三島由紀夫です。at MITEMITE
三島由紀夫です。 - 暇つぶし2ch2:創る名無しに見る名無し
10/09/09 13:08:34 owLNa6Z+
オイ
立て直したんなら気合い入れてやれよ

3:創る名無しに見る名無し
10/09/09 13:38:12 JqOoewHs
こちらが本当の板に沿ったスレです。
スレリンク(charaneta板)

4:創る名無しに見る名無し
10/09/09 17:44:31 JqOoewHs
ウワーッと両手で顔をおほつて、その指のあひだから、こはごはながめて「イヤだア」とか
なんとか言つてゐる手合ひを野次馬といふ。
私に対する否定的意見は、すべてこの種の野次馬の意見で、私はともあれ、交通事故なのだ。

三島由紀夫「感想 広域重要人物きき込み捜査『エッ!三島由紀夫??』」より

5:創る名無しに見る名無し
10/09/09 17:44:49 JqOoewHs
伝播の速い世の中では、今日の独断も、明日の通念になる。あなたがロマンチストと
言つて下さつた以上、明日から私はロマンチストでとほりさうです。いづれにせよ、
人がかぶれといふ帽子を、私は喜んでかぶるつもりです。たとへそれが、あのルイ王が
かぶらされたといふ三角帽子であつても。
ただ私の何とも度しがたい欠陥は、自分に関する最高の通念も、最低の通念も、同じやうに
面白がることなのです。これはほとんど私の病気です。おしまひにはいつもかう言ひたくなる。
「何を言つてやがる。俺は実は俺ぢやないんだぞ」これが私の自負の根元であり、
創作活動の根源です。そしてこれが、あらゆる通念を喜んで受け入れる私の態度の
原因なのです。

三島由紀夫「オレは実はオレぢやない(村松剛氏の直言に答へる)」より

6:創る名無しに見る名無し
10/09/09 17:45:02 JqOoewHs
私は不断の遁走曲であり、しかも、いつも逃げ遅れてゐる者です。子供のころ、学校で
集団でイタヅラをすると、いつも逃げ遅れるのが、私ともう一人Kといふ生徒でした。
そこで私とKはつかまつて、先生から、鉢合せの罰をうけるのでした。こんな痛い刑罰はない。
しかしKのオデコにはコブができないのに、私のオデコにだけはコブができた。これが爾後、
私の宿命となつたやうに思はれます。

三島由紀夫「オレは実はオレぢやない(村松剛氏の直言に答へる)」より

7:創る名無しに見る名無し
10/09/09 17:47:30 JqOoewHs
聞くところによると、例の「風流夢譚」掲載のいきさつについて、中央公論の嶋中社長が
その掲載を反対したにもかかはらず、あたかもぼくが圧力かけて掲載させたやうに
伝はつてゐるらしいんです。
これはとんでもない誤解で、推薦した事実さへない。第一、新人の原稿ならいざ知らず、
深沢さんといへば一本立ちの作家ですからね、だれそれの推薦なんてあり得ないぢやないですか。
世間ではよく、ある出版社の背後にはこれこれといふ作家がゐて、その作家の言ふことならきく、
といふやうな考へを持つ人がゐるらしいが、それは“編集権”の存在を知らない者の言ふことで、
編集権を侵害しないといふモラルは、ぼく自身いつも守つてきたはずだ。ただ例外が
あるとすれば、“文学賞”の審査員になつたときくらゐのものだらう。そのときだつて、
技術顧問的な役割で、作品の芸術的な判断以外の社会的な影響にまでは、タッチしないものだ。

三島由紀夫「『風流夢譚』の推薦者ではない―三島由紀夫氏の声明」より

8:創る名無しに見る名無し
10/09/09 17:47:42 JqOoewHs
かういふ事情を知つてゐれば、ぼくが「風流夢譚」を掲載するやうに圧力をかけたなんて
いふことがナンセンスだといふことがよくわかるはず。しかし、それにもかかはらず
ぼくの名が使はれたとすれば、それは一部の者が苦しまぎれの逃げ口上に使つたのではないか。
さう思へば使つた者にも同情の余地があるのだが、迷惑うけるのはこちらだからね。
ともかくふりかかつた火の粉ははらひ落としたいといふのが本音だ。この際、次第に
大きくなる風説―新聞雑誌でもそんな書き方をされてゐるんで―の誤解をときたい……。
(談)

三島由紀夫「『風流夢譚』の推薦者ではない―三島由紀夫氏の声明」より

9:創る名無しに見る名無し
10/09/09 17:47:55 JqOoewHs
学習院高等科(旧制高校)は文科乙類(ドイツ語)で、卒業の時は文科の首席だつた。(中略)
首席の賞品として、精工舎製銀メッキ懐中時計を宮内省から頂いた。裏に「御賜」と彫つてある。
又来賓のドイツ大使から乙類の僕に原書の小説を三冊、ナチのハーケン・クロイツが
入つてるのをもらつた。この後で宮中に御礼言上に、当時の院長山梨勝之進海軍大将と共に
参内した。霞町の華族会館で謝恩会があり、これで学習院の卒業行事が終つた。

三島由紀夫「学習院の卒業式」より

10:創る名無しに見る名無し
10/09/09 17:48:07 JqOoewHs
…子供のころは、それでも銀座へ連れて行つてもらふことは、うれしいことであつた。(中略)
そのころマツダ・ビル楼上のニュー・グランドの部分が、赤、青、緑、黄に変幻して、
サーチライトの光芒をひろびろと投げかけてゐた。
私は父母につれられて、そのニュー・グランドや、ローマイヤ・レストランへ行くとき、
子供らしい虚栄心を満足させられた。そのころケストネルの少年小説「点子ちやんとアントン」に
夢中になつてゐて、その小説に出てくる「泡雪クリーム」といふものを、何とかして
喰べたいと憧れてゐた。しかし「泡雪クリーム」なるものは、どこにも売つてゐなかつた。
銀座へ行けは何でも売つてゐると思ふのはまちがひだ、といふことに気がついたのは
それがはじめである。今でも銀座で決して売つてゐないもので、私がもう一度喰べて
みたいと思ふものが一つある。それは戦争中、海軍の工場で、飯のおかずに喰はされて、
こんなに旨いものはないと思つたところの、ポテト・チョップのやうな形をした、
大豆粕をいためた奴である。

三島由紀夫「わが銀座」より

11:創る名無しに見る名無し
10/09/09 17:56:32 JqOoewHs
新聞の持つてゐる社会的正義感といふものには、ときどき反撥を感じることがある。
だれでもみづから美徳の代表者を買つて出れば、サンザンな目に会ふのが当節で、新聞だけが、
何の傷も負はずに社会的正義の代表者たりうるはずがないからである。また、いろいろと
虚偽の多い時代に、新聞が、子供も読むものだといふので、ともすると家庭ダンラン趣味、
事なかれの小市民趣味に美的倫理的基準を置くのも困る。みにくいものは、みにくいままに
報道してほしい。
戦争中の大本営発表以来、新聞は一たん信用をなくしたが、こんどあんなことがあるときは、
新聞はこんどこそ、最後までグヮンばつて抵抗するだらうといふことを我々は期待してゐる。
この期待を裏切らないでほしい。
某紙の新聞批判に「新聞を愛すればこそ批判するのだ」と言訳がついてゐたが、
いやしくも批評をするのに、こんな言訳を要するやうな空気がもしあるならば、それを
払拭されんことをのぞむ。

三島由紀夫「ありのままの報道を―私の新聞評」より

12:創る名無しに見る名無し
10/09/09 17:56:45 JqOoewHs
西郷さん。
明治の政治家で、今もなほ「さん」づけで呼ばれてゐる人は、貴方一人です。
その時代に時めいた権力主義者たちは、同時代人からは畏敬の目で見られたかもしれないが、
後代の人たちから何らなつかしく敬慕されることがありません。あなたは賊として死んだが、
すべての日本人は、あなたをもつとも代表的な日本人として見てゐます。(中略)
あなたの心の美しさが、夜明けの光りのやうに、私の中ではつきりしてくる時が来ました。
時代といふよりも、年齢のせゐかもしれません。とはいへそれは、日本人の中にひそむ
もつとも危険な要素と結びついた美しさです。この美しさをみとめるとき、われわれは
否応なしに、ヨーロッパ的知性を否定せざるをえないでせう。

三島由紀夫「銅像との対話―西郷隆盛」より

13:創る名無しに見る名無し
10/09/09 17:56:57 JqOoewHs
あなたは涙を知つてをり、力を知つてをり、力の空しさを知つてをり、理想の脆さを
知つてゐました。それから、責任とは何か、人の信にこたへるとは何か、といふことを
知つてゐました。知つてゐて、行ひました。
この銅像の持つてゐる或るユーモラスなものは、あなたの悲劇の巨大を逆に証明するやうな
気がします。
……………………。

三島君。
おいどんはそんな偉物ではごわせん。人並みの人間でごわす。敬天愛人は凡人の道でごわす。
あんたにもそれがわかりかけてきたのではごわせんか?

三島由紀夫「銅像との対話―西郷隆盛」より

14:創る名無しに見る名無し
10/09/09 17:59:24 JqOoewHs
鶴田:ぼくはね、三島さん、民族祖国が基本であるという理(ことわり)ってものが
ちゃんとあると思うんです。人間、この理をきちんと守っていけばまちがいない。

三島:そうなんだよ。きちんと自分のコトワリを守っていくことなんだよ。

鶴田:昭和維新ですね、今は。

三島:うん、昭和維新。いざというときは、オレはやるよ。

鶴田:三島さん、そのときは電話一本かけてくださいよ。軍刀もって、ぼくもかけつけるから。

三島:ワッハッハッハッ、きみはやっぱり、オレの思ったとおりの男だったな。

三島由紀夫
鶴田浩二との対談「刺客と組長―男の盟約」より

15:創る名無しに見る名無し
10/09/09 17:59:40 JqOoewHs
ボデービルに一週間に二、三回通ひ出してから、一年間で胃ケイレンがなほつてしまつた。
…ボデービルは八十歳、九十歳になつてもやりたい。これだけは途中でやめるとからだに
よくないらしい。地獄におちたと思つて抜けられぬ。自転車操業のやうなものかな。
私などは執筆して頭を使ふ。神経がたとへば10疲れても、肉体は3しか疲れない。
格差の7を運動によつて疲れさす必要がある。肉体を10まで疲れさせ、頭脳とバランスが
とれたら休養する。疲労を0に戻してから改めて仕事にとりかかるといふ寸法である。
冬は日光浴をするが、夏はセーブしてあまりやらない。

三島由紀夫「私の健康法―まづボデービル」より

16:創る名無しに見る名無し
10/09/09 17:59:55 JqOoewHs
さしも世界に名高い日本の柔道も紅毛碧眼に名を成さしめる仕儀に相成つたが、剣道はまだまだ勝味がござる。
小生、先ごろ桑港(サンフランシスコ)に赴き、書肆(しよし)の一画に「柔道」と名付くる棚があつて、
数十冊の柔道書を並べたる一驚を喫したが、生憎剣道のはうは一冊もござらなんだ。もつとも加州大学には、
剣道四段の碧眼の偉丈夫あり、勝負を挑まれたが、いささか日本国の名誉を思うて、風邪にことよせ、試合は
御辞退申した。かかる例外あれど、概して泰西諸国においては、剣道の普及未だしの観あり、剣道はもつぱら
「羅生門」の名優三船敏郎氏の風車剣法によつてのみ名あり。
剣をたしなむときけば、泰西人はいささか畏怖の情をあらはし、時代錯誤的恐怖にからるるやと思(おぼし)く、
ここがつけ目と愚考いたしてござる。武士道は、禅と等しく、ますます神秘化されてこそ世界に活路もあれ、
ゆめゆめスポーツ化させることなかれ、といふが、小生の切なる忠言でござる。

三島由紀夫「剣、春風を切る―ただいま修業中」より

17:創る名無しに見る名無し
10/09/09 18:07:33 rBm48O5Y
三島って中等部の頃でもはや、
国語辞典をマスターしてたんでしょ?
それって、純粋におもしろいモノを書きたいが故の
野心が、引き金になっての事なのか?
それとも、その頃から変態の傾向はあった、
ってことなのか?


18:創る名無しに見る名無し
10/09/10 00:11:28 NQQ/wfvw
たとへば、いちばん崇高でもあり、つぎの瞬間にいちばん下劣でもあるのが人間なんですよ。
ぼくは、さういふ人間を考へる。崇高なだけであつてもウソに決まつてゐる。また下劣なのが
人間の本当の姿だ、といふ考へ方も大きらひなんですよ。それは自然主義的な考へ方で、
十九世紀に、ごく一部にできた迷信ですよ。人間は崇高であると同時に下劣。だから、
ぼくのことを下劣だと思ふ人があれば、それでもかまはない。ぼくの中にだつて、
「一寸の虫にも五分の魂」で、崇高なものもある。それを、ぼくは自分でぼくだと思ふ。
むりやりに結びつけて、論理的に統一しようつたつて、できるものではない。
ただ思想的には節操は大切だと思ひますけど、それと人間の行動の一つ一つ。
つまり節操の正しい人は、どんなクソの仕方をするのか。いつもまつすぐなクソが
でてくるかといふと、そんなものぢやない。節操の正しい人でも、トグロを巻いちやふ。
節操の曲がつた人でも、まつすぐなクソが出るかもしれない。そんなこと関係ないですよ。

三島由紀夫「ぼくは文学を水晶のお城だと考へる」より

19:創る名無しに見る名無し
10/09/10 14:22:25 NQQ/wfvw
「薔薇のなかに」

薔薇のなかにゐます。
わたしはばらのなかにゐます。
しつとりしたまくれ勝ちの花びらの
こまかい生毛のあひだに滲みてくる
ひかりの水をきいてゐます。
薔薇は光るでせう、
園の真央で。
あなたはエェテルのやうな
風の匂ひをかぐでせう。
大樫のぬれがての樹影に。
牧場の入口に。
大山木の花が匂ふ煉瓦色の戸口に。
わたしは薔薇のなかにゐます。
ばらのなかにゐます。
小指を高くあげると
虹の夕雲がそれを染め……
ばらはゆつくり、わたしのまはりで閉ざすのです。

平岡公威(三島由紀夫)15歳の詩

20:創る名無しに見る名無し
10/09/10 14:24:29 NQQ/wfvw
「木枯らし」

木が狂つてゐる。
ほら、あんなに体を
くねらして。
自分の大事な髪の毛を、
風に散らして。

まるで悪魔の手につかまれた、
娘のやうに。
木が。そしてどの木も
狂つてゐる。

平岡公威(三島由紀夫)11歳の詩

21:創る名無しに見る名無し
10/09/10 14:24:42 NQQ/wfvw
「父親」

母の連れ子が、
インク瓶を引つくり返した。
インク瓶はころがりころがり
机から落ちて、
硝子の片が四方に飛び散つた。
子供は驚いた。
ペルシャ製だといふじゆうたんは、
真ッ黒に汚れた。
そして、破れた硝子は、くつ附かなかつた。

母の連れ子の
脳裡に恐ろしい
父の顔が浮び出た。

書斎のむち、
今にも
つぎはぎだらけのシャツを
脱がされて、
むちが……
喰ひ附くやうに、

母の連れ子の、目の下に、
黒いじゆうたんが、
わづかな光りに、ぼやけてゐる

平岡公威(三島由紀夫)11歳の詩

22:創る名無しに見る名無し
10/09/10 14:25:06 NQQ/wfvw
「蛾」

窓のふちに、
蛾がとまつてゐて、
ぶるぶると体を震わせてゐた。
私は、可哀さうになつて、
蛾を捕へようとした。
窓は、堅く、閉ざされてゐたので、
私は、窓を開けて、
放してやらうと思つた。
私は蛾にさはつて見た。
蛾は勢ひよく飛び出した。
私は、気が抜けた。
さつきの蛾と、
そして、
今の蛾と……。

平岡公威(三島由紀夫)11歳の詩

23:創る名無しに見る名無し
10/09/10 14:25:19 NQQ/wfvw
「凩」

凩よ、
速く止まぬと、
可愛さうな木々が眠れない。
毎日々々お前に体をもまれて、
休む暇さへないのだ。
凩よ、
お前は冬の気違ひ、
私の家へばかり、は入つて来ないで、
いつその事、雪を呼んでおいで。

平岡公威(三島由紀夫)11歳の詩

24:創る名無しに見る名無し
10/09/10 14:25:30 NQQ/wfvw
「斜陽」

紅い円盆のやうな陽が、
緑の木と木の間に
落ちかけてゐる。

今にも隠れて了ひさうで、
まだ出てゐる。

然し、
私が一寸後ろを向いて居たら、
いつの間にか、
燃え切つてゐて、
煙草の吸殻のやうに、
ぽつんと、
赤い色が残ってゐるだけだつた。

平岡公威(三島由紀夫)12歳の詩

25:創る名無しに見る名無し
10/09/10 14:27:46 NQQ/wfvw
「独楽」(こま)
(音楽独楽なりき。白銀なせる金属にておほはれる)

それは悲しい音を立てゝ廻つた。
そして白銀のなめらかな体を
落着きもなく狂ひ廻つた。
よひどれの様に、右によろけ、
左にたふれ。

それは悲しい酔漢の心。
踊るを厭ふその身を、一筋の縄に托されて。
唄ふを否み乍らも、廻る歯車のために。

それは悲しい音を立てゝ廻つた。

「静寂の谷」から、
「狂躁の頂」に引き上げられ、
心のみ、尚も渓間にしづむ。

それは悲しい酔漢の心。
そして白銀のなめらかな体を、
落着きもなく狂ひ廻つた。

平岡公威(三島由紀夫)12歳の詩

26:創る名無しに見る名無し
10/09/10 14:27:59 NQQ/wfvw
「三十人の兵隊達」

三十人の兵隊達。
赤と黒の階調。

三十人の兵隊達。
銀流しの拍車があらはす。
銀と白の光の交叉。

三十人の兵隊達。
硝子の目玉。
極細の毛糸は、
漆黒の頭髪。

けれども、
八つを迎へた女の子は、
この兵隊を捨て去つた。

そして、女の子は、
赤ん坊の人形に、
頬すりする。

芽生えた、母性愛の
興奮。

三十人の兵隊達。
母性愛の為に捨て去られた、
兵隊達。

三十人の兵隊達。
赤と黒の階調。

平岡公威(三島由紀夫)12歳の詩

27:創る名無しに見る名無し
10/09/10 14:28:20 NQQ/wfvw
「絵」

孤児院の片隅で、
幼い子が、大きな絵を眺めてる。
そこには、飴ん棒のやうな木が、
列を作つて並んで居、
木には、パン、草には、ビスケットが、
今を盛りになつてゐる。
口を開けて、夢中になる孤子に、
あたゝかい日差しがあたつてゐる。
しかし、入つてきた院長は、さつさ
と子供を引張つて外に出て来た。
「あんな絵は、目に毒ぢやてな」

平岡公威(三島由紀夫)13歳の詩

28:創る名無しに見る名無し
10/09/10 14:31:14 NQQ/wfvw
「誕生日の朝」

青と、白との光線の交錯のうちに、
身をよこたへつゝ、
その日のわたしは、生れたばかりの
雛鳥のやうだつた。

さて、細い一輪差まで
絶えいるやうな花の香に埋もれ、
太陽をとり巻く雲は、一片の花弁に見えた。

誕生日の贈り物がとゞいた。
美しい贈物の数々は、
石竹色の卓子の上に置かれた。

平岡公威(三島由紀夫)14歳の詩

29:創る名無しに見る名無し
10/09/10 14:31:38 NQQ/wfvw
「見知らぬ部屋での自殺者」

骨董屋の太陽のせゐで
カーテンの花模様も枯れ
家具は色褪せ 空気は
黄色くただれてゐたので
その空気に濡れた古鏡に
わが顔は扁たく黄いろに揺れた
……やがて死は蠅のやうに飛び立つた
うるさくかそけく部屋のそこかしこから

平岡公威(三島由紀夫)14歳の詩

30:創る名無しに見る名無し
10/09/10 14:31:57 NQQ/wfvw
「夜猫」

壁づたひに猫が歩む
影の匂ひをかぎながら

猫の背はなめらかゆゑ
光る夜を、辷らせる

ああ、蝋燭の蝋のしたたる音がする。
真鍮の燭台は
なやめる貧人のごとき詫びしい反射であつたから、
ふと、傾いた甃(いしだたみ)の一隅に
わたしは猫の毛をわたる風をきいた
影のなかに融けてゆく一つの、寂寞の姿をみた

平岡公威(三島由紀夫)15歳の詩

31:創る名無しに見る名無し
10/09/10 14:32:16 NQQ/wfvw
「民謡」

夕ぐれの生垣から石蹴りの音がしてきた

微温湯をいれたコップの内側が、赤んぼの額のやうに汗ばんでゐた。
病気の子のオブラァトと粉薬が窗のあぢさゐの反射であをざめた
石竹色の植木鉢に、錆びた色ブリキの如露がよつかゝつてゐた

早い蚊帳がみえる離れで、小さな母は爪立つて電気を灯けた。
ねむつた子の横顔が 麻の海のなかに浮びあがつた

平岡公威(三島由紀夫)15歳の詩

32:創る名無しに見る名無し
10/09/10 14:32:33 NQQ/wfvw
「夏の窗辺にくちずさめる」

雲の山脈の杳か上に
花火の残煙のやうなはかない雲が見えてゐた
サイダァのコップをすかしてみたら
やがて泡になつて融けて了つた

平岡公威(三島由紀夫)15歳の詩

33:創る名無しに見る名無し
10/09/10 14:33:57 NQQ/wfvw
「幸福の胆汁」

きのふまで僕は幸福を追つてゐた
あやふくそれにとりすがり
僕は歓喜をにがしてゐた
今こそは幸福のうちにゐるのだと
心は僕にいひきかせる。
追はれないもの、追はないもの
幸福と僕とが停止する。
かなしい言葉をさゝやかうとし
しかも口はにぎやかな笑ひとなり
愁嘆も絵空事にすぎなくなり
疑ふことを知らなくなり
「他」をすべて贋と思ふやうに自分をする。
僕はあらゆる不幸を踏み
幸福さへのりこえる。
僕のうちに
幸福の胆汁が瀰漫して……

ああいつか心の突端に立つてゐることに涙する。

平岡公威(三島由紀夫)15歳の詩

34:創る名無しに見る名無し
10/09/10 14:34:18 NQQ/wfvw
「アメリカニズム」 万愚節戯作

たるんだクッションのやうなスヰートピィ
もう十年代、流行おくれの色ですね
玉蜀黍の粕がくつついてる
赤きにすぎる口紅の唇。
ショォト・スカァトは空の色がみえすぎます。
歓楽は窓毎に明るく灯り、
スカイ・スクレェパァはお高くとまり、
鼻眼鏡で下界をお見下しとやら、
だが、ニッケルの縁ではね。
野蛮の裏に文化はあれど……
白ん坊の裡にも黒ン坊がゐる。
欧州向の船が出て、
髯なし共が御渡来だ、
カジノで札の束切つて
縄の御用もありますまい
レディ・メェドの洋服が船にのつておしよせる
あくどい洒落がおしよせる
自由とスマァトネスがおしよせる
「世界第一」がおしよせる
星のついた子供の旗をおし立てゝ。

平岡公威(三島由紀夫)15歳の詩

35:創る名無しに見る名無し
10/09/11 17:34:39 FXn09Uje
   遺言       平岡公威(私の本名)

一、御父上様
  御母上様
  恩師清水先生ハジメ
  學習院並ニ東京帝國大學
  在學中薫陶ヲ受ケタル
  諸先生方ノ
  御鴻恩ヲ謝シ奉ル
一、學習院同級及諸先輩ノ
  友情マタ忘ジ難キモノ有リ
  諸子ノ光榮アル前途ヲ祈ル
一、妹美津子、弟千之ハ兄ニ代リ
  御父上、御母上ニ孝養ヲ尽シ
  殊ニ千之ハ兄ニ続キ一日モ早ク
  皇軍ノ貔貅(ヒキユウ)トナリ
  皇恩ノ万一ニ報ゼヨ
天皇陛下萬歳


三島由紀夫「私の遺書」より

36:創る名無しに見る名無し
10/09/12 01:05:23 B9SttTXi
「江の島ゑん足の時」

ぼくはゑん足をお休みしました。
二十日の朝はおきると、みんなは今新宿えきへついて、もう電車にのつただらうと思ひました。
すぐそんな様なことをかんがへ出します。ひまがあるとおばあ様やお母様の所へお話しにいきます。
もうみんな江の島へついたかと思ふといきたくつてたまりませんでした。
ぼくは江の島へいつたことがないのでなほいきたかつたのです。
ぼくは朝から夜まで其ことをかんがへて居ました。
ぼくは夜ねると、次の様な夢を見ました。
ぼくもみんな江の島のゑん足にいつて、そしてたのしくあそびましたが、いはがあつてあるけません。
そこでもう目がさめてしまひました。

平岡公威(三島由紀夫)7歳の作文

37:創る名無しに見る名無し
10/09/12 01:07:13 B9SttTXi
「私は学生帽です。」

私は平岡さんのお家の学生帽です。坊ちやんが一年生の時西郷洋服店から参りました。

私は喜ばしい事もあれば泣きたい事もあります。
いつも坊ちやんが学校へいらつしやる時に、おとなりのぐわいたうさんとが書生さんに昨日のごみを取つて
もらひます。私達はそれを毎日楽みにして居ります。
私はずい分古い帽子ですが、坊ちやんが大事にして下さるので、坊ちやんからはなれようとは思ひません。
私は何年と云ふ長い月日をかうやつて暮して来ました。
今迄の間にどんな事があつたでせう? 私はそれを物語りたいのです。
(つい此間の事でした。坊ちやんがこはれた帽子を学校から持つていらつしやいました。
それは云ふ迄も無く私です。
坊ちやんは御母様に「之をぬつてね」とおつしやいました。お母様は「ええ、え」とおつしやつて、ぬつて
下さいました)
私は何と云ふ幸福な身でせう?

平岡公威(三島由紀夫)7~8歳の作文

38:創る名無しに見る名無し
10/09/12 01:12:52 B9SttTXi
「かみなり」

きのふのよる僕は雨戸をしめて寝床へ入つた。その時がらす戸から「ぴかりつ!」といなびかりが見えた。
五六べうたつて大きならいが鳴つた。たんすの上にある時計はゆれるしれうりだなの上においてあるせとものも
かちやりと音をたてた。
なんだか家中がゆれるやうなきがした。
おはなれにいらつしやつたおぢいさまが「ひどい雨だ」とおつしやつた。
ほんたうにひどい雨だ。
又こんなかみなりが今ごろなるときではない。又ことしはこんな大きなかみなりが一度もならないのに。

平岡公威(三島由紀夫)8歳の作文

39:創る名無しに見る名無し
10/09/12 01:16:01 B9SttTXi
「冬」

もうそろそろ冬になつてきた。
お庭のかきの木のはや、もみぢの葉がさらさらとおちてくる。
お家のうらの小路にほこりがさあつと立つ。
がらす戸に時々つよい風があたつていやにうるさい。
お池の水はじやぶじやぶとおとを立てる。
金魚が驚いて水の中へ沈む。
花園の花がぽきぽきと折れる。
お父さまがお役所からかへつていらつしやつて「今日は実にひどい風だつたよ」とおつしやつた。

平岡公威(三島由紀夫)8歳の作文

40:創る名無しに見る名無し
10/09/12 01:17:16 B9SttTXi
「冬の夜」

火鉢のそばで猫が眠つてゐる。
電灯が一室をすみからすみまでてらしてゐる。
けいおう病院から犬の吠えるのがよくきこえる。
おぢいさまが、
「けふはどうも寒くてならんわ」
とおつしやつた。
冬至の空はすみのやうにくろい。
今は七時だといふのにこんなにくらい。
弟が、
「こんなに暗らくつちやつまんないや」
といつた。

平岡公威(三島由紀夫)8歳の作文

41:創る名無しに見る名無し
10/09/12 11:04:34 B9SttTXi
「朝の通学」

四谷西信濃町十六番地。
朝、おきて見ると、空は晴れて居たが、大へんさむかつた。
お祖母様がからだをこゞめて、あんかにあたつていらつしやつた。
お家を出る時、うらの小路を、外たうを着て皮手袋をはめた大学生が寒さうにポケットへ手を入れてゐた。
あめ売のおぢいさんも、ふところへ手を入れて、あたゝかい方へあたゝかい方へと歩いて行つた。
自動車屋の車庫では、子供が二人、たき火をして、手をあたゝめてゐた。
又、でんしやの中ではしやつを沢山きて洋服がふくれてゐる人や、顔や手を年がら年中まさつして居る人が大分あつた。
四ツ谷駅に下りて見るとみなポケットに手を入れてゐた。
学校へきて見ると、運動場一ぱいに霜が下りてゐた。
いつもはあんなにあつたかい御教場の中も、今日は何だか、寒くかんじた。

平岡公威(三島由紀夫)8~9歳の作文

42:創る名無しに見る名無し
10/09/12 11:05:49 B9SttTXi
「雨降り」

雨がふつてきた。
ポタンととひの中に入つてとひをつたつてザアッとおちる。
庭のすみに落ッこちてゐる小さなくびふり人形も雨水でビショビショになつてゐる。又木の葉の上にのつてゐる露が
まるで真珠のやうだ。
雨だれの音はどんなにでもきこえる。
タンタラタンともきこえるし又タカタカタンとも、自分の思ふとほりにきこえる。
まるで音楽をきいてゐるやうだ。
雨がふるとお百姓さんも亦(また)草も木もおほよろこびだ。

平岡公威(三島由紀夫)9歳の作文

43:創る名無しに見る名無し
10/09/12 11:07:10 B9SttTXi
「ばけつの話」

僕はばけつである。
僕は大ていの日は坊ちやんやお嬢さんがきて遊ばして呉れるが、雨の日などは大へん苦しい。
ほら、この通り、大部分ははげてゐる。
又雪の日なんかは、ずいぶん気もちがいい。あのはふはふしたのが僕のあたまへのつかると何ともいへない。
それから僕が植木鉢のそばへおかれた時、あの時位いやな事はなかつた。となりの植木鉢がやれお前はいやな形だの、
又水をくむ外には何ににも使へないだのと云つた。あそこをどかされた時は、ほんとにホッとした。
ではわたしの話はこれでをはりにする。

平岡公威(三島由紀夫)9歳の作文

44:創る名無しに見る名無し
10/09/12 11:08:07 B9SttTXi
「夕ぐれ」

鴉が向うの方へとんで行く。
まるで火のやうなお日様が西の方にある丸いお山の下に沈んで行く。
―夕やけ、小やけ、ああした天気になあれ―
と歌をうたひながら、子供たちがお手々をつないで家へかへる。
おとうふ屋のラッパが―ピーポー。ピーポー ―とお山中にひびきわたる。
町役場のとなりの製紙工場のえんとつからかすかに煙がでてゐる。
これからお家へかへつて皆で、たのしくゆめのお国へいつてこよう。

平岡公威(三島由紀夫)9歳の作文

45:創る名無しに見る名無し
10/09/12 11:10:23 B9SttTXi
「農園」

今週の月曜でした。
唱歌がをはつておべん当をいただかうと思つて、教室にはひつて来ました。
すると、おけうだんの上に大きなかごがあつて、その中にはたくさんそら豆がはひつてゐました。
僕はうれしくて、うれしくて、「早くくださればいいなあ」とまつてゐたら、おべんたうがすんだら、皆の
ハンカチーフにたくさん入れて下さいました。おうちへかへつて塩ゆでにしていただいたら、大変おいしう
ございました。
思へば、三年のニ学きでした。
おいしいみが、たくさんなるやうにとそらまめのたねを折つてまいたのでした。
果して、たねはめが出、はがでて、今ではおいしいみがたくさんなつて、僕たちがかうしていただくまでに
なつたのでした。
(中略)
又この間は五六年のうゑた、さつまいもの苗に水をかけました。秋になつたらこのおいもも僕達の口の中へ
はひる事でせう。

平岡公威(三島由紀夫)9歳の作文

46:創る名無しに見る名無し
10/09/12 11:11:52 B9SttTXi
「海」

先をと年、小田原の海へ行つたとき、大分沖の方まで泳いだら、お腹がいたくなつたので、およぎをやめて
かへりました。するとその翌日、にはかにきもちが悪くなり、病気になりました。それで泳ぐのに、僕は
こりごりして了ひました。(中略)
波打際であそんでゐると、ビーチパラソルの中から、をばさまが「こんどは少うし川の方であそんだらどうを?」
とおつしやつたので僕は「えゝさうしませう」といつて、弘道さんと、バケツやたもをもつて、川へいきました。
二人でふなの子をとつたり、水の中をあるいて向う岸へいきッこをしたりしてゐるとをばさまが大きなこゑで
「公ちやんとひろみちちやん! ごはんよ」とおつしやつたので僕とひろみちさんは一さんにかけて行つて
おいしいおべんたうをたべたり、おしよくごのキャラメルをたべたりして、又一しきりあそんでかへりました。
その翌日は朝はやくおきて畑へ行くと、お百しやうさんが「このいも、まだあたらしいでがすよ。あんちやんたちに
あげませう」とさつまいもをくれました。

平岡公威(三島由紀夫)9歳の作文

47:創る名無しに見る名無し
10/09/12 11:13:44 B9SttTXi
「大内先生を想ふ」

ヂリヂリとベルがなつた。今度は図画の時間だ。しかし今日の大内先生のお顔が元気がなくて青い。
どうなさッたのか? とみんなは心配してゐた。おこゑも低い。僕は、変だ変だと思つてゐた。その次の図画の
時間は大内先生はお休みになつた。御病気だといふことだ。ぼくは早くお治りになればいゝと思つた。
まつてゐた、たのしい夏休みがきた。けれどそれは之までの中で一番悲しい夏休みであつた。
七月二十六日お母さまは僕に黒わくのついたはがきを見せて下さつた。それには大内先生のお亡くなりになつた
事が書いてあつた。むねをつかれる思ひで午後三時御焼香にいつた。さうごんな香りがする。
そして正面には大内先生のがくがあり、それに黒いリボンがかけてあつた。
あゝ大内先生はもう此の世に亡いのだ。僕のむねをそれはそれは大きな考へることのできない大きな悲しみが
ついてゐるやうに思はれた。

平岡公威(三島由紀夫)9歳の作文

48:創る名無しに見る名無し
10/09/12 11:24:35 B9SttTXi
「電信柱」

お家のお庭向きのへいの前に小さい道がある。
そしてそこに木でできた電信柱が立つてゐる。今日の噺はその電信柱の電線の噺である。
ある春の日、僕は縁側に座蒲団をしいて日向ぼつこをしてゐた。
その日は勉強もなかつたし、又遊ぶ事もなかつた。
それでなんの気もなくその電線をながめてゐた。するとそこへ、三羽の雀がさへづりながらとんできた。
三羽の雀はふとその電線の上へ停つた。そして鬼ごつこでもするやうに電線の上を飛び廻つたのだ。
その度に電線はゆらゆらとゆれた。そのとき電信柱は、
「雀さん、そんなに体の上を飛び廻つてはいたいですよ」
とでも云つたのだらう。三羽の雀は又話をしながらとんでいつた。
(続く)

平岡公威(三島由紀夫)9歳の作文

49:創る名無しに見る名無し
10/09/12 11:25:41 B9SttTXi
「電信柱」

それから月日はたつて八月になつた。
八月といへば暑いさかりである。
僕はハンカチーフで汗をふきふきシロップを飲んでゐた。
その時、僕の頭に浮かんだのは、あの春の日のことであつた。
今度は帽子をかぶり庭にでてその電線をみてゐた。
するとそこにはいつの間に来たのか沢山の小鳥が電線の上にとまつてゐて、大きな声をはりあげて歌をうたつてゐた。
あげは蝶や黄色虫が小鳥のまはりをとんでゐる。
樅(もみ)の木や杉の木や松などが歌に合はせて踊るやうに葉をうごかしてゐた。
お向ひの物干の青竹が笑ふやうにして云つた。
「電線さんおにぎやかですね」

平岡公威(三島由紀夫)9歳の作文

50:創る名無しに見る名無し
10/09/12 11:27:12 B9SttTXi
「松の芽生」

これはまだ僕が大森へ泊りに行かないまへの話です。
或る日お庭へ出て箱庭をなんの気なしに見たら、小さなざつ草を見つけたので、かはいい草だと思つて、掘つて
おばあさまにお見せしたら、「あゝこれは松の芽生ですよ」とおつしやつたので、僕は拾ひ物でもしたやうに
有頂天になつて、急いで、又元のところへ植ゑました。そしてもつと有りはしないかと方々をさがしますと、
その箱庭のすみの方にと、それから小さい箱庭とにありました。それから毎日たんねんに水をやつたのです。
そのうちに僕は大森へ行つて今朝かへつて来ました。

平岡公威(三島由紀夫)年月未詳(推定は9歳)の作文

51:創る名無しに見る名無し
10/09/12 11:45:00 9kKT7yho
ここ、「創作発表」板な?

出直せボケ

52:創る名無しに見る名無し
10/09/13 12:25:03 EOZd2Es3
「涼しい夕涼みの一時」

入日が西の空をまつかにそめてゐます。
縁先の夕顔がぽつかり白い花をひらいた。昼頃降つた雨がまだかわからないのか。庭下駄でふむ庭の土が
何となくじめじめしてゐます。
それでまた一段と庭の空気が涼しいやうな気がいたします。
えんの下で名も知れぬ虫がなきはじめると、椿の枝の虫籠から、琴をひくやうに美しい鈴虫の音(ね)が、
そよ風に送られて僕達の耳には入つてまゐります。
やがて、松の小枝をとほして、うすい月の光がさしてきました。
太陽はもうすつかり西山に姿をかくして、うす暗い夕空には、月とそれから五つ六つの小さい星がきらきらと
輝いてゐるだけです。

平岡公威(三島由紀夫)年月不詳(推定9歳)の作文

53:創る名無しに見る名無し
10/09/13 12:26:49 EOZd2Es3
「学校の二階の窓から」

いつもならさうも想はないが、かうやつてしみじみと二階から見える景色をながめると本当にいゝけしきだと思ふ。
赤坂御所の方はあまり木ばかり立つてゐてさうでもないが、学校のうらの製紙工場の方は木々が緑を増してゐて
何となく秋をおもはせる。
ごんだはらの市電停留所の所へつづいてゐる自動車路は大へん静で良い道路だ。
今度は一寸ちがつて左手の方をながめると、小高い丘の上に家が七、八軒並んで居る。黒い細い煙突から
煙が細く登つてゐる。そのそばに銀色をしたアドバルーンがふんはり浮いてゐる。
丘の上はこの位にして、段々下へうつつて行く。
先づお堀のすぐそばに四ッ谷のプラットホームがあるのがよくわかる。
こゝからは見えないが、始終、電車が出入してゐる。
半身黄、半身緑の市内電車が橋下のトンネルの中へ消えて行く。

(学校の二階のまどべの机で記す)

平岡公威(三島由紀夫)9歳の作文

54:創る名無しに見る名無し
10/09/16 08:58:59 QmEdrQ3t
   

55:創る名無しに見る名無し
10/09/23 10:23:03 nMkd44Xb
「BL作品の氾濫は少子化の原因。児童ポルノとは別枠で小説も含めた厳しい規制が必要」
「ゲーム脳」の提唱者・森昭雄日大教授の新著「ボーイズラブ亡国論」(産経新聞社刊)
スレリンク(news2板)


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