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満州国建国を目指した石原莞爾は、
「満州国は、初めは、日本軍が援助するが、ゆくゆくは、日本人と満州人が力を合わせて、
ソ連、中国の侵略から満州人と日本人が協力して、国を守るように」
という考えだった。だから、日中戦争が起こった時は、戦線拡大に猛反対をした。
だが、関東軍参謀が満州政府に介入するなど、石原の思惑とは違う方向に
どんどんと国は進んでいった。それを厳しく注意した石原は、陸軍中央から退けされて、
最後にはアヘン中毒患者となり、発狂してしまった。
たしか、石原は日蓮宗の熱心な信者であり、つまり、創価とつながりがあったから、
このような不可能な理想主義にはしったのだろうと言われている。