10/12/27 22:54:07 JznnR4rl
海軍は、薩摩藩閥なので、徳川幕府が薩摩藩を抑えるために築城
した岡城を守備する岡藩出身の廣瀬武夫氏に、薩摩藩の関係者が
殺意を持って、最前線に送り込んだと言えるだろう。
本来、廣瀬武夫氏は、元ロシア駐在武官であるのだから、諜報や
捕虜の通訳に活躍するべきところを、くだらない旅順港閉塞作戦
の最前線で戦死させるなど、差別待遇があったとしか言いようが
無い。机上の空論を主張する藩閥参謀による虐待的な殺人である。
そのため、閥が悪かった薩摩藩閥が、廣瀬武夫氏を英雄として、
二○三高地の長州藩閥の悪弊への批難を、海軍に向けさせまいと
したと考えられる。
東郷平八郎も、藩閥利益を優先する有馬良橘の謀略や暴走を制止
できなかった。抑圧と支配とでは組織は堕落し崩壊する。