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開戦時には、第一艦隊参謀長が島村速雄、第二艦隊参謀長が加藤友三郎。
黄海開戦後には、第二戦隊司令官が島村、第一艦隊参謀長が加藤、
第二艦隊参謀長が藤井較一。この3人は兵学校第7期の同期生なんだね。
それで島村が首席、加藤が次席。他に三笠艦長の伊地知彦次郎も同期生。
島村と加藤だけが開戦後に少将に進級したわけだけど、上の順番は
まさにハンモックナンバーどおりの順繰りになってる。
それで理想的な適所適材になったのだから、太平洋戦争の時の
機動部隊の人事のことを考えると、この時の日本はある意味
幸運だったかもしれないよな。