ネトウヨってホモ右翼の三島由紀夫を崇拝してるの?at SEIJI
ネトウヨってホモ右翼の三島由紀夫を崇拝してるの? - 暇つぶし2ch400:名無しさん@3周年
11/04/25 16:49:47.68 AAkbwK+p
(和歌には)作者名が表記してなくても、「読み人知らず」の歌は、日本人の心に広く支持されている。
「三島由紀夫」というペンネームは、ある意味での「読み人知らず」である。(中略)
『花ざかりの森』が掲載された『文芸文化』昭和十六年九月号は、文学者「三島由紀夫」の誕生した記念号であるが、
その号で蓮田善明は、新人作家・三島由紀夫の可能性を信じ、「悠久な日本の歴史の請し子」と絶賛している。
「請し子」は、通常は「申し子」と書く。「申し子」は「授かり子」とも言い、神仏の化身として、人間界に
出現した貴種のことである。三島由紀夫は、「日本の歴史」と「日本の文化」のスピリットが、仮に人間の姿をして
生まれてきた天才、とされたのである。これを私の問題意識に引き付ければ、三島の書く文章や三島の語る言葉が、
日本の歴史と文化の普遍性を体現した「読み人知らず」の言葉である、ということになる。

島内景二「豊饒の海へ注ぐ 三島由紀夫」より

401:名無しさん@3周年
11/04/25 16:50:23.13 AAkbwK+p
(中略)
三島は平安文学のエッセンスである『古今和歌集』と『源氏物語』の森の奥へと分け入ってゆく。三島にとって、
和歌や物語は、単に優雅な文化ではなかった。醜悪な現実と戦い、勝利するための最強の武器が、和歌だった
のである。つまり、和歌は「文武両道」のシンボルだった。(中略)
和歌には、天の神や地の神を動かし、歌人の願いを実現するだけの力がある。和歌には、どんな強敵でも退散させ、
歌人の大切な世界を守るだけの力がある。和歌には、好きな人の心を引き付け、歌人の恋愛を成就させるだけの
力がある。和歌には、優雅な「もののあはれ」とは別次元の、「切った張った」の命のやり取りをしている武士の
心を和ませるだけの力がある。
この和歌の道のヒエラルキーの頂点に立つのが、天皇である。天皇は、『古今和歌集』から始まる「勅撰和歌集」の
撰者を命じる立場にある。日本が「和国」と呼ばれるのは、「和歌」の精神に支えられているからだという説がある。

島内景二「豊饒の海へ注ぐ 三島由紀夫」より

402:名無しさん@3周年
11/04/25 16:50:42.53 AAkbwK+p
(中略)
国難に遭遇するたびに、南北朝期の南朝方や、幕末期の勤王の志士たちは、「愛国歌」を高唱した。三島由紀夫も
また、そのような愛国的な和歌を好んでいた。ところが太平洋戦争の末期、日本文化が欧米文化との戦いで劣勢に
なった時、日本人は『愛国百人一首』の和歌を必死に唱えたが、「神風」は吹かなかった。日本は敗れ、
昭和二十年八月十五日に無条件降伏した。
これは、「和歌の敗北」であった。日本文化が敗北したのであり、日本文化の申し子である三島由紀夫の世界観も
また、一敗地に塗れた。
なぜ、神風は吹かなかったのか。それは、和歌が無力だからなのか。あるいは、紀貫之が「力をも入れずして
天神地祇を動かし」と宣言した意味を、その後の日本人が読み間違えて、和歌の力を過大に錯覚したからなのか。
それとも、和歌文化の頂点に立つ天皇の資質の問題なのか。ここに、三島が戦後日本にとっての「天皇」の意味を
問い続けた根本的な理由がある。

島内景二「豊饒の海へ注ぐ 三島由紀夫」より

403:名無しさん@3周年
11/04/25 20:53:22.90 DN9ezCgq
尻に入れてから抜くとうんちがくっついてくるのかよ?臭いなあ、ホモって。

404:名無しさん@3周年
11/04/26 06:26:45.55 GiaGjHJs
あ?
ケツにシャワーのホース突っ込んで洗浄してからやるに決まってんだろ
これだからバカサヨわw

405:名無しさん@3周年
11/04/26 06:55:12.01 PuRGzZMF
忘れていたよ過去に居たね
時代遅れの割腹自殺した親父が居た居た。
其れもサラリマン自衛隊幹部が居る所で
アホ右翼だよね  何も成らずじまいで終わり.惨め

406:名無しさん@3周年
11/04/26 10:31:35.99 jTlHo7cx
「(三島由紀夫の)絶えず真剣に生きることを望み、『にせものの平和、にせものの安息』(「白蟻の巣」)を
軽視する姿勢は、今となってみれば、だらだらと生きるわれわれへの痛烈な批判となっている。現代の日本人の
ありようを予見していた天才だったと思う。」
なかにし礼


「三島さんのあの『行動』を基準点として、そこからの距離をはかりながら考へるのが習ひ性となつてゐます。」
長谷川三千子


「戦後教育で『人の生き方』だけを教わり、『死に方』を教わらなかった。衝撃でした。
身の処し方、諫死の是非、日本人の責任のとり方、等々あれこれ考えさせられました。今は当時以上に、強く
考えます。」
出久根達郎


「七〇年までは、激しいものこそが美しかった。音楽、絵画、文学、演劇、映画、そして人間の生き方も。
三島由紀夫氏の死は過激が美しかった時代の最後の花だったな、と今になって思います。」
佐佐木幸綱

雑誌「諸君!」三島由紀夫特集アンケートより

407:名無しさん@3周年
11/04/26 10:33:17.43 jTlHo7cx
あかい一本の道のはて
君のなかのふかい歎きが
君のなかのふかい悲しみが
その肉体を一挙に運び去った
けはしく光る雲のした
あかい一本の道のはて
われらはみな愛した
責務と永訣の時を
歴史の不如意に足摺した君よ
装いをあらためて君は
虹の門から過ぎていった
君の英霊は鶴となって
故国の秋の天を翔ける

浅野晃「哭三島由紀夫」より

408:名無しさん@3周年
11/04/26 19:03:34.65 B36cTQzj
そっかあ、ケツの穴にホース突っ込んで洗ってからチンポコ入れるのかあ。
だからウンチはくっついて来ないのだ。いやあ、さすがに日本浪漫派、
ロマンチックだなあ。宝塚みたい。

409:名無しさん@3周年
11/05/01 12:46:00.76 +O40hytE
>>402続き
(中略)
ところで(兵庫県)印南郡の平岡家には、かつて「しおや」(塩屋)という屋号があった。松本健一は、
「塩焼き人夫」「漁夫」としての出目を三島が持っていた事実に着目している。(中略)
三島には、漁師や魚売りを主人公とする作品がいくつかある。『潮騒』の新治、そして『鰯売恋曳網』の
鰯売である猿源氏。彼らは、「魚」だけでなく、「理想の恋」をも釣り上げようとする。新治は富裕な船主の娘を、
猿源氏は都で一番の傾城(遊女)を。「卑賎の男が高嶺の花に恋をする」という発想の形式は、漁師という身分を
離れると、三島の『近代能楽集』の一編『綾鼓』のようなストーリーになる。
世間に多いのは、貧しい女性が高貴な男性の奥方に収まる「玉の輿」のストーリーである。三島が描いたのは、
「逆・玉の輿」のパターンである。『午後の曳航』などの「船員」という職業も、「漁師」の現代的な変型だと言える。

島内景二「豊饒の海へ注ぐ 三島由紀夫」より

410:名無しさん@3周年
11/05/01 12:46:55.71 +O40hytE
三島は、男の「成り上がり」という通俗文学のストーリーを踏襲することで、何を描きたかったのか。おそらく、
人間が神という存在に、少しでも近づきたいと憧れる気持ちを、「身分違いの恋に苦しむ男性」に託したのでは
なかったか。
その一方で、上流社会から賎しい職業として低く見られがちな「人夫」や「汚穢屋(糞尿汲取人)」への特別の
関心が、三島にはあった。(中略)
人間が、神の高みにまで昇ろうとする憧れ。それは、不可能であるがゆえに、いっそう強く掻き立てられる。
不可能への挑戦。大きな壁があるから、それに挑戦しようとする情念が高まる。絶対の不如意に直面した絶望感と、
その壁に挑む不退転の覚悟。これがロマン主義者の信条である。
そして、自分の持って生まれた「賎しい身分」という実存状況を変えることのできなかった人間たちのあがき、
苦しみ、絶望にも、三島は強い関心を抱く。神という至高の視点から見下ろせば、華族も富豪も、所詮は汚穢屋と
似たり寄ったりである。高みから見下ろされている喜び。見られていることの快楽。それが、三島に「人生を
演じる」ことの恍惚を教えてくれた。

島内景二「豊饒の海へ注ぐ 三島由紀夫」より

411:名無しさん@3周年
11/05/01 12:47:22.38 +O40hytE
(中略)
永井尚志(1816~91)は、三河奥殿藩主の子で、旗本の永井家を継いだ。勝海舟と並ぶ江戸幕府の海軍の創設者の
一人で、長崎海軍伝習所の初代長官も勤めた。(中略)
つまり、三島の祖母の祖父である永井尚志は、「海の男」だった。三島由紀夫は、生涯「カナヅチ」で、まったく
泳げなかったと言われる。にもかかわらず「海」に憧れる男たちを描き上げた。「船」や「帆」は、三島文学の
キーワードである。泳げないという「壁=不如意」があるから、かえって「海」が輝かしく理想化されるのだ。
(中略)
『潮騒』のクライマックスで、新治は台風の中、大荒れの海に飛び込み、船の命綱を浮標につなぐことに成功する。
この迫真の水泳シーンを、カナヅチの三島がなぜ描くことができたか。そこに、三島文学の本質がある。現在の
自分が泳げないからこそ、そして永遠に自分が泳げないであろうことが確実だからこそ、「泳ぐ」という行為を
激しく理想化し、恋しているのだ。それが、三島のロマンティシズムであり、創造力の源泉である。

島内景二「豊饒の海へ注ぐ 三島由紀夫」より

412:名無しさん@3周年
11/05/01 12:51:14.72 +O40hytE
(中略)
お伽噺を読む三島少年の膨張する「想像力」が、突然に創作熱という「創造力」へと変容する一瞬の奇跡が、
『仮面の告白』では語られている。(中略)
三島少年の夢を育み、後年の小説家としての創造力の基盤となったのが、これらのお伽噺の数々だった。中でも、
『黒い騎士』だった。死んでも死んでも、魔法のダイヤモンドの力で生きかえる王子様。それを独自の読書方法の
発明と実践によって殺すことに成功した三島少年。三島文学を愛読している読者ならば、はっと気づくだろう。
三島のライフワークとなった「豊饒の海」シリーズのテーマである「輪廻転生」は、この「七度死んで生まれ
変わる王子」を母胎としているという、まぎれもない事実に。
(中略)
驚くべきことに三島少年は、七回も「輪廻転生」を繰り返す「不死の若者」に、自ら「創造力」を武器として
切りかかり、彼に見事な「死」を与えることに成功した。それが、「省略」という読書法の発明だった。この時、
三島は後に小説家になるのに必要な「創造力」という刀を、手に入れた。

島内景二「豊饒の海へ注ぐ 三島由紀夫」より

413:名無しさん@3周年
11/05/02 11:50:48.47 7ARwCIlu
(中略)
『仮面の告白』の結末は、「私」と園子の別離だった。この結果を残念に思うのは、私だけだろうか。(中略)
それにしても彼女は、なぜ「草野」であり、「園子」なのだろう。まず気づくのは、三島が好んだ和歌の世界では、
「草」と「園」が「縁語」であるという事実である。なおかつ、三島が好んだ『源氏物語』には末摘花という女性が
登場し、異彩を放っていることである。末摘花は、亡き父親を心から崇拝し、草が茫々に生い茂る蓬生の宿で、
心静かに暮らしている。「園子」は、三島にとって末摘花であり、彼女の亡父(常陸の宮)が「三谷隆正」なの
だろう。むろん、三島の分身である「私」は、光源氏である。(中略)
もう一つ、考えられるのは、『旧約聖書』の「雅歌」である。(中略)
三谷隆正がキリスト教精神の体現者だから、その姪である女性には、『旧約聖書』の「雅歌」を思わせるような
名前(草野園子)が与えられたのではなかったか。
ちなみに、「鹿」と「園(苑)」が組み合わさっているものに、釈迦が悟りを開いた「鹿野園(鹿野苑)」がある。

島内景二「豊饒の海へ注ぐ 三島由紀夫」より

414:名無しさん@3周年
11/05/02 11:51:13.59 7ARwCIlu
(中略)
「私」は園子の純粋さを前にして、「自分がその美しい魂を抱きしめる資格のない人間であること」に苦悩する。
これは、園子の背後に、三谷隆正、さらにはキリスト教が存在しているからである。「私」は、「この年になって、
あやめもわかぬ十九の少女との初恋に手こづつてゐる」ありさまである。
「あやめもわかぬ」は、『古今和歌集』読み人知らずの、

ほととぎす鳴くや皐月のあやめ草あやめも知らぬ恋もするかな

という和歌を踏まえた表現である。三島は、『古今和歌集』を心の底から愛していた。「力をも入れずして
天神地祇を動かし」という有名な仮名序だけでなく、和歌の一首一首を暗記するほどに愛誦していた。すなわち、
三島の分身である「私」は、和歌に代表される「日本精神」の申し子である。理性ではなく、情念の世界に
生きている。「私」と「園子」の愛がもし成立すれば、生ける三島由紀夫と死せる三谷隆正の師弟関係が取り結ばれ、
日本文化と西欧文化とが一つに繋ぎ合わされたはずだ。

島内景二「豊饒の海へ注ぐ 三島由紀夫」より

415:名無しさん@3周年
11/05/02 11:51:36.87 7ARwCIlu
(中略)
三島由紀夫は、昭和四十二年以来、何度も自衛隊に体験入隊した。(中略)三島の短編小説『蘭陵王』には、
兵舎での暮らしぶりが、次のように書かれている。

部屋におちつくと、私はここへ来てはじめてきく虫の音が、窓外の闇に起るのを知つた。何一つ装飾のない
この部屋が私の気に入つてゐた。
一つの机、一つの鉄のベッド、壁に掛けられてゐるのは、雨衣と、迷彩服と、鉄帽と、水筒と、……余計なものは
何一つなかつた。開け放たれた窓のむかうには、営庭の闇の彼方に、富士の裾野がひろがつてゐるのが感じられる。
存在は密度を以て、息をひそめて、真黒に、この兵舎の灯を取り囲んでゐる。永年欲してゐた荒々しくて
簡素な生活は、今私の物である。

(中略)それにしても、この自衛隊での暮らしぶりは、中世の遁世者たちや芭蕉が求めた「草庵」での心静かな
生活そのものではないか。

島内景二「豊饒の海へ注ぐ 三島由紀夫」より

416:名無しさん@3周年
11/05/02 11:51:59.97 7ARwCIlu
文壇で忙しく活躍する三島にとって、「体験入隊」は、一種の「出家」だったのだろう。体験入隊が終わると、
再び三島は都会と文壇の喧操の中へ戻ってくる。言わば、「還俗」である。
三島由紀夫は、擬似的な出家と還俗を繰り返しているうちに、少しずつ現実生活を出家生活へ近づけようと
し始める。正式な出家をしたわけではないが、仏教に心を深く染めている男を、「優婆塞」という。三島は、
自衛隊での「草庵」暮らしに憧れるあまりに、優婆塞としての生活を自分に課すようになる。それが、楯の会での
活動となった。
自衛隊にせよ、楯の会にせよ、集団の規律を重んじるだけの団体ではなかった。三島にとっては、「理性の草庵」を
求める精神活動の一環だったのである。

島内景二「豊饒の海へ注ぐ 三島由紀夫」より

417:名無しさん@3周年
11/05/04 10:41:56.70 Q1foRjZZ
(中略)
天皇を恋し、天皇を信じて決起し、裏切られて死んだ(あるいは死んだ後で裏切られたことを知った)英霊たちの
鎮まらぬ怒りを、三島由紀夫は綿々と語る。下賎な男が高貴な姫君を愛して跪くように、あるいは、女が絶世の
美男子を愛するように、「武士=兵士」たちは「天皇」という存在に恋い焦がれた。
謡曲『葵上』と対応させながら説明すると、「光源氏=天皇」は、人間を越えた存在であり、「六条の御息所=
兵士たち」からは、自分の救済者であってほしいと期待された。だが、光源氏が所詮は「観音の化身」ではなく
「凡夫」だったように、天皇もまた「現人神」たりえなかった。
『英霊の声』の結末は、何とも衝撃的である。二・二六事件と神風特攻隊の英霊たちに、長時間打ち据えられた
「川崎君」は命を失う。その死顔は、「川崎君の顔ではない、何物とも知れぬと云はうか、何物かのあいまいな
顔に変容」していた。三島の『英霊の声』創作ノートには、「霊媒死す。天皇の化身」とある。

島内景二「豊饒の海へ注ぐ 三島由紀夫」より

418:名無しさん@3周年
11/05/04 10:42:21.23 Q1foRjZZ
この創作意図を、どう解釈すべきだろうか。六条の御息所は、光源氏に裏切られた。だが彼女は光源氏を憎みつつも、
それ以上に深く愛しているので、その憎しみの発散は光源氏本人へと向かわない。それは、彼女が絶対に
なしえないことである。そこで六条の御息所の怒りは、葵上へと向かい、激しい「後妻打ち」となった。
英霊たちは、生前にあまりにも深く、天皇に恋い焦がれていた。いわゆる「恋闕の情」(「闕」は皇居の門と
いう意味)である。だから、たとえ自分たちの真心が天皇に届いていなかったことがわかり、天皇に裏切られたと
頭でわかっていても、そして「などてすめろぎは人間となりたまひし」という恨みを口にしても、天皇に対し
奉りて、何らかの抗議行動を起こすことはありえない。そんな行動に走れば、かつて天皇を恋し、心から天皇を
信じた(今も信じたいと思っている)自分自身を否定することになるからだ。だから「川崎君」という「天皇の
身代わり」が、どうしても必要だった。
ここに、三島由紀夫の創設した会が「楯の会」と命名された真の理由があるのではないか。

島内景二「豊饒の海へ注ぐ 三島由紀夫」より

419:名無しさん@3周年
11/05/04 10:42:53.42 Q1foRjZZ
「醜の御楯」は、天皇のために楯となって天皇を守り、朝敵(外敵)と戦う勇敢な兵士、という意味だけではない。
「楯の会」は、非業の死を遂げた、無数の英霊たちの鎮まらぬ天皇御自身への怒りを、天皇の身代わりとなって
一身に引き受けるために作られた組織なのかもしれない。
戦後日本は、昭和元禄という偽りの繁栄にうつつを抜かし、精神性よりも「金銭」と「物質的幸福」だけが
物を言う世の中に成り下がった。そうなると、「神国」を護るために尊い命を捨てた無数の英霊たちの憤怒は、
行き場を失う。このまま放置すれば、その怒りが天皇本人へと向かいかねない。
だから『英霊の声』では、「川崎君」が天皇の代わりに死んでいった。『朱雀家の滅亡』では、天皇の代わりに、
朱雀家の人々がいち早く滅びた。天皇の滅亡を少しでも遅らせる「楯」として、朱雀侯爵は自らの一族の滅亡を
受け容れた。朱雀侯爵の魂が、既に滅びているにもかかわらず、肉体が延命すればするほど、彼の存在が
「防波堤=醜の御楯」となって、天皇が護られる。

島内景二「豊饒の海へ注ぐ 三島由紀夫」より

420:名無しさん@3周年
11/05/04 10:43:17.23 Q1foRjZZ
そのように三島由紀夫は、「天皇」あるいは「天皇制」の「醜の御楯」として、英霊たちの怒りを引き受ける
役割を果たそうとした。英霊の怒りが理解できるから、その怒りを我が身に引き受けようというのだ。
「川崎君」の死顔が天皇の顔に近づいたように、「天皇のために死ぬ」ことは「天皇として死ぬ」ことと同じである。
三島が「天皇陛下万歳」を三唱して自決した瞬間、彼は願った通りに、「天皇」の心を我がものとすることに
成功しただろうか。
三島由紀夫は、自決後も怒れる「英霊」とはならない。そうではなく、天皇と一体化し天皇と共に戦い、恍惚として
死を迎えたに違いない。朱雀侯爵が、従容として生きながら滅んでいったのと同じように。三島は「英霊」ではなく、
「神」となることを目指したのだ。三島の霊は、祟らない。
自決直後の新聞や写真誌の中には、三島の頭部の写真を掲載したものがあった。それを見た日本人の衝撃は、
一生消えないだろう。(中略)「(三島の顔ではない)何物とも知れぬと云はうか、何物かのあいまいな顔」に
変容していたかどうか。

島内景二「豊饒の海へ注ぐ 三島由紀夫」より

421:名無しさん@3周年
11/05/04 11:14:41.13 hvu6Wm4p
386 名前:名無しさん@ゴーゴーゴーゴー![] 投稿日:2011/01/29(土) 16:54:29 ID:1T2tqOE20
在日朝鮮人の方々は、速やかに朝鮮半島にお帰り下さい。

日本列島は日本国籍を有する我々日本人の土地であって、
あなた方在日朝鮮人のものではありません。

387 名前:名無しさん@ゴーゴーゴーゴー![] 投稿日:2011/01/29(土) 16:58:01 ID:1T2tqOE20 
仏で「移民犯罪」対策を強化へ 人権団体など猛反発
URLリンク(www.47news.jp)
「多文化主義は完全に失敗」 メルケル独首相が発言
URLリンク(www.cnn.co.jp)
スイス、外国人犯罪者を追放へ 生活保護の不正受給も対象
URLリンク(www.afpbb.com)
【ロシア】「中国移民が多すぎる!」 モスクワ市長、担当局長を叱責
URLリンク(www.recordchina.co.jp)
スウェーデン、「反移民」の右翼政党勢い 19日総選挙
URLリンク(www.asahi.com)
オーストリアの移民排除法案、可決
URLリンク(matinoakari.net)
オランダの悲劇―多文化共生がもたらしたもの
URLリンク(www.youtube.com)
イスラム系移民の増大で、文明の衝突に揺らぐベルギー
URLリンク(omoroid.blog103.fc2.com)
デンマーク、祖国引き揚げの移民に奨励金10万クローネ(180万円)支給を決定
URLリンク(omoroid.blog103.fc2.com)
「反オバマ」初の全米集会 保守派ティーパーティー
URLリンク(sankei.jp.msn.com)
野党3分の2を確保して圧勝 極右も躍進 ハンガリー
URLリンク(www.timesonline.co.uk)
長いので略

はいど~ぞ。

422:名無しさん@3周年
11/05/04 11:15:47.24 hvu6Wm4p
388 名前:名無しさん@ゴーゴーゴーゴー![] 投稿日:2011/01/29(土) 16:59:07 ID:1T2tqOE20
自称専門家も自称学者も自称ジャーナリストも
>>387を見ろwwwwww

さっさと責任を取れwwwwww

394 名前:名無しさん@ゴーゴーゴーゴー![] 投稿日:2011/01/29(土) 17:08:32 ID:1T2tqOE20
されたいっていうか萌えたこと
18(DKじゃないよ)のコとハメハメしてたんだが、正常位で挿入中に、「チューして♪」て甘えられた
「気持ちいい~ もっと、もっと」って。
でも正直興奮しすぎて既に中出ししちゃってて、中折れしたんだよね
上目遣いで手こきしてくれて「おっきくなんないや・・・」ってスネるから
指マンしながらフェラしたが、なかなか行かない。
もう一度挿入したいのに元気にならない愚息www
指二本入れてグリグリして、バキュームフェラしてなんとかご放精w
すごく良かったけどめちゃくちゃ疲れた。
そろそろバイアグラか?と思うオサーンのオレであった。


400 名前:名無しさん@ゴーゴーゴーゴー![sage] 投稿日:2011/01/29(土) 18:09:13 ID:1T2tqOE20
>>394は偶然IDが一緒なだけで他人

URLリンク(hissi.org)

423:名無しさん@3周年
11/05/04 12:44:48.57 0YIwH8GO
>>347
自衛隊員に飯の時間を邪魔すんなカス
と罵られて終了だったけどな。在特会みたいなのと一緒。

424:名無しさん@3周年
11/05/06 12:06:42.49 8Rl24bXS
(中略)
『文芸文化』の同人の筆頭格は、蓮田善明。彼は終戦直後の昭和二十年八月十九日、マレー半島の最南端
ジョホールバルでピストル自殺した。翌昭和二十一年の十一月十七日に、成城大学素心寮で「蓮田善明を偲ぶ会」が
催され、出席した三島は一編の「詩」を献じた。(中略)

古代の雲を愛でし
君はその身に古代
を現じて雲隠れ玉
ひしに われ近代
に遺されて空しく
靉靆の雪を慕ひ
その身は漠々たる
塵土に埋れんとす

   三島由紀夫

この「詩」を読んで、しみじみ思う。「古代」を「近代」に復活させるのが、三島の「天命」であったことを。
現代人でありながら、蓮田善明は古代精神を具現していた。だから終戦直後、スサノオの「荒魂」そのままに、
天皇に対して不敬な発言を口にした上官を射殺して、自殺した。手には、辞世の和歌を書いた一枚の葉書を握り
しめていたという。(中略)
三島は、蓮田善明の信じた日本浪漫派の精神世界を、自分自身の魂の土壌とした。それが、三島文学の原点である。

島内景二「豊饒の海へ注ぐ 三島由紀夫」より

425:名無しさん@3周年
11/05/06 12:22:44.01 2Ck6l1gU
ネトウヨは三島は知らない、読んでも理解できない。

426:名無しさん@3周年
11/05/07 10:13:05.34 VG5RfLT/
【MLB】秋信守氏が警察官に懇願、犯罪の隠滅を図る「どうか見逃して」「要求は何でも聞いてやる」「韓国に戻ったら人生は終り」
スレリンク(mnewsplus板)

427:名無しさん@3周年
11/05/11 21:50:44.77 SJbJpT7e
だからさ、三島は尻に入れたのか?入れられたのか?

428:名無しさん@3周年
11/05/11 22:10:49.54 F+jdbL25
>>104

429:名無しさん@3周年
11/05/12 10:46:02.06 ud0gO96O
「ダンサー・イン・ザ・ダーク」などの映画でも知られる歌手のビョークが来日した際に、「ミシマの作品
くらいは読まなくてはね」と述べたと伝えられていた。アイスランド出身のビョークが作品を何語で読んだのか
わからないが、アイスランド語では1974年に「午後の曳航」が出版されている。「午後の曳航」は「金閣寺」
「近代能楽集」「潮騒」などと並んで翻訳数の多い作品であるが、(略)アイスランドの人々が読む「午後の曳航」が
どのようなものか、想像してみるのも楽しい。
(中略)現時点(2003年)で把握しているところでは、小説・戯曲・評論等を含めると、110点以上の
作品が30種類の言語に翻訳され、二回以上訳されているものを含めると、翻訳作品の総数は延べ700点を
超えている。(中略)
三島は近代の日本の作家の中でも芥川龍之介、川端康成、谷崎潤一郎、安部公房などと並んで翻訳作品の数が
多く、海外で知られているとはよく指摘されるところである。ただ海外における日本の作家の受容の状況は、
国によってそれぞれ異なっている。(中略)

久保田裕子「三島由紀夫の海外における翻訳作品」より

430:名無しさん@3周年
11/05/12 10:46:31.22 ud0gO96O
三島の作品の翻訳はアメリカにおいて1950年代から始まったが、英語の翻訳がされた後に、フランス、
ドイツなどのヨーロッパの言語に広がっていくという経過をたどることが多かった。
近年の翻訳状況としては、2000年にオランダやルーマニアで「金閣寺」が、2002年にノルウェイで
「春の雪」が再版されるなど、いくつか挙げただけでも根強い読者層の存在をうかがわせる。また2001年に
ポルトガルで「禁色」が刊行され、長編小説を中心に翻訳される言語にも広がりを見せている。ヘブライ語、
ラトヴィア語やセルビア語の「金閣寺」、バスク語の「午後の曳航」も登場するなど、三島作品が受容される
言語圏は拡大しつつある。(中略)
以上のことはあくまで日本にあって知ることができる出版状況の一端であり、実際にはそれぞれの国で作品が
どのように読まれ、読者に受容されているかを知ることは難しい。

久保田裕子「三島由紀夫の海外における翻訳作品」より

431:名無しさん@3周年
11/05/12 10:47:01.93 ud0gO96O
ただ先に挙げたビョークの話は、「ミシマ」が今なお世界において一種の文化的なイコンであり、日本の文化や
文学を象徴するような存在であることをうかがわせる。
ところで三島自身は1965年4月6日付のドナルド・キーン氏宛の書簡において、〈むりに日本語からの
直接訳をするより、結果として、重訳のはうがいいのではないか〉と述べていて、重訳であっても作品が海外で
広く翻訳されることを望んでいたことがわかる。(中略)
実際のところ三島の翻訳作品の中には未だに英訳からの重訳も多く、日本語という表現を通して世界で認められる
ことの困難を示唆している。そのことに最も自覚的であったのはおそらく三島自身であろう。日本語による
表現を世界的な普遍性へとつなげようとする試みは、彼のライフワークの一つであった。亡くなる前に彼は
〈世界のどこかから、きつと小生といふものをわかつてくれる読者が現はれると信じます〉(1970年11月付)
とキーン氏に書き送っていた。この遺言通り、今でも翻訳を通して三島の言葉は世界のさまざまな場所に波紋を
広げ続けている。

久保田裕子「三島由紀夫の海外における翻訳作品」より

432:名無しさん@3周年
11/05/17 04:55:28.68 2cnoP1uB
尻に入れたのか入れられたのか知らないが、変質者が書いた『文学」なんて、
読めるのか?キモクないかい?

433:名無しさん@3周年
11/05/17 04:57:26.41 hCFPAHac
話題をそっちにもっていくしか能のないのやつのほうがきもい

434:名無しさん@3周年
11/05/17 05:11:31.09 2mUQ6fgq
キムチの書き込みを読んでいると、バカになるわ

435:名無しさん@3周年
11/05/17 05:16:50.34 hCFPAHac
うんこはまともな神経の持ち主じゃ食えないだろ

436:名無しさん@3周年
11/05/17 10:55:27.88 uwq+jg34
多くの人が多くのことを書いたりしゃべったりさせられた。なかには弔辞とは思えない発言も多かったが、当節、
葬式に出かけてまで自分の宣伝をやりかねない人間がいることにあまり驚いてもいられない。たとえば、
「そうですね、彼の死は結局……」などと、終始目尻を下げて薄笑いを浮かべながらテレビでしゃべったりする
人間や、死者に唾を吐くようなことを書く人間がいても、これを抹殺することはできない以上、私たちは
我慢して生きるほかない。(中略)
これは、三島氏の場合のように死にかたが異常であった場合、生き残った人間の側の自己防衛の努力ともみられる。
斬られたのが比喩のうえのことであるにしろ現実のことであるにしろ、とりあえず傷口をふさぐことに専念
しなければならないのである。(中略)恥も外聞も忘れて言葉をそういう自己防衛のために使わなければ
ならない人間も何人かはいて、その人たちが三島氏の行動を非難したり否定したりするのに懸命になっている
正直さは許されなければならない。恐怖が大きすぎて沈黙を守っていられないとき、弱い犬には吠えることしか
できない。

倉橋由美子「英雄の死」より

437:名無しさん@3周年
11/05/17 10:56:13.54 uwq+jg34
(中略)言論、表現、思想の自由なども、主としてふまじめに言葉を使う人間にその権利を保障してやるための
ものであるかのように考えられている。そういう人間は、日本国憲法はあなたがどんなことをいおうとそれを
ただいうだけならあなたの生命を保障していますよ、といわれても格別侮辱を感じないのかもしれない。これに
対して三島由紀夫氏は言葉をまじめに使い、思想を組み立ててその頂点に死しかなければ死ねる人間だった。
その死も、自分の言葉に酔ってのことであるとか、自分で築いた言葉の楼閣のうえでの演技にすぎないといった
説明ですませてしまう人間がいて、この連中にはもはや救いがない。この種の人間はつねに、自分にはそれを
する気も能力もないが、という条件法で自分の思想と称するもの、というより叶わぬ願望や愚痴や恨みを語って
いるのであって、ここでこの種の人間に絶対できない「それ」というのが割腹して死ぬということなのである。
三島氏は単純に定言命令だけで自分の思想を組み立てていた。その頂点には汝死すべしという命令があって、
その言葉が行動になった。

倉橋由美子「英雄の死」より

438:名無しさん@3周年
11/05/17 10:56:39.40 uwq+jg34
(中略)凡人を超える大きさをもった人間があらわれて凡人にはできぬことをして死んだとき、それが天才で
あったことを認めると同時に自分たちがどの程度の人間であるかを悟ることが、凡人に望みうる唯一の美徳である。
そして情けないことではあるが、ともかく生き残り、長く生きることで夭折した天才を凌ぐことが凡人に許された
唯一の特権でもある。できるかぎり長く生きること、その量の問題が重要だとカミュがいったのはどんな文脈の
なかでだったかおぼえていないが、私たちがいまこの言葉を楯にとって、死ぬことではなく生きることが
問題なのだと三島氏にいってみたところで、自分が欲するように死ぬことのできた天才にとってそれはほとんど
耳を藉すに足らぬ言葉である。まして、三島氏の才能を作家としての仕事の枠内でしか見ることができない
同業の人間たちが、三島氏の死によって物を書く才能がひとつ消滅したことを惜しみ、生きていてさらによい
仕事をしてもらいたかったなどというのをきくと、三島氏が同業者たちとのおつきあいにつくづく嫌気がさして
いた気持もよくわかる気がする。

倉橋由美子「英雄の死」より

439:名無しさん@3周年
11/05/17 10:57:07.96 uwq+jg34
三島氏が文学の仕事に行き詰まってあのような行動に走ったという説にいたっては論外である。こういう人たちは
自分が作家であるということを何か人間であることを超えた特別の資格であると考えているのであろうか。
おそらく人間も国家もすべて文学のためにあるということであるらしい。三島由紀夫氏というひとりの天才がいて、
常人を超える生活をして、そのひとつにすぎなかった文学の仕事に関してはもうなすべきことがなくなったと
感じたとき、私たちはこの天才の壮烈な死を黙って見ているほかなくて、またそれが弱くて凡庸な人間の側の
最高の礼節というものである。ひとつの稀有な文才を消滅を惜しむのはよいが、生きていればまだよい作品が
書けたのにといういいかたには、金の卵を生む鶏の死を惜しむのに似たけち臭さがある。
三島氏の作品がもっと多ければそれだけ日本の文化遺産だか何だかの量がふえるのに、というのがそもそも
俗悪な考えかたなので、三島氏がその行動によって示したのが、文化とはどういうものであるかということなのだった。

倉橋由美子「英雄の死」より

440:名無しさん@3周年
11/05/17 10:57:33.13 uwq+jg34
英雄や天才が卑小な人間に愛想をつかすのは当然の特権であって、これは病める人間が陥りやすい人間嫌いなど
とは全然別物である。私たちの敬愛は、三島氏が「おまへたちは阿呆ばかりだ」と思っていたことで損われる
性質のものではないので、三島氏は大声でその思っていることをいえばよかった。阿呆は自分以外の人間を
すべて阿呆だと思っている、などと歯切れの悪いことをいった芥川龍之介(鬼才とか秀才といった言葉はむしろ
この人にふさわしい)の場合とは違うのである。とにかく、そういう境地に達していた天才ならば、あとは
阿呆に対しても礼儀正しくふるまい、晴朗な顔をして憤死するだけだった。
昔から日本では三島由紀夫氏のような人があんなふうに憤死すれば神になることになっていた。ここで
神というのは英霊のもうひとつ先を考えているのであって、ユダヤ人が発明した神などとは無論関係ない。
(中略)日本人は昔から三島由紀夫氏のような人間の霊を祀り、それにつながってその先にあるはずのものを
拝んできた。三島氏はみずから死んでそういう神と化す以外になかったのである。

倉橋由美子「英雄の死」より

441:名無しさん@3周年
11/05/18 02:36:26.37 zivNQs7z
三島にしても倉橋にしてもどうしてこうまで自分だけが特権的な視座に立てると無邪気に思いこめるのか不思議でならない。
二人といい大人だというのにな。少しでも日本の宗教史の知識があれば上のような事はとても書けない。
只自分たちが天才だと強弁するだけの文章など中学生で卒業して欲しいものだがな。

442:名無しさん@3周年
11/05/18 10:52:02.09 cb7VEexf
三島由紀夫の仏教理解が、いかに徹底したものか。
三島は決して、そこらへんの日本人がやりたがるように、『般若心経』の解説なんぞはしない。宗教音痴の
日本人に仏教の神髄を理解せしむるために、『ミリンダ王の問い』を(「暁の寺」で)引用し解説する。
これのみにて三島の仏教理解の深さ、はるかに日本人を超えていると評せずんばなるまい。(中略)
阿頼耶識も、実体として存在するのではなく、つねに変化のなかにある。刹那に生じ刹那に滅する。
実体として存在するものは何もない。「万物流転」である。
このありさまを、(中略)三島由紀夫は、(「天人五衰」で)海の波で表現している。
…仏教における因縁のダイナミズムを、これほど見事に表現した文章をほかに知らない。
唯識論の視点から見るならば、阿頼耶識は水、その他の識を波、縁を風だとすればよいであろう。

小室直樹「三島由紀夫と天皇」より

443:名無しさん@3周年
11/05/18 10:52:51.69 cb7VEexf
唯識論入門として、(「暁の寺」は)これほど簡にして要を得たものを知らない。
難解なことで有名な仏教哲学の最高峰が、われわれの足下に横たわっているのだ。
仏教を研究しようとする学徒のあいだでは、よく、倶舎三年、唯識八年、といわれる。『倶舎論』を理解するのには
三年かかり、唯識論を理解するのには八年はたっぷりかかるというのだ。それが僅か三島由紀夫の作品では
十二頁にまとめられている。エッセンスはここにつきている。くりかえし精読する価値は十分にある。

小室直樹「三島由紀夫と天皇」より

444:名無しさん@3周年
11/05/18 10:53:46.61 cb7VEexf
(中略)
「五十になったら、定家を書こうと思います」三島由紀夫は、友人の坊城俊民氏にそう言った。
「…定家はみずから神になったのですよ。それを書こうと思います。定家はみずから神になったのです」
神になった定家。それは三島由紀夫にほかならない。(中略)
三島由紀夫は「定家はみずから神になったのです」と話している。
これは何を暗示しているのだろうか。
仮面劇の能だが、仮面をつけるのがシテ(主役)である。シテは、神もしくは亡霊である。
亡霊をシテにして、いわば恋を回想させる夢幻能は、能の理想だといわれる。死から、生をみるのである。
時間や空間を超えたものだ。
三島由紀夫が、定家を書こうと考えたとき、やはり能の「定家」が頭にあったに違いない。

小室直樹「三島由紀夫と天皇」より

445:名無しさん@3周年
11/05/18 10:54:33.62 cb7VEexf
現代では、生の世界と死の世界は、隔絶したものにとらえられている。だが、かつて(中世)は、死者は
生の世界にも立ち入っていた。
定家は神になって、生の世界に立ち入ろうとした。そう考えた三島由紀夫ではないだろうか。
生の世界にあっては成就できない事柄を、死の世界に往くことによって可能たらしめようとしたのが、三島由紀夫だった。
…死の世界で「生きる」三島なのだ。
(中略)あえて死の世界へ往き、守ろうとした存在があったのだ。

小室直樹「三島由紀夫と天皇」より

446:名無しさん@3周年
11/05/18 10:55:12.41 cb7VEexf
(中略)近代西欧文明がもたらした物質万能への傾倒が、いまや極点に達していることは言うまでもない。
人間としての存在が、どうあらねばならないのか。それを問う時はきている。
三島由紀夫は、究極のところ、そのことを人々に問いかけたのだ。
作品によって問いつづけ、さらには自決によって問うた。いや、問うたというよりも、死の世界に生きることを選び、
この世への「見返し」を選んだ。
五年後、十年後、いや百年後のことかもしれない。だか、そのとき三島由紀夫は、復活などというアイマイな
ものでなく、さらに確実な形……存在として、この世に生きるであろう。

小室直樹「三島由紀夫と天皇」より

447:名無しさん@3周年
11/05/19 14:12:09.32 /JXWswrE
三島はホモかつサドの変態右翼だけど、小説は本当に素晴らしい。

人格と作品は関係ない。

448:名無しさん@3周年
11/05/20 04:38:48.35 GLeEnZ/C
人格と作品は関係ないというが、尻に入れたり、入れられたりしている奴が
書いた小説かと思うと、キモイよな。ああ、キモイ、キモイ。文学をとうとう
と語る奴はキモイ。

449:名無しさん@3周年
11/05/20 04:39:54.24 GLeEnZ/C
切腹した時、射精していたというぜ。

450:名無しさん@3周年
11/05/20 08:45:20.20 aGWSlmtx
ブサヨらしい品性下劣な書き込みだな

451:名無しさん@3周年
11/05/21 00:57:15.88 zMq1P2Qf
>>448
お前の文は頭の悪さが露呈していて、本当にキモいな。
>>450
お前も同じ。

452:名無しさん@3周年
11/05/21 01:21:05.60 /SKB7W/t
>>451
どこが同じに見えるんだよ無能

453:名無しさん@3周年
11/05/21 10:42:11.26 KTK4J0T8
新聞や週刊誌の中には、しごく単純に三島を異常性格者ときめつけ、最初から彼が自分の文学の主要テーマとして
選び貫いた同性愛をも風俗の眼で眺めたあげく、ホモだオカマだと立ち騒ぐ向きまであるのには一驚した。
死んだのは流行歌手でも映画スターでもない、戦後にもっとも豊かな、香り高い果実をもたらした作家である。
彼の内部に眼玉ばかり大きい腺病質の少年が棲み、あとからその従者として筋肉逞しい兵士が寄り添ったとしても、
それをただ劣等感の裏返しぐらいのことで片づけてしまえる粗雑な神経と浅薄な思考が、こうも幅を利かす時代なのか。
異常というなら、わけ知りの、ありきたりの、手垢まみれな説の援用でなしに、その淵に息をつめて身を潜め、
自身の眼でその深みの神秘をさぐろうとはしないものか。この一九七〇年代に、異常というレッテルを小抽出しに
張って、もうそっぽを向いていられる“正常人”がこれほど多いというなら、それこそが異常の証しであろう。

中井英夫「ケンタウロスの嘆き」より

454:名無しさん@3周年
11/05/21 10:42:33.36 KTK4J0T8
(中略)
ただ、あれほど感性すぐれた彼に、いま一言、突っこんで話をしたかったと思うのは、ぷよぷよとした肉体、
指で押すとちょっとの間はへこむが、またすぐ元に戻って知らん顔をする、さながら腐肉そのままの感触を、
何よりも徹底して憎悪していたのではないか。なぜそれを最後まで、ありのまま憎みとおさなかったかという
点である。「世の中すべて気に入らぬことばかり」にしろ、われわれを包んでいる情況の本質がそこにあり、
一番の敵がそれであることは三島も当然知りぬいていたので、この気持もまた、彼の死後にも変わらない。(中略)
芥川や太宰が、なぜ志賀直哉と長生き競争をしなかったのか、私には不思議でならない、というより、無理にも
そう思いたいのだ。三島にも、また。

中井英夫「ケンタウロスの嘆き」より

455:名無しさん@3周年
11/05/21 13:10:29.74 CISwwnDs
>>452
お前のことを有能と思ってるのはお前だけ。

456:名無しさん@3周年
11/05/21 21:07:45.37 yCmfUAGI
>>455
くやしいのか無能ニート

457:名無しさん@3周年
11/05/21 22:02:17.21 +aHTLXMe
三島の小説を常に小脇に抱えていたコッポラ監督

アンチ三島は単なる能力不足か理解不足が原因

URLリンク(www.youtube.com)

458:名無しさん@3周年
11/05/21 22:11:23.20 U1+8QZjZ
変態権力欲:左翼、宗教
お前ら似たもの同士じゃねーか
近親憎悪か?

459:名無しさん@3周年
11/05/22 03:25:10.01 oTCJF3tL
はいはい、>>456のお子ちゃまを馬鹿にする奴はみんな無能ですねw

460:名無しさん@3周年
11/05/22 08:30:00.47 YQGs0Jv/
尻に入れたらウンコが竿にくついてくるのか?高尚な文学ファンよ、
おせーて。

461:名無しさん@3周年
11/05/22 14:48:54.65 NqPTJx6D
>>459
無能一人の文盲レスは皆とは言わないけど、
文盲だから理解できないだろうな

462:名無しさん@3周年
11/05/24 06:18:23.99 TMI9DrrI

『民主党政権に浸透した左翼(過激派)の現状と系譜一覧図表』

↓このデータ凄いですよ 是非読んでください
URLリンク(bbs6.fc2.com)

463:名無しさん@3周年
11/05/24 11:12:55.30 FYmIegBO
三島由紀夫は勤勉な作家だった。たとえばそれは、敗戦後の日本が焼け跡から回復して高度成長を実現し、
「東洋の奇跡」と呼ばれる戦後復興をなしとげたことを思わせるようなきまじめでひたむきな勤勉さだった。
(中略)戦後日本の復興期にそのまま重なっている。その意味で三島由紀夫は、作品に見られる反戦後的な
美学や日本の欺瞞に対する批判的な視線にもかかわらず、きわめて戦後日本的な作家である。
そのことにまつわる伝説も多い。
なにより作品を書く時間を大切にしていた三島由紀夫は、知人との会食や宴席などでどんなにお酒が入って
楽しく談笑していたとしても、かならず夜11時までには切りあげて帰宅し、執筆の時間をつくったという。

田中和生「愛すべき三島由紀夫の避難場所」より

464:名無しさん@3周年
11/05/24 11:13:20.60 FYmIegBO
私小説作家のように怠惰であることをひそかに誇ったり、サラリーマン社会のあわただしさに反感をもったり
している日本の文壇の雰囲気から見て、その態度はひときわ異彩を放っている。昼間は官僚として軍医総監という
激務をつとめながら深夜に執筆していた明治期の森鴎外のように、敗戦後の日本に生きた三島由紀夫はおそらく
自分が原稿用紙に記す一字一字が戦後日本をつくりあげていくという使命感をもっていたのである。(中略)
そして敗戦から60年以上がすぎて、戦後日本のあり方が風化しつつある21世紀において、次に新しい読み方を
待っているのは三島由紀夫の勤勉さが惜しげもなく注がれた純文学としての短編や長編ではなく、むしろ
その余白に生まれて気軽に書かれた娯楽小説ではないだろうか。たとえば1967年に刊行された『夜会服』も、
その一冊である。

田中和生「愛すべき三島由紀夫の避難場所」より

465:名無しさん@3周年
11/05/24 11:13:43.77 FYmIegBO
(中略)
「俊男」という、どこか虚無的でありながら近代社会における万能の力をもっているように見える男性の魅力は、
日本の近代化の矛盾を体現するかたちで造形されているところにある。(中略)
こうした「俊男」の造形に、三島由紀夫の自己イメージが投影されているのは間違いないだろう。(中略)
あるいは「俊男」を描きながら、三島由紀夫は戦後日本という「夜会服」の世界から出ることができず、本音を
隠して建前をなぞるかのように生きざるをえない自らの存在の悲哀を深く感じていたかもしれない。
注意深く読めば、そうした現実的すぎる悲哀を和らげる場面が『夜会服』にいくつかあることに気づく。
一つは日本が模倣しなければならないはずのヨーロッパやアメリカの人々が、醜悪で滑稽なものとして描かれて
いることである。(中略)日本人が日本語で読むかぎりは気がつきにくいが、世界性をもつ作品ではありえない
書き方だろう。

田中和生「愛すべき三島由紀夫の避難場所」より

466:名無しさん@3周年
11/05/24 11:14:13.52 FYmIegBO
もう一つは日本の天皇家につらなる「宮様」が出てくる場面である。(中略)「俊男」の本音を聞き届けてくれる
「宮様」の存在である。そこにはおそらく、戦前の二・二六事件と敗戦後の人間宣言によって昭和天皇に対して
生涯屈折した感情を抱きつづけた三島由紀夫が夢想した、戦前から戦後へと変わらずにつづく近代化という建前を
強いられる世界において日本人の本音を守ってくれる天皇という、理想的なイメージが投影されている。
こうして本音をさらけ出した心の避難場所を愛すべき娯楽小説のなかにつくりながら、現実に三島由紀夫が
辿りついたのは1970年の割腹自殺だった。「俊男」とその孤独を理解する「絢子」の「愛」が成就される
『夜会服』の甘すぎる末尾がわたしたちに突きつけるのは、そうしてひとりのすぐれた作家を自死させてしまった
日本の現実に欠けていたものはなにかという問いである。

田中和生「愛すべき三島由紀夫の避難場所」より

467:名無しさん@3周年
11/05/25 07:19:03.89 dUxcTzHl
ウンコは当然くっついてくる。くちゃい。

468:名無しさん@3周年
11/05/26 15:48:38.89 eUtKEux3
彼の小説もそんなに読んでいない。僕が三島由紀夫を「あ、こいつすごいな」と認知したのは、ロンドンです。
ロンドンにいたときに、BBCが没後何年かで特集を組んだ。そのときに彼がインタビューアーにきちんと
英語で答えているのを見て、聞いたら、内容的にはしっかりしていた。つまり、日本の文化をあれほどきちっと
しゃべれるやつはいないな、と僕が思ったくらいだった。それはすごく印象的だった。
彼の英語はうまかった。うまいというか、要するに、発音がいいとかではなくて、非常に適確な英語をきちっと
選んで答えていた。日本人のインタビューには、よく画面の下にテロップ、つまり英語の字幕が流れるのだが、
三島由紀夫のインタビューには付いていなかった。それくらいに彼の英語はわかるのだ。まあ、イギリス人は
(植民地を持っていたから)外国人のしゃべる英語を理解するのは得意だけれども。それにしてもテロップが
流れていなかったから、へーっと思ったし、なるほど、そういうことについては、こういう風に言うのだなと
感心した。

遠山稿二郎「日本の大学と基礎科学の危機」より

469:名無しさん@3周年
11/05/27 13:56:50.74 gO/s4jV5
左翼思想の輩に告ぐ!
左翼思想の原点は、僻み妬みの心だ、
お前たちが経済的に恵まれないのは、社会が悪いからではない、
お前たちの努力が足りないのだ、
お前たちが出世出来ないのは、会社が悪いわけではない、
お前たちは不平を言うだけで、何の役にも立たないからだ、
お前たちがもてないのは、世の中が悪いわけではない、
お前たちは与えられることだけを期待し、相手に対する思いやりに欠けるからだ、
お前たちに友達が出来ないのは、お前たち以外の人間全部が悪いわけではない、
お前たちの性格がいびつだからだ、

しかし、お前たちが、外見が不細工で、脳味噌が乏しく生まれついたことに関しては、
同情はする、それが私の心だ!

470:名無しさん@3周年
11/05/27 16:00:36.10 LG2kJBWO
ウンコは当然くっついてくる。クチャイを英訳してくれー。

471:名無しさん@3周年
11/05/27 22:21:08.20 ARokHIBm
                  i;;;;;i´,.r-,-´-、-―-,--`ニ=、ヽ ヾ;;;;ミ;;;i 
                  .|;;ゞi i .、'iユ=|r==;i´ r'iユ=、_ゝ-_、i;;;;;;;;;i 
                  .i i !  ´ ̄`/  .i  `"´.::i´  i;;' l`i  
                  . !ソ `'ー一彡 .::::. `ヽ、_. / .::  .ir-,/ 
                   !  , ,r'´ゝ=、__rュ,.ソヾ、   :  /r.i  
                    !_ i { _,. - 、, ...、_  ,,) i    i r' 
                     .i  `ヽヽエエニヲ,ソ"  ´  ./゙   
                     /    ヽ二二ン     / 
                      |   .|  |  、_tッ、,゙ ' r| 
                      |   .|  .|   `ー 'ノ  !
                      .|    |  |   . ,イ   'ヽ.
                      |    .|  |    ゚ ´...:^ー'`'
                     |    |. .|    r ζ竺
                     |    ( ^ ^ヽ    `二(
                 ___|     uuuU       |
               ,r'"      ,_.__,__  .      ==ュヽ
             /___  _,,,  ‐""~~"゙  ィ'≡;;;,  . 、_tッ、,゙ ' ,
              , ィ  ーj 'ーー  ,.ィ'(ツヽ  / ___ .   `ー 'ノ  ヽ
          ,r' /   ノL ヽ.   ` ´  ヽィ゙(ツヽ  . ,イ    \          >>1
          ノ ,イ    ∀       ノ  ヽ` ´    ゚ ´...:^ー  \         _ ヽ○/
        // ,'   ..::'"⌒ヽ、    /ヽ━v・)ヽ    r ζ竺=\  \       _  |
      / /  !:.         ゙、.     ,______、       `二.;  ヘ__, ノ         ノ ゝ

472:`゚`:.;"゚`
11/05/28 15:10:31.44 54/l4cLZ
ブサヨは聡を知れ

473:`゚`:.;"゚`
11/05/28 15:16:07.49 3hvMlNUb
     / _⌒ヽ⌒ヽ
    /   ` ゚` :.;"゚`ヽ
   /     ,_!.!、  ヽ
   /      --- ,, ヽ
  /         八    ヽ
 (      __//. ヽ ,, , )
 丶1,,,,;;:::::::::::   八.,  ''''''!
  | "  ==ュ  r== j
  |  、_ tッ、,゙ ' r' rtッ_ァ'|           /⌒ヽ⌒ヽ
   |:::   `ー 'ノ  !、`ー' |         /  ー-- ヽ
   |    . ,イ   'ヽ   |  パンパン    / ー=、 ゚ ,=- ヽ
  |ノ    ゚ ´...:^ー^:':... ゚│        /  -=・> ;<・= ヽ
  (     r ζ竺=ァ‐、  │\     ( .   ノ、__λ   )
  │  \   `二´   丶 |_,, --─‐,r' ` ̄ ̄,,,,,,,,,,,, ̄ ̄ \
  | \ \       ,r'"              ''' ∈∋ ''' ==ュヽ
  |   \ \    /                      、_tッ、,゙ ' ,
=≡| ∴∴\ \ ィ                       `ー 'ノ  ヽ
=≡|;  ∴∴\ \                  ////  . ,イ    \
=≡\     ,`( ^ ^ ⊃                    ゚ ´...:^ー  \
‐=≡ )  //'uuuu    ⌒ヽ、               r ζ竺=\   \
    |; / / _!:.         ゙、                 `二.;   ヘ__, ノ
    |; ( ( /  |:::..        i::.                `   '
    |; ヽ、)   !::::...          !::::...       ゙、::..       ゙
     )   /  人:::::::..        ゙、::::::::.......___,,ゝ、:::..      ヽ
    /   | /::::...\::::::....       ヾ ̄ ̄    /::::..ヽ、:::..      \
    /    ヽ'::::::::::::....ヽ、:::::....       ゙、    ノ::::::::::::::...\::::...    ヽ   ― ヽ○/>>1
    ( ___ ) :::::::::::::/`ヽ、:::::.....    〉   〈:::::::::::::::::::::...人:::::::::.....   〉  ―  |
          `ー─一'"    `ー─一'゙     `ー-一'"   `ー─   ― ノ ゝ

474:名無しさん@3周年
11/06/03 05:15:19.58 UHGW1jpb
尻に入れたか、入れられたか、知らないが、どちらにしろ
キモイ。変態だよ、三島は。変態が切腹したのだよ。射精
していたというじゃないか。

475:名無しさん@3周年
11/06/07 20:43:18.39 VcV19g43
小男、虚弱、だけど胸毛が濃い。青白くキモイ変質者。宝塚ファン。


476:名無しさん@3周年
11/06/10 20:08:56.43 juKeLT4l
いわゆる現人神(現御神)の思想は、キリスト教などの一神的なGodではない。日本人の神観念は、本居宣長の
「何にまれ 尋常ならずすぐれたる徳ありて、可畏き物を迦微(カミ)とは云なり」という八百万の神々であり、
「唯一神教的命題」とはかけはなれている。日本の神観念は多義的であり、そこでは人間的な要素も入ってくる。
超越者としての「神」とはあきらかにちがう。そもそも昭和二十一年元旦の昭和天皇のいわゆる「人間宣言」も、
〈神〉にして〈人〉であるという伝統観念からすれば、「神から人へ」ということを特別に強調したとはいえない
かもしれない。しかし、占領下において、GHQ指導のもとでこの「詔書」があらわされたのは、人でありながらも
神聖をもって君臨される天皇(スメラミコト)の民族的、精神的支柱としての意味を否定しようとしたもので
あることには変わりはない。

富岡幸一郎「三島由紀夫、『絶対』の探求としての言葉と自刃」より

477:名無しさん@3周年
11/06/10 20:09:58.05 juKeLT4l
『英霊の声』の、あの英霊たちの声々は、「陛下はずっと人間であらせられた」ことを百も承知で、だからこそ
「陛下御自身が、実は人間であつたと仰せ出される以上、そのお言葉にいつはりのあらう筈はない」と語る。
しかし、その〈人〉であられる陛下は、国家存亡の危機のときに、生命を賭して死んでいった者たちのために、
国破れし後にあってこそ、「現御神」としてあってもらいたかった。それはまた天皇のために立ちあがりながらも
「反乱」軍として処罰された二・二六事件の青年将校たちの、「天皇」の神聖に希望を託した思いとも重なる。
敗戦の時に二十歳であった三島は、この「神の死」を自己の存在の最も深部において体験したのだ。
三島のダリの「磔刑の基督」の評をそのまま借りていうならば、その初期作品(『盗賊』や『岬にての物語』
あるいは十代作品まで含めてもよい)の言葉の地平には、「いつもその地平の果てから、聖性が顕現せずには
おかない予感のやうなものがあつた」といえよう。

富岡幸一郎「三島由紀夫、『絶対』の探求としての言葉と自刃」より

478:名無しさん@3周年
11/06/10 20:17:49.16 juKeLT4l
(中略)ジョルジュ・バタイユの『聖なる神』という作品集の鮮烈な読後感を三島は(『小説とは何か』のなかで)
印象深く記している。(中略)所収の『マダム・エドワルダ』『わが母』の二作にふれながら、三島が一貫して
関心を示し注目するのは「神の出現の瞬間」である。
バタイユは「自己を超越する」こと、「わが意に反して自己を超越するなにものか」の「存在」を求める。
近代的な自我意識と、「神の死」という虚無を現実認識とする他はない人間にとっては(例外なく現代の人間に
とってではあるが)、それは「不合理な瞬間」であり、そこには何か異常で過剰なものが介在しなければならない。
(中略)
三島は、この言葉によっては到達不可能な事柄を、作家が言葉によって表現していることに瞠目しつつ、次のような
説明を加えている。

富岡幸一郎「三島由紀夫、『絶対』の探求としての言葉と自刃」より

479:名無しさん@3周年
11/06/10 20:18:17.05 juKeLT4l
〈この「不合理な時間」とは、いふまでもなく、おぞましい「神の出現の瞬間」である。
「けだし戦慄と充実と歓喜のそれとが一致するとき、私たちのうちの存在は、もはや過剰の形でしか残らぬからだ。
(中略)過剰のすがた以外に、真理の意味が考えられようか?」
つまり、われわれの存在が、形を伴つた過不足のないものでありつづけるとき(ギリシア的存在)、神は出現せず、
われわれの存在が、現世からはみ出して、現世にはただ、広島の原爆投下のあと石段の上に印された人影の
やうなものとして残るとき、神が出現するといふバタイユの考へ方には、キリスト教の典型的な考へ方がよく
あらはれてをり、ただそれへの到達の方法として「エロティシズムと苦痛」を極度にまで利用したのがバタイユの
独自性なのだ。(『小説とは何か』)〉

(中略)しかし、バタイユのこの「独自性」もまた言語の領域(ぎりぎりの限界への冒険であるとはいえ)に
あったのはいうまでもない。
三島が明晰にそして最終的に自覚していたのは、この言葉の限界性であった。

富岡幸一郎「三島由紀夫、『絶対』の探求としての言葉と自刃」より

480:名無しさん@3周年
11/06/10 20:20:10.25 juKeLT4l
『太陽と鉄』は、自裁のプロセスと心理的構造を余すところなく分析したまことに戦慄的なエッセイであるが、
そのなかで次のように明言しているのだ。

〈私は今さらながら、言葉の真の効用を会得した。言葉が相手にするものこそ、この現在進行形の虚無なのである。
いつ訪れるとも知れぬ「絶対」を待つ間の、いつ終るともしれぬ進行形の虚無こそ、言葉の真の画布なのである。
(中略)言葉は言はれたときが終りであり、書かれたときが終りである。その終りの集積によつて、生の連続性の
一刻一刻の断絶によつて、言葉は何ほどかの力を獲得する。少くとも、「絶対」の医者の待つ間の待合室の白い
巨大な壁の、圧倒的な恐怖をいくらか軽減する。(『太陽と鉄』)〉

この「絶対」を、「神」といいかえてもいい。いや、ここではあきらかに神の顕現のことがいわれているのであるが、
三島が明瞭に認識していたのは、「言葉」によってその存在を暗示(バタイユ的手法)することは十分に可能で
あっても、それは「現在進行形の虚無」にたいしては一場の役割しか果たしえないということである。

富岡幸一郎「三島由紀夫、『絶対』の探求としての言葉と自刃」より

481:名無しさん@3周年
11/06/10 20:20:47.98 juKeLT4l
自裁という行為が決定的な意味を持ちだしたのは、ここにおいてであろう。「神の死」の現実の虚無のなかに
おいては、バタイユのいう通り「過剰のすがた以外」に真理を把握し、神の出現に立ち合うことはできない。
「自決」とは自由のマイナス極限で、自己の存在を破壊することであり、その決定的、一回的な欠損の過剰さの
なかにこそ「絶対」は到来するだろう。そして遺作『豊饒の海』は、仏教的な相対主義に呑み込まれてゆく。
あらゆる歴史と存在を描ききって完結する。
三島の自決が四十年の歳月を経て、今日に至るまで深くおおきな影響を与えつづけているのは、三島が自己の
存在そのものを、戦後日本社会という虚無の時空のうちに磔刑とし吊し、供養としてささげてみせたからである。
そして、われわれは未だにその「死」の深い本質的な宗教性を知らずに(あるいは知ろうともせずに)いるからだ。

富岡幸一郎「三島由紀夫、『絶対』の探求としての言葉と自刃」より

482:名無しさん@3周年
11/06/10 20:21:23.47 juKeLT4l
三島の死後七年目、『サド侯爵夫人』のフランス語訳とパリでの上演に関わった作家ピエール・ド・マンディアルグは、
戦後の仏作家のなかでの最もすぐれた才気ある書き手の一人であるが、仏文学者の三浦信孝氏のインタビューに
答えてこう語った。

〈現在では、三島はジョルジュ・バタイユに強く惹かれていたとよく言われますが、私には確信はありません。
(中略)しかし私の見るところでは、三島はバタイユとはだいぶ違います。彼らの類似点は、彼らに共通する
絶対に対する情念であり、生と生の哲学を極限まで、絶対まで追究しようとする情熱ですが、三島は、自分の観念を
真の極限にまで、血と死にまで追いつめる実例をわれわれに残した唯一の存在であって、残念ながらバタイユは
そうした実例を残したとは到底言えません。(『海』一九七七年五月号)〉

三島の文学と行動の総体を一言で射抜くマンディアルグのこの見解は、一神教にたいしてほとんど理解を
拒もうとするこの国では、残念ながら聞くことができなかったものなのである。

富岡幸一郎「三島由紀夫、『絶対』の探求としての言葉と自刃」より

483:名無しさん@3周年
11/06/11 02:35:21.25 Q8Jc2xPL
今頃バタイユかよ。それでバタイユも肛門派かね。

484:名無しさん@3周年
11/06/17 00:15:28.51 vz+LUXaY
三島由紀夫が透徹した認識の目を持っていたことは、彼を知る人ならば誰もが認めるだろう。例えば動物に
対する描写を取ってみても、その異様に鋭い認識能力が垣間見れる。(引用略)
言葉を喋らぬ一個の生命に対して、これほどその根源に迫れるほどの認識能力を持っているなら、人間を洞察し、
その自意識を具体的に纏め上げた安永透という人間を作り上げることくらい造作もなかっただろう。(中略)
三島文学ほど明確に人間の個人的精神と結び付けて涅槃を説いている作品は他にないだろう。悟り……、そして
悟りへ至るための道である八正道とはつまり、自意識の塊りである安永透という存在の否定なのだ。
天人五衰や「安永透の手記」には、悟りへの道である八正道に、見事に反する精神状態が描かれているのである。
安永透の自意識こそ、仏教が説く人間の捨て去らねばならない“我”そのものだからだ。

三上秀人「三島由紀夫の遺言 観世音」より

485:名無しさん@3周年
11/06/17 00:16:38.03 vz+LUXaY
三島由紀夫の重要性、そして特殊性は、その並外れた認識の能力にある。(中略)
なぜ三島由紀夫にだけ、これほど高度な認識能力があり、一般の人はそうではないのか。それが私には大きな
疑問となり、三島文学への好奇心を駆り立てた。(中略)
どちらかというと私は三島の小説よりも日記やエッセイなどを好んだ。(中略)概念の捉え方が行間からより
鮮明に表れていて、その明晰さに私は驚嘆した。(中略)
三島由紀夫は単なる小説家という存在を超えている人間なのかもしれない、と私はうっすらと理解し始めた。
多くの人は『ミシマ文学』と言っているくらいで、どうも彼の使う表現の卓越さ、認識の正確さのすべてを、
三島由紀夫の文才と考えているようだった。
しかし私にはそうは思えなかった。言葉使いが巧みなだけなのではない。確かに十代までの三島はそうだった。
しかし「仮面の告白」以降は違う。正確に現実を認識しているのだ。あまりに正確すぎるほど正確に……。
つまり、何かをきっかけに三島由紀夫は、その正確無比な認識に覚醒したのだと私は思った。

三上秀人「三島由紀夫の遺言 観世音」より

486:名無しさん@3周年
11/06/17 00:18:06.84 vz+LUXaY
…『一目で見抜く認識能力にかけては、幾多の失敗や蹉跌のあとに、本多の中で自得したものがあった。欲望を
抱かない限り、この目の透徹と燈明はあやまつことがなかった』(天人五衰)(中略)
三島は自分の奇跡待望の不可避とその不可能の自覚を、若いときは自分の文学的素養として芸術の領域で
捉えていて、仏教的な意味での仏性だとか悟性だとかいう風には捉えていない。或いは最後までそのスタンスは
変わらなかったかもしれない。(中略)
三島由紀夫が行っていた無我の認識とは、この阿頼耶識を認識することだ。(中略)
古来から悟りを開いた者は神通力を得ると言われている。(中略)阿頼耶識による無我の認識は、原理は単純だが、
或る意味そういった超能力に近いものだ。(中略)三島の表現力を神技に近いと評した評論家もいたようだ。
超能力とまでいかなくても、第一章でも記したように、その認識の正確さは燈明を極めていた。(中略)
無我の認識という正確な認識の方法を理解している三島由紀夫という存在は、私には途轍もなく重要に思えて
きたのだった。三島由紀夫が理解されれば、人間同士の完全な相互理解が可能になるからだ。

三上秀人「三島由紀夫の遺言 観世音」より

487:名無しさん@3周年
11/06/17 00:18:53.35 vz+LUXaY
…三島由紀夫について研究していて、ひとつ不思議に思った事があった。なぜ三島が自分への理解を求める
方法として、小説という形を選んだのかということだ。彼はそこいらの哲学者や心理学者よりよほど頭が良く、
人間精神に精通していたから、自分を理解して欲しいなら、自分の認識の体系を分かりやすく論文のような形で
まとめて発表すればよかったのにと思った。なぜそうしなかったのか。実際に三島由紀夫について書いてみて
分かった。それは不可能だからだ。近代自我哲学や精神分析学は三島本人も言っているように、些か暴論で、
妄味を生み出している気がする。精神という性質を詩的幻想と規定することは出来ても、その精神が生み出す
幻想世界を分割したり、現実世界に対する精神の認識構造を解析することは不可能だ。(中略)
唯識的に言うと、欲望を捨てて第七識を超えたところにある阿頼耶識という存在の究極の片鱗を読み取った
ということになるだろうが、では、どのようにして読み取ったのかとなると、それ以上の詳しい説明は出来ない。
それ以上は、もう“ありのまま、ただ見た”としか言いようがない。

三上秀人「三島由紀夫の遺言 観世音」より

488:名無しさん@3周年
11/06/22 23:29:58.11 d0DmW6sx
…プラトンのイデア論にしても、ニーチェのパースペクティブ主義にしても、デカルトの良識論にしても、
実念論にしても唯名論にしても、フーコーのエピステーメーにしても、フランシス・ベーコンが「ノーヴム・
オルガヌム」で言うイドラにしても、実存主義にしても、ライプニッツのモナドの概念にしても、そして
唯識さえも、認識に至るまでの経緯の仮定的な説明なのだ。(中略)
過程を明確に示す方法がないから結果から示すしかなかった。小説という物語の形を借りた方法で、自分が
認識した安永透という人間の自意識を正確に記すしか、つまり、感覚的に、自分の認識能力とその認識能力を
持っているということが何を意味しているのかを理解できる人間を探すしかなかったように、私には思える。
無我に至るまでのその過程を説明しなくても、天人五衰を読んだら分かる人間に向けて三島は天人五衰を書いている。

三上秀人「三島由紀夫の遺言 観世音」より

489:名無しさん@3周年
11/06/22 23:30:35.19 d0DmW6sx
(中略)
三島由紀夫が天人五衰に書いているような、人間世界を裁定する漁師の目、それは神仏の目だ。無我による
正確な認識は、最終的に神の目に近づく。人間を監督し、その行いに応じて命運を決定する存在との視点の同一化。
それが一種の予言性を帯びてくる究極の認識であり、人間が最終的に至るべき境地なのだろう。そしてそれは、
いわゆる宿命通・天耳通・死生智にあたるのだろう。
『狐はすべて狐の道を歩いていた。漁師はその道の薮かげに身を潜めていれば、難なくつかまえることができた。
狐でありながら漁師の目を得、しかも捕まることが分かっていながら狐の道を歩いているのが、今の自分だと
本多は思った』(天人五衰)(中略)
精神という願望的幻想性を利用したこの現実の都合のいい変容を、人を化かす『狐』に例えているのである。

三上秀人「三島由紀夫の遺言 観世音」より

490:名無しさん@3周年
11/06/30 12:38:46.14 S0l1pR7U
(『詩を書くのが趣味の交際相手の男性が女々しく思えて許せない』という相談者に)
 美輪明宏『文学者でも例えば三島由紀夫や中原中也なんかは男らしかった思うけれど…。
貴女ももっと本をお読みになったらどうかしら?』
 相談者『(憤然として)読んでますよ』
 美輪明宏『どんなのを読んでらっしゃるの?』
 相談者『秋元康とか』
 美輪明宏『(一瞬判らず)あきも……?(ピンと来て)オホホホホホwwwww』
 相談者『?』


491:名無しさん@3周年
11/07/10 17:48:41.93 oeayZEbt
(中略)
そもそも彼のあの異常な明晰さは、人間の領域を遥かに超えている。彼は人間でありながら神仏の目を得、
しかも人間として生きたのだ。(中略)三島は晩年、生涯を通じてあれほど批判してきた太宰治と自分は同じ
なんだと言ったそうだ。太宰がそうであったように、三島にも人間の世界が理解しがたかったのではないか。
理解できすぎたが故に。
その無意識。その認識の欠如。すべてが彼には奇妙に思えただろう。
三島にとって人間は、運命の自己表現のようなものだった。(中略)
三島は確かに誰よりも正確に物事を認識することができたわけだが、単純にその能力を喜んでいたわけでは
なかったようだ。(中略)
三島由紀夫は確かに稀に見る認識の天才で、完璧に近いほど人間存在、そしてその命運を裏側から管理している
神仏の神秘まで理解していた。しかし、求道者ではなかった。

三上秀人「三島由紀夫の遺言 観世音」より

492:名無しさん@3周年
11/07/10 17:49:15.76 oeayZEbt
三島は悟達に至ろうと思って悟達に至ったわけではない。セキュリティー・システムを打破するはずのハッカーが、
逆にセキュリティー・システムに詳しくなるように、犯罪を犯すはずの犯罪者が、逆に刑法に詳しくなるように、
あまりにも夢想的であったために、逆に真実に目覚めてしまったのだ。
そして三島はその欣求の欠如ゆえ完全なる悟りには至っていなかった。いや、至ろうとしなかった。(中略)
ここに三島由紀夫という人間の独自性がある。彼は悟りの構造を知っていながら詩を求め続け、仏教には帰依せず
天皇に帰依したのだ。奇跡は到来しないと理解してからも、つまり詩が現実ではないとはっきり理解してからも、
生来の気質から詩的椿事を待望し続けることをやめられず、また神仏に帰依する気もなかった三島由紀夫は、
自分の意志の不毛に気付いていた。紙の上の現実と実際の現実、その二種の現実のどちらもいつでも選べるという
自由が三島由紀夫という人間の意志だった。

三上秀人「三島由紀夫の遺言 観世音」より

493:名無しさん@3周年
11/07/18 23:20:01.98 on9rPy9J
(中略)
どんな奇跡への待望であれ、それが絶対に到来しないと分かっているなら、そしてそれでも猶、奇跡を待望し
続けるとするなら、いったい精神はどこへ向うのだろう。三島にとって至福と言うものが、少年時代に感じたように、
願望と現実の一致にあるなら、詩から覚醒した三島の唯一の至福は、自らが絶対的存在と融和することだった。
それが「憂国」であり、天人五衰の末尾において本多繁邦に語らせている『聖性』だった。(中略)
ああいう最期を遂げたことには、批判的な意見の方が多かったようだが、バルコニーに立って演説する三島の
姿を見るたびに、私は何か心を動かされる。別に憲法を改正して自衛隊を国軍にして欲しいわけではないけれど、
命を賭けて訴えるその姿に素晴らしい何かを見るのは確かだ。(中略)
天人五衰における本多の涅槃への到達の仕方は、一見したところ幸福からは遠く、それはまるで神への挑戦のようだ。
恒久平和の不可能を自明のものとして死んでいった彼の存在が、実は精神という幻想を打ち破り、人間の相互
理解を可能にする唯一の鍵だったというのはなんと皮肉だろう。

三上秀人「三島由紀夫の遺言 観世音」より

494:名無しさん@3周年
11/07/18 23:20:38.09 on9rPy9J
(中略)
私には三島由紀夫が、自分がロボットだと気付いてしまったロボットのように思えてしまう時がある。自分の
内部構造、背負わされた宿命、世界の実相……、その仕組みを、それを創造した者と同じくらい完全に理解
できる能力を持っていた三島由紀夫は、結局、自分が何者であるかを知ってしまった。三島由紀夫は自分が
【人間】であることを理解してしまったのだ。
精神の奇跡待望の不可避とその不可能の自覚という性質。告白は不可能であり、真の自己は規定し得ないということ。
人間は自由意志を持ってはいないということ。見えない誰かに何かを強いられて生きているということ。
人間であるということそれ自体がひとつの罠にかかってしまっているということ。そして、自分が誰からも
理解されてはいないということ……。

三上秀人「三島由紀夫の遺言 観世音」より

495:名無しさん@3周年
11/07/18 23:21:26.21 on9rPy9J
世界についても理解した。
それは涅槃の文学である三島文学の最終的な主題「奇跡自体よりもふしぎな不思議」だ。
即ち古代存在論にはじまり、中世スコラ哲学へと続き、デカルトやウィトゲンシュタイン、ライプニッツらも
問うた『神秘的なのは、世界が如何にあるかではなく世界があるということ』という命題。数多くの哲学者が
求めたこの命題に対する三島由紀夫の答えは、「仮面の告白」における素面の不在と同じように、世界存在
そのものの実体の不在だった。
『「海と夕焼け」は、奇跡の到来を信じながらそれがこなかったという不思議、いや、奇跡自体よりもさらに
ふしぎな不思議という主題を凝縮して示そうと思ったものである。この主題はおそらく私の一生を貫く主題に
なるものだ』(花ざかりの森・憂国 あとがき)
…つまり、世界が存在しているということ自体が奇跡よりもふしぎなことなのであって、それは唯識論哲学に
おける存在の実体の無さ、一切諸法がただに『識』に帰すという思想によって表されている。
『本多は夢の生に対する優位を認識した』(天人五衰)

三上秀人「三島由紀夫の遺言 観世音」より

496:名無しさん@3周年
11/08/04 16:13:09.65 YwHeHf3z
本当の天才とは、簡単には説明することのできない能力の持ち主のことだ。
シェイクスピアは天才だった。モーツァルトも、レオナルド・ダヴィンチも、紫式部も天才だった。
私がこれまでに出会ったすべての人々のなかで、「この人は天才だ」と思った人は二人しかいない。
一人は中国文学および日本文学の偉大な翻訳家であったアーサー・ウェイリーである。(中略)
そして、私の出会ったもう一人の天才が三島由紀夫である。

ドナルド・キーン「二つの祖国に生きて」より

497:名無しさん@3周年
11/08/06 06:16:03.58 lR5FFKkF
三島がホモとしか語れない奴ってアホ丸出し

498:名無しさん@3周年
11/08/06 09:16:43.53 npY7i3tA
韓国に竹島を描いた古地図は存在するか: 日韓古地図の比較
URLリンク(www.youtube.com)

499:名無しさん@3周年
11/08/08 10:54:54.71 mc8a90+o
司会(松本徹):三島さんは、どんな印象でしたか。

本野:非常に頭のいい人でした。特に文学に関しては並ぶ者がいない。

六條:それは、誰もが認めてましたね。

(中略)
司会:三島さんは、戦争中でありながら一種の文化言論活動のようなことをやっていますねえ。

本野:それは彼が反抗的気質だったとか、周りの者に動かされてということではなかったと思いますよ、文化とか
言論とかに対して純粋な気持ちがあって、それを学校の中で実現しようとしたら、ストップがかかったという
ことだと思います。(中略)

司会(佐藤秀明):この一連の出来事に関連してだと思いますが、この時期の平岡公威はだいぶ感情が高ぶっていて、
総務部総務幹事を辞めたいと清水先生に手紙でぶちまけています。

六條:そういう手紙が残っているんですか。清水先生とはツーカーでしたからね。僕らには見せない顔を見せて
いたんですかねえ。

本野盛幸、六條有康「同級生・三島由紀夫」より

500:名無しさん@3周年
11/08/08 10:56:35.42 mc8a90+o
司会:(三島は初恋の園子と)学習院の友人の妹として知り合って、手紙のやりとりをするようになり、彼女の
一家は軽井沢に疎開するんです。(中略)そこへ三島が、主人公がですね、訪ねて行くんです。それで旧軽井沢の
ゴルフ場で接吻をすると書かれています。だけど、この恋愛は実らずに終わってしまって、三島はずいぶん
苦しんだようです。だから戦後は、辛い出発をしなければならなかった。

本野:まあ、あの当時でもそういうことはあったでしょうね。これは僕個人のことなのだけれども、一学年下に
黒田っていうのがいたでしょ、黒田一夫。その妹と僕が恋仲になって、だけど彼女が亡くなってしまったんだ。
それはショックでね。昭和二十年頃だったんだけれども。そのとき平岡に話したのかな、よく覚えていないけれども、
彼からお悔やみの手紙をもらったんですよ。なくしてしまったんだけどね、残念なことに。それがことのほか
よい文章でね。自分のことがあったあとだから、ああいう手紙が書けたのかなっていまちょっと思いましたね。

本野盛幸、六條有康「同級生・三島由紀夫」より

501:名無しさん@3周年
11/08/08 10:58:35.83 mc8a90+o
司会:(三島は)高等科では総務部総務幹事になっていますでしょ。四人の幹事のうちの一人です。集会などで
号令をかけたり、挨拶したり、そういう点では目立っていたのではないですか。

本野:いや、そんな記憶はないですね。目立つということは、彼の場合はほとんどない。

司会:高等科で、さっき話の出たお芝居を書いてますね。それで演出もしている。そういう点では、ある面の
中心的な存在だったのではないですか。

六條:それはね、小説や演劇のこととなれば、彼の右に出る者なんかいないんですよ。その点ではもう別格。
それだけはみんなが一目置いていた。

本野:成績もね、僕らがどんなに勉強しても絶対に一番にはなれなかった。全然違うんですよ、彼の一番は。
記憶力とか理解力とか群を抜いていた。二番を引き離した一番だったんです。ましてや文学に関しては全く
次元が違う。

司会:ということは、性格的にリーダーになるとかいうのではなくて、お芝居となれば、身につけたものや才能で
平岡を据えるのが当然だということになっていたと、こういうことなんですね。

六條:ええ。

本野盛幸、六條有康「同級生・三島由紀夫」より

502:名無しさん@3周年
11/08/08 10:59:58.64 mc8a90+o
本野:彼は優れすぎているというか、異なりすぎているということですよ。それで彼は優越感をもつとか
そういうのでなくて、自然に優れていたということでしょうね。

司会:三島の側から言いますと、外務省なり文部省なり社会に出て仕事をしている人たちがいて、自分はもの書き
という特殊な立場にいて、何というかコンプレックスのようなものをもったのではないか。文学者というのは、
本当の意味での一人前の社会人ではないんじゃないかという意識ですね、そういうものがあったのではないか。

本野:彼とは割と簡単に話もできたし、間に垣根があるという感じでもなかったんですよ。でも、彼は自分の
世界を持っていたんですね。

司会:いや、石原慎太郎との違いということにもなるかもしれませんが、実社会の中で何かをするという意識を
ずっともっていたのではないかと思うんです。(中略)
(そして、その)行動が象徴性のレベルになってしまう。芸術家の行動というのは象徴性というところへ
行かざるをえないんじゃないかな。

本野盛幸、六條有康「同級生・三島由紀夫」より

503:名無しさん@3周年
11/08/08 11:01:14.44 mc8a90+o
司会:これは僕自身の気持ちが入っているのですけれども、少年のときから文学の世界を目指して、それで
文学の中でやってきたんですが、いまの歳になると一種の空しさみたいなものを感じるんですよ。実業の世界で
生きている人は、何か世の中に痕跡を残していて、小説家がやってきたことと言えば言葉をただ並べただけだと
いう空しさですね。そんなものが三島にはあったのではないか。空しさをあえて突き抜けてみせるという意志が
あったように思います。

本野:空しいという感じは超越していたと思うなあ。(中略)あれが彼にとって自然な姿だったんじゃないだろうか。
昔彼と話をしていても、全く偉ぶった感じがしない。そのまま別の世界にいるという感じだった。あなたもそうでしょ。

六條:うん、そう。平岡は平岡でしたよ。それでいて我々とは全然違うんだ。それがすごいことだとみんな
感じているんだけれども、学校ではね、そういうことは小さなことだったんです。頭がいいとか、文学をよく
知っているとかは。

本野盛幸、六條有康「同級生・三島由紀夫」より

504:名無しさん@3周年
11/08/09 20:34:55.46 jw9wAb1l
司会:この間、演劇で三島と関わった和久田誠男さんの話を聞いたんですが、宇宙人じゃないかと思ったと
言ってました。会っているときはそうは思わないけれども、家に帰って三島さんのことを思うと宇宙人としか
思えないと言うんです。いまのお話は、そういうところと関係しますね。三島さんのそういう面が現れるのは、
高等科からですか。

六條:そうねえ、中学のときはたわいもない子どもでしたよ。むしろ北条浩の方がずっと弁が立ったし、
理屈っぽかった。

司会:北条さんというのは、創価学会の会長になった人ですね。

六條:ええ、学習院を終えて海兵に行って。北条はよく平岡に食ってかかって、口論というか口喧嘩をしていましたよ。

司会:三島というのは、やっぱり天才と言うしかない人だったと思うのですが、それがどういうところで
形成されたのか、そこが知りたいですね。

六條:それはね、清水先生の感化ですよ、清水先生にもそういうところがあったんです。

本野盛幸、六條有康「同級生・三島由紀夫」より

505:名無しさん@3周年
11/08/09 20:36:39.82 jw9wAb1l
六條:岩田先生も(三島に)目をかけたでしょうが、岩田先生や佐藤文四郎先生は、清水先生とは違いましたね。
(中略)「輔仁会雑誌」に書いて清水先生に認められ、「文芸文化」に小説を発表することになるのですけれども、
あの清水先生に認められ可愛がられたというのが、大きかったんだと思いますよ。

司会:なるほどねえ。三島由紀夫がいたから清水文雄がいたんじゃなくて、清水先生がいたから三島由紀夫が
いたということですね。

六條:「輔仁会雑誌」に平岡の書いたものが載るでしょ。われわれからすれば平岡のが載るのは当たり前だと
思っていましたよ、平岡もそんなふうでしたよ。だけど、僕らには、彼の書くものが分からないんだ、難しくて(笑)。

司会:清水先生を読者だと思って書いていたんでしょうね。

六條:だから、僕らの前ではひょうひょうとしていましたよ。体が弱かったけれども、コンプレックスなんか
もっていなかったみたいですよ。驕らないし見下しもしないし、卑下している様子もなかった。ひょうひょうとして
当たり前の顔をしていました。

本野盛幸、六條有康「同級生・三島由紀夫」より

506:名無しさん@3周年
11/08/09 20:48:20.61 jw9wAb1l
司会:中等科から高等科にかけて、四歳年上の東文彦と三島は親しくなります。(中略)(三島は)自分の作品が
くだらないものに思えたとか、そういうことも書いています。だから、自己評価も素直で、また思うように
ならないことにはどんどん愚痴を言うといったタイプだと思っていましたが。

本野:そういう相手もいたんでしょうね。僕らにも愚痴を言ったのかもしれない。でも、愚痴に聞こえなかったんだね。

六條:彼は意志が強かったからねえ。(中略)

本野:それとね、家柄というんでしょうか、彼は普通の家でしょ。やはり華族の子弟との違いというのが
あったように思いますね。彼が優秀な人間だったということを関連づけてみると、そう思います。(中略)
あなた(六條さん)のように京都の古い家柄の華族とはやはり違う。(中略)反面、だけど俺の方ができるぞ
といった気持ちですね、そういうのが三島にもあったんじゃないかと推察します。

司会:それは確かにあっただろうと思います。あったから『春の雪』といった小説が書けたんですね。

本野盛幸、六條有康「同級生・三島由紀夫」より

507:名無しさん@3周年
11/08/11 09:41:09.49 baiHCRzB
司会(松本徹):(三島は)最初は着物姿で現れたとか。終戦間もなくのあの時期、若い人で着物着ているひとなんか
いなかったでしょうね。

川島:そうですよ、あの時代、講談社の社屋は焼夷弾でね、黒こげになっているんですよ。(中略)そういう時代に
彼は紺絣に袴をはいて来ました。それはちょっと印象的でしたね。

司会:太宰治に会う時、着物を着て懐に匕首を呑んだような気持ちだったと三島は書いてますけど、講談社へ
行くのにもそういう気持ちだったんじゃないですか。

川島:どうですかね。相当緊張してました。
会ったのは僕だけでした。(中略)今日はこういう新人が来るから、頼むよ、と言われて。

司会:(中略)今後いけそうかどうか、見極めようと。

川島:ええまあ、やっぱり違いましたよ、普通の作家とは。僕たち池袋あたりでカストリ焼酎飲んで、檀一雄を
はじめとして、まあ無頼の連中とばかりつき合ってました。ところが、そういう文壇とは関係がない。なんか
スッとした、まあ貴公子っていう言い方はあんまり正確でないけど、何かスカッとした、よそ者が入ってきた。

川島勝「『岬にての物語』以来二十五年」より

508:名無しさん@3周年
11/08/11 09:43:22.12 baiHCRzB
川島:プライベートなことになるけど、三島由紀夫の妹美津子さんっていうのがね、家内の同級生なんですよ。
三輪田高女のね。同級生で親しくしていた。そこでね、三島のお母さんの倭文重さんもまた三輪田出で、遊びに
来るようにって言われてね、何回も遊びに行ったことがある。三島家へですね。三島由紀夫を訪ねるのとは別です。
家内について何回も行ったことがある。

司会(井上隆史):講談社で三島由紀夫の来訪を受けた後ですね。

川島:ええ。そんなことから親近感持つようになった。そして家族ぐるみの付き合いになった。だから僕がね、
馬込の三島家を訪ねると、玄関左手に日本家屋があったんですよ。そこに親爺さんと倭文重さんがいて、僕に
気づくとね、あ、川島、こっちだよって必ず呼ぶの。(中略)今ね、うまい焼酎があるよって。その頃の
焼酎ってのはね、芋焼酎でね(笑)。(中略)

司会:三島が焼酎を飲んだとは聞きませんが。

川島:ええ、息子の方はね、全然ダメ。銀座のエスポワールってとこへ一緒に行ったことあるんです。でもね、
水割り一杯飲んで、真っ赤になってね、大変だった(笑)。写真ありますよ、探せば。

川島勝「『岬にての物語』以来二十五年」より

509:名無しさん@3周年
11/08/11 09:44:40.91 baiHCRzB
司会:林房雄なんかと、早くから会ってましたね、三島は。

川島:ええ。

司会:川島さんも勿論……。

川島:ええ、会ってます。(中略)林房雄がね、山の中腹に書斎を作ったんですよ。その書斎びらきをするって
いうんでね。三島さんと呼ばれたの。そしたらね、その頃ちょっと忙しかったのかな、途中で帰ってしまった。
そしたらね、三島が帰ったら、花がなくなったよってね、林房雄は酔っぱらって言い出したんだ。じゃああれ呼ぼう、
熊谷久虎という映画監督がいるが、その義理の妹のあれを呼ぼうって。あれは誰だろうと思ってたら、原節子なの(笑)
君ィ迎えにいってこいよっていうからね、地図書いてもらって、(中略)湯上がりの彼女連れて僕は林房雄の
家へ行った。

司会:じゃあ三島は会ってないわけですね、原節子と。

川島:会ってたら、いやあ、どうだったか。

司会:何年頃のことでしたかご記憶ありますか?
『仮面の告白』は出版されていました?

川島:もう出ていた。林房雄は三島をかわいがってますよ。

川島勝「『岬にての物語』以来二十五年」より

510:名無しさん@3周年
11/08/11 09:46:29.73 baiHCRzB
司会(山中剛史):川島さんのお仕事では講談社インターナショナルでのものがありますね(英訳版『太陽と鉄』を
見せる)。

司会(佐藤秀明):ああ、インターナショナルに移られたんですね。

川島:これはねえ、(社で)反対が多くてね。カバーの裸の写真はやめてくれっていうんだ。

司会:三島さんは是非ともこれでって……。

川島:ええ。アメリカじゃね、裸の写真こういうふうにするとね、ゲイのね、一つのシンボルになるから、
それだけはやめてくれっ言われたんだけどねえ、「いや、是非ここにこれやってくれ」って(笑)。

司会:いい本ですよ。いい本だ。
中は二色刷りで、お金かかってますよね。

川島:かかってんだよこれ。それで、裏に署名。それが効いてるんだ。
(中略)
司会:帯をするとちょうど褌が隠れるようになってるんですね。

川島:そうそう。隠したんだよ(笑)。

司会:英語の題字も三島の筆ですか。

川島:そうですよ。そちらもどっかにあるんだけど。

川島勝「『岬にての物語』以来二十五年」より

511:名無しさん@3周年
11/08/11 09:49:27.36 baiHCRzB
川島:ある時ね、三島家を訪ねて、一緒に出たら、「川島さん今日はあいてる」っていわれてね、僕は会議が
あるので社に帰らなくちゃといったら、「それじゃいいや、この次にしよう」って。パレスホテルへ送って行くと、
「出来たらあなたと一緒に行きたいんた」って、楯の会だね。

司会:決起の予行演習とか。

川島:いや、一緒に飲むんだって。「川島さんがいると盛り上がるから」って(笑)。僕酒飲みだからね。
彼あまり飲めないから、「代わりに飲んでくれないか」っていうふうに話してたね(笑)。(中略)ああいう時はね、
惜しいんだよな。会社のことなんか別にしてね、三島がそんなこと言うのはあんまりないからね、あの時期にね。
どうして一緒にいかなかったかと悔やまれますけど。まあ人生ってそういうもんだよね(笑)。

司会:最後の別れみたいな、そういうことはありましたか。

川島:いや、別にないですねえ。あれが実はそうだったのかなあ。うん。ただ凄く忙しかったからね、例会とか
なんとかでね。

川島勝「『岬にての物語』以来二十五年」より

512:名無しさん@3周年
11/08/11 19:17:57.53 baiHCRzB
司会:映画「トラ・トラ・トラ!」を見にいこうと誘われたというお話ですが、それも晩年ですか。

川島:そうです。

司会:三島が好きだった戦争映画ですね。

川島:「トラ・トラ・トラ!」はね、楯の会の推薦映画だったの。隊員と一緒に何回もみてるらしいよ。志気を
鼓舞するために。まあ、あの事件も真珠湾攻撃みたいなところがあるからね(笑)。でも、今ねえ、三島由紀夫
みたいのいないもんな。もう全部フラットになっちゃってね。人間ね。

司会:数世紀の間に一人出るかどうかの人ですね。
(中略)
司会:川島さんが親爺さんと意気投合したってのは(笑)。

川島:いやあ、あの親爺とはホントによくつき合った(笑)。

司会:テレビ局や編集の人なんかが来ると、親爺さん見ているわけですよね。親爺さんと言葉を交わして帰る人は
そんなにいなかった。
(中略)
司会:お母さんが、あれだけ早熟な才能を育てたと思うんですが。

川島:やっぱり、原因はお袋じゃないかな、あの親爺よりも。「年取ると段々親爺に似てくるからやだよ」とかって
いってたけど(笑)。

川島勝「『岬にての物語』以来二十五年」より

513:名無しさん@3周年
11/08/11 19:19:50.12 baiHCRzB
司会:ジョン・ネイスンが評伝で、家庭の中のことを結構書いてしまいましたね。あれは、ちょっと平岡家に
とっては、喜ばしくないような……。

川島:喜ばしくない。
ネイスンってのはね、あれ変わった奴だ(笑)。僕は非常に親しくしてて、渋谷の恋文横丁かなにかに連れてったんだ。(中略)
面白い男ですよ。ただ、まあねえ、聞き書きによる取材だから、よく分かってないですよ。

司会:彼は、日本語はよく出来るの?

川島:出来ますよ。僕は会ったときに、落語を一席なんて言うんだあいつ(笑)。その落語がね、なんだかね
「火焔太鼓」じゃなくて、なんか、聞きかじりのやつやって、日本語これだけ出来るんだって誇示してた。
まあよく出来る男ですけどね。でかくて、オートバイ専門で、ホントにアメリカンスタイルね。いい意味でも
悪い意味でも。どうしてんだろうなあ、今。
司会:カリフォルニアのサンタ・バーバラにいるんじゃないですか。
一時映画界に入ってたみたいですけどね。

川島:撃たれ役じゃないんですか(笑)。

川島勝「『岬にての物語』以来二十五年」より

514:名無しさん@3周年
11/08/15 16:22:50.11 Y0zDt5fk
秋山:(昔から)三島由紀夫の存在は知っていた。早稲田に入る前なんかでも本屋に行けば、「花ざかりの森」を
売っていたからね。これがあの早熟の才能ある者が書いたのかと、あちらこちらの本屋を見てまわった。読みは
しなかった。翻訳本をやらなくちゃいけなかったから、そんなものは読んでいられなかった。

井上(司会):秋山さんはいつ頃から、三島由紀夫に同時代の感覚や接点を感じるようになったのですか?

秋山:言いにくいけど、それはないよ。ないというより、「花ざかりの森」という早熟のタイトル。題が題じゃないか。
そんなかっこいいもの、関係ないと思っていた。
(中略)どこが違うのかと、後になっても感じたことだが、やはり階層が違うということだよ。(はじめて三島と
会ったきっかけは)村松剛や佐伯彰一がいた「批評」という雑誌に、村松に誘われて加わった、その時にね……。

松本(司会):昭和四十年一月ですね。

秋山駿「『内部の人間』から始まった」より

515:名無しさん@3周年
11/08/15 16:24:38.74 Y0zDt5fk
秋山:そう。なぜか遠藤周作が三島さんの家に連れていってくれた。その時、初めて社会的なことにちょっと
目覚めたんだよ。一月だったし、何か持って行かなくてはと、奮発して煙草の「ケント」をワンカートン買い、
持って行った。ところが遠藤周作と一緒に行ったら、三島さんが玄関で出迎えてくれて。まるで舞台だよ。
遠藤周作は三島に花束を持って来ていて、渡しながらご挨拶なんかしている姿を見て……。

井上:ちょっと違うなと。

秋山:ちょっとどころじゃないよ。持参した煙草は持って帰ってきちゃったよ。はっきりとこれは階層が違うなと。

井上:その時、階層というものをリアルにお感じになったのですか?

秋山:はっきり感じましたよ。西洋の何かを模したような立派な家だしね。特にやってることがさ。遠藤周作も
こんなことやるんだなと。

井上:遠藤周作についての見方も変わったのでは?

秋山:かなり変わりました(笑)。

秋山駿「『内部の人間』から始まった」より

516:名無しさん@3周年
11/08/15 16:26:02.23 Y0zDt5fk
松本:外野席から見ていたわたしたちにとって、秋山さんの登場は非常に鮮やかでした。(中略)
「内部の人間」「想像する自由」(昭和三十八年)を発表されてからの秋山さんの存在感は凄かった。三島も
即座に認めた。
(中略)秋山さんから、三島はかなりの衝撃を受けたのではないかと思います。

秋山:未だによくわからないが、三島由紀夫は私に非常に親切でした。それはなぜだったか、現在でもよくわからない。

松本:なぜ親切だったのか色々と考えたいのですが、一つは、三島由紀夫の「太陽と鉄」(昭和四十年十一月
連載開始)は、秋山さんの仕事の影響があるのではないかと思うのです。(中略)評論かエッセイか小説か、
わからない新しい仕事というのは、秋山さんのほうが先ですよ。秋山さんがすでにやっておられる。そのとき
三島は、「なるほど、これだ」と思ったのではないかと私は思います。

秋山:あそこで文章の波長が共鳴したのかね。そう考えるといいけど、未だにわからない。

秋山駿「『内部の人間』から始まった」より

517:名無しさん@3周年
11/08/15 16:28:07.85 Y0zDt5fk
秋山:私がある時から思っていたのは、もしかすると先ほどの階層の話に繋がるが、階層や絶対的な教養の違いが
あるからね。こちらは正反対の何もわからない奴、というふうに(笑)。

井上:しかし、明らかに三島由紀夫は、人間的な好感を秋山さんに対して持っていたと思うんですね。存在に
対する好感とでもいうものを。
(中略)
秋山:三島さんは最初の頃から、しかるべき外国の作家、作品に手を掛け、自分のものにして進んでゆく。一方、
こちらは何もなく、敗戦を契機に今まで読んできたものを捨てなければならないと思っていた。ただ一つ私が
大切に持っていたのは、志賀直哉だけです。

井上:しかし、三島はそういう秋山さんのことを、なんて言うのかな、セクシーだと思ったんじゃないでしょうか(笑)。

山中(司会):ストイシズムというか、ギリギリのところから出てくる魅力というか……。

秋山:私が考える対象としたのは、道端の石ころ。三島さんはそうじゃないからね。

井上:三島にとってそれが魅力的なんですね。

秋山駿「『内部の人間』から始まった」より

518:名無しさん@3周年
11/08/15 16:32:16.58 Y0zDt5fk
秋山:私だけの考えですが、「仮面の告白」は、三島さん自身も説明し難い色々な意味があると思います。つまり、
私も後に、〈私〉という主格を中心にしての連作をやる。(中略)〈私〉という主格が行う人形劇のようなものに
すぎない。そこが「仮面の告白」に似ているのかもしれない。(中略)私は、三島さんの「仮面の告白」を
(「昭和文学ベストテン(小説篇)」)に挙げましたが、私が三島を挙げたことに、他の人は意外だったらしい。
三島さんは凄い人です。物を書くといってもただ書くのではなく、細部の密度、明晰さ、集中力を持って書く。(中略)
松本:「仮面の告白」にも書かれていますが、人間として生きていく資格のない人間だという認識がまず
前提としてある。そして、そこから、どうにかして生きていきたいという時点で、書くという行為が始まる。
これは秋山さんと同じなんですよ。(中略)しかし、お二人の行き先が全く違う。しかし、間違いなくここで
クロスしている。

秋山駿「『内部の人間』から始まった」より

519:名無しさん@3周年
11/08/15 16:35:15.09 Y0zDt5fk
秋山:私は、あのときから今に至るまで、道端の石ころですよ。今だってそうです。すべてそこに還元される。
三島由紀夫は、やはり特別な人です。つまり、三島由紀夫は主人公なんです。日本の文学者にはあまりいない。

井上:(中略)それぞれ違う道を歩んだ。そのところについてどうお考えになりますか?

秋山:物の考え方ですね。根本の波長が違うのです。三島さんは特別な人だということで、私は時折、中原中也と
比較することがあります。中原中也は、毎日毎日、昼起きて、散歩して、夜に詩を少し書く生活を七、八年続ける。
あの生活の時間の在り方というものは大変なもので、普通の人がそのような生活を送ったら、二、三年で気が
狂ってしまう。それを持ち堪えた中原中也の強さというものは凄い。私は中原中也の詩が心に食い入っているほど
好きですが、一瞬一瞬の生き方が違うと思いました。一瞬一瞬が前後に繋がるのではなく、完結しながらの
一分一時間の密度になっている。そこが三島と重なる。こういう人は、長生きしようとかそういうことではなく、
その都度、完結し、その連続を生きる。

秋山駿「『内部の人間』から始まった」より

520:名無しさん@3周年
11/08/16 10:37:26.21 u4AXceHR
秋山:三島や中也、そして信長も、その都度完結する。だから戦争ができる。完結するということは、死と
裏合わせですよ。いつ死んでもいいと思っている。だから奇妙な戦争の仕方ができてしまう。あとは運ですね。
そういったことから考えると、多くの人が言っている信長と違った信長像が立ち上がってくる。
井上:中原中也と信長との繋がりなど普通は連想しませんが、秋山さんのおかげで一点繋がるなと考えさせられます。
中也と三島にしても本質的に相当違うと思いますが、密度の濃さという共通項が挙げられる……。
秋山:本質的には違うでしょうけれど、中原中也も主人公でありたいと思った人です。
(中略)中也と三島を考える上で、間に小林秀雄を入れて考えてもいい。やはり重要なのは出発点です。
中也は(中略)いわゆるランボオなんですよ。
いわゆるランボオに傾倒したら、社会の中の主人公にはなれない。しかし三島の文学はそうではない。ラディゲの
「ドルヂェル伯の舞踏会」などの方面ですから。

秋山駿「『内部の人間』から始まった」より

521:名無しさん@3周年
11/08/16 10:38:24.31 u4AXceHR
秋山:ランボオはいわゆる西洋を変えようということや、不可解なものに手で触るようなところがある。
そういったものを、実は三島も持っている。しかし、そちらへは進まなかった。
井上:どうしてでしょう。ラディゲに触れるのが早過ぎたからでしょうか?
秋山:いやいや。触れる段階の早さではなく、文学に取り組む姿勢の違いでしょう。文学のモデルの違いです。
中原中也の場合、文学のモデルは詩です。ランボオやヴェルレーヌです。三島の場合は小説です。小説は社会、
むろん政治も含んでいる。
あれほど一々のことを管理し決定して小説を書いていた人はいません。実際わかっていて、故意にそのプロセスを
飛ばしたと言えます。だから、所々で恐ろしいことを言っている。それは小説に対する疑いです。中村光夫との
「対談 人間と文学」の中で、小説に登場する〈彼〉という存在の、その〈彼〉に対して、どのような責任を
持つのかと言っていますが、これはそもそも小説の否定です。

秋山駿「『内部の人間』から始まった」より

522:名無しさん@3周年
11/08/16 10:39:48.40 u4AXceHR
井上:小説を考えていく上で、それを言ったらおしまいということがあるのですね。なぜ三島は、そういったことを
言ってしまうのでしょう? (中略)
秋山:やはり三島さんは、主人公であることを生きた人だからね。たいへんな主人公になろうとしたのではないか
というのが私の考えです。織田信長と一緒です。(中略)
山中湖の文学館にある原稿などを見ましたが、あのような原稿の書き方をする人はいない。あれはすべて遺品ですよ。
いつ終わってもいいような、完結した原稿になっています。主人公の話に戻りますが、三島は日本あるいは
日本文化の中の主人公になろうとしたのでしょう。
松本:最後のところは、条件付きで賛成してもいい。例えば「日本文学小史」などは、いま秋山さんがおっしゃった
ような意図があったでしょう。日本文学の歴史と自分の文学を一体化させ、さらに先へ進もうとした。(中略)
一番肝心なのは、日本文学全体を考え、それを提示しようとして、三島は死んだんだと捉えることでしょう。

秋山駿「『内部の人間』から始まった」より

523:名無しさん@3周年
11/08/16 10:41:00.86 u4AXceHR
山中:ご自身の仕事に注目していた、そして親切であったという三島の死に直面し、秋山さんは会社をお辞めに
なるほどショックだったとお聞きしましたが。
秋山:ショックどころではなかった。なぜ三島由紀夫が、あれほどまでに私に親切にしてくれたのかわからず、
それに対してきちんと対応していませんでした。今にして思えば、私の「簡単な生活」をペンギンブックスに
収録してくれたことは、たいへん大きなことです。しかし、その時は全く関心がなかった。(中略)外で泥酔して
いたとき、わが家に三島さんが電話をくれた。その電話に家内が出ると、「私は小説家の三島由紀夫です」と
名乗られた。まずそのことに感銘を受けましたね。(中略)電話をすると、「ペンギンブックスの件はちゃんと
済ませてあります」と。三島さんが死ぬ一ヶ月前くらいだったと思います。(中略)同時に収録される埴谷雄高は、
「秋山君、ペンギンブックスの件はどうなったかな?」などと言っていました。

秋山駿「『内部の人間』から始まった」より

524:名無しさん@3周年
11/08/16 10:41:50.77 u4AXceHR
井上:三島と埴谷の関係というのは微妙なんですね。
秋山:それが意外ね。
井上:本音がよくわからない。たぶん三島由紀夫は埴谷の考えていることは理解できるが、存在として感覚的に
好きではなかったのではないかという気がします。
しかし、もう少し接点があってもいいと思うのですが。
秋山:いや。対談や批評でも接点はかなりある。三島さんは埴谷のこともよくわかっている。
山中:(中略)同族嫌悪といったような、ある種埴谷に似たところを感じて、わざと避けたということも
あったのではないですかね。
秋山:たしかに似たところも感じていたでしょう。ドストエフスキーの小説でいうならば、埴谷雄高はどこかしら、
地下組織の秘密委員会の委員長のようなところがありますからね。(中略)一方、三島さんも楯の会を組織するしね。
松本:「豊饒の海」のような作品を構想するのには、やはり「死霊」のような小説が前提にあるでしょうね。
あれに対抗する輪廻転生の小説世界を作ってやろうという思いはあったかもしれない。

秋山駿「『内部の人間』から始まった」より

525:名無しさん@3周年
11/08/16 23:48:09.24 u4AXceHR
秋山:これは空想の話になりますが、「死霊」の中にはもう一つの流れがあって、現実に対して悪いことを
考える首猛夫、あれなんか三島さんは好きだったんじゃないかな(笑)。社会の中で悪いことを起こそうなんてね。
しかし、そのようなやり方ではなく、自ら実行しようと思ったのでしょう。三島さんは行動力があったからね。
ただ、今でもわからないが、長篇小説などを書く場合、主人公の意味が二つになる。一つは作品の主人公。
ところが三島さんの場合、現実の自分が主人公。これが素直に繋がるのか、打ち消し合うのか……。
井上:原理的には打ち消し合うはずなんですよね。
秋山:私小説というのは、作者が主人公になっては駄目。ところが三島さんの場合は、作品の主人公ではなく、
現実の中の主人公が強いから。
井上:作品と現実が重なってしまうのは、一つの幻想ですね。しかし、あえてそうした幻想を恐れなかったと
いうところもあるのではないでしょうか。

秋山駿「『内部の人間』から始まった」より

526:名無しさん@3周年
11/08/16 23:49:29.07 u4AXceHR
井上:変な喩えですが、デカルトと三島は似ているところがありまして(笑)。つまり、原理的にそれを言っては
おしまいだというところまで相対化し、思考実験でゼロからスタートする。そして自明性というものを棚上げする。
現象学で言うところのエポケーというものを、ある意味でデカルトは徹底的に行うわけですが、三島由紀夫にも
そういうところがあって……。
(中略)
秋山:デカルトを文学として置き換えるならば、あれは宇宙の主人公ですよ。
井上:そうですね。そして、自分ですべてを構成してしまう。
秋山:よく冗談で言われているように、デカルトは宇宙の運動が神の一突きによるとするから、何もしなくても
よいのであれば、神は不在で済ませたかもしれないと。これも主人公です。物を考えるということはどういうことか? 
それは驚くということが第一だとも言う。まったくその通りですね。
山中:すべて疑ったのちに、考えている自己を見出す。コギトですか。
秋山:そして、精神指導の規則や情念論などすべて集約されている。大主人公ですよ。

秋山駿「『内部の人間』から始まった」より

527:名無しさん@3周年
11/08/16 23:50:53.56 u4AXceHR
松本:三島の場合、現実の行動によって自分が主人公になれる、とは絶対に思っていなかったと思う。石原慎太郎と
違うところです。石原慎太郎は自分が主人公になり、少なくとも東京都を自分の意図するように整えようという
気持ちがあるけれど、三島は自分にはそれはできないという認識はあったでしょう。それが芸術家であると
いうことなのです。
山中:しかし、芸術家として自分自身が出てくる部分もあるのではないですか?(中略)
井上:石原慎太郎と比較するとよくわかります。慎太郎はアイロニーがなく、三島にはあったという話では
ないですか(笑)。
秋山:そう言われるとそうだけどね。とても言いにくいことだが、三島さんは石原慎太郎なんて小さいと
思ってるんじゃないの(笑)。東京都では、志が小さいからね。
あれくらいじゃな(笑)。(中略)例えば、日本文化というものを背負って歴史小説などを書いていた森鴎外と
いう人はどうだったのでしょう。
松本:鴎外の場合は、「古今集」までは遡りませんね。

秋山駿「『内部の人間』から始まった」より

528:名無しさん@3周年
11/08/16 23:53:10.09 u4AXceHR
秋山:喩えとしてはかけ離れていますが、信長はある程度天皇と仲良くやっていこうと思った人です。
松本:信長が天皇とどれだけ向き合ったか知りませんが、三島の場合、天皇を問題にしたのは、あくまで文化の
次元において、日本全体を長大な時間と空間の両面から考えてですね。
秋山:三島さんはそれよりも上に行こうと思ってたのでは?
山中:同一化ではなく、さらに上ですか?
井上:三島は幻想において、源為朝、もっと遡って日本武尊などにも自己同一化しようとしたので、三島にとって
文化的天皇というのは日本武尊の系譜になりますね。そうすることによって、自分の理想の天皇になろうとしたと
いうことはあるのではないでしょうか。現実の天皇よりはるかに上になりますね。
松本:天皇というものは、なろうと思ってなれるものではないし、三島はそのようなことはまったく考えて
いませんね。(中略)普通の人間は絶対に神になれない。三島にしてもそうです。だから、人であり神でもあり得る
希有な存在、天皇に対して、厳しく要求したのです。

秋山駿「『内部の人間』から始まった」より


次ページ
最新レス表示
レスジャンプ
類似スレ一覧
スレッドの検索
話題のニュース
おまかせリスト
オプション
しおりを挟む
スレッドに書込
スレッドの一覧
暇つぶし2ch