10/11/17 18:59:08 5foSoAtP
>>31
おばあちゃんは急いでいた。
只ひたすらに走る。他から見れば小走りしているとしか見えないが、一言を
伝えるため彼女の元へ全力で急いでいた。
「助けておくれ!」
出会ったのは、田舎の小さな学校だった。おばあちゃんの散歩コースで、何時も
座って一休みするベンチに、先日から先客さんがいるのだ。
「こんな寂しい所で、娘さんが何をなさっているね?」そんなことから会話が
始まった。それから毎日出会って少しだけ会話をすることが、おばあちゃんの
楽しみになっていった。
「それで娘さんは何をなさっているのかね?」
「鬼なんです。私・・・」
「鬼さんなのかね、それはまあご苦労なこってぇ」
別れ際に振り返ると小さな手を振ってくれる。
こんど自宅で、わんこそばでも振舞ってあげるかねぇ。おばあちゃんの小さな日常。
そんな日々が急速に悪化していた。
僅かな誤解が、小さな無理解が、ありえない不運が重なって、人々の憎悪が
炎のように燃え広がる。まるで枯れた山肌を蹂躙するように焼き尽くす。
おばあちゃんは知っていた。同じことの繰り返しであることを。夫を失い、
息子を失い、隣人を失った、あの日が目前に迫っていることに。
鬼さんは約束してくれた。
「何か困ったことがあったら、いつでも相談してくださいね」
他に頼むなんて出来なかった。自分は無力だと思う。それどころか、誰にも出来ない
ことを、あの娘にお願いすることに心が傷んだ。彼女が解決出来る保証など何処にも
ないが、おばあちゃんは一つだけ確信している。
彼女は強い。
巨大な力を持っているとか、そんな次元の話ではなくて、多くの悲しみを知っているが
故の強さ。
息が切れて転んだ。視界が地面まで落ちたが、そのことにしばらく気がつかな
かった。少し体が痛いけれど、路端の草を掴んで立ち上がる。片足を引きずりながら
急ぐが、殆ど歩いているのと変わらない。やっとベンチに座っている彼女が見えて
きた。おばあちゃんの只ならぬ様子で、彼女は全てを悟って立ち上がると、その姿が
全く変わっていた。
目が赤く染まり、着物の袖が乱舞する。それまでの優しい、穏やかな表情で
はない。普通の人であれば恐怖の余り、気絶をしているかも知れない。
「ドン!」
轟音を残して飛び去る。おばあちゃんは、その小さくなる背中に願う。
「人の心に棲む鬼達を退治しておくれ!」