お い 福 田 靖at NHKDRAMA
お い 福 田 靖 - 暇つぶし2ch250:日曜8時の名無しさん
10/12/16 18:17:59 om+YW9zb
880 :日曜8時の名無しさん:2010/10/02(土) 11:16:21 ID:Pgyf8RN/
実際は体が弱くて、口割りそうになった実弟が服毒自決してるが、
創作モノは大概その事実はスルーして以蔵にだけスポットあてるんだよな。
弟の死は冷徹武市の強要路線もあるだろうが、逆に仲間の結束や兄弟愛路線にでも
好きに創作し放題だろうに、ここだけは判ついたように皆一緒。
これも司馬の呪縛なんかな。ぼちぼち誰か打破してもらいたいもんだ。

884 :日曜8時の名無しさん:2010/10/02(土) 12:37:06 ID:Ai81dXT6
>880
>これも司馬の呪縛なんかな

 ここに、
「天祥丸」という毒薬が登場する。
武市がかねて、拷問のはずかしめに遭うときにこれを服用・・・・・
 すでに獄中の同志の一人が、もはやこれ以上の拷問をうければ心気衰えてなにをしゃ
べるかわからぬと思い、下獄のときに用意してそれを服(の)んだ。
 田内恵吉といい、城下井出淵に屋敷のある郷士で齢三十。姓はちがうが武市半平太の
実弟である。半平太はこの弟を愛していただけに、その死はよほどつらかったであろう。

『竜馬がゆく』「惨風」の章

835 :日曜8時の名無しさん:2010/09/28(火) 13:38:14 ID:DkcI0Z0U

史実と離れているからこそ心に届くこともある

入牢した武市半平太に龍馬と弥太郎が会いに行くシーンもそう。僕がこのとき再認識したのは、
別々の道を歩んできたはずの3人の仲間意識です。武市は上士と肩を並べたゆえに責められ、
龍馬は海軍操練所がつぶされ未来が見えず、弥太郎は後藤象二郎に頭が上がらない。関係の
変化を物語るのは、唯一握り合う手と手の間にある牢の格子で、なお下士ゆえの苦しみは共有
しているんです。・・・・・>香川照之


251:日曜8時の名無しさん
10/12/16 18:19:12 om+YW9zb
779 :日曜8時の名無しさん:2010/09/25(土) 17:26:55 ID:uAleC0Ej

  武市半平太 大森南朋 最期まで侍としての筋を通した人
 すべてのシーンを撮り終えて、今、改めて感じているのは、武市半平太は、侍であることの
プライドを本当に強く持っていたということです。主君に仕え忠義を尽くす。それが彼の生き方の
基本だった。だから、同じように日本という国をなんとかしなければという思いが出発点になって
いるけれども、龍馬とは進む道が違っていったんじゃないかと思うんです。かたや龍馬は、情報を
集めて歩いて視野を広げ、半平太は、土佐の中で侍として自分にできることをやろうとした。そして
過激な世界にまで足を踏み入れてしまったんだろうと思います。
 もちろん、途中で気づいてはいるんです。(・・・・・・・・・・)と。だから、つらいし苦しい。僕自身、
人間というのは苦悩するものだと思っているので、そこは露骨な・・・・・

730 :日曜8時の名無しさん:2010/09/22(水) 19:05:52 ID:9ivB+AhQ

  岡田以蔵 佐藤健 単なる人斬りではないと思えた
 以蔵をつくっていく作業は、「どういう人物像にしましょうか」という話し合いから始まりました。
最終的に僕の個性を生かす方向でと言っていただき、殺陣も、自分なりにしっくりくる動きをやってみて、
・・・・・・そうして僕なりの以蔵をつくれたおかげで、「人斬り」のイメージにとらわれずにすみました。友達
と騒いだり、将来を語り合ったり、今を生きる僕たちと何も変わらない人間だと思えたんです。「龍馬伝」の
台本はすごくて、何しろセリフ以外のト書きがものすごく多い!役者へのヒント、あるいは注文かもしれま
せんが、心の動きや葛藤がカッコ書きで説明してあるんです。以蔵の場合は、尊敬する武市半平太に認めら
れたいとの思いが心を占めていきました。武市役が大森南朋さんだったことも大きかったですね。オーラが
あって、大勢の中で大森さんと目が合ったりすると、ほんとうにうれしかったですから。下士として虐げられて
きた悔しさや、学問がないコンプレックスを抱えていた以蔵にとって、人斬りは一種の自己表現だったのかも
しれません。ただ、いざ人斬りのシーンに臨むと、頭の中での理解を超えるものがありました。剣を使う余裕も
なく相手にしがみついて首を絞めるシーンなど、こんなに芝居で消耗したことがないというほど心身ともに
疲れました。・・・・・・


252:日曜8時の名無しさん
10/12/16 18:20:26 om+YW9zb
161 :日曜8時の名無しさん:2010/02/22(月) 09:38:14 ID:ZVQqe3te

武市 瑞山

(たけち ずいざん)、文政12年9月27日(1829年10月24日) - 慶応元年閏5月11日(1865年7月3日)は、日本の武士・土佐藩郷士。土佐勤王党の盟主。
通称は半平太であり、武市半平太(たけち はんぺいた)と呼称されることも多い。幼名は鹿衛、諱は小楯(こたて)。瑞山は号。位階は贈正四位(1891年(明治24年)4月8日)。
妻は土佐藩郷士島村氏の娘の富子。子女はなし。坂本龍馬とは遠縁にあたる。

武市家はもともと土地の豪農であったが、瑞山より5代前の半右衛門が享保11年(1726年)に郷士に取り立てられた。文政5年(1822年)には白札に昇格した。
「白札」とは身分としては郷士だが、当主は上士に準ずるといったあつかいである。

嘉永2年(1849年)、城下の新町で剣術道場を開く。なお、この道場の門下には中岡慎太郎、岡田以蔵等もおり、後の土佐勤王党の母体となる。
安政3年(1856年)、江戸へ出て鏡心明智流の桃井春蔵に学び、塾頭となる。江戸では桂小五郎、久坂玄瑞、高杉晋作など尊皇攘夷派の長州藩士とも交流する。
文久元年(1861年)、一藩勤皇を掲げて坂本龍馬、吉村寅太郎、中岡慎太郎らの同士を集めて、江戸にて土佐勤王党を結成、2年後には192名が連判に参加。
文久2年(1862年)には、藩主山内豊範への進言を退けた土佐藩参政で開国・公武合体派の吉田東洋暗殺を指令。暗殺後東洋派重臣を藩の要職から追放し、
新たに要職に就いた守旧派を傀儡として藩政の実権を掌握。藩主山内豊範を奉じて京に進出する。上洛後は藩の他藩応接役として他藩の志士たちと関わる
一方で、幕府に対して攘夷実行を命じる勅使を江戸に派遣するための朝廷工作に奔走する。これらの動きが功を奏し朝廷が攘夷の朝議を決した際、一橋慶喜が
これをくつがえそうと入京を画策したが、武市は裏工作によりこれを一時妨害することに成功している。・・・・・

253:日曜8時の名無しさん
10/12/16 18:21:08 om+YW9zb
162 :日曜8時の名無しさん:2010/02/22(月) 09:39:38 ID:ZVQqe3te
・・・・・
京では数々の佐幕派暗殺に関与し、天誅、斬奸と称して刺客を放ち、政敵を暗殺させた(武市の下で動いた人物では、岡田以蔵、薩摩藩の田中新兵衛が有名)。
同年秋には朝廷から幕府に対して攘夷催促する勅使の江戸東下に、副使姉小路公知の雑掌となり、柳川左門という変名で江戸に随行した。
文久3年(1863年)1月、白札から上士格留守居組に出世。さらに3月には京都留守居加役となる。だがこれは過激な土佐勤王党を懐柔するための山内容堂の策謀であったとも考えられる。

文久3年8月18日(1863年9月30日)に会津藩と薩摩藩が結託したクーデターである八月十八日の政変で長州藩が中央政界で失脚すると同時に、事態は一転し、
勤王派は急速に衰退し、代わって公武合体派が主導権を握る。土佐藩においても、公武合体派の前藩主で老公と呼ばれた山内容堂の影響力が再び増すこととなる。
瑞山は同年4月に、薩長和解調停案の決裁を山内容堂に仰ぐために帰国していたが、6月、捕縛されていた側近の平井収二郎、間崎哲馬、弘瀬健太が青蓮院宮の令旨を盾に藩政改革を
断行しようとしたことを理由に切腹を命じられ、自身も政変後まもない9月に逮捕、投獄。他の勤王党同志も次々と捕縛される。一年半の獄中闘争のなか、
まだ捕まっていない同志を思い、吉田東洋暗殺も否定し続けたという。

だが、後に捕縛された岡田以蔵の自白により瑞山の罪状はおおむね決定したが、それでも東洋暗殺を否定し、老公・容堂に慶応元年閏5月11日(1865年7月3日)
「君主に対する不敬行為」という罪目で切腹を命ぜられる。享年36。未だ誰も為し得なかった三文字の切腹を成し遂げて、武士の気概を見せたと伝わる。

辞世の歌は、「ふたゝひと 返らぬ歳を はかなくも 今は惜しまぬ 身となりにけり」である。

維新後、山内容堂は武市を殺してしまったことを何度も悔いていたという。ある時などは、酔いつぶれて「半平太ゆるせ、半平太ゆるせ」とうわ言を言っていたとも伝えられる。

254:日曜8時の名無しさん
10/12/16 18:21:58 om+YW9zb
163 :日曜8時の名無しさん:2010/02/22(月) 09:40:42 ID:ZVQqe3te

言説さわやかで人格も高潔にして誠実、武士道仁義を重んじていた。瑞山は1歳年下の妻、富子とは睦まじい暮らしぶりであったとされる。
そんな武市の人格から、実際にこんな逸話が語り継がれているらしい。
武市が江戸剣術修行で鏡心明智流の桃井道場へ通っていた頃に塾生の中に女や酒に走ってしまう者がいた。武市は道場主の桃井に訴えて
自ら模範を示し、至誠を持って塾生らを説いて回った。その結果、乱れた風紀は正され、塾生達の技量も上達し、桃井は武市を高く評価し
その尽力に感謝したといわれている。

また別の逸話であるが、武市夫妻に子が授からないことを心配した吉村が、富子に七去を説いて実家へ帰らせ、その留守に若い娘を女中と
して送り込んだが、武市は次々と送り込まれた娘たちに手をつけず、吉村の計略に気づいて、吉村を叱りつけたという。

また、山内容堂が土佐勤王党の弾圧への動きを見せ始めていた時、武市は薩長和解調停案に関連して帰国をすることとなった。彼の身を案じた
盟友の久坂玄瑞はしきりに長州への亡命を勧めたと言われるが、武市はその厚意に感謝の意を述べつつも君臣の義理などを理由にこれを断ったと言う。
藩に対する忠誠心は皮肉なことに自らの死を速める結果にもなってしまった。

剣の腕も一流で教養もあり、指導者としての資質を十二分に持ち合わせていた。芸術方面では南画の腕もあり、獄中自画像や美人画など多くの優れた作品を残している。

武市が投獄されて死ぬまでの1年9ヶ月、富子は毎日3食を欠かさず牢に差し入れ、また夫を慰めるため書籍や自作の押絵なども共に差し入れていたという。
瑞山の切腹の際に身につけたのも、富子が縫いあげて届けた死装束であった。富子は大正6年(1917年)まで存命し、墓所は高知県高知市で武市の傍にある。

武市の人格を評するには「一枝の寒梅が春に先駆けて咲き香る趣があった」や「人望は西郷、政治は大久保、木戸(桂)に匹敵する人材」といった言葉が
残されている事からも、高潔な人物であったことがうかがえる。

一方で、身分が低く粗野な岡田以蔵をひそかに軽蔑していたともいわれ、そうした内容の手紙を、実弟や実家に対して書き送っている。

維新後、木戸孝允は旧土佐藩主山内容堂との酒の席で酔い「殿はなぜ武市を斬りました?」と容堂をなじったが、容堂は「藩令に従ったまでだ」と答えたきりだったといわれる。

関連するテレビドラマ
『竜馬がゆく』(1968年、NHK大河ドラマ 演:高橋英樹)
『勝海舟』(1974年、NHK大河ドラマ 演:伊藤孝雄)
『新選組!』(2004年、NHK大河ドラマ 演:デビット伊東)
『龍馬伝』(2010年、NHK大河ドラマ 演:大森南朋)

255:日曜8時の名無しさん
10/12/16 18:23:21 om+YW9zb
730 :日曜8時の名無しさん:2010/09/22(水) 19:05:52 ID:9ivB+AhQ

  岡田以蔵 佐藤健 単なる人斬りではないと思えた
 以蔵をつくっていく作業は、「どういう人物像にしましょうか」という話し合いから始まりました。
最終的に僕の個性を生かす方向でと言っていただき、殺陣も、自分なりにしっくりくる動きをやってみて、
・・・・・・そうして僕なりの以蔵をつくれたおかげで、「人斬り」のイメージにとらわれずにすみました。友達
と騒いだり、将来を語り合ったり、今を生きる僕たちと何も変わらない人間だと思えたんです。「龍馬伝」の
台本はすごくて、何しろセリフ以外のト書きがものすごく多い!役者へのヒント、あるいは注文かもしれま
せんが、心の動きや葛藤がカッコ書きで説明してあるんです。以蔵の場合は、尊敬する武市半平太に認めら
れたいとの思いが心を占めていきました。武市役が大森南朋さんだったことも大きかったですね。オーラが
あって、大勢の中で大森さんと目が合ったりすると、ほんとうにうれしかったですから。下士として虐げられて
きた悔しさや、学問がないコンプレックスを抱えていた以蔵にとって、人斬りは一種の自己表現だったのかも
しれません。ただ、いざ人斬りのシーンに臨むと、頭の中での理解を超えるものがありました。剣を使う余裕も
なく相手にしがみついて首を絞めるシーンなど、こんなに芝居で消耗したことがないというほど心身ともに
疲れました。さらに罪を重ね、追い詰めれ、目の前には闇しかなくなって。そこで龍馬と再会する。以蔵にとって
龍馬は、最後の希望の光だったんでしょう。だから、それまでの行動と矛盾するようでも勝麟太郎の用心棒を
引き受ける。やっぱり嫌だたんですね、人斬りなんて。・・・・・

256:日曜8時の名無しさん
10/12/16 18:24:23 om+YW9zb
97 :日曜8時の名無しさん:2010/10/11(月) 01:52:16 ID:1oTUJKlK
 対話により革命を起こそうとした人が龍馬なら、高杉は戦いにより革命を起こそうとした人。理想は前者でしょうが、身分によらない
奇兵隊を結成するなど、高杉の革新性は図抜けていたと思います。罪人として葬られた吉田松陰の骨を掘り返し、埋葬し直したという逸話
もありますが、ここからも“傾(かぶ)き者”ぶりと、先人への深い思いがうかがえます。
 高杉は、上海で世界の情勢を知り、危機感を抱いたとか。海外に出て初めて国や自分のことが見えてくるという感覚は、僕にも経験が
あります。ましてやあの時代は衝撃も大きかったでしょう。一方で、「ほんまは好き勝手に生きたい」というセリフもあるように、封建
社会における立場に縛られる部分もあったと思う。そこが龍馬との違いでしょうね。もっとも、大見得を切って大胆な行動もとるし、女
性や三味線を好む一面もある。僕の中の高杉は、革命家のチェ・ゲバラだとか、機知に富み有言実行なあたりは 「ルパン三世」のような
イメージ(笑)。今回は扮装も異質なので、独自性を楽し んでいただけると思います。
 龍馬と高杉は、生き方の違いを理解し合ったうえで、尊敬できる関係を築いていた 気がします。龍馬を演じる福山雅治さんには個人的
にもシンパシーを感じています。 折々で交わす男同士の会話が楽しくて、大好きな人ですね
 今の時代、将来が見えないでいる人は多いと思うんです。金や快楽を追い求めるだけの資本主義経済の行き詰まりに、みんな気づき始め
ている。そうした中で新しい価値観を示していくのはどんな人たちか 僕は、幕末の志士に希望を感じずにいられません。龍馬も高杉も、
金は重視しても 目的とはせず、ものごとを動かす道具として使った。そして、大志を見失わなかった。 「龍馬伝」が、人々が新しい価値
観を共有するきっかけになったらと思います。  
                                  >「大志を貫く姿勢に希望が見える」伊勢谷友介(高杉晋作)

 
長州藩士 高杉晋作
吉田松陰の愛弟子で松下村塾では久坂玄瑞と並んで松門の双璧と言われていた。江戸では昌平坂学問所で学ぶ。松陰処刑後は藩の軍艦教授所
に入り、さらに藩校・明倫館の舎長となる。藩命により海外視察のため上海に滞在、中国の植民地化の実情を知り、帰国後、日記『遊清五録』
に記した。イギリス公使館の焼き討ちを行うなど過激な攘夷運動も行う。長州藩の外国船砲撃の際は下関防御を任され、身分によらない有志
による奇兵隊を結成。その後、一時藩内の勢力争いにより、入獄、脱藩を経験するが、挙兵決起して反対勢力を抑え、倒幕派の軍事的基盤を
つくりあげていく。桂小五郎や龍馬とともに薩長同盟を進め、長州軍の海軍総督として活躍したが、戦の最中に病に倒れ、幕府の終焉を見ない
まま世を去った。
                                          ~NHK大河ドラマ・ストーリー『龍馬伝』後編~ 

257:日曜8時の名無しさん
10/12/16 18:26:09 om+YW9zb
818 :日曜8時の名無しさん:2010/10/13(水) 17:28:32 ID:h0IcHyBa
龍馬は新政府の構想に自分の名前入れてないし、
政治には関係しないっしょ
商売するんだろうけど、国内じゃ弥太郎に競り負けそう
おそらく海外に進出して冒険的な出来事を体験して華々しく死ぬんだろう
っていう男のロマンを想像してしまう
どちらにしろ生き残っても公式な歴史に名前を刻めるような「しっかりした」活躍はできない
っていうしないだろうなw

827 :日曜8時の名無しさん:2010/10/13(水) 18:38:45 ID:jRdilh79
180 :日曜8時の名無しさん:2010/09/24(金) 13:38:10 ID:DxGwFiNM
尾崎三良が史談会で明治三十二年(1889)三月十一日に語り、自伝のために「演舌」し
長男洵盛に筆記させたのは明治三十八年(1905)八月。ところが大正元年(1912)十一月
発行の 『維新土佐勤王史』では「内大臣」の項がまるごと欠けており、参議中の岩倉と
東久世は 議奏に移され、また参議から坂本龍馬が消えた。

828 :日曜8時の名無しさん:2010/10/13(水) 18:42:00 ID:jRdilh79
176 :日曜8時の名無しさん:2010/09/23(木) 19:21:25 ID:67yi4LlH
戸田雅楽(尾崎三良)が挙げた参議候補
岩倉具視・東久世通禧・大原重徳・長岡良之助・西郷隆盛・小松帯刀・大久保利通・
木戸孝允・広沢真臣・横井小楠・三岡八郎・後藤象二郎・福岡孝弟・坂本龍馬

829 :日曜8時の名無しさん:2010/10/13(水) 18:44:13 ID:jRdilh79
552 :日曜8時の名無しさん:2010/09/23(木) 02:51:14 ID:r0FuZdgj
>548
てかさ それ、普通に「龍馬は『世界の開演隊をやろうかな』とホラをふいた」って書いてるんだが。

553 :日曜8時の名無しさん:2010/09/23(木) 02:51:38 ID:uffWlSHq
>548
せまい日本で役人などをやるよりも、世界を相手に大きな仕事をしてみたい。
龍馬の発想はどこまでも広がっていくのだった。
「あの時の龍馬は、西郷よりずっと大きな人物にみえたよ」
同席していた海援隊士・陸奥元二郎(宗光)は、のちに外務大臣になってからも、
よく他人にそう語ったという(千頭清臣『坂本龍馬』)。

855 :日曜8時の名無しさん:2010/10/13(水) 20:46:10 ID:jRdilh79
>818
「新官制擬定書」に名前があろうが無かろうが、龍馬自身、維新後は役人になる気はなかったのではあるまいか、
と『龍馬の手紙』の宮地佐一郎氏も言っている>827以下くらいのことは指摘したうえで

258:日曜8時の名無しさん
10/12/16 18:31:21 om+YW9zb
345 :日曜8時の名無しさん:2010/10/25(月) 16:54:56 ID:khF2l+cS
「武市さんのように頭のいい人が~」
へー。おまえはそんな相手に間違っちゅうまちがっちゅう言ってたわけだ
しかも、武市を無能といった東洋と並べて回想されてもな
3部以降の龍馬に武市の名前だされると、神経逆なでされる

381 :日曜8時の名無しさん:2010/10/26(火) 17:53:08 ID:gG+4LR6q
>345
田中東洋も大森半平太にチャンスを与えたのに生かせなかった
勢力を持った勤王党を率いる半平太の建白書を無視し続けた東洋が見ていたものは?
見事な脚本だ


259:日曜8時の名無しさん
10/12/16 18:37:14 om+YW9zb
532 :日曜8時の名無しさん:2010/11/05(金) 18:32:17 ID:gMmWxcZO
 自分の顔に似せるために、タライの水に顔を写して描いた。・・・
 武市は、・・・美丈夫といっていいほどの容貌である。
 しかし当人は自分が醜男(ぶおとこ)だと観念していたのか、自画像に添えた富子への手紙にはこ
う書いている。
「自画像(じぶんえ)を描きましたが、ちとちと男ぶりがよすぎて、独りおかしく候。・・・まことに
やつれはて申し候。されど精神は大丈夫でありますから、こればかりはお気遣いくださるな」

『竜馬がゆく』「惨風」の章

206 :日曜8時の名無しさん:2010/10/31(日) 10:11:35 ID:mw3f+x+K

福山龍馬へのメッセージ

武市半平太役 大森南朋さん
 半平太がいる牢に龍馬と弥太郎が来る3人の最後のシーン。あのときの3人
の心のやり取りは、すごかった・・・・・・・・。
 福山さん、半年間、ホントにありがとうございました。こりずにたまに遊んで
ください。
                                  NHK大河ドラマ・ストーリー『龍馬伝』完結編


260:日曜8時の名無しさん
10/12/16 19:50:48 om+YW9zb
717 :日曜8時の名無しさん:2010/11/17(水) 10:06:11 ID:Jgmv/q8f

沢辺 琢磨(さわべ たくま、天保5年1月5日(1834年2月13日) - 大正2年(1913年)6月25日)
は日本ハリストス正教会初の正教徒(ハリスチャニン=クリスチャンにして最初の日本人司祭である。
聖名(洗礼名)はパウェル(パウロ)。沢辺姓を名乗る前は山本琢磨

出生から函館まで
天保6年(1835年)、土佐国土佐郡潮江村(現在の高知市)に土佐藩の郷士である山本代七の長男として
生まれる。幼名数馬。代七の弟・八平は同じ土佐郷士の坂本家に婿養子として入り坂本直足と改名、次男に
坂本龍馬をもうけており龍馬とは血縁及び実質上の従兄弟同士である。また琢磨の母は武市瑞山(半平太)
の妻である富子の叔母であった。

武術に優れ江戸に出て三大道場の一つといわれた鏡心明智流の桃井道場でその腕を一層磨き、師範代を務める
までになる。ところがある晩、酒を飲んでの帰り道に拾った金時計を酔った勢いで一緒にいた友人と共謀し
時計屋に売ってしまい直ちにそれが不法なものであることが発覚して窮地に追い込まれる。訴追を逃れるため
に龍馬や半平太の助けを得て江戸を脱出。東北各地を流れ回った末、新潟にたどり着いたところで出会った
前島密に箱館(現・函館市)に行くことを勧められ渡道し函館に落ち着く。(wiki)


718 :日曜8時の名無しさん:2010/11/17(水) 10:07:42 ID:Jgmv/q8f
龍馬や半平太の助けを得て(wiki)

261:日曜8時の名無しさん
10/12/16 20:00:11 om+YW9zb
699 :日曜8時の名無しさん:2010/11/16(火) 12:49:44 ID:uV3s3i2I
時計事件の話は、高知の学芸員が武市の役回りを知ってクレームいれたが
聞き入れられずにそのまま放送されたってみたが

>696
3部以降語られる武市さんは、自分の知ってる武市さんと違うようだ
私怨で暗殺という凶行に走り、優秀な参政から無能と一蹴される。
問題は武市さんの人物造型だけじゃない

龍馬が武市さんと同じ志を持ちつつ、やり方が違うと袂を分かった。
なら、4部の龍馬も受け入れられる。
実際は、間違っチューチュー言って、勤王党入りの理由も武市さんを止めるため
それでてめーは何やってるかといえば親の金で長い長い自分探し
ここにきていきなり、武市さんの後継づらして、倒幕だ日本人だ叫ばれてもね
P以下、誰もおかしいと思わなかったんか

711 :日曜8時の名無しさん:2010/11/17(水) 00:37:57 ID:NTnsHmQ+
>699
正確なソースは?w


262:日曜8時の名無しさん
10/12/16 20:02:48 om+YW9zb
295 :日曜8時の名無しさん:2010/11/12(金) 23:31:26 ID:iKzrVihN
司馬遼太郎は、いちおう龍馬を「竜馬」と表記することでフィクションですよ、と匂わせてるけど、
龍馬伝は、「龍馬”伝”」だからねぇ・・・


制作者からのメッセージ
龍馬再発見の旅へ
チーフ演出 大友啓史

・・・・・(「龍馬伝」=)フィクションはいつの時代も、現実を生きている人々の無意識を反映する
合わせ鏡になります。・・・・・

                                    NHK大河ドラマ・ストーリー 龍馬伝 前編

263:日曜8時の名無しさん
10/12/16 20:05:56 om+YW9zb
820 :日曜8時の名無しさん:2010/11/25(木) 17:44:51 ID:lnsQxRbq
>>816
史実の龍馬の動きを知ってるか?
司馬竜馬の動きは厳密に言えば間違っている
さあ、答えてみよう!w
「龍馬伝」スタッフは百も承知でファクションを構築している!w


ど~~した?こんなもんは基本中の基本で、史実を押さえているからこそ、「土佐に帰った」
みたいな史実とは異なるフィクションならではのおもしろい発想ができるんだw

264:日曜8時の名無しさん
10/12/16 20:09:16 om+YW9zb
859 :日曜8時の名無しさん:2010/11/28(日) 17:23:53 ID:PJ7srt5s
これから土佐勤王党トークショーを観覧しに竹林寺に行ってきます。

894 :859:2010/12/01(水) 01:20:19 ID:XJErgu5N
859です。

うろ覚えながら、土佐勤王トークのレポします。

収録場所は竹林寺の日本庭園が見える大きな部屋でした。
観客は100人位で当選倍率は、7倍だったようです。

収録前には、近藤アナが観客の緊張をほぐそうと洒落を言っていました。
「収録中は私が作った、このとさ金ノートを見ながら進行するんですよ。ウフフフ
とさ金ノート....とさきんノートー.... 土佐勤王党」

まずは、勤王党メンバーから大森さんはどういう人かという質問に「飲みに行っても
少ししかおごってくれない。ちょっとケチだけど....気前がいい人」みたいな発言。
すかさず大森さんが、「何だそのケチ気前がいいってのは? エロかわいいみたいな意味か?」
と切り返して場内爆笑。

特に、望月亀弥太役の音尾さんは大変面白い方です。収録中もいいムードメーカーでした。
その音尾さん、望月亀弥太のお墓参りをしようと去年9月に、ネットで墓の場所を検索し
高知へ来ました。高知市民図書館で墓の詳細地図を手に入れ、旭町の小高い山に行ったのですが
昇る道がない..... その場所を3~4回まわっても道が無いので、藪の中を昇って行こうとしたら
「毒蛇がいるから昇ってはダメだ」と地元の人に止められて、いつ昇れますかと聞くと
「それは冬だ」と言われ墓参りを断念したそうです。

895 :859:2010/12/01(水) 01:25:58 ID:XJErgu5N
青木さんは、桂浜で撮ったビデオメッセージで登場。
龍馬伝収録が始まった頃は、青木さんと勤王党メンバーは同じ殺陣(たて)の稽古に行って
いましたが、ドラマでは敵同士なのでお互い距離を置いて少し不仲だったそうです。
勤王党メンバーからは、不仲関係の結構リアルな発言が出たので、この辺は編集でカットかな。
ただ今は仲がよく飲みに行ったりしてるそうです。
青木さんは、自分の収録外の時も、、短パンにサンダル姿で自転車で収録現場に来て見学を
していたそうです。番組後半は役作りの為、体重を10~15キロ増やしたので、久しぶりに
青木さんに会った時に、あまりの変化に本人かどうか分からなかったと大森さんが言っていました。
その青木さん、武市半平太のお墓参りに行った時、お墓の前で号泣したというエピソードも
紹介されました。すると大森さんが、「(半平太を切腹に追い詰めた)フッ........報いだな」と発言。
場内笑いに包まれました。
青木さんは、土佐龍馬・であい博の梼原会場で展示してあるサイン色紙に象二郎だからゾウの絵を
書いたり、ビデオメッセージでも非常に明るく面白い方でした。

放送を楽しみにしている高知県人は、ネタばれして申し訳ないです。
構わなければ、また後日続きを書きます。

265:日曜8時の名無しさん
10/12/16 20:10:27 om+YW9zb
905 :土佐勤王党トークショー レポ:2010/12/02(木) 01:04:36 ID:WUIERNtZ
sageですね。すいません。
2ちゃんねるには、投稿したことないのですが、PCから投稿すると、なぜかアクセス規制で
エラーが出ます。
携帯電話から投稿しているので改行などが変で読みづらいかもしれませんがご容赦ください。

レポの続きです。

事前に観覧者にメールでアンケートをしていた武市半平太の名場面の結果発表も行われました。

半平太の名場面アンケート第3位は、半平太の切腹シーン
三文字に腹を切ったのですが、実は台本には「三文字切腹」とは書かれておらず、ただ「切腹」とのみ
書かれていたとか......。

2位は「愛の蛍」 半平太の牢獄に、冨から送られた蛍が舞うシーンです。
大友ディレクター曰く、1つの牢獄に複数の罪人を入れていたので、蛍のシーンや龍馬と弥太郎が
牢獄まで会いにくるシーンは史実とは違い完全に脚色だが、どうしても入れたかったシーンみたいな
ことを言っていました。
福山さん、香川さん、お二人共に牢獄の半平太に会いに行くシーンが凄く印象に残っているとのことです。


906 :土佐勤王党トークショー レポ:2010/12/02(木) 01:09:58 ID:WUIERNtZ
名場面アンケート第1位は、やはりあの場面、第21話「半平太と冨の最後の朝餉(あさげ)」のシーン。
VTRが流れると、会場の観客からすすり泣く声があちこちで聞こえてきました。
ここでちょっとしたハプニングが.... 大友ディレクターも目頭を押さえたり、亀弥太役の音藤さんは
マジ泣きしていましたが、何と進行役の近藤アナまで泣いてしまって進行が少し止まってしまいました。
この朝餉のシーンを撮るにあたって、大森さんは、奥貫さんには失礼のないように台詞だけは完璧に
覚えていこう。あとはその場の雰囲気で演技をしようみたいなことを言っていました。
収録現場では、スタッフ始め殆どの人が泣いていたそうです。

小出しにしてすいませんが、ちょっと風邪気味なので、また後日。
奥貫さんのビデオメッセージは超期待していてください。
では。

266:日曜8時の名無しさん
10/12/17 01:07:23 0j+qf58J
↑視スレ常厨 福山and福田ヲタお医者さんごっこ患者のご活躍期待age↑

267:日曜8時の名無しさん
10/12/17 10:01:52 NY4Qwc/V
ここの住人は龍馬伝が大好きなんだね

268:日曜8時の名無しさん
11/01/01 23:41:21 GisbVevf

RYOMA THE BEST 投票結果
第一部

☆1 第7回「遥かなるヌーヨーカ」坂本家 海へ行く
自分の死を感じる八平。龍馬は家族全員を誘い出し海へ出かける。そこで龍馬は家族全員を世界旅行に連れて行くと約束する。

☆2 第13回「さらば土佐よ」龍馬、家族との別れ
脱藩を決意した龍馬。家族には内密に出て行こうとするが、家族はそれを察していた。家族の愛情の前に、龍馬は泣き崩れるのであった。

☆3 第1回「上士と下士」龍馬と弥太郎のぶつかりあい
上士に斬られそうになった弥太郎を龍馬が救う。「上士も下士も無くなる」龍馬と弥太郎が思いをぶつけ合う第1回のクライマックス。

☆4 第1回「上士と下士」母・幸、少年龍馬を救う
少年龍馬の最大の理解者、母・幸。龍馬が上士に無礼を働いてしまい上士の家に連れて行かれる。そのときに母・幸が命を張って龍馬を救う。
このときの経験がのちの龍馬の糧になる。

☆5 第10回「引きさかれた愛」龍馬、加尾との別れ
運命を受け入れようとする加尾を必死に止めようとする龍馬だったが、加尾は龍馬に別れを切り出すのであった。


269:日曜8時の名無しさん
11/01/02 11:18:22 shacOKRM
☆6 第5回「黒船と剣」黒船を目撃する龍馬
黒船来航。龍馬は長州藩士・桂小五郎とともにそれを目撃する。このときの衝撃が日本を、そして龍馬を今後突き動かすのである。

☆7 第6回「松陰はどこだ?」松陰との出会い
黒船に乗り密航をたくらむ吉田松陰に龍馬が出会う。「君は何者じゃ!なんのためにこの天の下におるんじゃ!」松陰の飽くなき探求心に龍馬は突き動かされるのだった。

☆8 第11回「土佐沸騰」龍馬VS吉田東洋
話による解決を試む龍馬は武市らを押さえて、単身で吉田東洋に話しを願い出ると、そこには意外な結末が待っていた。

☆9 第7回「遙かなるヌーヨーカ」八平が龍馬に送った言葉
自分の命がもう長くないと気づいている父・八平は、龍馬に思いを伝える。「この世に生まれたからには、己の命を使いきらんといかん。」その言葉は龍馬に大きな影響を与えるのだった。

☆10 第10回「引きさかれた愛」加尾、京へ
武市半平太たち土佐の攘夷派の策略により、加尾は京都へ上らなければならなくなる。そこへ、龍馬がそれを止めにくるのだが・・・。
 

270:日曜8時の名無しさん
11/01/03 18:08:46 +xH6SBXq

RYOMA THE BEST 投票結果
第一部

☆1 第7回「遥かなるヌーヨーカ」坂本家 海へ行く
自分の死を感じる八平。龍馬は家族全員を誘い出し海へ出かける。そこで龍馬は家族全員を世界旅行に連れて行くと約束する。

☆2 第13回「さらば土佐よ」龍馬、家族との別れ
脱藩を決意した龍馬。家族には内密に出て行こうとするが、家族はそれを察していた。家族の愛情の前に、龍馬は泣き崩れるのであった。

☆3 第1回「上士と下士」龍馬と弥太郎のぶつかりあい
上士に斬られそうになった弥太郎を龍馬が救う。「上士も下士も無くなる」龍馬と弥太郎が思いをぶつけ合う第1回のクライマックス。

☆4 第1回「上士と下士」母・幸、少年龍馬を救う
少年龍馬の最大の理解者、母・幸。龍馬が上士に無礼を働いてしまい上士の家に連れて行かれる。そのときに母・幸が命を張って龍馬を救う。
このときの経験がのちの龍馬の糧になる。

☆5 第10回「引きさかれた愛」龍馬、加尾との別れ
運命を受け入れようとする加尾を必死に止めようとする龍馬だったが、加尾は龍馬に別れを切り出すのであった

☆6 第5回「黒船と剣」黒船を目撃する龍馬
黒船来航。龍馬は長州藩士・桂小五郎とともにそれを目撃する。このときの衝撃が日本を、そして龍馬を今後突き動かすのである。

☆7 第6回「松陰はどこだ?」松陰との出会い
黒船に乗り密航をたくらむ吉田松陰に龍馬が出会う。「君は何者じゃ!なんのためにこの天の下におるんじゃ!」松陰の飽くなき探求心に
龍馬は突き動かされるのだった。

☆8 第11回「土佐沸騰」龍馬VS吉田東洋
話による解決を試む龍馬は武市らを押さえて、単身で吉田東洋に話しを願い出ると、そこには意外な結末が待っていた。

☆9 第7回「遙かなるヌーヨーカ」八平が龍馬に送った言葉
自分の命がもう長くないと気づいている父・八平は、龍馬に思いを伝える。「この世に生まれたからには、己の命を使いきらんといかん。」
その言葉は龍馬に大きな影響を与えるのだった。

☆10 第10回「引きさかれた愛」加尾、京へ
武市半平太たち土佐の攘夷派の策略により、加尾は京都へ上らなければならなくなる。そこへ、龍馬がそれを止めにくるのだが・・・。


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