』ってタイトルは考えてないですね。
四十五年になってから、小島さんに『天人五衰』にするって言うんですね。ただ天人五衰って言葉自体、確か、
戦争中の文章で使ったと思う。知らない言葉じゃなかった。
山中:しかし、この本を開いて見ると……。
徳岡:三篇並んでるからね、パンチが凄いんだ。

徳岡孝夫「バンコックから市ヶ谷まで」より

580:名無しさん@3周年
11/09/02 23:59:43.27 vcPU65lQ
山中:徳岡さんはストークスの翻訳を出されていますね。新版も。
徳岡:本人が一生懸命やっているから翻訳してやらないわけにはいかないからやってるんですけどね。ある意味では、
東京にいた新聞記者で、日本人を含めて、三島さんがやってること、これはなにかあるぞ、と思ってたの、
ストークスだけなんですよ。自衛隊の演習だって付いていったんだから。(中略)一流の作家がね一生懸命
やってるんだ。新入社員鍛えるのに自衛隊体験入隊したり、これ昭和元禄の発想や。そんなんじゃなしに、
何かあると思ったら、ね。日本の新聞はそういうふうにはなってない。日本の新聞は、よそに抜かれないように、
デフェンスの取材しかやってないんですよ。
(中略)
松本:あれから後、市ヶ谷へ行かれたことありますか。
徳岡:何十年か経って正門から坂道を登ってみたけど、うわーこの坂走って登ったんかーって驚いた。もの凄い
坂なんですよ。こう曲がって、左手にバルコニーが……。

徳岡孝夫「バンコックから市ヶ谷まで」より

581:名無しさん@3周年
11/09/03 00:03:58.15 uPs5NZDk
松本:あの時、よく誰何されませんでしたね。
徳岡:いや、あの時はそれどころじゃなかったんや。僕は、走りながら腕章してね。それからここへこれ……
(檄文や写真を指さし)。(中略)
松本:走りながら、足のどこに。
徳岡:ここ。靴下の後ろ側。(中略)ソックスの中に隠して……。だからねえ、『五衰の人』をどうしてもね、
書かないかんと思った。だけど、三島はおもろい奴やったなあってことしか書けないんですよねえ。頭は良いし、
原稿書いてもうまいし、そいでアンタ思い切ったことやる。自分の思ったことやり遂げるっていうねえ、こんな奴
ほかにおらへん。
松本:僕は、(中略)いいようのないショックを受けて、数日間もの凄く憂鬱でしたね。(中略)この世は
生きるに値しない、と三島に宣告されたような気がしたんですね。だけど、そうじゃない。逆なんだ、生命を
投げ出してもよいだけのものが、この世にはあるんだ。また、そうでなければいけないんだ、と三島は主張したと
いうことが、だんだん分かって来た。時間がかかりましたけれどね。

徳岡孝夫「バンコックから市ヶ谷まで」より

582:名無しさん@3周年
11/09/11 20:33:26.99 ebVw4h19
アメリカの大神殿というべきWTCに旅客機が突っこみ、赤い炎に包まれながら超高層ビルが崩れ落ちていった日、
あの9・11を忘れる人はどこにもいないだろう。もう一つ、同じような分岐点がある。
作家・三島由紀夫が割腹自殺したとき、自分がどこで何をしていたか、たちどころに思いだせるはずだ。
…一九七〇年、長距離バスでイランの砂漠をよぎっていたときのことだ。
まわりの乗客たちはモスリムの人々ばかりだった。(中略)
モスリムは一日に五回の礼拝を欠かさない。その時間がやってくると、屋根を踏みならす音が響いてくる。
…運転手がしぶしぶエンジンを止めると、乗客たちは屋根や窓から飛びだし、いっせいに砂漠へ走っていく。
そして四つん這いになり、焼けついた砂に額を押しつけながらアッラーの神に祈る。車内に残っているのは、
運転手と、ぼくと、イギリス人だけだった。礼拝が延々とつづいているとき、
「ユキオ・ミシマのハラキリについてどう思うか?」唐突に、若いイギリス人が語りかけてきた。

宮内勝典「混成化する世界へ」より

583:名無しさん@3周年
11/09/11 20:34:27.73 ebVw4h19
ぼくはしばらく考えてから答えた。
「ああ、映画の話だろう」
「いや、ほんとうにハラキリしたんだよ」と読みかけのNewsweekを差しだしてきた。(中略)
窓の外ではモスリムの人々が真昼の砂漠にひれ伏しながらアッラーの神に祈っている。
そして、ふるさとの日本では「天皇陛下万歳!」と叫びつつ、三島由紀夫が切腹したのだという。茫然となった。
(中略)アフガニスタン、パキスタンを過ぎてインドに入り、カルカッタの日本領事館の新聞でついに
確かめることができた。切断された首が床に据えられていた。
金とセックスと食い物しかない日本で、一つの精神がらんらんと燃える虎のような眼でこちらを見すえていた。

宮内勝典「混成化する世界へ」より

584:名無しさん@3周年
11/09/11 20:35:44.06 ebVw4h19
それから二十数年が過ぎて、かれが切腹した市ヶ谷駐屯地の総監室を訪ねることができた。(中略)
三島由紀夫が日本刀をふりおろしたときの刀傷が、飴色のドアの上に残っていた。
…モスリムの人々が礼拝する砂漠で三島由紀夫の自決を知ったのだが、偶然とはいえ、イスラム原理主義者たちと、
かれの思想には、通低するものがあると思われてならない。
…アッラーの神のような超越性のない日本で、かれは天皇に固執した。文化を防衛しようとした。
むろん肯定できないが、三島由紀夫の文学そのものをぼくは畏敬している。恥ずかしいがあえて洩らせば、
十代の頃、かれの文章をノートに筆写していた。
…紙数が尽きたから結語を述べよう。ぼくもまた西欧近代に追随したくはない。
だがそれを拒むナショナリストにもなりたくない。ぼくは混成化していく世界を生きたいと思う。

宮内勝典「混成化する世界へ」より

585:名無しさん@3周年
11/09/12 23:53:11.80 uaU6Ul2M
三島由紀夫て世間の事まるで判って居ないお坊ちゃまで終わったね。
誰もお前の言葉に付いて行かなかった無能な奴で割腹自殺アホな奴

586:名無しさん@3周年
11/09/28 17:30:44.55 21BhYjA9


587:名無しさん@3周年
11/10/07 11:12:46.53 GSCbcrz/

なぜ三島が天皇なのか?と疑問に思うファンは多い

武家と公家の祖先を持つ三島由起夫

彼にとって日本の古典が命そのものであった

記紀以前の古史古伝に行き着いた三島由起夫は

上記(うえつふみ)、竹内文書に出会い天皇という魔力を知る

URLリンク(www.youtube.com)

588:名無しさん@3周年
11/10/09 08:25:55.41 +QTnpFOc



ネトウヨ連呼厨は在日民団です
スレリンク(seiji板:327番)





589:名無しさん@3周年
11/10/15 09:41:52.55 yfMrEAPQ
たしかに三島君には、絶望するだけの根拠も資格もあった。彼は言葉のなかに生きていた。あるいは、言葉を
生きていた。(中略)言葉によって存在するためには、まず対話の真の意味を理解し、その姿勢を身につける
ことから始めるべきなのである。(中略)
それにしても三島君は、まさに対話の名手だった。もちろん対話は相手を選ぶ。すくなくともぼくにとっては、
得がたい対話の相手だった。真の対話には、論破することも、されることもない。論争とは違うのだから、
勝敗は問題にならないのだ。また、社交でもないのだから、譲歩しあう必要もない。なんの妥協もなしに
対立し合い、しかも言葉のゲームにたっぷり堪能するという、いわば対話の極致を体験できたのも、三島君との
出会いのおかげだったと思う。(中略)三島君にはつねに他者に対する深い認識と洞察があった。絶望はいわば
その避けがたい帰結だったのだ。

安部公房「周辺飛行19」より

590:ふ
11/10/15 09:58:03.48 Uvf9Siyo
この酷い成り済ましをみんなで削除依頼出そうぜ!

三島 由紀夫 大阪府大阪市 AB型 ガテン系
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