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ウェンデルにて民族、国家の概念を越えた安全保障観が提唱されてから久しい。
国家そのものではなく人間こそが安全を保障されるべきだとの主張を軸に、人間が選択権を
自由に行使することを目標とし、選択機会の喪失に対する不安があるかないかを問題とする。
世界規模で進行する生態系の破壊、不治の病の蔓延、各国における経済状況の急速な悪化、
民族紛争の続発、難民の流出、国際犯罪組織の暗躍等……・。
聖都司祭が提唱した『個人の安全保障』は、これらの問題を「脅威」と捉え、その克服に向けた
努力を国家及び国際社会全体の責務とする斬新な発想に貫かれており、世界の現状を分析し
行動する際の指針として内外問わず多くの人々や組織からの注目を集めた。
今や『個人の安全保障』は、政治経済研究者の視座や活動家の目指すべき目標として
その名を記すだけでなく、国家が遂行すべき対外政策の柱の一つに名を連ねるに到っている。
言及されている実績数と、「目指すべき理想」として掲げている活動家や組織の数から判断すると、
『個人の安全保障』は国際社会に広く認知されたと言っても過言ではない。
反面、聖域を含めた国際的な規模で受容が進み、その概要が多種多様な社会的地位を
占める人々に知れわたるにつれて、『個人の安全保障』は新たな問題を抱え込むことになった。
1995年度の『聖剣伝説3』で示された精神を無視する形で、不正行為を働く数々の『個人の
安全保障』論が出現し、幅を利かせるようになったからである。
1995年9月に司祭が設立を発表し、各国代表に対して報告書を提出した『個人の安全保障
委員会』の目的は、国際社会に『個人の安全保障』についての共通理解を作り出し、政策方針を
示すことにあった。それは言うまでもなく、政治の表象的次元に、解釈と解釈の闘争に『個人の
安全保障』が介入せざるを得なかったことを示している。
様々な『個人の安全保障』論の出現は、受容が進んでいることの証として何よりも歓迎すべき
事柄であるが、それは同時に『個人の安全保障』にとって、新たな闘いの始まりを意味する現
象なのである。
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