10/09/18 21:56:58
山本周五郎の「菊千代抄」の場合はね、
男として育てれた菊千代が、性に目覚めちゃって、
性欲に苦しめられる描写がちゃんとあるよ。
菊千代は、自分は男だ!女じゃない!って頑張ってる女性だから、
この性欲にものすごく嫌悪感と絶望感を感じて苦しむ。
女が男として生きるって大変なんだよね。逆もまた然りだろうけど。
しかも昔だから。
(「菊千代抄」の時代は作中で明らかにされてないけど、
田沼意次の時代としか思えないのでおそらくは18世紀。
ベルばらの時代とややかぶるかな)
半三郎は、半三郎視点の描写が一切ないので分かりにくいけど、
菊千代視点の描写から見て、
どうも10代半ばぐらいに、菊千代に対して性欲を抱いちゃって、
とても困ってるようすがある。
でも成人してからの半三郎は性欲とか肉欲からは解放されてる感じがある。
だって男の性欲のピークって10代だしね。
女の性欲のピークは30代~40代なんだけどね。
(これはググると出てくる)
菊千代は大名のお姫様(表向きは若様)。
半三郎は菊千代の家臣。
ごく幼い頃から半三郎は菊千代に仕えている。
「菊千代抄」は性を偽って生きる者(菊千代)の苦しみを描いた物語であると同時に、
一人の人間(半三郎)が、一人の人間(菊千代)に至誠を尽くすという物語。
半三郎は、殺されかけても、死の淵に追いやられても、
菊千代の幸せを見届けるまでは死ねないという、
ただその一念だけを支えに生き延びた男。
もちろん菊千代と両思いになりたいだの菊千代と契りたいだのという、
そんな利己的な思いは無い。つか、そんな思いではそこまで出来ないわな。