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> 五十一年の春には、学校群制下に入学した生徒がはじめて卒業し、大学入試を受験した。
> この大学入試の結果は学校群制を評価する唯一のものさしではないにしても、
> 一つの具体的な指標となった。県教育委員会のまとめによれば、この年の国立一期校、
> 名古屋大学・京都大学・東京大学への県公立高校からの合格者は総数990人で、
> 前年の春より三人増であった。ただしそのうち学校群で育った現役生徒は六三〇人で、
> 前年より四人減であった。
>
> 内訳でみると、名古屋大学の場合、名古屋市内の学校群から七人増、
> 県下の学校群以外の単独校からは三七人増であって、県教育委員会が
> とくに重視したのは後者の現象であった。
愛知一中会『鯱光百年史』P809-810 抜粋
学校群制度を実施しても、都立全盛期から一気に都立が崩壊して
国立校・私立校が台頭した東京都とは異なり、
愛知県では公立高校全体の進学実績は落ちなかった。