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tanasinn第一世代が去った後にスレを受け継いだのは彼らに触発された人々だった。
2ch全体から、そして2chの外からもやってきた彼らは、
好奇心が強く、tanasinnを単なるアイデアとして捉えるだけではない人々だった。
そうしてtanasinn第二世代の波はやってきた。
そう、そしてこの時点でtanasinnスレは単なる電波スレではなくなったのでる。
第一世代の文化を継承した第二世代は、それに自分なりのアレンジを加え始めた。
この頃tanasinnはある種の大まかな形が示されていたので、tanasinnの表現の専門家が一気に進んでいくことになった。
銅鑼はさらに激しく、深遠に。長文は長く、論理的に、詩はより深くなっていった。
銅鑼以外のAAが本格的に作られ始めたのはこのころだろう。
tanasinnAAを芸術として捉える動きも始まった。
またさまざまな板にtanasinnスレが立ち始めたのもこの頃だった。
そうして一気にtanasinn文化は拡大されたのだった。
まさに中世の貴族文化を受け継いだ、19世紀の市民文化の様相を呈していたと表現しても良いだろう。
そして一部の住人か、単なるtanasinnを電波と捉えたものの仕業かは定かではないが、
他の板へ無意味なtanasinn爆撃をするものも現れ始めた。
これは後々となってtanasinnスレの方向性を大きく曲げる原因の一つとなるのだった。