10/10/22 17:18:11 H4py8+l9
>>74
何度も書き込んですみません。
醍醐の花見のさいの輿の順番は「太かうさまぐんきのうち」にあり。
また三宝院に残る「醍醐花見短冊帖」として、
歌会に参加した女たちの和歌短冊が残ってます。
「醍醐花見図屏風」も絢爛豪華、
華やかでお金もかかった超一大イベントだったと想像できます。
ただ「杯争い」の逸話は、前田家の家臣が当時の出来事を
見聞のまま書き留めたものの中にあり、
どうしても前田家贔屓に傾く内容であったり、
また他史料や日記等での裏付けができなかったり、
いかにも庶民の興味をそそるネタ的な「華麗な側室の争い」過ぎるので
信憑性を疑う学者さんもいるんですね。
またこの逸話には、茶々と京極龍子の側室としての寵や勢力が
際立って優れていたことが反映されているのでは?
・・・と、桑田忠親先生は著書で述べてます。
この前年にお江は千姫を産んでいるんだけど、
田淵脚本では醍醐に颯爽と登場し、デカい顔で場を仕切るのでは?
と、いう可能性が無くもない。いやな予感がしてきた。