11/03/11 14:28:20.20 T/5dgd/Y
1991~92年、まだ自分がハタチ前後の小僧だった頃、牌の音に行ったことがある。
最初は下北沢店。店員さんがとても良い接客で好感持てた。お客も普通で和気藹々とした雰囲気だった。
次に町田店に行ってみた。
忘れもしない1993年の正月。
いきなり上家のキモ男が「すいません」と言って第一打を切った。そいつの第一打は字牌だった。
「これが噂の…」と思ったがちょっと引いてしまった私。
下家にはパンチパーマの男がいた。後で知ったがこいつは山田秀樹だった。
せっかく遊びに来たのに妙に重苦しい雰囲気で進む場。なんかつまらない。
そして…どこのフリー雀荘でもやってたように「万両~」と一万円札片手にヒラヒラとさせた私に…カウンターにいたもう一人のパンチパーマ(後で知ったが吉田勇という男)から凄まじい怒声が。
「万両お願いします、だろがゴルァ!」
確かに当時の私は生意気盛りのガキだった。それは認める。
だが…ただでさえ萎縮した雰囲気を強要しておいて更にその罵声はないだろう、と今でも思う。
気がついた時には他の若いメンバーに「てめぇ二度と来るな!」と凄まれてつまみ出されていた。
時は深夜3時。コンビニもさほどなければネットカフェなんか無かった当時。孤独に初電を待った深夜の寒さは今でも忘れない。
生意気盛りだった当時の自分、確かに態度も良くなかったかもしれない。だが…後にも先にも罵声浴びせられて出禁になった雀荘は牌の音町田店だけだった。
ちなみにもちろんちゃんと払うべきお金は払った。
18年経った今でも納得できない。