11/02/07 10:08:05 tRofnFUo
膏肓記
江05
本能寺の変でした。
トヨエツ信長の退場は思ったより早かったですね。
江が生霊となって本能寺に現れたり、伊賀越えに同行するなんて、
ナンセンスもいいところで脱力感いっぱいです。
光秀が天正10年(1582)5月20日に安土で信長に会ってました。
そんなことはないでしょう。光秀は15日から17日までの3日間、安土で家康の接待役をつとめ、
17日に信長から接待役を免じられて、中国出陣を命じられたので、
20日はその支度のため坂本城にいるはずです。
また、丹波と近江滋賀郡の所領没収を信長に言わせていましたが、
またかという感じでもういい加減お腹いっぱいですね。
そんなはずないでしょう。
ひとつ新味があったのが、信忠が在京しているのを確認してから、光秀が謀叛に踏み切ったこと。
堺に行く予定だった信忠が、信長上京を知って、京都で出迎えると決めたのが5月27日。
信忠が森乱宛てに同日書状を送っています。
信長・信忠父子ともに討ち果たすのが謀叛の要諦だったとした点は買えますね。
従来そんな風に描いたドラマはなかったと思いますから。
余談ながら、信忠が堺下向を中止(延期)したのを知って、「(堺衆が)力を失い、茶湯の面目を失った」
と嘆いたのが千宗易です。
宗易にとっては、江よりも信忠のほうが大事な人物でした。
さらに余談ですが、江と宗易の交流を描いてしまった以上、宗易=利休の秀吉との確執やその最期についても、
江が余計なお世話をするのではないかというイヤな予感が……。
最後の江紀行で、信忠が自害した二条御所跡(旧龍池小学校跡)の石碑が登場しました。
これも珍しいかも。
もっとも碑銘のとおり、「二条殿跡」と呼んでいましたが、
当時の呼ばれ方だった「二条御所跡」(あるいは下御所)と呼んでほしかったですね。
もう感想を書くのも今回限りかもしれません。