11/10/16 20:38:44.45 bmndDUy4
――積み上がったA4プリントの山をぼんやりと視認した時、ぼんやりとした思考の中で真っ先に思ったのは口元に
よだれでも垂れていないか、という懸案だった。
口で言うだけなら漫画みたいだけど、実際にやらかしてしまって手書き書類のインクを滲ませた時は、後輩事務員にしてアイドル候補生たる
少女の柳眉をこれでもかという位つり上がらせてしまったから。
何か、長い夢でも見ていたのだろうか。内容はそれこそ、霞がかったみたいに思い出せないけれど。
ポーチから取り出したコンパクトで、久々の徹夜明けで顔がどのような有様になっているかを恐る恐るチェックする。
肩で切り揃えた髪には多少の寝癖はついているが、手櫛でまだ何とかなるだろう。頭のヘアバンドにインカム、ついでに口元の黒子までもを
チェックしてから、ホッとため息をつく。とりあえず、人前に出られないような惨状ではない。
壁にかけられた時計を確認すると、もう間もなく皆の出社時刻だった。
「・・・・・・顔でも洗って、お化粧直ししとかないとね。・・・・・・あっ!亜美ちゃん達ったら、お菓子は家に持ち帰るように言ったのに・・・」
「未完の幼きビジュアルクイーン」の指定席となった来客用ソファ前のテーブルで、まだ中身のあるベックリマンチョコの
派手派手しい紙袋がが放られているのを見て顔をしかめる。
そして、ガムテ張りされた「765」の社名が影を作っている窓をガラガラと開け、朝の空気を思い切り吸い込む。いつから、と
決めた訳でもないけれど、徹夜明けにおける恒例の作業だった。
「・・・・・・さて、今日も一日頑張りますか」
あと少し経てば、今はだだっ広く錯覚してしまうオフィス内も、息つく間もない程騒がしくなるだろう。
シャワー代わりに朝陽を浴びて、ひとしきりリフレッシュした後――
透明度の低いガラスの向こうに、ゆら、とたなびく長い髪が見えた気がした。
「――え?」
反射的に瞼を擦ってガラスを見直した時、当たり前だがそこには髪を短く切り揃えた自分の姿しか映ってはいない。「音無小鳥」の姿しか。
(・・・・・・伸ばさなくなって、どれ位経ったっけ)
アイドルを断念してからずっと、今の髪型を通していることに深い意味はない、と思う。ただ、ここへの就職を決意した時に、
『舞台裏』の人間にとっては長い髪よりこっちの方が融通が利く、と思っただけで――
ぼんやりとそんな風に考えていた時、デスクに置いた自分の携帯が軽やかに着信音をでる。
慌てて手に取ったそれの着信画面には、自分のかつてのプロデューサーにして現上司の名前。
「――あ、もしもし社長ですか?珍しいですねこんな朝早くに――」
そうして話し込んでいる内に、さっきまでのぼんやりとした逡巡は消え去り、たちまち事務員としての日常を取り戻していく。
ただ、差し込んでくる金色の朝陽が、不意に「あの子」の髪のようだ――などと、一瞬過ぎった感想も、忙しさの中で存在ごと消えていき。
――嘘のように突拍子ない光と緑の世界を。確かにあった筈のもう一つの思い出を、忘れたことすら忘れたまま、彼女は今日もアイドル達を笑顔で出迎える。
再び始まりの日がやって来る、その日まで。
(あとがき)
投下終了、レスの都合によりあとがきという名の言い訳も投稿させて頂きます。
一応次回からは時間軸が現在に戻りアイドル達も活躍する予定ですが、様々な方が言うようにテイルズサイドを知ってる人にとって
どういう感じになっているのかが気になってもいます。
TOWというお祭りの特性上、シリーズキャラも越境させて登場させてしまってますが、今のところテイルズファンの読者様は
いらっしゃらないようで、動かし方がこれでいいのかと試行錯誤する今日この頃でもあり……いっそ物は試しと別の投稿所とかで
挑戦してみようかと、魔が差した考えに襲われたりもしています。