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この夏、韓国南部・陜川(ハプチョン)で暮らす被爆者を取材した私は、戦前、日本が植民地支配した朝鮮半島から広島に渡ってきた人たちの歴史に関心を持った。
「広島の強制連行を調査する会」で活動する元高校教諭の内海隆男さん(72)=東広島市=に話を聞くと、太田川水系の水力発電施設の建設現場では戦前、
多くの朝鮮人が過酷な労働に従事したという。内海さんに案内してもらい、現場を歩いた。【樋口岳大】
安芸太田町加計から太田川の支流・滝山川を上っていくと、深緑に覆われた中国電力王泊(おうどまり)ダムが現れた。現在も約2・5キロ下流の
下山発電所(1934年運転開始)などに水を供給している。当時の広島電気が開発し、33年に着工、35年に完成した。
34年8月4日、この現場で火薬が爆発し、25人が死亡する事故が起きた。翌5日付の大阪毎日新聞は「岩盤に装填(そうてん)したカーリツト(爆薬)が
轟然爆發(ごうぜんばくはつ)し六名惨死、十八名は生埋めとなつて絶望、ほかに重軽傷八名に上る大惨事が突發(とっぱつ)した」と報道。
また、6日付の中国新聞に記載された犠牲者名簿によると、中には多くの朝鮮半島出身者が含まれ、
同紙は「哀號(あいごう)の聲(こえ) 深山に谺(こだま)す」と伝えている。
ダムの脇に今も犠牲者の名が刻まれた慰霊塔がひっそりと建つ。爆発があった辺りにはむき出しの黒い岩肌が見えた。
その後、車を走らせ、安芸太田町と廿日市市の境に近い太田川の立岩ダム(39年完成)へ。現在も約2・8キロ下流の打梨発電所(39年運転開始)に送水している。
さらに下流には土居発電所(38年同)や、その水源の鱒溜(ますだまり)ダム(39年完成)もある。
ソース 毎日新聞 2010年9月10日 地方版 追跡2010ひろしま:朝鮮人と水力発電開発 過酷な労働、惨事も /広島
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ちなみに、在日は、東京の奥多摩のダムについても、捏造レポしています。
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