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横須賀線敷設工事で最後まで難航したのは、終着駅をどこに設置するか
であった。すでに陸軍が要望してした観音崎のプランは横須賀の市街地が
狭く、それでも鉄道を敷くとなると市街地の大変革をしなければならず、
また立退料など金銭的な問題もあり、とりあえず横須賀までということに
なっていたが、その場所は決まっていなかった。
『横須賀新報』などをみても、どこに駅舎ができるのか、クイズでもや
っているように記事が何度も出てくる。明治二十二年二月に逸見村へ仮停
車場を設置することで海軍省と鉄道局との同意ができた。この仮停車場か
ら「仮」の文字が消え、横須賀駅が誕生したのは、この年の六月十七日の
開通の日であった。
開通より少しさかのぼる三月十二日、この横須賀海軍造船所で、軍艦八
重山の進水式が執り行われた。この進水式に御臨幸した明治天皇は、横須
賀線のレール敷設工事が完了していることを知ると、列車でお召しとなっ
た。「船廠史」をみると、この日、午前七時四十分に皇居をでられ、新橋
駅から列車に乗られ、十時二十五分に横須賀駅に到着。進水式後昼食をと
られて、午後二時十分の列車でお帰りなった。
この時、横須賀駅はまだホームの工事が完成しておらず、急遽みかん箱
などを積んだ仮ホームを拵え、そこへお降りになった。開業前の工事中の
鉄道に乗り、未完成の駅へ降りたことも皇室の歴史の中でも最初で最後の
ことであろう。