11/02/08 20:58:50 0YKqUGAS
>>89
「信長公記」によると、二条御所は砦としての機能を備えていたので
割と長い時間戦いが続けられたので、火が信忠の周辺を焼くまでかなりの
時間があったので、家臣たちが言いつけどおりに燃える御殿の床下などに
死体を隠して燃え尽きるように計らった、ということらしい。
本能寺が襲われたのがだいたい朝の6時頃、信忠の立てこもった二条御所で
戦いが続いていたのがだいたい朝の8時から9時ごろだったそうで、当時の
6月はいまの7月だから、基本的に明るくなってからの戦いだったんだね。
よくドラマの本能寺は真っ暗な中の夜襲として描かれるけど、「太閤記」で
描かれたくらいの明るさが正しいという事みたいだ。