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仙石官房長官「併合して朝鮮人から言葉を奪った。(のは植民地支配だった。)」
朝鮮王朝は「甲午の改革(日清戦争終戦による改革)」まで愚民政策の一環で、訓民正音(ハングル)の教育や
図書編纂や文書作成を禁じていた。
1504年 李朝第10代王 燕山君、訓民正音の教育・学習を禁止、正音庁(諺文庁)等所蔵の訓民正音文書焼却。 ←注目
1506年 李朝第11代王 中宗、諺文庁を閉鎖し、訓民正音を完全廃止する。
漢城旬報
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漢城周報
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朝鮮では1895年の甲午改革により近代教育制度が始まったが、1906年の時点でも小学校が
全国で40校未満であり、両班の子弟は書堂と呼ばれる私塾で漢籍の教育を受けているような
状況だった。
初代統監に就任した伊藤博文は大韓帝国の官僚に対し「あなた方は一体何をしてきたのか」
と叱責し、学校建設を改革の最優先事項とした。伊藤が推進した学校建設事業は併合後も
朝鮮総督府によって継続され、朝鮮における各種学校は1940年代には1000校を超えていた。
小学校も併合直前には100校程度だったものが1943年には4271校まで増加、朝鮮人の識字率
も1910年の10%から1936年には65%に上昇した。
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