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芸能界引退事件の全貌が明らかになるにつれ、伝わってくるのが、自分をより大きく見せたいという島田紳助の虚栄心、そして、その裏に透ける小心さである。そのメンタリティはいかにして醸成されたのか。
紳助の父親は大阪外語大学から国鉄入りした鉄道マン。父親は紳助に期待し、小学3年生から家庭教師をつけるほどだった。しかし紳助はそれがプレッシャーとなり、不良に走った。
紳助にとっては、まじめな父親は反面教師の対象でしかなかった。
芸能界入りした後も、父の呪縛からも逃れていなかった。1982年に突如、東京大学への受験を宣言。
受験会場で受験阻止を訴えるグループが現われる騒動が起きて断念したが、当時を知る関係者によれば、「話題作りもあったけど、本気で勉強していた。番組企画を超えた“危うさ”もあった」。
1990年に『サンデープロジェクト』の司会を引き受けたのも“学歴コンプレックス”と無縁ではないだろう。
番組関係者は語る。
「紳助さんは収録前夜に1時間半の勉強を義務づけ、重要キーワードをまとめたプリントまで作っていました。番組打ち合わせでは、疑問点があれば、田原(総一朗)さんや舛添(要一)さんに質問していた」
インテリ政治家と対峙できたことは、彼の自負となった。学歴への執着が3人の娘の教育にも投影されたのか、それぞれが関西の有名私大に進学している。