11/08/11 00:43:04.30 EtAV5aGK
野球害毒論(やきゅうがいどくろん)とは、1911年(明治44年)に朝日新聞(当時の東京朝日新聞)が紙面で展開した野球に対するネガティブ・キャンペーンである。「野球有害論」とも呼ばれる。
新渡戸稲造第一高等学校校長
「野球という遊戯は悪くいえば巾着切りの遊戯、対手を常にペテンに掛けよう、計略に陥れよう、
ベースを盗もうなどと眼を四方八方に配り神経を鋭くしてやる遊びである。
ゆえに米人には適するが、英人やドイツ人には決してできない。野球は賤技なり、剛勇の気なし」
乃木希典学習院長
「対外試合のごときは勝負に熱中したり、余り長い時間を費やすなど弊害を伴う」
金子魁一東京大学医科整形医局長
「連日の疲労は堆積し、一校の名誉の為に是非勝たなければならぬと云う重い責任の感が日夜選手の脳を圧迫し甚だしく頭に影響するは看易い理である」
磯部検三日本医学校幹事
「あんなにまでして(ここでは渡米試合のことを指す)野球をやらなければ教育ができぬというなれば、早稲田、慶應義塾はぶっつぶして政府に請願し、適当なる教育機関を起こして貰うがいい」
「早稲田、慶應の野球万能論のごときは、あたかも妓夫や楼主が廃娼論に反対するがごときもので一顧の価値がない」
松見文平順天中学校校長
「手の甲へ強い球を受けるため、その振動が脳に伝わって脳の作用を遅鈍にさせる」
川田正澂府立第一中学校校長
「野球の弊害四ヵ条。
一、学生の大切な時間を浪費せしめる。
二、疲労の結果勉強を怠る。
三、慰労会などの名目の下に牛肉屋、西洋料理等へ上がって堕落の方へ近づいていく。
四、体育としても野球は不完全なもので、主に右手で球を投げ、右手に力を入れて球を打つが故に右手のみ発達する」