ネトウヨってホモ右翼の三島由紀夫を崇拝してるの?at SEIJI
ネトウヨってホモ右翼の三島由紀夫を崇拝してるの? - 暇つぶし2ch450:名無しさん@3周年
11/05/20 08:45:20.20 aGWSlmtx
ブサヨらしい品性下劣な書き込みだな

451:名無しさん@3周年
11/05/21 00:57:15.88 zMq1P2Qf
>>448
お前の文は頭の悪さが露呈していて、本当にキモいな。
>>450
お前も同じ。

452:名無しさん@3周年
11/05/21 01:21:05.60 /SKB7W/t
>>451
どこが同じに見えるんだよ無能

453:名無しさん@3周年
11/05/21 10:42:11.26 KTK4J0T8
新聞や週刊誌の中には、しごく単純に三島を異常性格者ときめつけ、最初から彼が自分の文学の主要テーマとして
選び貫いた同性愛をも風俗の眼で眺めたあげく、ホモだオカマだと立ち騒ぐ向きまであるのには一驚した。
死んだのは流行歌手でも映画スターでもない、戦後にもっとも豊かな、香り高い果実をもたらした作家である。
彼の内部に眼玉ばかり大きい腺病質の少年が棲み、あとからその従者として筋肉逞しい兵士が寄り添ったとしても、
それをただ劣等感の裏返しぐらいのことで片づけてしまえる粗雑な神経と浅薄な思考が、こうも幅を利かす時代なのか。
異常というなら、わけ知りの、ありきたりの、手垢まみれな説の援用でなしに、その淵に息をつめて身を潜め、
自身の眼でその深みの神秘をさぐろうとはしないものか。この一九七〇年代に、異常というレッテルを小抽出しに
張って、もうそっぽを向いていられる“正常人”がこれほど多いというなら、それこそが異常の証しであろう。

中井英夫「ケンタウロスの嘆き」より

454:名無しさん@3周年
11/05/21 10:42:33.36 KTK4J0T8
(中略)
ただ、あれほど感性すぐれた彼に、いま一言、突っこんで話をしたかったと思うのは、ぷよぷよとした肉体、
指で押すとちょっとの間はへこむが、またすぐ元に戻って知らん顔をする、さながら腐肉そのままの感触を、
何よりも徹底して憎悪していたのではないか。なぜそれを最後まで、ありのまま憎みとおさなかったかという
点である。「世の中すべて気に入らぬことばかり」にしろ、われわれを包んでいる情況の本質がそこにあり、
一番の敵がそれであることは三島も当然知りぬいていたので、この気持もまた、彼の死後にも変わらない。(中略)
芥川や太宰が、なぜ志賀直哉と長生き競争をしなかったのか、私には不思議でならない、というより、無理にも
そう思いたいのだ。三島にも、また。

中井英夫「ケンタウロスの嘆き」より

455:名無しさん@3周年
11/05/21 13:10:29.74 CISwwnDs
>>452
お前のことを有能と思ってるのはお前だけ。

456:名無しさん@3周年
11/05/21 21:07:45.37 yCmfUAGI
>>455
くやしいのか無能ニート

457:名無しさん@3周年
11/05/21 22:02:17.21 +aHTLXMe
三島の小説を常に小脇に抱えていたコッポラ監督

アンチ三島は単なる能力不足か理解不足が原因

URLリンク(www.youtube.com)

458:名無しさん@3周年
11/05/21 22:11:23.20 U1+8QZjZ
変態権力欲:左翼、宗教
お前ら似たもの同士じゃねーか
近親憎悪か?

459:名無しさん@3周年
11/05/22 03:25:10.01 oTCJF3tL
はいはい、>>456のお子ちゃまを馬鹿にする奴はみんな無能ですねw

460:名無しさん@3周年
11/05/22 08:30:00.47 YQGs0Jv/
尻に入れたらウンコが竿にくついてくるのか?高尚な文学ファンよ、
おせーて。

461:名無しさん@3周年
11/05/22 14:48:54.65 NqPTJx6D
>>459
無能一人の文盲レスは皆とは言わないけど、
文盲だから理解できないだろうな

462:名無しさん@3周年
11/05/24 06:18:23.99 TMI9DrrI

『民主党政権に浸透した左翼(過激派)の現状と系譜一覧図表』

↓このデータ凄いですよ 是非読んでください
URLリンク(bbs6.fc2.com)

463:名無しさん@3周年
11/05/24 11:12:55.30 FYmIegBO
三島由紀夫は勤勉な作家だった。たとえばそれは、敗戦後の日本が焼け跡から回復して高度成長を実現し、
「東洋の奇跡」と呼ばれる戦後復興をなしとげたことを思わせるようなきまじめでひたむきな勤勉さだった。
(中略)戦後日本の復興期にそのまま重なっている。その意味で三島由紀夫は、作品に見られる反戦後的な
美学や日本の欺瞞に対する批判的な視線にもかかわらず、きわめて戦後日本的な作家である。
そのことにまつわる伝説も多い。
なにより作品を書く時間を大切にしていた三島由紀夫は、知人との会食や宴席などでどんなにお酒が入って
楽しく談笑していたとしても、かならず夜11時までには切りあげて帰宅し、執筆の時間をつくったという。

田中和生「愛すべき三島由紀夫の避難場所」より

464:名無しさん@3周年
11/05/24 11:13:20.60 FYmIegBO
私小説作家のように怠惰であることをひそかに誇ったり、サラリーマン社会のあわただしさに反感をもったり
している日本の文壇の雰囲気から見て、その態度はひときわ異彩を放っている。昼間は官僚として軍医総監という
激務をつとめながら深夜に執筆していた明治期の森鴎外のように、敗戦後の日本に生きた三島由紀夫はおそらく
自分が原稿用紙に記す一字一字が戦後日本をつくりあげていくという使命感をもっていたのである。(中略)
そして敗戦から60年以上がすぎて、戦後日本のあり方が風化しつつある21世紀において、次に新しい読み方を
待っているのは三島由紀夫の勤勉さが惜しげもなく注がれた純文学としての短編や長編ではなく、むしろ
その余白に生まれて気軽に書かれた娯楽小説ではないだろうか。たとえば1967年に刊行された『夜会服』も、
その一冊である。

田中和生「愛すべき三島由紀夫の避難場所」より

465:名無しさん@3周年
11/05/24 11:13:43.77 FYmIegBO
(中略)
「俊男」という、どこか虚無的でありながら近代社会における万能の力をもっているように見える男性の魅力は、
日本の近代化の矛盾を体現するかたちで造形されているところにある。(中略)
こうした「俊男」の造形に、三島由紀夫の自己イメージが投影されているのは間違いないだろう。(中略)
あるいは「俊男」を描きながら、三島由紀夫は戦後日本という「夜会服」の世界から出ることができず、本音を
隠して建前をなぞるかのように生きざるをえない自らの存在の悲哀を深く感じていたかもしれない。
注意深く読めば、そうした現実的すぎる悲哀を和らげる場面が『夜会服』にいくつかあることに気づく。
一つは日本が模倣しなければならないはずのヨーロッパやアメリカの人々が、醜悪で滑稽なものとして描かれて
いることである。(中略)日本人が日本語で読むかぎりは気がつきにくいが、世界性をもつ作品ではありえない
書き方だろう。

田中和生「愛すべき三島由紀夫の避難場所」より

466:名無しさん@3周年
11/05/24 11:14:13.52 FYmIegBO
もう一つは日本の天皇家につらなる「宮様」が出てくる場面である。(中略)「俊男」の本音を聞き届けてくれる
「宮様」の存在である。そこにはおそらく、戦前の二・二六事件と敗戦後の人間宣言によって昭和天皇に対して
生涯屈折した感情を抱きつづけた三島由紀夫が夢想した、戦前から戦後へと変わらずにつづく近代化という建前を
強いられる世界において日本人の本音を守ってくれる天皇という、理想的なイメージが投影されている。
こうして本音をさらけ出した心の避難場所を愛すべき娯楽小説のなかにつくりながら、現実に三島由紀夫が
辿りついたのは1970年の割腹自殺だった。「俊男」とその孤独を理解する「絢子」の「愛」が成就される
『夜会服』の甘すぎる末尾がわたしたちに突きつけるのは、そうしてひとりのすぐれた作家を自死させてしまった
日本の現実に欠けていたものはなにかという問いである。

田中和生「愛すべき三島由紀夫の避難場所」より

467:名無しさん@3周年
11/05/25 07:19:03.89 dUxcTzHl
ウンコは当然くっついてくる。くちゃい。

468:名無しさん@3周年
11/05/26 15:48:38.89 eUtKEux3
彼の小説もそんなに読んでいない。僕が三島由紀夫を「あ、こいつすごいな」と認知したのは、ロンドンです。
ロンドンにいたときに、BBCが没後何年かで特集を組んだ。そのときに彼がインタビューアーにきちんと
英語で答えているのを見て、聞いたら、内容的にはしっかりしていた。つまり、日本の文化をあれほどきちっと
しゃべれるやつはいないな、と僕が思ったくらいだった。それはすごく印象的だった。
彼の英語はうまかった。うまいというか、要するに、発音がいいとかではなくて、非常に適確な英語をきちっと
選んで答えていた。日本人のインタビューには、よく画面の下にテロップ、つまり英語の字幕が流れるのだが、
三島由紀夫のインタビューには付いていなかった。それくらいに彼の英語はわかるのだ。まあ、イギリス人は
(植民地を持っていたから)外国人のしゃべる英語を理解するのは得意だけれども。それにしてもテロップが
流れていなかったから、へーっと思ったし、なるほど、そういうことについては、こういう風に言うのだなと
感心した。

遠山稿二郎「日本の大学と基礎科学の危機」より

469:名無しさん@3周年
11/05/27 13:56:50.74 gO/s4jV5
左翼思想の輩に告ぐ!
左翼思想の原点は、僻み妬みの心だ、
お前たちが経済的に恵まれないのは、社会が悪いからではない、
お前たちの努力が足りないのだ、
お前たちが出世出来ないのは、会社が悪いわけではない、
お前たちは不平を言うだけで、何の役にも立たないからだ、
お前たちがもてないのは、世の中が悪いわけではない、
お前たちは与えられることだけを期待し、相手に対する思いやりに欠けるからだ、
お前たちに友達が出来ないのは、お前たち以外の人間全部が悪いわけではない、
お前たちの性格がいびつだからだ、

しかし、お前たちが、外見が不細工で、脳味噌が乏しく生まれついたことに関しては、
同情はする、それが私の心だ!

470:名無しさん@3周年
11/05/27 16:00:36.10 LG2kJBWO
ウンコは当然くっついてくる。クチャイを英訳してくれー。

471:名無しさん@3周年
11/05/27 22:21:08.20 ARokHIBm
                  i;;;;;i´,.r-,-´-、-―-,--`ニ=、ヽ ヾ;;;;ミ;;;i 
                  .|;;ゞi i .、'iユ=|r==;i´ r'iユ=、_ゝ-_、i;;;;;;;;;i 
                  .i i !  ´ ̄`/  .i  `"´.::i´  i;;' l`i  
                  . !ソ `'ー一彡 .::::. `ヽ、_. / .::  .ir-,/ 
                   !  , ,r'´ゝ=、__rュ,.ソヾ、   :  /r.i  
                    !_ i { _,. - 、, ...、_  ,,) i    i r' 
                     .i  `ヽヽエエニヲ,ソ"  ´  ./゙   
                     /    ヽ二二ン     / 
                      |   .|  |  、_tッ、,゙ ' r| 
                      |   .|  .|   `ー 'ノ  !
                      .|    |  |   . ,イ   'ヽ.
                      |    .|  |    ゚ ´...:^ー'`'
                     |    |. .|    r ζ竺
                     |    ( ^ ^ヽ    `二(
                 ___|     uuuU       |
               ,r'"      ,_.__,__  .      ==ュヽ
             /___  _,,,  ‐""~~"゙  ィ'≡;;;,  . 、_tッ、,゙ ' ,
              , ィ  ーj 'ーー  ,.ィ'(ツヽ  / ___ .   `ー 'ノ  ヽ
          ,r' /   ノL ヽ.   ` ´  ヽィ゙(ツヽ  . ,イ    \          >>1
          ノ ,イ    ∀       ノ  ヽ` ´    ゚ ´...:^ー  \         _ ヽ○/
        // ,'   ..::'"⌒ヽ、    /ヽ━v・)ヽ    r ζ竺=\  \       _  |
      / /  !:.         ゙、.     ,______、       `二.;  ヘ__, ノ         ノ ゝ

472:`゚`:.;"゚`
11/05/28 15:10:31.44 54/l4cLZ
ブサヨは聡を知れ

473:`゚`:.;"゚`
11/05/28 15:16:07.49 3hvMlNUb
     / _⌒ヽ⌒ヽ
    /   ` ゚` :.;"゚`ヽ
   /     ,_!.!、  ヽ
   /      --- ,, ヽ
  /         八    ヽ
 (      __//. ヽ ,, , )
 丶1,,,,;;:::::::::::   八.,  ''''''!
  | "  ==ュ  r== j
  |  、_ tッ、,゙ ' r' rtッ_ァ'|           /⌒ヽ⌒ヽ
   |:::   `ー 'ノ  !、`ー' |         /  ー-- ヽ
   |    . ,イ   'ヽ   |  パンパン    / ー=、 ゚ ,=- ヽ
  |ノ    ゚ ´...:^ー^:':... ゚│        /  -=・> ;<・= ヽ
  (     r ζ竺=ァ‐、  │\     ( .   ノ、__λ   )
  │  \   `二´   丶 |_,, --─‐,r' ` ̄ ̄,,,,,,,,,,,, ̄ ̄ \
  | \ \       ,r'"              ''' ∈∋ ''' ==ュヽ
  |   \ \    /                      、_tッ、,゙ ' ,
=≡| ∴∴\ \ ィ                       `ー 'ノ  ヽ
=≡|;  ∴∴\ \                  ////  . ,イ    \
=≡\     ,`( ^ ^ ⊃                    ゚ ´...:^ー  \
‐=≡ )  //'uuuu    ⌒ヽ、               r ζ竺=\   \
    |; / / _!:.         ゙、                 `二.;   ヘ__, ノ
    |; ( ( /  |:::..        i::.                `   '
    |; ヽ、)   !::::...          !::::...       ゙、::..       ゙
     )   /  人:::::::..        ゙、::::::::.......___,,ゝ、:::..      ヽ
    /   | /::::...\::::::....       ヾ ̄ ̄    /::::..ヽ、:::..      \
    /    ヽ'::::::::::::....ヽ、:::::....       ゙、    ノ::::::::::::::...\::::...    ヽ   ― ヽ○/>>1
    ( ___ ) :::::::::::::/`ヽ、:::::.....    〉   〈:::::::::::::::::::::...人:::::::::.....   〉  ―  |
          `ー─一'"    `ー─一'゙     `ー-一'"   `ー─   ― ノ ゝ

474:名無しさん@3周年
11/06/03 05:15:19.58 UHGW1jpb
尻に入れたか、入れられたか、知らないが、どちらにしろ
キモイ。変態だよ、三島は。変態が切腹したのだよ。射精
していたというじゃないか。

475:名無しさん@3周年
11/06/07 20:43:18.39 VcV19g43
小男、虚弱、だけど胸毛が濃い。青白くキモイ変質者。宝塚ファン。


476:名無しさん@3周年
11/06/10 20:08:56.43 juKeLT4l
いわゆる現人神(現御神)の思想は、キリスト教などの一神的なGodではない。日本人の神観念は、本居宣長の
「何にまれ 尋常ならずすぐれたる徳ありて、可畏き物を迦微(カミ)とは云なり」という八百万の神々であり、
「唯一神教的命題」とはかけはなれている。日本の神観念は多義的であり、そこでは人間的な要素も入ってくる。
超越者としての「神」とはあきらかにちがう。そもそも昭和二十一年元旦の昭和天皇のいわゆる「人間宣言」も、
〈神〉にして〈人〉であるという伝統観念からすれば、「神から人へ」ということを特別に強調したとはいえない
かもしれない。しかし、占領下において、GHQ指導のもとでこの「詔書」があらわされたのは、人でありながらも
神聖をもって君臨される天皇(スメラミコト)の民族的、精神的支柱としての意味を否定しようとしたもので
あることには変わりはない。

富岡幸一郎「三島由紀夫、『絶対』の探求としての言葉と自刃」より

477:名無しさん@3周年
11/06/10 20:09:58.05 juKeLT4l
『英霊の声』の、あの英霊たちの声々は、「陛下はずっと人間であらせられた」ことを百も承知で、だからこそ
「陛下御自身が、実は人間であつたと仰せ出される以上、そのお言葉にいつはりのあらう筈はない」と語る。
しかし、その〈人〉であられる陛下は、国家存亡の危機のときに、生命を賭して死んでいった者たちのために、
国破れし後にあってこそ、「現御神」としてあってもらいたかった。それはまた天皇のために立ちあがりながらも
「反乱」軍として処罰された二・二六事件の青年将校たちの、「天皇」の神聖に希望を託した思いとも重なる。
敗戦の時に二十歳であった三島は、この「神の死」を自己の存在の最も深部において体験したのだ。
三島のダリの「磔刑の基督」の評をそのまま借りていうならば、その初期作品(『盗賊』や『岬にての物語』
あるいは十代作品まで含めてもよい)の言葉の地平には、「いつもその地平の果てから、聖性が顕現せずには
おかない予感のやうなものがあつた」といえよう。

富岡幸一郎「三島由紀夫、『絶対』の探求としての言葉と自刃」より

478:名無しさん@3周年
11/06/10 20:17:49.16 juKeLT4l
(中略)ジョルジュ・バタイユの『聖なる神』という作品集の鮮烈な読後感を三島は(『小説とは何か』のなかで)
印象深く記している。(中略)所収の『マダム・エドワルダ』『わが母』の二作にふれながら、三島が一貫して
関心を示し注目するのは「神の出現の瞬間」である。
バタイユは「自己を超越する」こと、「わが意に反して自己を超越するなにものか」の「存在」を求める。
近代的な自我意識と、「神の死」という虚無を現実認識とする他はない人間にとっては(例外なく現代の人間に
とってではあるが)、それは「不合理な瞬間」であり、そこには何か異常で過剰なものが介在しなければならない。
(中略)
三島は、この言葉によっては到達不可能な事柄を、作家が言葉によって表現していることに瞠目しつつ、次のような
説明を加えている。

富岡幸一郎「三島由紀夫、『絶対』の探求としての言葉と自刃」より

479:名無しさん@3周年
11/06/10 20:18:17.05 juKeLT4l
〈この「不合理な時間」とは、いふまでもなく、おぞましい「神の出現の瞬間」である。
「けだし戦慄と充実と歓喜のそれとが一致するとき、私たちのうちの存在は、もはや過剰の形でしか残らぬからだ。
(中略)過剰のすがた以外に、真理の意味が考えられようか?」
つまり、われわれの存在が、形を伴つた過不足のないものでありつづけるとき(ギリシア的存在)、神は出現せず、
われわれの存在が、現世からはみ出して、現世にはただ、広島の原爆投下のあと石段の上に印された人影の
やうなものとして残るとき、神が出現するといふバタイユの考へ方には、キリスト教の典型的な考へ方がよく
あらはれてをり、ただそれへの到達の方法として「エロティシズムと苦痛」を極度にまで利用したのがバタイユの
独自性なのだ。(『小説とは何か』)〉

(中略)しかし、バタイユのこの「独自性」もまた言語の領域(ぎりぎりの限界への冒険であるとはいえ)に
あったのはいうまでもない。
三島が明晰にそして最終的に自覚していたのは、この言葉の限界性であった。

富岡幸一郎「三島由紀夫、『絶対』の探求としての言葉と自刃」より

480:名無しさん@3周年
11/06/10 20:20:10.25 juKeLT4l
『太陽と鉄』は、自裁のプロセスと心理的構造を余すところなく分析したまことに戦慄的なエッセイであるが、
そのなかで次のように明言しているのだ。

〈私は今さらながら、言葉の真の効用を会得した。言葉が相手にするものこそ、この現在進行形の虚無なのである。
いつ訪れるとも知れぬ「絶対」を待つ間の、いつ終るともしれぬ進行形の虚無こそ、言葉の真の画布なのである。
(中略)言葉は言はれたときが終りであり、書かれたときが終りである。その終りの集積によつて、生の連続性の
一刻一刻の断絶によつて、言葉は何ほどかの力を獲得する。少くとも、「絶対」の医者の待つ間の待合室の白い
巨大な壁の、圧倒的な恐怖をいくらか軽減する。(『太陽と鉄』)〉

この「絶対」を、「神」といいかえてもいい。いや、ここではあきらかに神の顕現のことがいわれているのであるが、
三島が明瞭に認識していたのは、「言葉」によってその存在を暗示(バタイユ的手法)することは十分に可能で
あっても、それは「現在進行形の虚無」にたいしては一場の役割しか果たしえないということである。

富岡幸一郎「三島由紀夫、『絶対』の探求としての言葉と自刃」より

481:名無しさん@3周年
11/06/10 20:20:47.98 juKeLT4l
自裁という行為が決定的な意味を持ちだしたのは、ここにおいてであろう。「神の死」の現実の虚無のなかに
おいては、バタイユのいう通り「過剰のすがた以外」に真理を把握し、神の出現に立ち合うことはできない。
「自決」とは自由のマイナス極限で、自己の存在を破壊することであり、その決定的、一回的な欠損の過剰さの
なかにこそ「絶対」は到来するだろう。そして遺作『豊饒の海』は、仏教的な相対主義に呑み込まれてゆく。
あらゆる歴史と存在を描ききって完結する。
三島の自決が四十年の歳月を経て、今日に至るまで深くおおきな影響を与えつづけているのは、三島が自己の
存在そのものを、戦後日本社会という虚無の時空のうちに磔刑とし吊し、供養としてささげてみせたからである。
そして、われわれは未だにその「死」の深い本質的な宗教性を知らずに(あるいは知ろうともせずに)いるからだ。

富岡幸一郎「三島由紀夫、『絶対』の探求としての言葉と自刃」より

482:名無しさん@3周年
11/06/10 20:21:23.47 juKeLT4l
三島の死後七年目、『サド侯爵夫人』のフランス語訳とパリでの上演に関わった作家ピエール・ド・マンディアルグは、
戦後の仏作家のなかでの最もすぐれた才気ある書き手の一人であるが、仏文学者の三浦信孝氏のインタビューに
答えてこう語った。

〈現在では、三島はジョルジュ・バタイユに強く惹かれていたとよく言われますが、私には確信はありません。
(中略)しかし私の見るところでは、三島はバタイユとはだいぶ違います。彼らの類似点は、彼らに共通する
絶対に対する情念であり、生と生の哲学を極限まで、絶対まで追究しようとする情熱ですが、三島は、自分の観念を
真の極限にまで、血と死にまで追いつめる実例をわれわれに残した唯一の存在であって、残念ながらバタイユは
そうした実例を残したとは到底言えません。(『海』一九七七年五月号)〉

三島の文学と行動の総体を一言で射抜くマンディアルグのこの見解は、一神教にたいしてほとんど理解を
拒もうとするこの国では、残念ながら聞くことができなかったものなのである。

富岡幸一郎「三島由紀夫、『絶対』の探求としての言葉と自刃」より

483:名無しさん@3周年
11/06/11 02:35:21.25 Q8Jc2xPL
今頃バタイユかよ。それでバタイユも肛門派かね。

484:名無しさん@3周年
11/06/17 00:15:28.51 vz+LUXaY
三島由紀夫が透徹した認識の目を持っていたことは、彼を知る人ならば誰もが認めるだろう。例えば動物に
対する描写を取ってみても、その異様に鋭い認識能力が垣間見れる。(引用略)
言葉を喋らぬ一個の生命に対して、これほどその根源に迫れるほどの認識能力を持っているなら、人間を洞察し、
その自意識を具体的に纏め上げた安永透という人間を作り上げることくらい造作もなかっただろう。(中略)
三島文学ほど明確に人間の個人的精神と結び付けて涅槃を説いている作品は他にないだろう。悟り……、そして
悟りへ至るための道である八正道とはつまり、自意識の塊りである安永透という存在の否定なのだ。
天人五衰や「安永透の手記」には、悟りへの道である八正道に、見事に反する精神状態が描かれているのである。
安永透の自意識こそ、仏教が説く人間の捨て去らねばならない“我”そのものだからだ。

三上秀人「三島由紀夫の遺言 観世音」より

485:名無しさん@3周年
11/06/17 00:16:38.03 vz+LUXaY
三島由紀夫の重要性、そして特殊性は、その並外れた認識の能力にある。(中略)
なぜ三島由紀夫にだけ、これほど高度な認識能力があり、一般の人はそうではないのか。それが私には大きな
疑問となり、三島文学への好奇心を駆り立てた。(中略)
どちらかというと私は三島の小説よりも日記やエッセイなどを好んだ。(中略)概念の捉え方が行間からより
鮮明に表れていて、その明晰さに私は驚嘆した。(中略)
三島由紀夫は単なる小説家という存在を超えている人間なのかもしれない、と私はうっすらと理解し始めた。
多くの人は『ミシマ文学』と言っているくらいで、どうも彼の使う表現の卓越さ、認識の正確さのすべてを、
三島由紀夫の文才と考えているようだった。
しかし私にはそうは思えなかった。言葉使いが巧みなだけなのではない。確かに十代までの三島はそうだった。
しかし「仮面の告白」以降は違う。正確に現実を認識しているのだ。あまりに正確すぎるほど正確に……。
つまり、何かをきっかけに三島由紀夫は、その正確無比な認識に覚醒したのだと私は思った。

三上秀人「三島由紀夫の遺言 観世音」より

486:名無しさん@3周年
11/06/17 00:18:06.84 vz+LUXaY
…『一目で見抜く認識能力にかけては、幾多の失敗や蹉跌のあとに、本多の中で自得したものがあった。欲望を
抱かない限り、この目の透徹と燈明はあやまつことがなかった』(天人五衰)(中略)
三島は自分の奇跡待望の不可避とその不可能の自覚を、若いときは自分の文学的素養として芸術の領域で
捉えていて、仏教的な意味での仏性だとか悟性だとかいう風には捉えていない。或いは最後までそのスタンスは
変わらなかったかもしれない。(中略)
三島由紀夫が行っていた無我の認識とは、この阿頼耶識を認識することだ。(中略)
古来から悟りを開いた者は神通力を得ると言われている。(中略)阿頼耶識による無我の認識は、原理は単純だが、
或る意味そういった超能力に近いものだ。(中略)三島の表現力を神技に近いと評した評論家もいたようだ。
超能力とまでいかなくても、第一章でも記したように、その認識の正確さは燈明を極めていた。(中略)
無我の認識という正確な認識の方法を理解している三島由紀夫という存在は、私には途轍もなく重要に思えて
きたのだった。三島由紀夫が理解されれば、人間同士の完全な相互理解が可能になるからだ。

三上秀人「三島由紀夫の遺言 観世音」より

487:名無しさん@3周年
11/06/17 00:18:53.35 vz+LUXaY
…三島由紀夫について研究していて、ひとつ不思議に思った事があった。なぜ三島が自分への理解を求める
方法として、小説という形を選んだのかということだ。彼はそこいらの哲学者や心理学者よりよほど頭が良く、
人間精神に精通していたから、自分を理解して欲しいなら、自分の認識の体系を分かりやすく論文のような形で
まとめて発表すればよかったのにと思った。なぜそうしなかったのか。実際に三島由紀夫について書いてみて
分かった。それは不可能だからだ。近代自我哲学や精神分析学は三島本人も言っているように、些か暴論で、
妄味を生み出している気がする。精神という性質を詩的幻想と規定することは出来ても、その精神が生み出す
幻想世界を分割したり、現実世界に対する精神の認識構造を解析することは不可能だ。(中略)
唯識的に言うと、欲望を捨てて第七識を超えたところにある阿頼耶識という存在の究極の片鱗を読み取った
ということになるだろうが、では、どのようにして読み取ったのかとなると、それ以上の詳しい説明は出来ない。
それ以上は、もう“ありのまま、ただ見た”としか言いようがない。

三上秀人「三島由紀夫の遺言 観世音」より

488:名無しさん@3周年
11/06/22 23:29:58.11 d0DmW6sx
…プラトンのイデア論にしても、ニーチェのパースペクティブ主義にしても、デカルトの良識論にしても、
実念論にしても唯名論にしても、フーコーのエピステーメーにしても、フランシス・ベーコンが「ノーヴム・
オルガヌム」で言うイドラにしても、実存主義にしても、ライプニッツのモナドの概念にしても、そして
唯識さえも、認識に至るまでの経緯の仮定的な説明なのだ。(中略)
過程を明確に示す方法がないから結果から示すしかなかった。小説という物語の形を借りた方法で、自分が
認識した安永透という人間の自意識を正確に記すしか、つまり、感覚的に、自分の認識能力とその認識能力を
持っているということが何を意味しているのかを理解できる人間を探すしかなかったように、私には思える。
無我に至るまでのその過程を説明しなくても、天人五衰を読んだら分かる人間に向けて三島は天人五衰を書いている。

三上秀人「三島由紀夫の遺言 観世音」より

489:名無しさん@3周年
11/06/22 23:30:35.19 d0DmW6sx
(中略)
三島由紀夫が天人五衰に書いているような、人間世界を裁定する漁師の目、それは神仏の目だ。無我による
正確な認識は、最終的に神の目に近づく。人間を監督し、その行いに応じて命運を決定する存在との視点の同一化。
それが一種の予言性を帯びてくる究極の認識であり、人間が最終的に至るべき境地なのだろう。そしてそれは、
いわゆる宿命通・天耳通・死生智にあたるのだろう。
『狐はすべて狐の道を歩いていた。漁師はその道の薮かげに身を潜めていれば、難なくつかまえることができた。
狐でありながら漁師の目を得、しかも捕まることが分かっていながら狐の道を歩いているのが、今の自分だと
本多は思った』(天人五衰)(中略)
精神という願望的幻想性を利用したこの現実の都合のいい変容を、人を化かす『狐』に例えているのである。

三上秀人「三島由紀夫の遺言 観世音」より

490:名無しさん@3周年
11/06/30 12:38:46.14 S0l1pR7U
(『詩を書くのが趣味の交際相手の男性が女々しく思えて許せない』という相談者に)
 美輪明宏『文学者でも例えば三島由紀夫や中原中也なんかは男らしかった思うけれど…。
貴女ももっと本をお読みになったらどうかしら?』
 相談者『(憤然として)読んでますよ』
 美輪明宏『どんなのを読んでらっしゃるの?』
 相談者『秋元康とか』
 美輪明宏『(一瞬判らず)あきも……?(ピンと来て)オホホホホホwwwww』
 相談者『?』


491:名無しさん@3周年
11/07/10 17:48:41.93 oeayZEbt
(中略)
そもそも彼のあの異常な明晰さは、人間の領域を遥かに超えている。彼は人間でありながら神仏の目を得、
しかも人間として生きたのだ。(中略)三島は晩年、生涯を通じてあれほど批判してきた太宰治と自分は同じ
なんだと言ったそうだ。太宰がそうであったように、三島にも人間の世界が理解しがたかったのではないか。
理解できすぎたが故に。
その無意識。その認識の欠如。すべてが彼には奇妙に思えただろう。
三島にとって人間は、運命の自己表現のようなものだった。(中略)
三島は確かに誰よりも正確に物事を認識することができたわけだが、単純にその能力を喜んでいたわけでは
なかったようだ。(中略)
三島由紀夫は確かに稀に見る認識の天才で、完璧に近いほど人間存在、そしてその命運を裏側から管理している
神仏の神秘まで理解していた。しかし、求道者ではなかった。

三上秀人「三島由紀夫の遺言 観世音」より

492:名無しさん@3周年
11/07/10 17:49:15.76 oeayZEbt
三島は悟達に至ろうと思って悟達に至ったわけではない。セキュリティー・システムを打破するはずのハッカーが、
逆にセキュリティー・システムに詳しくなるように、犯罪を犯すはずの犯罪者が、逆に刑法に詳しくなるように、
あまりにも夢想的であったために、逆に真実に目覚めてしまったのだ。
そして三島はその欣求の欠如ゆえ完全なる悟りには至っていなかった。いや、至ろうとしなかった。(中略)
ここに三島由紀夫という人間の独自性がある。彼は悟りの構造を知っていながら詩を求め続け、仏教には帰依せず
天皇に帰依したのだ。奇跡は到来しないと理解してからも、つまり詩が現実ではないとはっきり理解してからも、
生来の気質から詩的椿事を待望し続けることをやめられず、また神仏に帰依する気もなかった三島由紀夫は、
自分の意志の不毛に気付いていた。紙の上の現実と実際の現実、その二種の現実のどちらもいつでも選べるという
自由が三島由紀夫という人間の意志だった。

三上秀人「三島由紀夫の遺言 観世音」より

493:名無しさん@3周年
11/07/18 23:20:01.98 on9rPy9J
(中略)
どんな奇跡への待望であれ、それが絶対に到来しないと分かっているなら、そしてそれでも猶、奇跡を待望し
続けるとするなら、いったい精神はどこへ向うのだろう。三島にとって至福と言うものが、少年時代に感じたように、
願望と現実の一致にあるなら、詩から覚醒した三島の唯一の至福は、自らが絶対的存在と融和することだった。
それが「憂国」であり、天人五衰の末尾において本多繁邦に語らせている『聖性』だった。(中略)
ああいう最期を遂げたことには、批判的な意見の方が多かったようだが、バルコニーに立って演説する三島の
姿を見るたびに、私は何か心を動かされる。別に憲法を改正して自衛隊を国軍にして欲しいわけではないけれど、
命を賭けて訴えるその姿に素晴らしい何かを見るのは確かだ。(中略)
天人五衰における本多の涅槃への到達の仕方は、一見したところ幸福からは遠く、それはまるで神への挑戦のようだ。
恒久平和の不可能を自明のものとして死んでいった彼の存在が、実は精神という幻想を打ち破り、人間の相互
理解を可能にする唯一の鍵だったというのはなんと皮肉だろう。

三上秀人「三島由紀夫の遺言 観世音」より

494:名無しさん@3周年
11/07/18 23:20:38.09 on9rPy9J
(中略)
私には三島由紀夫が、自分がロボットだと気付いてしまったロボットのように思えてしまう時がある。自分の
内部構造、背負わされた宿命、世界の実相……、その仕組みを、それを創造した者と同じくらい完全に理解
できる能力を持っていた三島由紀夫は、結局、自分が何者であるかを知ってしまった。三島由紀夫は自分が
【人間】であることを理解してしまったのだ。
精神の奇跡待望の不可避とその不可能の自覚という性質。告白は不可能であり、真の自己は規定し得ないということ。
人間は自由意志を持ってはいないということ。見えない誰かに何かを強いられて生きているということ。
人間であるということそれ自体がひとつの罠にかかってしまっているということ。そして、自分が誰からも
理解されてはいないということ……。

三上秀人「三島由紀夫の遺言 観世音」より

495:名無しさん@3周年
11/07/18 23:21:26.21 on9rPy9J
世界についても理解した。
それは涅槃の文学である三島文学の最終的な主題「奇跡自体よりもふしぎな不思議」だ。
即ち古代存在論にはじまり、中世スコラ哲学へと続き、デカルトやウィトゲンシュタイン、ライプニッツらも
問うた『神秘的なのは、世界が如何にあるかではなく世界があるということ』という命題。数多くの哲学者が
求めたこの命題に対する三島由紀夫の答えは、「仮面の告白」における素面の不在と同じように、世界存在
そのものの実体の不在だった。
『「海と夕焼け」は、奇跡の到来を信じながらそれがこなかったという不思議、いや、奇跡自体よりもさらに
ふしぎな不思議という主題を凝縮して示そうと思ったものである。この主題はおそらく私の一生を貫く主題に
なるものだ』(花ざかりの森・憂国 あとがき)
…つまり、世界が存在しているということ自体が奇跡よりもふしぎなことなのであって、それは唯識論哲学に
おける存在の実体の無さ、一切諸法がただに『識』に帰すという思想によって表されている。
『本多は夢の生に対する優位を認識した』(天人五衰)

三上秀人「三島由紀夫の遺言 観世音」より

496:名無しさん@3周年
11/08/04 16:13:09.65 YwHeHf3z
本当の天才とは、簡単には説明することのできない能力の持ち主のことだ。
シェイクスピアは天才だった。モーツァルトも、レオナルド・ダヴィンチも、紫式部も天才だった。
私がこれまでに出会ったすべての人々のなかで、「この人は天才だ」と思った人は二人しかいない。
一人は中国文学および日本文学の偉大な翻訳家であったアーサー・ウェイリーである。(中略)
そして、私の出会ったもう一人の天才が三島由紀夫である。

ドナルド・キーン「二つの祖国に生きて」より

497:名無しさん@3周年
11/08/06 06:16:03.58 lR5FFKkF
三島がホモとしか語れない奴ってアホ丸出し

498:名無しさん@3周年
11/08/06 09:16:43.53 npY7i3tA
韓国に竹島を描いた古地図は存在するか: 日韓古地図の比較
URLリンク(www.youtube.com)

499:名無しさん@3周年
11/08/08 10:54:54.71 mc8a90+o
司会(松本徹):三島さんは、どんな印象でしたか。

本野:非常に頭のいい人でした。特に文学に関しては並ぶ者がいない。

六條:それは、誰もが認めてましたね。

(中略)
司会:三島さんは、戦争中でありながら一種の文化言論活動のようなことをやっていますねえ。

本野:それは彼が反抗的気質だったとか、周りの者に動かされてということではなかったと思いますよ、文化とか
言論とかに対して純粋な気持ちがあって、それを学校の中で実現しようとしたら、ストップがかかったという
ことだと思います。(中略)

司会(佐藤秀明):この一連の出来事に関連してだと思いますが、この時期の平岡公威はだいぶ感情が高ぶっていて、
総務部総務幹事を辞めたいと清水先生に手紙でぶちまけています。

六條:そういう手紙が残っているんですか。清水先生とはツーカーでしたからね。僕らには見せない顔を見せて
いたんですかねえ。

本野盛幸、六條有康「同級生・三島由紀夫」より

500:名無しさん@3周年
11/08/08 10:56:35.42 mc8a90+o
司会:(三島は初恋の園子と)学習院の友人の妹として知り合って、手紙のやりとりをするようになり、彼女の
一家は軽井沢に疎開するんです。(中略)そこへ三島が、主人公がですね、訪ねて行くんです。それで旧軽井沢の
ゴルフ場で接吻をすると書かれています。だけど、この恋愛は実らずに終わってしまって、三島はずいぶん
苦しんだようです。だから戦後は、辛い出発をしなければならなかった。

本野:まあ、あの当時でもそういうことはあったでしょうね。これは僕個人のことなのだけれども、一学年下に
黒田っていうのがいたでしょ、黒田一夫。その妹と僕が恋仲になって、だけど彼女が亡くなってしまったんだ。
それはショックでね。昭和二十年頃だったんだけれども。そのとき平岡に話したのかな、よく覚えていないけれども、
彼からお悔やみの手紙をもらったんですよ。なくしてしまったんだけどね、残念なことに。それがことのほか
よい文章でね。自分のことがあったあとだから、ああいう手紙が書けたのかなっていまちょっと思いましたね。

本野盛幸、六條有康「同級生・三島由紀夫」より

501:名無しさん@3周年
11/08/08 10:58:35.83 mc8a90+o
司会:(三島は)高等科では総務部総務幹事になっていますでしょ。四人の幹事のうちの一人です。集会などで
号令をかけたり、挨拶したり、そういう点では目立っていたのではないですか。

本野:いや、そんな記憶はないですね。目立つということは、彼の場合はほとんどない。

司会:高等科で、さっき話の出たお芝居を書いてますね。それで演出もしている。そういう点では、ある面の
中心的な存在だったのではないですか。

六條:それはね、小説や演劇のこととなれば、彼の右に出る者なんかいないんですよ。その点ではもう別格。
それだけはみんなが一目置いていた。

本野:成績もね、僕らがどんなに勉強しても絶対に一番にはなれなかった。全然違うんですよ、彼の一番は。
記憶力とか理解力とか群を抜いていた。二番を引き離した一番だったんです。ましてや文学に関しては全く
次元が違う。

司会:ということは、性格的にリーダーになるとかいうのではなくて、お芝居となれば、身につけたものや才能で
平岡を据えるのが当然だということになっていたと、こういうことなんですね。

六條:ええ。

本野盛幸、六條有康「同級生・三島由紀夫」より

502:名無しさん@3周年
11/08/08 10:59:58.64 mc8a90+o
本野:彼は優れすぎているというか、異なりすぎているということですよ。それで彼は優越感をもつとか
そういうのでなくて、自然に優れていたということでしょうね。

司会:三島の側から言いますと、外務省なり文部省なり社会に出て仕事をしている人たちがいて、自分はもの書き
という特殊な立場にいて、何というかコンプレックスのようなものをもったのではないか。文学者というのは、
本当の意味での一人前の社会人ではないんじゃないかという意識ですね、そういうものがあったのではないか。

本野:彼とは割と簡単に話もできたし、間に垣根があるという感じでもなかったんですよ。でも、彼は自分の
世界を持っていたんですね。

司会:いや、石原慎太郎との違いということにもなるかもしれませんが、実社会の中で何かをするという意識を
ずっともっていたのではないかと思うんです。(中略)
(そして、その)行動が象徴性のレベルになってしまう。芸術家の行動というのは象徴性というところへ
行かざるをえないんじゃないかな。

本野盛幸、六條有康「同級生・三島由紀夫」より

503:名無しさん@3周年
11/08/08 11:01:14.44 mc8a90+o
司会:これは僕自身の気持ちが入っているのですけれども、少年のときから文学の世界を目指して、それで
文学の中でやってきたんですが、いまの歳になると一種の空しさみたいなものを感じるんですよ。実業の世界で
生きている人は、何か世の中に痕跡を残していて、小説家がやってきたことと言えば言葉をただ並べただけだと
いう空しさですね。そんなものが三島にはあったのではないか。空しさをあえて突き抜けてみせるという意志が
あったように思います。

本野:空しいという感じは超越していたと思うなあ。(中略)あれが彼にとって自然な姿だったんじゃないだろうか。
昔彼と話をしていても、全く偉ぶった感じがしない。そのまま別の世界にいるという感じだった。あなたもそうでしょ。

六條:うん、そう。平岡は平岡でしたよ。それでいて我々とは全然違うんだ。それがすごいことだとみんな
感じているんだけれども、学校ではね、そういうことは小さなことだったんです。頭がいいとか、文学をよく
知っているとかは。

本野盛幸、六條有康「同級生・三島由紀夫」より

504:名無しさん@3周年
11/08/09 20:34:55.46 jw9wAb1l
司会:この間、演劇で三島と関わった和久田誠男さんの話を聞いたんですが、宇宙人じゃないかと思ったと
言ってました。会っているときはそうは思わないけれども、家に帰って三島さんのことを思うと宇宙人としか
思えないと言うんです。いまのお話は、そういうところと関係しますね。三島さんのそういう面が現れるのは、
高等科からですか。

六條:そうねえ、中学のときはたわいもない子どもでしたよ。むしろ北条浩の方がずっと弁が立ったし、
理屈っぽかった。

司会:北条さんというのは、創価学会の会長になった人ですね。

六條:ええ、学習院を終えて海兵に行って。北条はよく平岡に食ってかかって、口論というか口喧嘩をしていましたよ。

司会:三島というのは、やっぱり天才と言うしかない人だったと思うのですが、それがどういうところで
形成されたのか、そこが知りたいですね。

六條:それはね、清水先生の感化ですよ、清水先生にもそういうところがあったんです。

本野盛幸、六條有康「同級生・三島由紀夫」より

505:名無しさん@3周年
11/08/09 20:36:39.82 jw9wAb1l
六條:岩田先生も(三島に)目をかけたでしょうが、岩田先生や佐藤文四郎先生は、清水先生とは違いましたね。
(中略)「輔仁会雑誌」に書いて清水先生に認められ、「文芸文化」に小説を発表することになるのですけれども、
あの清水先生に認められ可愛がられたというのが、大きかったんだと思いますよ。

司会:なるほどねえ。三島由紀夫がいたから清水文雄がいたんじゃなくて、清水先生がいたから三島由紀夫が
いたということですね。

六條:「輔仁会雑誌」に平岡の書いたものが載るでしょ。われわれからすれば平岡のが載るのは当たり前だと
思っていましたよ、平岡もそんなふうでしたよ。だけど、僕らには、彼の書くものが分からないんだ、難しくて(笑)。

司会:清水先生を読者だと思って書いていたんでしょうね。

六條:だから、僕らの前ではひょうひょうとしていましたよ。体が弱かったけれども、コンプレックスなんか
もっていなかったみたいですよ。驕らないし見下しもしないし、卑下している様子もなかった。ひょうひょうとして
当たり前の顔をしていました。

本野盛幸、六條有康「同級生・三島由紀夫」より

506:名無しさん@3周年
11/08/09 20:48:20.61 jw9wAb1l
司会:中等科から高等科にかけて、四歳年上の東文彦と三島は親しくなります。(中略)(三島は)自分の作品が
くだらないものに思えたとか、そういうことも書いています。だから、自己評価も素直で、また思うように
ならないことにはどんどん愚痴を言うといったタイプだと思っていましたが。

本野:そういう相手もいたんでしょうね。僕らにも愚痴を言ったのかもしれない。でも、愚痴に聞こえなかったんだね。

六條:彼は意志が強かったからねえ。(中略)

本野:それとね、家柄というんでしょうか、彼は普通の家でしょ。やはり華族の子弟との違いというのが
あったように思いますね。彼が優秀な人間だったということを関連づけてみると、そう思います。(中略)
あなた(六條さん)のように京都の古い家柄の華族とはやはり違う。(中略)反面、だけど俺の方ができるぞ
といった気持ちですね、そういうのが三島にもあったんじゃないかと推察します。

司会:それは確かにあっただろうと思います。あったから『春の雪』といった小説が書けたんですね。

本野盛幸、六條有康「同級生・三島由紀夫」より

507:名無しさん@3周年
11/08/11 09:41:09.49 baiHCRzB
司会(松本徹):(三島は)最初は着物姿で現れたとか。終戦間もなくのあの時期、若い人で着物着ているひとなんか
いなかったでしょうね。

川島:そうですよ、あの時代、講談社の社屋は焼夷弾でね、黒こげになっているんですよ。(中略)そういう時代に
彼は紺絣に袴をはいて来ました。それはちょっと印象的でしたね。

司会:太宰治に会う時、着物を着て懐に匕首を呑んだような気持ちだったと三島は書いてますけど、講談社へ
行くのにもそういう気持ちだったんじゃないですか。

川島:どうですかね。相当緊張してました。
会ったのは僕だけでした。(中略)今日はこういう新人が来るから、頼むよ、と言われて。

司会:(中略)今後いけそうかどうか、見極めようと。

川島:ええまあ、やっぱり違いましたよ、普通の作家とは。僕たち池袋あたりでカストリ焼酎飲んで、檀一雄を
はじめとして、まあ無頼の連中とばかりつき合ってました。ところが、そういう文壇とは関係がない。なんか
スッとした、まあ貴公子っていう言い方はあんまり正確でないけど、何かスカッとした、よそ者が入ってきた。

川島勝「『岬にての物語』以来二十五年」より

508:名無しさん@3周年
11/08/11 09:43:22.12 baiHCRzB
川島:プライベートなことになるけど、三島由紀夫の妹美津子さんっていうのがね、家内の同級生なんですよ。
三輪田高女のね。同級生で親しくしていた。そこでね、三島のお母さんの倭文重さんもまた三輪田出で、遊びに
来るようにって言われてね、何回も遊びに行ったことがある。三島家へですね。三島由紀夫を訪ねるのとは別です。
家内について何回も行ったことがある。

司会(井上隆史):講談社で三島由紀夫の来訪を受けた後ですね。

川島:ええ。そんなことから親近感持つようになった。そして家族ぐるみの付き合いになった。だから僕がね、
馬込の三島家を訪ねると、玄関左手に日本家屋があったんですよ。そこに親爺さんと倭文重さんがいて、僕に
気づくとね、あ、川島、こっちだよって必ず呼ぶの。(中略)今ね、うまい焼酎があるよって。その頃の
焼酎ってのはね、芋焼酎でね(笑)。(中略)

司会:三島が焼酎を飲んだとは聞きませんが。

川島:ええ、息子の方はね、全然ダメ。銀座のエスポワールってとこへ一緒に行ったことあるんです。でもね、
水割り一杯飲んで、真っ赤になってね、大変だった(笑)。写真ありますよ、探せば。

川島勝「『岬にての物語』以来二十五年」より

509:名無しさん@3周年
11/08/11 09:44:40.91 baiHCRzB
司会:林房雄なんかと、早くから会ってましたね、三島は。

川島:ええ。

司会:川島さんも勿論……。

川島:ええ、会ってます。(中略)林房雄がね、山の中腹に書斎を作ったんですよ。その書斎びらきをするって
いうんでね。三島さんと呼ばれたの。そしたらね、その頃ちょっと忙しかったのかな、途中で帰ってしまった。
そしたらね、三島が帰ったら、花がなくなったよってね、林房雄は酔っぱらって言い出したんだ。じゃああれ呼ぼう、
熊谷久虎という映画監督がいるが、その義理の妹のあれを呼ぼうって。あれは誰だろうと思ってたら、原節子なの(笑)
君ィ迎えにいってこいよっていうからね、地図書いてもらって、(中略)湯上がりの彼女連れて僕は林房雄の
家へ行った。

司会:じゃあ三島は会ってないわけですね、原節子と。

川島:会ってたら、いやあ、どうだったか。

司会:何年頃のことでしたかご記憶ありますか?
『仮面の告白』は出版されていました?

川島:もう出ていた。林房雄は三島をかわいがってますよ。

川島勝「『岬にての物語』以来二十五年」より

510:名無しさん@3周年
11/08/11 09:46:29.73 baiHCRzB
司会(山中剛史):川島さんのお仕事では講談社インターナショナルでのものがありますね(英訳版『太陽と鉄』を
見せる)。

司会(佐藤秀明):ああ、インターナショナルに移られたんですね。

川島:これはねえ、(社で)反対が多くてね。カバーの裸の写真はやめてくれっていうんだ。

司会:三島さんは是非ともこれでって……。

川島:ええ。アメリカじゃね、裸の写真こういうふうにするとね、ゲイのね、一つのシンボルになるから、
それだけはやめてくれっ言われたんだけどねえ、「いや、是非ここにこれやってくれ」って(笑)。

司会:いい本ですよ。いい本だ。
中は二色刷りで、お金かかってますよね。

川島:かかってんだよこれ。それで、裏に署名。それが効いてるんだ。
(中略)
司会:帯をするとちょうど褌が隠れるようになってるんですね。

川島:そうそう。隠したんだよ(笑)。

司会:英語の題字も三島の筆ですか。

川島:そうですよ。そちらもどっかにあるんだけど。

川島勝「『岬にての物語』以来二十五年」より

511:名無しさん@3周年
11/08/11 09:49:27.36 baiHCRzB
川島:ある時ね、三島家を訪ねて、一緒に出たら、「川島さん今日はあいてる」っていわれてね、僕は会議が
あるので社に帰らなくちゃといったら、「それじゃいいや、この次にしよう」って。パレスホテルへ送って行くと、
「出来たらあなたと一緒に行きたいんた」って、楯の会だね。

司会:決起の予行演習とか。

川島:いや、一緒に飲むんだって。「川島さんがいると盛り上がるから」って(笑)。僕酒飲みだからね。
彼あまり飲めないから、「代わりに飲んでくれないか」っていうふうに話してたね(笑)。(中略)ああいう時はね、
惜しいんだよな。会社のことなんか別にしてね、三島がそんなこと言うのはあんまりないからね、あの時期にね。
どうして一緒にいかなかったかと悔やまれますけど。まあ人生ってそういうもんだよね(笑)。

司会:最後の別れみたいな、そういうことはありましたか。

川島:いや、別にないですねえ。あれが実はそうだったのかなあ。うん。ただ凄く忙しかったからね、例会とか
なんとかでね。

川島勝「『岬にての物語』以来二十五年」より

512:名無しさん@3周年
11/08/11 19:17:57.53 baiHCRzB
司会:映画「トラ・トラ・トラ!」を見にいこうと誘われたというお話ですが、それも晩年ですか。

川島:そうです。

司会:三島が好きだった戦争映画ですね。

川島:「トラ・トラ・トラ!」はね、楯の会の推薦映画だったの。隊員と一緒に何回もみてるらしいよ。志気を
鼓舞するために。まあ、あの事件も真珠湾攻撃みたいなところがあるからね(笑)。でも、今ねえ、三島由紀夫
みたいのいないもんな。もう全部フラットになっちゃってね。人間ね。

司会:数世紀の間に一人出るかどうかの人ですね。
(中略)
司会:川島さんが親爺さんと意気投合したってのは(笑)。

川島:いやあ、あの親爺とはホントによくつき合った(笑)。

司会:テレビ局や編集の人なんかが来ると、親爺さん見ているわけですよね。親爺さんと言葉を交わして帰る人は
そんなにいなかった。
(中略)
司会:お母さんが、あれだけ早熟な才能を育てたと思うんですが。

川島:やっぱり、原因はお袋じゃないかな、あの親爺よりも。「年取ると段々親爺に似てくるからやだよ」とかって
いってたけど(笑)。

川島勝「『岬にての物語』以来二十五年」より

513:名無しさん@3周年
11/08/11 19:19:50.12 baiHCRzB
司会:ジョン・ネイスンが評伝で、家庭の中のことを結構書いてしまいましたね。あれは、ちょっと平岡家に
とっては、喜ばしくないような……。

川島:喜ばしくない。
ネイスンってのはね、あれ変わった奴だ(笑)。僕は非常に親しくしてて、渋谷の恋文横丁かなにかに連れてったんだ。(中略)
面白い男ですよ。ただ、まあねえ、聞き書きによる取材だから、よく分かってないですよ。

司会:彼は、日本語はよく出来るの?

川島:出来ますよ。僕は会ったときに、落語を一席なんて言うんだあいつ(笑)。その落語がね、なんだかね
「火焔太鼓」じゃなくて、なんか、聞きかじりのやつやって、日本語これだけ出来るんだって誇示してた。
まあよく出来る男ですけどね。でかくて、オートバイ専門で、ホントにアメリカンスタイルね。いい意味でも
悪い意味でも。どうしてんだろうなあ、今。
司会:カリフォルニアのサンタ・バーバラにいるんじゃないですか。
一時映画界に入ってたみたいですけどね。

川島:撃たれ役じゃないんですか(笑)。

川島勝「『岬にての物語』以来二十五年」より

514:名無しさん@3周年
11/08/15 16:22:50.11 Y0zDt5fk
秋山:(昔から)三島由紀夫の存在は知っていた。早稲田に入る前なんかでも本屋に行けば、「花ざかりの森」を
売っていたからね。これがあの早熟の才能ある者が書いたのかと、あちらこちらの本屋を見てまわった。読みは
しなかった。翻訳本をやらなくちゃいけなかったから、そんなものは読んでいられなかった。

井上(司会):秋山さんはいつ頃から、三島由紀夫に同時代の感覚や接点を感じるようになったのですか?

秋山:言いにくいけど、それはないよ。ないというより、「花ざかりの森」という早熟のタイトル。題が題じゃないか。
そんなかっこいいもの、関係ないと思っていた。
(中略)どこが違うのかと、後になっても感じたことだが、やはり階層が違うということだよ。(はじめて三島と
会ったきっかけは)村松剛や佐伯彰一がいた「批評」という雑誌に、村松に誘われて加わった、その時にね……。

松本(司会):昭和四十年一月ですね。

秋山駿「『内部の人間』から始まった」より

515:名無しさん@3周年
11/08/15 16:24:38.74 Y0zDt5fk
秋山:そう。なぜか遠藤周作が三島さんの家に連れていってくれた。その時、初めて社会的なことにちょっと
目覚めたんだよ。一月だったし、何か持って行かなくてはと、奮発して煙草の「ケント」をワンカートン買い、
持って行った。ところが遠藤周作と一緒に行ったら、三島さんが玄関で出迎えてくれて。まるで舞台だよ。
遠藤周作は三島に花束を持って来ていて、渡しながらご挨拶なんかしている姿を見て……。

井上:ちょっと違うなと。

秋山:ちょっとどころじゃないよ。持参した煙草は持って帰ってきちゃったよ。はっきりとこれは階層が違うなと。

井上:その時、階層というものをリアルにお感じになったのですか?

秋山:はっきり感じましたよ。西洋の何かを模したような立派な家だしね。特にやってることがさ。遠藤周作も
こんなことやるんだなと。

井上:遠藤周作についての見方も変わったのでは?

秋山:かなり変わりました(笑)。

秋山駿「『内部の人間』から始まった」より

516:名無しさん@3周年
11/08/15 16:26:02.23 Y0zDt5fk
松本:外野席から見ていたわたしたちにとって、秋山さんの登場は非常に鮮やかでした。(中略)
「内部の人間」「想像する自由」(昭和三十八年)を発表されてからの秋山さんの存在感は凄かった。三島も
即座に認めた。
(中略)秋山さんから、三島はかなりの衝撃を受けたのではないかと思います。

秋山:未だによくわからないが、三島由紀夫は私に非常に親切でした。それはなぜだったか、現在でもよくわからない。

松本:なぜ親切だったのか色々と考えたいのですが、一つは、三島由紀夫の「太陽と鉄」(昭和四十年十一月
連載開始)は、秋山さんの仕事の影響があるのではないかと思うのです。(中略)評論かエッセイか小説か、
わからない新しい仕事というのは、秋山さんのほうが先ですよ。秋山さんがすでにやっておられる。そのとき
三島は、「なるほど、これだ」と思ったのではないかと私は思います。

秋山:あそこで文章の波長が共鳴したのかね。そう考えるといいけど、未だにわからない。

秋山駿「『内部の人間』から始まった」より

517:名無しさん@3周年
11/08/15 16:28:07.85 Y0zDt5fk
秋山:私がある時から思っていたのは、もしかすると先ほどの階層の話に繋がるが、階層や絶対的な教養の違いが
あるからね。こちらは正反対の何もわからない奴、というふうに(笑)。

井上:しかし、明らかに三島由紀夫は、人間的な好感を秋山さんに対して持っていたと思うんですね。存在に
対する好感とでもいうものを。
(中略)
秋山:三島さんは最初の頃から、しかるべき外国の作家、作品に手を掛け、自分のものにして進んでゆく。一方、
こちらは何もなく、敗戦を契機に今まで読んできたものを捨てなければならないと思っていた。ただ一つ私が
大切に持っていたのは、志賀直哉だけです。

井上:しかし、三島はそういう秋山さんのことを、なんて言うのかな、セクシーだと思ったんじゃないでしょうか(笑)。

山中(司会):ストイシズムというか、ギリギリのところから出てくる魅力というか……。

秋山:私が考える対象としたのは、道端の石ころ。三島さんはそうじゃないからね。

井上:三島にとってそれが魅力的なんですね。

秋山駿「『内部の人間』から始まった」より

518:名無しさん@3周年
11/08/15 16:32:16.58 Y0zDt5fk
秋山:私だけの考えですが、「仮面の告白」は、三島さん自身も説明し難い色々な意味があると思います。つまり、
私も後に、〈私〉という主格を中心にしての連作をやる。(中略)〈私〉という主格が行う人形劇のようなものに
すぎない。そこが「仮面の告白」に似ているのかもしれない。(中略)私は、三島さんの「仮面の告白」を
(「昭和文学ベストテン(小説篇)」)に挙げましたが、私が三島を挙げたことに、他の人は意外だったらしい。
三島さんは凄い人です。物を書くといってもただ書くのではなく、細部の密度、明晰さ、集中力を持って書く。(中略)
松本:「仮面の告白」にも書かれていますが、人間として生きていく資格のない人間だという認識がまず
前提としてある。そして、そこから、どうにかして生きていきたいという時点で、書くという行為が始まる。
これは秋山さんと同じなんですよ。(中略)しかし、お二人の行き先が全く違う。しかし、間違いなくここで
クロスしている。

秋山駿「『内部の人間』から始まった」より

519:名無しさん@3周年
11/08/15 16:35:15.09 Y0zDt5fk
秋山:私は、あのときから今に至るまで、道端の石ころですよ。今だってそうです。すべてそこに還元される。
三島由紀夫は、やはり特別な人です。つまり、三島由紀夫は主人公なんです。日本の文学者にはあまりいない。

井上:(中略)それぞれ違う道を歩んだ。そのところについてどうお考えになりますか?

秋山:物の考え方ですね。根本の波長が違うのです。三島さんは特別な人だということで、私は時折、中原中也と
比較することがあります。中原中也は、毎日毎日、昼起きて、散歩して、夜に詩を少し書く生活を七、八年続ける。
あの生活の時間の在り方というものは大変なもので、普通の人がそのような生活を送ったら、二、三年で気が
狂ってしまう。それを持ち堪えた中原中也の強さというものは凄い。私は中原中也の詩が心に食い入っているほど
好きですが、一瞬一瞬の生き方が違うと思いました。一瞬一瞬が前後に繋がるのではなく、完結しながらの
一分一時間の密度になっている。そこが三島と重なる。こういう人は、長生きしようとかそういうことではなく、
その都度、完結し、その連続を生きる。

秋山駿「『内部の人間』から始まった」より

520:名無しさん@3周年
11/08/16 10:37:26.21 u4AXceHR
秋山:三島や中也、そして信長も、その都度完結する。だから戦争ができる。完結するということは、死と
裏合わせですよ。いつ死んでもいいと思っている。だから奇妙な戦争の仕方ができてしまう。あとは運ですね。
そういったことから考えると、多くの人が言っている信長と違った信長像が立ち上がってくる。
井上:中原中也と信長との繋がりなど普通は連想しませんが、秋山さんのおかげで一点繋がるなと考えさせられます。
中也と三島にしても本質的に相当違うと思いますが、密度の濃さという共通項が挙げられる……。
秋山:本質的には違うでしょうけれど、中原中也も主人公でありたいと思った人です。
(中略)中也と三島を考える上で、間に小林秀雄を入れて考えてもいい。やはり重要なのは出発点です。
中也は(中略)いわゆるランボオなんですよ。
いわゆるランボオに傾倒したら、社会の中の主人公にはなれない。しかし三島の文学はそうではない。ラディゲの
「ドルヂェル伯の舞踏会」などの方面ですから。

秋山駿「『内部の人間』から始まった」より

521:名無しさん@3周年
11/08/16 10:38:24.31 u4AXceHR
秋山:ランボオはいわゆる西洋を変えようということや、不可解なものに手で触るようなところがある。
そういったものを、実は三島も持っている。しかし、そちらへは進まなかった。
井上:どうしてでしょう。ラディゲに触れるのが早過ぎたからでしょうか?
秋山:いやいや。触れる段階の早さではなく、文学に取り組む姿勢の違いでしょう。文学のモデルの違いです。
中原中也の場合、文学のモデルは詩です。ランボオやヴェルレーヌです。三島の場合は小説です。小説は社会、
むろん政治も含んでいる。
あれほど一々のことを管理し決定して小説を書いていた人はいません。実際わかっていて、故意にそのプロセスを
飛ばしたと言えます。だから、所々で恐ろしいことを言っている。それは小説に対する疑いです。中村光夫との
「対談 人間と文学」の中で、小説に登場する〈彼〉という存在の、その〈彼〉に対して、どのような責任を
持つのかと言っていますが、これはそもそも小説の否定です。

秋山駿「『内部の人間』から始まった」より

522:名無しさん@3周年
11/08/16 10:39:48.40 u4AXceHR
井上:小説を考えていく上で、それを言ったらおしまいということがあるのですね。なぜ三島は、そういったことを
言ってしまうのでしょう? (中略)
秋山:やはり三島さんは、主人公であることを生きた人だからね。たいへんな主人公になろうとしたのではないか
というのが私の考えです。織田信長と一緒です。(中略)
山中湖の文学館にある原稿などを見ましたが、あのような原稿の書き方をする人はいない。あれはすべて遺品ですよ。
いつ終わってもいいような、完結した原稿になっています。主人公の話に戻りますが、三島は日本あるいは
日本文化の中の主人公になろうとしたのでしょう。
松本:最後のところは、条件付きで賛成してもいい。例えば「日本文学小史」などは、いま秋山さんがおっしゃった
ような意図があったでしょう。日本文学の歴史と自分の文学を一体化させ、さらに先へ進もうとした。(中略)
一番肝心なのは、日本文学全体を考え、それを提示しようとして、三島は死んだんだと捉えることでしょう。

秋山駿「『内部の人間』から始まった」より

523:名無しさん@3周年
11/08/16 10:41:00.86 u4AXceHR
山中:ご自身の仕事に注目していた、そして親切であったという三島の死に直面し、秋山さんは会社をお辞めに
なるほどショックだったとお聞きしましたが。
秋山:ショックどころではなかった。なぜ三島由紀夫が、あれほどまでに私に親切にしてくれたのかわからず、
それに対してきちんと対応していませんでした。今にして思えば、私の「簡単な生活」をペンギンブックスに
収録してくれたことは、たいへん大きなことです。しかし、その時は全く関心がなかった。(中略)外で泥酔して
いたとき、わが家に三島さんが電話をくれた。その電話に家内が出ると、「私は小説家の三島由紀夫です」と
名乗られた。まずそのことに感銘を受けましたね。(中略)電話をすると、「ペンギンブックスの件はちゃんと
済ませてあります」と。三島さんが死ぬ一ヶ月前くらいだったと思います。(中略)同時に収録される埴谷雄高は、
「秋山君、ペンギンブックスの件はどうなったかな?」などと言っていました。

秋山駿「『内部の人間』から始まった」より

524:名無しさん@3周年
11/08/16 10:41:50.77 u4AXceHR
井上:三島と埴谷の関係というのは微妙なんですね。
秋山:それが意外ね。
井上:本音がよくわからない。たぶん三島由紀夫は埴谷の考えていることは理解できるが、存在として感覚的に
好きではなかったのではないかという気がします。
しかし、もう少し接点があってもいいと思うのですが。
秋山:いや。対談や批評でも接点はかなりある。三島さんは埴谷のこともよくわかっている。
山中:(中略)同族嫌悪といったような、ある種埴谷に似たところを感じて、わざと避けたということも
あったのではないですかね。
秋山:たしかに似たところも感じていたでしょう。ドストエフスキーの小説でいうならば、埴谷雄高はどこかしら、
地下組織の秘密委員会の委員長のようなところがありますからね。(中略)一方、三島さんも楯の会を組織するしね。
松本:「豊饒の海」のような作品を構想するのには、やはり「死霊」のような小説が前提にあるでしょうね。
あれに対抗する輪廻転生の小説世界を作ってやろうという思いはあったかもしれない。

秋山駿「『内部の人間』から始まった」より

525:名無しさん@3周年
11/08/16 23:48:09.24 u4AXceHR
秋山:これは空想の話になりますが、「死霊」の中にはもう一つの流れがあって、現実に対して悪いことを
考える首猛夫、あれなんか三島さんは好きだったんじゃないかな(笑)。社会の中で悪いことを起こそうなんてね。
しかし、そのようなやり方ではなく、自ら実行しようと思ったのでしょう。三島さんは行動力があったからね。
ただ、今でもわからないが、長篇小説などを書く場合、主人公の意味が二つになる。一つは作品の主人公。
ところが三島さんの場合、現実の自分が主人公。これが素直に繋がるのか、打ち消し合うのか……。
井上:原理的には打ち消し合うはずなんですよね。
秋山:私小説というのは、作者が主人公になっては駄目。ところが三島さんの場合は、作品の主人公ではなく、
現実の中の主人公が強いから。
井上:作品と現実が重なってしまうのは、一つの幻想ですね。しかし、あえてそうした幻想を恐れなかったと
いうところもあるのではないでしょうか。

秋山駿「『内部の人間』から始まった」より

526:名無しさん@3周年
11/08/16 23:49:29.07 u4AXceHR
井上:変な喩えですが、デカルトと三島は似ているところがありまして(笑)。つまり、原理的にそれを言っては
おしまいだというところまで相対化し、思考実験でゼロからスタートする。そして自明性というものを棚上げする。
現象学で言うところのエポケーというものを、ある意味でデカルトは徹底的に行うわけですが、三島由紀夫にも
そういうところがあって……。
(中略)
秋山:デカルトを文学として置き換えるならば、あれは宇宙の主人公ですよ。
井上:そうですね。そして、自分ですべてを構成してしまう。
秋山:よく冗談で言われているように、デカルトは宇宙の運動が神の一突きによるとするから、何もしなくても
よいのであれば、神は不在で済ませたかもしれないと。これも主人公です。物を考えるということはどういうことか? 
それは驚くということが第一だとも言う。まったくその通りですね。
山中:すべて疑ったのちに、考えている自己を見出す。コギトですか。
秋山:そして、精神指導の規則や情念論などすべて集約されている。大主人公ですよ。

秋山駿「『内部の人間』から始まった」より

527:名無しさん@3周年
11/08/16 23:50:53.56 u4AXceHR
松本:三島の場合、現実の行動によって自分が主人公になれる、とは絶対に思っていなかったと思う。石原慎太郎と
違うところです。石原慎太郎は自分が主人公になり、少なくとも東京都を自分の意図するように整えようという
気持ちがあるけれど、三島は自分にはそれはできないという認識はあったでしょう。それが芸術家であると
いうことなのです。
山中:しかし、芸術家として自分自身が出てくる部分もあるのではないですか?(中略)
井上:石原慎太郎と比較するとよくわかります。慎太郎はアイロニーがなく、三島にはあったという話では
ないですか(笑)。
秋山:そう言われるとそうだけどね。とても言いにくいことだが、三島さんは石原慎太郎なんて小さいと
思ってるんじゃないの(笑)。東京都では、志が小さいからね。
あれくらいじゃな(笑)。(中略)例えば、日本文化というものを背負って歴史小説などを書いていた森鴎外と
いう人はどうだったのでしょう。
松本:鴎外の場合は、「古今集」までは遡りませんね。

秋山駿「『内部の人間』から始まった」より

528:名無しさん@3周年
11/08/16 23:53:10.09 u4AXceHR
秋山:喩えとしてはかけ離れていますが、信長はある程度天皇と仲良くやっていこうと思った人です。
松本:信長が天皇とどれだけ向き合ったか知りませんが、三島の場合、天皇を問題にしたのは、あくまで文化の
次元において、日本全体を長大な時間と空間の両面から考えてですね。
秋山:三島さんはそれよりも上に行こうと思ってたのでは?
山中:同一化ではなく、さらに上ですか?
井上:三島は幻想において、源為朝、もっと遡って日本武尊などにも自己同一化しようとしたので、三島にとって
文化的天皇というのは日本武尊の系譜になりますね。そうすることによって、自分の理想の天皇になろうとしたと
いうことはあるのではないでしょうか。現実の天皇よりはるかに上になりますね。
松本:天皇というものは、なろうと思ってなれるものではないし、三島はそのようなことはまったく考えて
いませんね。(中略)普通の人間は絶対に神になれない。三島にしてもそうです。だから、人であり神でもあり得る
希有な存在、天皇に対して、厳しく要求したのです。

秋山駿「『内部の人間』から始まった」より

529:名無しさん@3周年
11/08/17 10:22:38.47 hE/Rohwu
松本:三島にとって小説は、基本的に少し合わないところがあると思います。(中略)ぴたりと合うのは、
やはり芝居の世界ですね。
井上:しかしどうでしょう。三島はニヒリズムや疎外感といった主題を抱えていたと思うのですが、芝居の世界に
行ってしまえば、そういったテーマを充分に追究できなかったのでは?
(中略)
秋山:三島由紀夫と小説の問題はかなり厄介ですよ。(中略)三島さんは小説に対して非常に難しい考えを
持っているね。
井上:テーマという言い方は適さないかもしれませんが、つまり風船を作れば結び目があり、三島由紀夫という人は、
風船の結び目がどうしても見えてくる人だと思うんですね。その結び目をどう名付けるか。私はニヒリズムと
名付けていますが。(中略)三島が、本気で書いた小説は、この結び目は何なんだ? ということをずっと
考えていたはずで、それはデカルトの主人公の問題と繋がると思うのです。

秋山駿「『内部の人間』から始まった」より

530:名無しさん@3周年
11/08/17 10:30:15.25 hE/Rohwu
秋山:ニヒリズムねえ。
松本:三島にとって小説を書くということは、初期においては自分をどう変えていくかという問題であり、後半は
言語というものをどのように整えるかという問題だった。(中略)
ニヒリズムなんて、今の時代、皆持っていますよ。
井上:人間である以上、皆持っているでしょうね。しかしそれに気づかないふりをしている。だが、三島の場合
「鏡子の家」の中で、青木ヶ原樹海で物が見えなくなるというシーンがありますね。あれは比喩ではなく、
リアリティーだと思うのです。実際の感覚として、あのようなことがあるだろう。あるいは物の意味が解体して
いくというような。
松本:それは、秋山さんが書いておられることでもありますね。意味が失われるというリアリティーね。
井上:人間として我々はニヒリズムを持っていると言っても、意味が解体していくことを、はたして朝から晩まで
感じていられるかどうか。三島という人は感じていただろう。また、例えば、中原中也のような一瞬一瞬完結した
生き方を我々は普通しないと思います。しかし三島は中也とは違う形で、そういった生き方を強いられている。
連続性がその都度途切れるという感覚です。

秋山駿「『内部の人間』から始まった」より

531:名無しさん@3周年
11/08/17 12:43:40.64 hE/Rohwu
秋山:三島さんが私に親切だったというもう一つのエピソードとして、日生劇場の「恋の帆影」の切符をくれた
ことがある。とにかく行かなくちゃと思って行ったら、私の周りは皆、有名な人ばかり。幕間になったら
三島さんが来て、その人たちにいちいちご挨拶なんかやってる。先ほどお話した、三島邸を訊ねたときの遠藤周作と
三島じゃないけどさ(笑)。私はそういうこと、全く向かないと思っているから、これはいけないと思い、
トイレに行くふりをして逃げちゃった(笑)。
そういうことばっかりしてたから、もう少し三島由紀夫という人に向かい合って、何かやるべきだったと思ってね。
三島由紀夫に死なれてみたら、それが負い目になっていた。それから親切心の一つとして私にサービスしてくれたのか、
「三田文学」のインタビューの途中、篠田一士へ電話を掛け、問い合わせをした。すると篠田一士は、迅速に
詳細に教えてくれる。三島さんは「篠田一士はこういうときに便利な人なんだ」とか言ってね。この人、言うなあ
思ったよ(笑)。あとはドナルド・キーンにも電話をしていたような気がする。

秋山駿「『内部の人間』から始まった」より

532:名無しさん@3周年
11/08/17 12:45:35.00 hE/Rohwu
秋山:対談後、帰る際に三島さんと一緒に歩き出したら、意外と小柄でね。でも身体は立派。対談は上半身裸で
やったんですよ。見事な身体。ただし意外と足は小さい。そして、「喜びの琴」で揉めていることを私に
訴えかけるように話すんですよ。
松本:杉村春子の悪口を言っていましたか?
秋山:いやいや。私はその頃、そちらのことは関心がなかったけど。対談の最中は、豪快に高笑いするなどして
いたが、なぜこんなに抒情的なんだろうと。意外な面も持っている人だなあと思ったよ。ただし「恋の帆影」を
見に行ったとき、(中略)階段を駆け上がったところで女性にぶつかりそうになり、ふとその女性をみると
清宮だった。やはり階層の問題ですね。
松本:華やかな空間には、秋山さんは合わない。(中略)その点では恐ろしくかけ離れた、対照的な存在でした。
それでいて、通低するものがあり、かつ、そこでは三島が受け取るものの方が大きかった。年齢の差はありながら、
同時代を生きた文学者同士の係わりようを如実に伺い知ることができたと思います。

秋山駿「『内部の人間』から始まった」より

533:名無しさん@3周年
11/08/17 18:21:50.64 gI2FU90v
病的で変な人だったけど、きっとあの時代から日本潰れちゃうのわかってたんだよ。
司馬遼太郎?もヤバいよ~ってずっと投げかけてたんだよね。

534:名無しさん@3周年
11/08/17 18:52:35.61 cqnf+da0
脳味噌破壊状態で毒舌は居ていたアホな右翼か
三島のお坊ちゃま

535:名無しさん@3周年
11/08/18 22:50:30.79 IjSma7NX
松本(司会):(憂国の)音楽はワーグナーの「トリスタンとイゾルデ」でしたね?
藤井:はい。
音楽の打ち合せをした時、レコードを聞きながら三島さんがストップウォッチで計るわけですよ。で、「音楽を
どこから流すんだ」、「ここから流しちゃおう」ということになりまして、(中略)麗子はこういう姿勢でいて、
こういうふうに動く……、ってありますね。そこへ音楽を同時に流すわけですよ。するとピタッと合うわけです。
井上(司会):偶然、象徴的に合うわけですね。
藤井:例えば麗子が夫の帰宅の気配に気がついて振り向いたところで、牧笛が軍隊のラッパのように聞こえるんです。
シーン15です。皆びっくりしてね。神がかりだって。「ええっ!」って素直に子供みたいに喜んだ。あれは
三島さんな芝居したんじゃないかと思ったほどでしたよ。
井上:う~ん、可能性としてあるかもしれませんねぇ。
藤井:いや、やっぱり芝居じゃないんですよ。ある種のフロックだと思います。

藤井浩明「映画製作の現場から」より

536:名無しさん@3周年
11/08/18 22:51:39.56 IjSma7NX
井上:能舞台のようなセットに、「トリスタンとイゾルデ」という組み合わせが独特ですね。
藤井:ワーグナーは三島さんが最初から使いたかった。
井上:外国で上演するということを意識して?
藤井:いや、そうじゃないと思いますね。あの人はね、もともと外国人に見せようなんて思っていなかった。
はじめ「16ミリでやる」と言っていたので、僕は「やるんだったら35ミリでやりましょう。一般の劇場で上映できるし、
外国の映画祭にも出せるじゃないですか」と言った。それまで三島さんはそういうことを考えてなかった。
いわゆる短いプライベートフィルムを作るのが、小説家とかいろんな人たちのあいだで当時流行っていたんです。
それがベースにあったかもしれませんが、しかし、道楽でやるんじゃないと、三島さんは最初から言っていましたね。
そこで、「あなたの原作、脚本、製作、監督、主演でなきゃ商売になりません」と言ったんですよ。三島さんも
納得してくれました。

藤井浩明「映画製作の現場から」より

537:名無しさん@3周年
11/08/18 22:53:10.40 IjSma7NX
藤井:(憂国は)最初はブニュエルの『小間使の日記』と二本立てでしたからね。これもいい映画でした。
(中略)
山中(司会):ブニュエルと一緒にカップリングしてやるということに対して、三島が何か言っていたことは
ありますか?
藤井:いや、特にないですよ。(中略)
三島さんはね、例えば市川雷蔵の『眠狂四郎』とか勝新太郎の『座頭市』とか、高倉健の任侠ものとかとの
二本立てが出来ないか、というのが第一希望だったんですよ。「俺は芸術映画と一緒にやるというのは嫌いだ」
って言ってた。
井上:それは面白い話ですね(笑)。
藤井:この組み合わせは三島さんの意図に反しているんです。だから三島さんはATGでやりたくなかったんです。
だけど当時は二本立てが普通で、例えば『眠狂四郎』と『座頭市』をやる時に、どっちかを外して『憂国』では、
劇場が買わないんです。(中略)そうしたら、川喜多かしこさんが「洋画と組んだ方が良いんじゃないですか」と
言って下さった。

藤井浩明「映画製作の現場から」より

538:名無しさん@3周年
11/08/18 22:54:33.82 IjSma7NX
藤井:話は前後しますが映画が出来た時に、三島さんが「内緒で一般のお客さんに見せてくれ」と言うんですよ。
「飲み屋のおばさんとかそこらにいるあんちゃんとかそういう人たちを集めて」って。
それでね、(中略)新宿に「十和田」という、有名な飲み屋がありましてね。(中略)女将さんと、ごく普通の
町の人たちに見せたんです。十五、六人いたかな。終わったら、女将が言うんですよ、「どうして日本の音楽を
使わなかったの?」って。(中略)そしたら、バーンスタインが東京に来た時、東宝の試写会でこっそり『憂国』を
見せたら、同じことを彼が聞くんです。「一つだけ君に質問がある」って、三島さんがいないところで私に聞いた。
「なぜワーグナーを使ったの? どうして日本の音楽を使わなかったの?」って。僕は新宿の飲み屋のおばさんを
思い出した。映画もわからないし、音楽もわからないんだけれども、巨匠と同じことを奇しくも言ったのは
不思議だなぁと。

藤井浩明「映画製作の現場から」より

539:名無しさん@3周年
11/08/18 22:56:09.77 IjSma7NX
佐藤(司会):『憂国』という映画は、最初は漠然としたプランから始まって、ATGで大成功するまで大きく
膨らみましたね。
藤井:僕もプロとして真剣にやった。単に嬉しがって一緒になって道楽映画をやってたら、「お前何やっているんだ」
ということになって、会社を首になってますよ(笑)。スタッフも内緒で呼んだわけですからね。会社の誰も
知らなかったですよ。
(中略)
松本:(大映社長の)永田さんに叱られませんでした?
藤井:言われましたよ。「お前が今度やる時は俺にちゃんと言ってからにしろ」って。
松本:それだけで済んで良かったですね。
藤井:永田雅一は三島由紀夫の大ファンなんですよ。永田さんは学校もちゃんと出てないし、田中角栄とか
ああいうタイプなんです。(中略)二十八歳くらいで第一映画というのを作ってますが、今じゃ想像できないくらい、
才能というんですかね、それがあったんですよ。(中略)そういう永田雅一にしてみれば三島由紀夫は凄い存在。
若くしてデビューしてあれだけ売れまくった小説家というのは永田雅一にしてみれば天才だ。

藤井浩明「映画製作の現場から」より

540:名無しさん@3周年
11/08/18 22:59:49.78 IjSma7NX
藤井:だから、別の時ですけど、市川崑さんと僕がフランスへ合作の仕事で行くことになりましてね。三島さんが
講談社の榎本昌治さんと一緒に送りに来てくれたんですよ。その時永田雅一も羽田に来ていました。僕を送りに
来たんじゃないですよ。たまたま国内線で飛ぶために羽田へ来たんです。そうしたら三島さんがいるんで、僕に
向かって、「お前のために天下の三島由紀夫が来るわけがないだろう」って言って、「三島由紀夫が何故ここへ
来てくれたか、わかっているか?」って訊ねるんですよ。「社長、送りに来てくれたんです」って答えたら、
「お前を送りに来たんじゃなくて、お前が大映の人間だから来たんだ」って。
山中:嫉妬しているわけですね(笑)。
藤井:猛烈にやきもち焼いてる。「お前、誰に月給貰っているんだ」、「あなたに貰っている」、「俺が社長を
やっている大映にいるから、三島がお前を送りに来た。だから俺に感謝しろ」って。しょうがないから、
「どうもありがとうございました」って言った(笑)。三島さんは、よく永田雅一の真似をしては、まわりを
笑わせていました。

藤井浩明「映画製作の現場から」より

541:名無しさん@3周年
11/08/19 16:10:51.03 2x6Ue2kT
井上:『からっ風野郎』の時はいかがでしたか。
藤井:『からっ風野郎』の時は、講談社の榎本昌治さんが、僕に「三島の映画やらないか」と言ったんですよ。
「監督? 主演?」って訊ねたら、「馬鹿。主演だ」って言うから、「あ、そう? で、何やるの?」。そうしたら、
「何でも良い」って。(中略)
松本:映画は榎本さんの発想なんですか?
藤井:いやいや、三島さん。
松本:三島さんがそんなに望んでいたんですか?
藤井:ええ。
松本:日活の『不道徳教育講座』にちょっと出てますね。あれがきっかけですか?
藤井:いや、その前からですよ。
松本:何で三島さんは、そんなに望んでいたんでしょうね?
藤井:やっぱり映画に出たかったんじゃないですか(笑)。自分が監督するんじゃなくて、要するに、役者とか
俳優としてですね。
佐藤:その前に『鏡子の家』の映画化の話がありましたでしょう? 大映で。それがいつの間にか『からっ風野郎』の
主演の話になってきますね?

藤井浩明「映画製作の現場から」より

542:名無しさん@3周年
11/08/19 16:12:07.49 2x6Ue2kT
井上:『鏡子の家』を市川崑監督でやると、「スポーツニッポン」が報じてますね。
藤井:市川崑さんが『炎上』をやりましたでしょう。傑作だと思うんですけど、市川さんもあれから三島由紀夫に
注目するようになったんです。『鏡子の家』は、雑誌「声」に冒頭部分が載った時から目をつけていて、本に
なると同時に、市川さんに話しました。やる、と言ってくれたんで、永田雅一に、三島さんが書き下ろしの大作を
出したので、市川監督でどうですかと言ったら、それ以上何んにも聞かなくて、「乗った!」って言うんですよ。
会議できめなきゃいけないのに、もうそれで決まっちゃった。そんな時に、主演の話を榎本が持ってきたんですよ。
『鏡子の家』とは関係なく。つまり、三島由紀夫原作の映画化と、三島由紀夫というスターの主演映画が、運悪く
バッティングしてしまった。それで『鏡子の家』のほうが後回しになっちゃったんです。
井上:そういうシチュエーションがあったのですか。

藤井浩明「映画製作の現場から」より

543:名無しさん@3周年
11/08/19 16:13:35.53 2x6Ue2kT
松本:脚本はどうでした?
藤井:最初はね、「白坂依志夫でやろう」って言っていた。白坂は、『永すぎた春』でも脚本を書いたし、
三島さんともお互いとてもよく知っているんですよ。(中略)二人は話していて、「インテリをやりたくないん
だったら、じゃあ競馬の騎手をやろう」ってことになった。三島さんの体型って割と小柄だし、良かったんですよね。
それでね、「凄い名馬に乗る競馬の騎手が、八百長をやる話」に、三島さんも乗ったわけなんです。それで脚本を
作って、(中略)この時は重役も皆参加して本読みをやった。脚本を読むと、割とよく出来ていたんですよ。
八百長やって最後にカムバックするんですけど、ゴールインした時に死んでしまう話で三島さんにぴったり。
そしたら、永田雅一がですね、「お前何考えているんだ!」って怒り出したんですね。「俺を何だと思っているんだ。
俺は中央競馬の馬主会の会長だっ!」って。「中央競馬が八百長だって、そんなのは絶対できない!」って(笑)。
佐藤:でも、これ実現していたら良かったでしょうね。

藤井浩明「映画製作の現場から」より

544:名無しさん@3周年
11/08/19 16:16:38.11 2x6Ue2kT
井上:しかし、大映の他に日活とか松竹に話は?
藤井:三島さんは、仁義のかたい人だから、そんな軽々しいことはしませんよ。だけど、三島さんは映画のために
二ヶ月もスケジュールを空けているわけですからね。それで「弱かったなぁ」と思った。「とにかく考え直そう」と
いうことになって、フッと思いついたのが、菊島隆三さんが石原裕次郎に当てて書いた脚本があったんですよ。
僕は菊島隆三と親しかったから、すぐに電話して、(中略)「どこにも売ってないですね」って念をおしたら、
「売ってない」って。(中略)そして、菊島さんのところに三島さんとすっ飛んで行って、その場で読んだんですよ、
脚本を。三島さんは「やる! これでいきましょう。」って言った。これが原型なんですよ。それをまた
増村(監督)が直したわけです。三島さんは増村が言う通りにやって良かったわけですよ。(中略)二代目だけど、
気が弱くて、腕力がなくて、組の存続も危ぶまれる、気がいい男。そういう風に全部変えちゃったわけ。あれは、
やっぱり増村の凄いところですね。

藤井浩明「映画製作の現場から」より

545:名無しさん@3周年
11/08/20 14:25:52.02 XX1OpbdX
松本:だけど、『からっ風』の三島には、どこか借りてきた猫のようなところがありますね。
藤井:その点、『人斬り』は文句のつけようかないでしょう。
松本:そうですそうです。あの存在感は見事ですね。
藤井:もうぴったりです。一本やっているからキャリアが違うっていうかな(笑)。
山中:『人斬り』の時は藤井さんがマネージャーみたいなことをなさってたんですか?
藤井:勝新太郎がまだ大映にいて、(中略)僕はその頃企画部長やっていた。勝が僕にね、「ちょっと頼みが
あるんだけどさ、三島さんに出て貰えない?」とか言うんですよ。
松本:五社監督からじゃなかったんですね。
藤井:ええ。それで「何やるの?」って聞いたら、「人斬り新兵衛だ」って言った。僕はね、一発で出ると思った、
三島さんは。だけど、少し勿体つけなきゃいけない、マネージャーとしては。そこで「勝さん、それはわかんないよ」
と言った(笑)。(中略)で、三島さんに「こういう話が来ているんですけどね」と言ったら、「俺やるよ」って、
やっぱり一発で決まった。

藤井浩明「映画製作の現場から」より

546:名無しさん@3周年
11/08/20 14:26:20.18 XX1OpbdX
藤井:三島さんは、「この田中新兵衛なら絶対にやる!」って言うんですよ。で、勝さんに、「この間、話したら、
三島さんは、やっても良いと言っているけど」と伝えたら、「会わせてくれ」って。勝もとっても喜んで
くれました。(中略)
松本:三島さんは勝さんの演技に全面的に支えられている感じですね。それが見ていて、気持ちよかった。
藤井:そうですね。それで、(中略)京都の撮影所まで行く。そうしたらね、勝新太郎がね。京都駅のホームまで
迎えに来ているんですよ。で、自分の車で、自分の運転で、都ホテルへ送ってくれて、「それじゃ、三島さん
明朝何時に撮影所で」って言う。その時、「テープにもう入れてある」って言うんですよ。三島さんの台詞と
勝の受けの台詞と両方を。次の日に行って、僕がテープを聴きますとね、勝が一々全部フォローしてくれて
いるんですよ。「ここはこう言った方が良い」とか。
佐藤:三島は、勝新太郎に随分世話になったとか、面倒見てもらったとか書いていますけど、そういうこと
だったんですね。

藤井浩明「映画製作の現場から」より

547:名無しさん@3周年
11/08/20 14:29:53.13 XX1OpbdX
藤井:それで、セットに入って、宣伝用の撮影にかかったら、当時日本で一番有名なキャメラマンの宮川一夫さんがね、
ふらっと入ってきたんですよ。「あれ宮川さんどうしたの?」って言ったら、「三島さんと君が来ているというから、
俺、応援に来たんだ」って。それで天下の宮川さんが、三島さんのメイクをチェックしてくれるんです。すると、
スタッフの気持ちが全然違ってくるんですよ。宮川さんが三島由紀夫のためにここへ来てくれている。それは
異例のことです。それでいてね、三島さんっていう人は勉強家ですから、都ホテルに戻って「明日は撮影所に
十時」とか予定を確認するでしょ。そうするとね、荷物をポンと机の上に置く。原稿用紙と『椿説弓張月』の本です。
(中略)もう撮影所へ来たんだからそっちの方へ頭が行くのかと思うと、そうじゃないんですね。夜の何時頃からに
なると、『椿説弓張月』に取りかかる。その時は『人斬り』じゃないんですよ。そして、朝起きると、また
大スターになっているんです。

藤井浩明「映画製作の現場から」より

548:名無しさん@3周年
11/08/20 14:31:52.98 XX1OpbdX
井上:たとえば昭和四十四年の六月七日は京都で『人斬り』のラッシュを見てから、帝劇に駆けつけて
『癩王のテラス』の稽古はじめをして、翌日は楯の会の六月例会です。次の九日は楯の会の活動をやって、十日は
『椿説弓張月』のスタッフ会議、こういう感じですね。動き回っている。
佐藤:切り替えと集中力が凄いですね。
藤井:凄いですね。ちょっと真似できないですよ。
佐藤:それでどうなんですか、実物は。色んな人が書いてますけど、やっぱりあたりを払うような存在感がある?
藤井:それはあるんじゃないですか。
佐藤:そういうのと、映画の銀幕に乗るのとは関係があるんでしょうか? つまり、スターと呼ばれる人は、
もうそこにいるだけで、何かオーラを発していて、それが銀幕に自然に現われるものなんですかね?
藤井:やっぱりね、三島さんは大スターなんですよ。
佐藤:『人斬り』の宣伝写真で、仲代達矢、勝新太郎、石原裕次郎と四人で並ぶけど、負けてないですね。

藤井浩明「映画製作の現場から」より

549:名無しさん@3周年
11/08/20 16:03:24.41 9Aglusc6
難しいことを言わずして簡潔に言えばさ、

三島は脱米で独立自存で自力救済の共存共栄、ネトウヨは媚米で米国依存の他力本願の弱者は氏ね。

これでしょ。

550:倭人 ◆eKPWkfPmuI
11/08/20 16:07:59.76 vZl/A10D
チョンって寄生虫で、強姦殺人マニアなの?

551:日本義士
11/08/21 00:47:55.35 c64rfBhm
フジTVが絶対に触れない韓国人犯罪者リスト。(北朝鮮人は除く)

李昇一 「フジテレビ社員成りすまし少女140名強姦事件」2000年
宋治悦 職業不詳 「目白 ナイフで一人宅侵入19人強姦事件」2000年
織原城二(金聖鐘) 「ルーシーブラックマン事件」 2004年
金保(通名:永田保) 「聖神中央教会連続少女強姦事件」2005年
金山昇一 「カナヤマン少女連続強姦事件」 2005年
金允植 「大阪で200人強姦」 2007年
張今朝 「小学4年生を強姦」 2007年
李桐昊 留学生 「新宿、オートロックマンション尾行強姦 他3人」2007年
李正遠 「静岡浜松市、民家侵入し強盗強姦、5か月で8件」 2008年
文相勲 「愛媛マンダリンレイパーツ外野手が強姦」 2009年
ぺ・ソンテ 「女子小学生14人を強姦」 2009年
卞在昌 「国際福音キリスト教会連続強姦事件」  牧師 2009年逮捕
韓東翰(ハン・ドンハン)「韓国男が女性の顔を蹴り強盗」2009年
金平和 「大阪市女性2人キャリーバッグで拉致強姦」 2010年逮捕
呉紘希 「北区 路上ナイフ女子高生連続強盗強姦+パンツ窃盗事件」2011年6月
李泰成(通名:角岡,西本) 「MMEレコード韓国人経営者少女強姦事件」 2011年7月
竹田直季(通名) 「東灘区 女子大生 ナイフで公園で強姦2か月で2名」  2011年7月
(まだ公判がされてない韓国人犯罪者は、通名報道のままです。)

さらに2011年8月だけで次の韓国人が捕まった。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
・ソウ・ヨンソック24無職「女性を車で数百m引きずり殺そうとした在日韓国人逮捕」
・丹羽雄治(通名)「女子大生モデル強姦殺人事件」←フジはテコンドー看板をモザイク
・米田吉誉(通名)「被災地で偽医者。過去にはパイロット詐欺」 ←医師免許は韓国で偽造
・田村智(44無職)「RV車運転し、妊婦暴行し逮捕」北海道朝鮮初小中高級学校卒という情報(未確定)
・まだあるよね。8月だけでも。もう行数たりません ><

フジTVだけ、韓国人であることを隠して報道。その後の扱いも小さすぎる。


552:名無しさん@3周年
11/08/21 03:34:31.19 2f3Exczi
もしご存命なら防衛省あたりとケンカしてたかな。80代の今なら三宅氏みたいな感じだろーか( ̄◇ ̄*)

553:名無しさん@3周年
11/08/21 20:22:05.70 O8tatfWF
中曽根氏がまだ生きてるのを知ったらびっくりすると思う。

554:名無しさん@3周年
11/08/22 12:00:41.42 Iv+VP7B3
松本:『からっ風野郎』の時と全然違うんじゃないですか?(中略)
藤井:全然違いますね。やっぱり一本通して主役をやると、違ってきます。それに『人斬り』のようにゲストとして
出る場合は、気が楽なんです。おまけに五社英雄さんは、増村みたいにがんがん言わない、まっしぐらには
来ないんですよ。おだてあげておいて、「はい、じゃあこのシーン行きましょう!」と。三島さんがとっても
ハッピーになったところで、バーンとやる。切腹するところでもね、三島さんはね、ボディビルで鍛えてるから、
腹筋が動くんですよ。三島さんがこう動かすでしょ。すると、スタッフが「三島さん、もういっぺんやって!」
とか言うとね、喜んじゃって、また見せてくれるんです。もうリラックスしていて、それで撮影するわけですよ。
外へ出ると、今度は「三島さん、居合いをやってよ!」と勝が言うんです。すると本気でやるんですよ。うまいんです。
そうすると勝がね、「でも、あんまり強そうじゃないな」とか「手を切らなきゃいいけどな」なんて、からかう。
僕は心配して見ているんですけど、本当にうまいんですよ。

藤井浩明「映画製作の現場から」より

555:名無しさん@3周年
11/08/22 12:01:10.61 Iv+VP7B3
井上:三島は非常にご機嫌でしたね、『人斬り』のロケの時は。
藤井:それでね、五社さんが何かに書いてましたけど、名古屋かどこかにキャンペーンに行くんですよ、京都から。
佐藤:帰る時ですね。
藤井:三島さんは仕事で東京へ帰らなきゃいけない。五社さんや勝新太郎は名古屋でキャンペーンがある。で、
名古屋駅で三島さん一人を残して、「じゃあ」って別れて新幹線を降りた途端に、三島さんはこうスチールを
取り出して見るんですよ、嬉しそうな顔して。それをね、新幹線の窓の外から勝や五社が見ている。そういうところは、
何て言うんですかね、やっぱり大物なんですよ。僕らだったら、「あいつらがちょろちょろしていて見られたら
沽券にかかわるから、名古屋を発車して五分くらい経ってから見よう」なんて思いますよね。しかし三島さんは
すぐに見る。
井上:見たくなって、もう我慢できなくなって見ちゃう。
藤井:それが子供のように可愛く映ると、五社さんが書いている。

藤井浩明「映画製作の現場から」より

556:名無しさん@3周年
11/08/22 12:01:43.08 Iv+VP7B3
松本:三島さんとは映画についてどんな話をなさいましたか。例えば過去の良い映画として、三島さんは
どんなものを挙げてました?
藤井:あの人はね、限りなくひどい映画ばっかり話題にするんですよ。『大アマゾンの半魚人』だとかね。
山中:新東宝とかそういうのが好きでしたからね。
松本:晩年は東映のヤクザ映画。
井上:まあ、映画は趣味娯楽として面白いものに徹していたところがありますね。
藤井:でも、本当は『大アマゾンの半魚人』で満足しているような人じゃないです。
佐藤:映画の心理描写が嫌だっていうようなことを言いますよね。カメラワークや技術で人間の心理を見せようと
するのは嫌だとか、そんなことを言ってましたね。心理ではなくて、物として見せられるかどうかが勝負だって。
三島の『潮騒』のロケ随行記がありますでしょ。あれを見ると、こういうところから三島は始まっているんだ、
(中略)一本筋が通っているのは、映画は物としての人間を見せなければ駄目だというところですね。これは
変わらないなと思いましたね。

藤井浩明「映画製作の現場から」より

557:名無しさん@3周年
11/08/22 12:02:26.09 Iv+VP7B3
藤井:やっぱり基本的に言えば「映画は心理を語れない」っていうのが、よくわかっていたから。増村も同じことを
言ってますよ。
山中:増村監督もそう言いますか。勘所は通底しているんですね。
佐藤:やっぱり活字文化で育ってきた人の心理ってね、違うと思うんですよね。(中略)
井上:「映画は心理を語れない」という見方では、三島と増村には接点があったことになるでしょうか。さっき
佐藤さんが触れた藤井さんの文章で、増村の論文「原作小説とその映画化」から引用しています。「具象的な
音と画で表現できない主観的なものは、徹底的に客観的なものに転換しなければならない」。こうなんですね。
(中略)
佐藤:増村は大正十三年生れでしたね。
松本:三島と数ヶ月しか違わないわけか。だけど、『からっ風野郎』の撮影の現場では、時には刺々しいことが
あったようですね……。
藤井:刺々しいなんてものじゃないですよ。もう、罵詈雑言、凄いですよ。

藤井浩明「映画製作の現場から」より

558:名無しさん@3周年
11/08/22 12:07:51.66 Iv+VP7B3
井上:凄い罵詈雑言?
藤井:ええ。それで、増村は撮影が終わった時に言うんですけどね。僕は半分本当で半分嘘だと思うのですけど、
要するに、「俺は三島さんでやろうとお前が言うからやったんじゃないか。俺は三島と東大法学部の同級生だ。
やる以上は彼に迷惑をかけちゃいけない。世間から三島由紀夫が映画の主役をやったって笑われちゃいけない。
だから、叩かなきゃいけないんだ。その叩き方も、なまじじゃとても駄目だ。芝居にならない。同じことを何回も
何回もやらせて、その良いところだけを取って、それをつないでいかなきゃならない」って言うんですよ。(中略)
そうじゃなくても増村はかなりうるさいんですからね。「三島さん、何ですか! その芝居は!」って感じで。
「三島さん、あなたのその目はなんですか? 魚の腐ったような目をしないでください!」って酷いことを言う。
スターに言っちゃいけないようなことを、バンバン言う。皆、ハラハラするんですよ。
井上:若尾文子も、気の毒でとても三島由紀夫の顔を見ることができなかった。

藤井浩明「映画製作の現場から」より

559:名無しさん@3周年
11/08/22 12:08:19.17 Iv+VP7B3
藤井:若尾文子は、自分の出番がない時は、セットの隅で祈っていた。「このシーンが無事にいきますように」って。
だけど、やっぱり三島さんは偉かった。あれ、普通だったら喧嘩しますよ。
井上:そういう感じですね。
藤井:それくらいボロくそに言うんですから。「だったら俺はもう辞めた。勝手にやってくれよ」って言って
辞めればいい。だけど、三島さんは最後までやり通した。
佐藤:そうなると、三島由紀夫は『からっ風野郎』に出て、本当に良かったんですか?
藤井:いや、映画っていうのが良くわかったんじゃないですか? 凄い経験になったと思いますよ。
(中略)
佐藤:あれに出なかったら『憂国』はなかったとは思うのですよ。仮に藤井さんが話を持っていったとしても。
井上:そうですね。
藤井:やっぱり自分の好きなようにもういっぺんやってみたかったんですよ。それはわかりましたね、僕は。
三島さんも言わないけれども、『からっ風野郎』で味わおうと思って味わえなかったことを、『憂国』で自分の
好きなようにやろうとしたと思うんですよ。

藤井浩明「映画製作の現場から」より

560:名無しさん@3周年
11/08/23 14:31:09.41 sSHayI5d
松本:『からっ風』のロケで頭を打って病院に入った時、「増村を殴って来てくれ!」って言っていたとか?
藤井:それはね、半分本気半分ふざけてそう言ったんですよ。そこらへんはもうゆとりが出て来ていたんです、
最後のシーンですから。
佐藤:でも、あれだって一週間ぐらい入院してましたでしょう? 一週間目くらいには結果がわかっているから
いいようなものの、一日目、二日目って、もう頭の中どうなっちゃっているんだろうって不安だったでしょうね。
これにはムカッともするし、とんでもないことになっちゃったみたいなことにもなったでしょう。(中略)
藤井:(中略)もろに頭を打ったわけですからね、バーンと。
井上:その瞬間は?
藤井:見ましたよ。あれは神山繁っていう文学座の役者が殺し屋で出ているんですが、「三島さんね、もっと
バーンと派手に倒れなきゃ駄目だよ」とか余計なことを言うものだから、三島さんも、「そうかな」なんて思って
バーンと倒れた。
松本:三島ってひとは素直だなあ。

藤井浩明「映画製作の現場から」より

561:名無しさん@3周年
11/08/23 14:31:48.01 sSHayI5d
藤井:それで神山にね、僕は大分後に言ったことがあるんですよ。「あんたが余計なことを言うから」、「いや、
俺はあそこまでやるとは思わなかったから」って。
井上:実際はどのような感じだったんですか?
藤井:神山が三島さんを拳銃で、ダンと撃つ。
井上:それでエスカレーターへ倒れたんですね。
藤井:ええ。当然バーンと倒れました。エスカレーターが上がっていくから、三島さんは逆さまになって上へ
運ばれていく。本当は撮影ももっとうまくやれば良かったんですけれども。でも、あんなに派手にバーンといくとは
思わなかった。エスカレーターの段の角のぎざぎざがあるでしょ。それにバーンと頭を打ちつけた。よくあれで
済んだものですよ。僕は病院へ行ってね、「三島さんすみませんでした」とかなんとか言ったけど、黙ってましたよ。
割とムスッとしてました。
井上:不安だったんじゃないんですか?
佐藤:不安だったろうと思いますよ。

藤井浩明「映画製作の現場から」より

562:名無しさん@3周年
11/08/23 14:32:30.03 sSHayI5d
藤井:でもまぁ、冗談も出たんでもう大丈夫と思いましたが……。
山中:撮り直しの時は怖かったでしょうね。
藤井:その時は万全な体制。で、永田雅一がそれはもう、三島さんのために現場に来たわけですから。スタッフも
ピリピリしていましたよ。二度とやっちゃいけないから。神山ももう何も言わない。三島さんも真剣っていうか
真面目なんですね。そうじゃなきゃ普通二度とやらないですよ。
松本:そういうところまで責任を貫くんですね。
藤井:映画が完成してから、三島邸に増村や僕たちが招待されたんです。その時、三島さんのお父さんが増村に
お礼を言ったんです。「下手な役者をあそこまできちんと使って頂いて」って。増村は驚いてました。けがを
させて申し訳ないと思っていたのに。帰り道、「明治生まれの男は偉い」と、お父さんをほめていましたよ。
お父さんは増村の一高の先輩なんです。

藤井浩明「映画製作の現場から」より

563:名無しさん@3周年
11/08/23 14:33:17.49 sSHayI5d
松本:最後に、(中略)十一月二十五日をどういうふうに受け取られたか、そこをお聞きしておかないと。
藤井:(中略)十一月二十一日、夜中に帰宅したら、三島さんから「今夜どうしても電話欲しい」っていう伝言が
あった。「いくら遅くてもいいからかけてくれ」って。僕は、あの人は夜中から朝まで仕事をするって聞いて
ましたから、余程大事な用があるんじゃないかと思って電話入れたんですよ。『憂国』の話をまた始めたんです。
この間トリノでやった日本映画のシンポジウムで『憂国』が凄く評判が良かったらしいって前に僕が言って
いたものですから。そしたら、その話をもうちょっと聞かせてくれって。僕もあんまり詳しく聞いていないので、
「映画評論家で立ち会った人がいるから、その人にもうちょっと詳しく聞いておきます」て言ったんですよ。
「悪いけどそうしてくれ」って言うんです。「連休明けにその人に聞いてまた連絡します」って答えたら、
「そうして欲しい。じゃあ」って。

藤井浩明「映画製作の現場から」より

564:名無しさん@3周年
11/08/23 14:34:10.21 sSHayI5d
藤井:でね、あの人は話が終われば「じゃあお願いしますねっ!」ってすぐ切る方です。忙しいですから。
でも、その時に限って電話を切らないんですよ。僕は勘がいいほうじゃないから、「じゃあ調べときます」って
また言って、切ろうとしたら三島さんが切らない。それで一時の間ができてね。それで、「じゃあ」って
もういっぺん言うわけですよ。そうしたら「さようなら」と言うんです。二回くらい言いましたかね。で、
電話切ってから「今夜はおかしいな」って思った。あんなに歯切れのよい人が今夜に限って、電話をなかなか
切らなくて。でも一瞬ですからね。不思議な気が直感的にしただけで、何にもわからなかったです。どうして
「さようなら」って言ったんだろう。それはおかしいなって思うけれども、疑いもしませんでしたよ。
三島さんとわたしは、映画を通じて結びつき、長くお付き合いをして頂いたのですが、映画『憂国』が最後の
会話となってしまいました。

藤井浩明「映画製作の現場から」より

565:名無しさん@3周年
11/08/23 14:36:46.89 4+wsAGZ1
つまらんかった。低学歴には読み切れない

566:名無しさん@3周年
11/08/31 23:53:20.49 fYFQbL9b
徳岡:ここに三島さんに貸した本があります。バンコックでね。
山中(司会):『和漢朗詠集』ですね。
(中略)
井上(司会):三島さんにお会いになったのは、偶然なんですか。
徳岡:いやあ、バンコックに来るなんて知りませんでしたから。
井上:その『和漢朗詠集』を貸したのは……。
徳岡:三島さん退屈してましたから。三島さんもインドからの帰り道で、インドについては私と全く意見が
違いまして(笑)。僕はあんなとこ地上最低の国だと。(中略)三島さんはそんなことはないって。
(中略)インド人が古いものを守っているということは何事かだって言うんです。インドに向かって、早く
日本のようになれと言うのは全く見当違いだと言うんです。
井上:ガンジーのことなんかしきりに言っている時期がありましたね。
徳岡:あのガンジーの話もしたでしょうけれども、インディラ・ガンジー、あの当時の首相とも会っているんですよ、
三島さんは。だから『暁の寺』にはやっぱり、インドが入ってきて……。

徳岡孝夫「バンコックから市ヶ谷まで」より

567:名無しさん@3周年
11/08/31 23:54:44.38 fYFQbL9b
徳岡:(三島全集に)僕と三島さんとのバンコックでの対談というかインタビューが入ってます。三島さんは
おそらくノーベル賞とるだろうから、取ったらこれ載せたろ、思ってね、「三島さん、暇でしょ? インタビュー
でもしましょ」って言うたら、「やろう」って、ホテルの庭でやったんですよ。
山中:「インドの印象」ですね。(中略)
徳岡さんがインドをお嫌いだから、話が盛り上がっていて。
徳岡:そうそう。三島さんを挑発した(笑)。エラワンホテルの庭でやったんですよね。あれは可笑しかった。
三島さんもう真面目になってね、そういう考えの人はダメだって言うんですよ。
松本(司会):その姿勢が切腹にまで貫いててる……。
徳岡:そう。
井上:徳岡さんは、エラワンホテルに泊まってらしたんですか。
徳岡:いや、そうじゃない。私はまだ家族が来てませんでしたので、単身赴任の日本人が何人か泊まってるとこに
いました。
井上:バンコックで初めて三島を見かけたのもそのホテルのテラスで……。

徳岡孝夫「バンコックから市ヶ谷まで」より

568:名無しさん@3周年
11/08/31 23:56:07.32 fYFQbL9b
徳岡:テラスじゃなくて、ステーキ・ハウス。三島さんはアメリカ人のデッかい男と話していた。
井上:それはもうかなり真面目に……。
徳岡:アホかと思うた、三島さん一生懸命。相手はね野球帽被ってね、Tシャツや。こんな太ったアメリカ人。
ちょっと知ってたんですね、三島という名前を。そうだ、その頃「ライフ」に載ったんですもん。「ライフ」の
影響力って今じゃちょっと想像出来ないでしょう。だからね、日本の自衛隊のこと言ったんでしょう。ほんなら
三島さん、一生懸命に説明する。英語はうまかった。
井上:うまかったですか。
徳岡:うまかったよね。それで一生懸命説明する。アホかと思うて、アメリカ人の後に寄って、三島さん行こ行こと
言うたんですけどね、三島さん、ステーキ食ってる相手に、演説するんですよ。過剰なほど真面目なところがある。
観光客やからいい加減にごまかしておくという態度じゃあなかった。
井上:テンションが凄かったんでしょうか?
徳岡:テンションというんじゃない。静かではあったけど、生真面目。

徳岡孝夫「バンコックから市ヶ谷まで」より


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