09/01/13 20:51:58
Shanghai Conspiracy (上海の陰謀) = 赤色スパイ団の全貌―ゾルゲ事件 (1953年)
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GHQ参謀部情報第2部(G2)部長C.A.ウィロビー少将 (著), 福田 太郎 (翻訳)
ウィロビー報告 - ゾルゲ事件
モスクワ - 上海 - 東京 - サンフランシスコ - ニューヨーク
ゾルゲ事件は日本の運命を左右し、今日に至らしめた!火を吐く熱戦の裏に、不気味な
冷戦の陰に間断なく暗躍する第二、第三のゾルゲがいる!
スターリン亡き後、ソ連は再び如何なるスパイ網を張り巡らさんとしているか?
(マッカーサー元帥序文より一部抜粋)
・・・ゾルゲ事件は、単に東京に於て終始した局部的なものではなく、ソビエト連邦が中国を
中心とする極東謀略全体に関連しているものであって、世界的規模の陰謀を背景として考察
されねばならない。また、ゾルゲ・スパイ団の最も活躍した中国・上海は、世界制覇を目的
とする狂信的共産主義者の温床であった。今日の中国の完全赤化へと発展した所以である。
132:SHANGHAI CONSPIRACY
09/01/14 20:38:00
Shanghai Conspiracy (上海の陰謀) = 赤色スパイ団の全貌―ゾルゲ事件 (1953年)
GHQ参謀部情報第2部(G2)部長C.A.ウィロビー少将 (著), 福田 太郎 (翻訳)
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序文
ウィロビー少将の著書”SHANGHAI CONSPIRACY”は、リヒャルト・ゾルゲ(Richard Sorge)事件
を扱ったもので、本書は、今日尚行われている世界的規模の共産主義のサボタージュ(sabotage)
及び裏切り行為を鮮明に描いている点で重要な意義を持つものであると信ずるものである。
われわれの日本占領期間中、軍情報部は日本警察の協力を得て、日本内外の共産主義勢力に
対する警戒と監視の任務遂行上、若干の民間業務を行ったが、その対象の一つにリヒャルト・ゾル
ゲを首謀者とするソ連スパイ団に関する事件があった。この事件は、諜報の発展、技術及びその
方法に於いて成功を収めた一例である。この陰謀に加担した人間は、中国、日本、米国にわたり、
その活動期間は1931年より1950年の間続けられていたものであった。
ワシントンに送られた本件に関する調書は、数百万語の多くにのぼり、写真原板、複写及び図表等
参考物件の数も無慮数百に及んでいる。本事件は、米国の法律家によって再審議を受け、確認され、
更に目下上院及び下院の国内安全及び非米活動の両委員会によって採り上げられているのである。
ゾルゲ事件は、単に、東京に於いて終始した局部的なものではなく、ソビエト連邦の中国を中心とす
る極東謀略全体に関しているものであって、世界的規模の陰謀を背景として考察されねばならない。
また、ゾルゲ・スパイ団の、最も活躍した上海は、世界制覇を目的とする狂信的共産主義者の温床で
あった。今日の中国の完全赤化へと発展した所以である。
1952年1月 ニューヨークに於いて ダグラス・マッカーサー(Douglas MacArthur)
133:SHANGHAI CONSPIRACY
09/01/15 19:56:20
Shanghai Conspiracy (上海の陰謀) = 赤色スパイ団の全貌―ゾルゲ事件 (1953年)
GHQ参謀部情報第2部(G2)部長C.A.ウィロビー少将 (著), 福田 太郎 (翻訳)
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-極東陰謀に関する東京報告-
太平洋戦争勃発の直前、ソビエト連邦(USSR: Thw Union of Soviet Socialist Republics)赤色ス
パイ団の一味が、日本に於いて検挙された。この、リヒャルト・ゾルゲ(Richard Sorge)を首魁とする
赤色陰謀団は、世界スパイ史上空前のものといわれているのである。首謀者達の多くは既に死ん
でいるが、未だに捕らえられていない者もある。生き残っている一味の者は、現在も世界の何処か
で諜報活動を続けていることであろう。
ゾルゲ及びその一味の仕事は既に歴史に属しているが、彼らの仕事の方法は現在及び未来
の警告となり得るに充分である。
9カ年の長きに渡って、彼らは精神的祖国ソ連=ロシアの為に日本に於いて、巧妙且つ大胆なスパ
イ団として働いていた。(中略)諜報団の組織構成員は、その都度必要に応じて変化はしたが、主要メ
ンバーは殆どゾルゲが上海に於て集めた者で、それがそのまま日本に於いてその中核となっている。
ゾルゲ及び彼の参謀尾崎秀実は1929年より1941年に至る間、中国及び日本に於いて、ソ連のスパ
イとして活躍した。(要約:1931年の満州建国によりソ連の関心が中国から日本へ移り、この為、ゾル
ゲは新任務を帯びて日本へ潜入した)ゾルゲはそれまで日本の土を踏んだことが無かった。しかし、彼
はその日本で、完全無欠とも言うべき諜報網の樹立に成功したのである。これは尾崎秀実の存在が重
要な役割を果たしていると見なければならないであろう。
134:SHANGHAI CONSPIRACY
09/01/15 20:52:04
Shanghai Conspiracy (上海の陰謀) = 赤色スパイ団の全貌―ゾルゲ事件 (1953年)
GHQ参謀部情報第2部(G2)部長C.A.ウィロビー少将 (著), 福田 太郎 (翻訳)
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-赤色スパイ団の首魁リヒャルト・ゾルゲ(Richard Sorge)-
職業的共産党員としてのゾルゲの経歴は1924年に始まる。当時、彼はドイツ共産党員の間でも
既に名声を博していたし、ソ連の指導者たちからも尊敬されて重視されていた。彼は才能を認められ
てモスクワ(Moskva)に招かれた。彼はドイツ共産党から脱党してロシア共産党に入党し、コミンテル
ンの一員になった。当時コミンテルンは、国際共産主義の相当の重要な指導団体であった。ソ連に
於けるゾルゲの支持者はロシア共産党及びコミンテルン(Komintern)の幹部級に多かった。
ドミトリー・ザカロヴィッチや当時ロシア共産党中央委員の要職にあったマヌイルスキー、現在モロトフ
の下で外務人民委員会副委員長兼中央委員であるソロモン・ア・ロゾヴォスキー等もゾルゲの援助者
であり、支持者の一人であった。(中略)
ゾルゲは3年の間、コミンテルンのモスクワ本部で働いた。即ち、1927年から国外での仕事に携わ
ったのである。(中略)
(要約:スパイ活動と組織を切り離すためにゾルゲはコミンテルンから赤軍情報部へ移籍した)
以後、ゾルゲはソ連軍最高情報機関であるところの赤軍参謀本部第四局に配属されて、諜報活動
に専念したのである。
135:SHANGHAI CONSPIRACY
09/01/17 05:07:30
Shanghai Conspiracy (上海の陰謀) = 赤色スパイ団の全貌―ゾルゲ事件 (1953年)
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第一部 ゾルゲ・スパイ団 -日本警察の記録-
日本警察の記録に依れば、ゾルゲ事件に連座した次の人間が検挙されている。
北林トモ 57歳 洋裁師 1941年9月28日検挙
宮城与徳 40歳 画家 1941年10月10日検挙
秋山幸治 53歳 無職 1941年10月13日検挙
九津見房子 53歳 会社員 1941年10月13日検挙
尾崎秀実 42歳 満鉄嘱託 1941年10月15日検挙 ★
水野成 33歳 雑誌記者 1941年10月17日検挙
リヒャルト・ゾルゲ 48歳 新聞記者 1941年10月18日検挙 ★
マックス・ゴットフリート・クラウゼン 44歳 製造工業者 1941年10月18日検挙
ブランコ・ド・ヴーケリッチ 38歳 新聞記者 1941年10月18日検挙
河合貞吉 42歳 会社員 1941年10月22日検挙
田口右源太 40歳 ブローカー 1941年10月29日検挙
アンナ・クラウゼン 43歳 無職 1941年11月19日検挙
山名正美 41歳 会社員 1941年12月15日検挙
小貝マサアキ 26歳 学生 1941年9月28日検挙
ハガ・ユー 44歳 研究所嘱託 1941年10月12日検挙
松本亀之助 50歳 ブローカー 1941年10月13日検挙
松本イツヲ 21歳 支那問題研究所員 1941年10月18日検挙
136:SHANGHAI CONSPIRACY
09/01/17 05:51:45
Shanghai Conspiracy (上海の陰謀) = 赤色スパイ団の全貌―ゾルゲ事件 (1953年)
GHQ参謀部情報第2部(G2)部長C.A.ウィロビー少将 (著), 福田 太郎 (翻訳)
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第一部 ゾルゲ・スパイ団 -日本警察の記録-
日本警察の記録に依れば、ゾルゲ事件に連座した次の人間が検挙されている。
高橋ゆう 32歳 満鉄社員 1941年10月22日検挙
篠塚虎雄 41歳 工場主 1941年11月14日検挙
武田タケシ 39歳 労働者 1941年11月24日検挙
武田トシオ 31歳 無職 1941年11月24日検挙
船越壽雄 41歳 支那問題研究所員 1942年1月4日検挙
川村好雄 33歳 満州日日新聞 1942年3月31日
小代好信 34歳 会社員 1942年4月11日検挙
安田徳太郎 45歳 医師 1942年6月8日検挙
田中慎次郎 43歳 無職 1942年3月15日検挙
菊地八郎 31歳 戦地特派員 1942年3月16日検挙
西園寺公一 37歳 前外務省嘱託 1942年検挙 ★
犬養健 47歳 衆議院議員 1942年4月4日検挙 ★
海江田久孝 35歳 満鉄社員 1942年4月11日検挙
後藤憲章 44歳 満鉄社員 1942年検挙
宮西義雄 33歳 満鉄調査部員 1942年4月13日検挙
磯野清 36歳 戦地特派員 1942年4月28日検挙
東条英機首相は事件の早急な調査を命じたが、警察はゆっくりと構えていた。
検挙された人間は比較的にすらすらと白状したので、有罪者と無罪者を区別するには困難
は無かった。
137:SHANGHAI CONSPIRACY
09/01/17 22:58:55
Shanghai Conspiracy (上海の陰謀) = 赤色スパイ団の全貌―ゾルゲ事件 (1953年)
元米極東軍司令部(GHQ)情報部(G2)部長C.A.ウィロビー少将 (著), 福田 太郎 (翻訳)
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第二部 ゾルゲの手記 -私の諜報組織の一般的性質- コミンテルン諜報部
国際共産党を指導する政治上、組織上の諸決定の基礎を作った三大部門の一は、コミンテルン
情報部である。コミンテルン情報部は1925年に創設され、次第に拡張された。私はその拡張の
仕事を、積極的に手伝った。
コミンテルン情報部の仕事は、国際共産党に関する各種の報告を定期的に作成し、また特殊な
党問題を取り扱い、民族的労働運動や各国の政治経済状態の報告、時には国際的な特殊問題
に関する報告を編集することであった。
これらの報告は、コミンテルンへ連絡してきた各国の党代表や新聞雑誌から材料を得た。旅行者
や代表者から持参された報告もあった。だからコミンテルン情報部長の職に就く者は、例えばクーシ
ネンのような長年国際的経験を積んでいる党同志であった。部長の下に書記局があり、書記長が宰
領した。書記局内の区分は、ヨーロッパ、英帝国、北米、南米、西太平洋諸地域を含めた東亜であっ
た。更に細分して、例えばヨーロッパ群は、ドイツ語使用諸国とそれらの党、フランス語使用諸国、
フランス及びイタリア、スペイン等とそれらの党といった具合である。東亜は、中国、日本、朝鮮及び
蘭領東インド諸島があり、他の群小地域にある諸党は一括し、一定の事務所に於いて統一されていた。
主要な国際問題は特に指名された者によって取り扱われた。特に指名された者は書記局の情報課
の直接の指導の下に仕事をした。(中略)
特別の場合にはソビエト共産党の代表者が書記局の会合に出席し、時には赤軍の要員がゲリラ運
動に関しての軍事問題の参考とする必要のある場合などには出席した。(中略)
1928年私はコミンテルンの第二世界会議の政治委員会に出席した。
138:SHANGHAI CONSPIRACY
09/01/17 23:35:11
Shanghai Conspiracy (上海の陰謀) = 赤色スパイ団の全貌―ゾルゲ事件 (1953年)
元米極東軍司令部(GHQ)情報部(G2)部長C.A.ウィロビー少将 (著), 福田 太郎 (翻訳)
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第二部 ゾルゲの手記 -コミンテルン及びソビエト共産党- 党とコミンテルンの関係
私が日本で運用した諜報団は、ソ連共産党の特別支部であった。団員は、金銭私利の為では
なく、共産主義の為に働くのだと公言していた。この状態が、ソ連共産党とコミンテルンの関係、
今日非常に重大な世界共産主義運動に於ける両者の役割を説明している。
コミンテルンは党ではなくて、民族的共産党の世界的機関である。それは各党を代表する多数
の部から成立している。その一はソ連共産党部である。
その目的は全世界を単一の共産社会にすることである。
つまり世界共産化を目標とする世界的機関である。世界的ソビエト連邦を組織することである。
生産手段の私有を廃し、階級的搾取と圧迫を廃し、人種的圧政を廃し、全民族を単一の大計画
に基づいて結合することである。コミンテルンによる総合的指導がなければ、その各部は異種の、
甚だ均衡のとれない、人種的モザイクの社会を現出する事になってしまうだろう。
※スターリンの独裁体制を全世界に拡大することがコミンテルンの使命であった事が分かる。
※ゾルゲは、スターリンが自分の仕事を高く評価しているから、日本とソ連との間に妥協が成立
した場合には釈放されるだろう、と自慢していた。
139:SHANGHAI CONSPIRACY
09/01/18 01:19:36
Shanghai Conspiracy (上海の陰謀) = 赤色スパイ団の全貌―ゾルゲ事件 (1953年)
元米極東軍司令部(GHQ)情報部(G2)部長C.A.ウィロビー少将 (著), 福田 太郎 (翻訳)
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第四部 上海陰謀
リヒャルト・ゾルゲ(Richard Sorge)の供述書を綿密に検討すれば、その陰謀の中心点が、中国
にあることを暗示する言語が多分に含まれている。この点に関心を持った東京に於ける情報部
(G2)は、問題の焦点を上海に向けたのである。
ゾルゲ供述書にあるものの中で、引用されている言語は短いのだが、非常に暗示に富んだ重要
なものがある。それは上海に於ける諜報諸機関について述べている箇所を指すものであって、即ち
レーマン・グループ、フロリッヒ=フェルデマン・グループ、コミンテルン・グループ及びヌーラン事件
等である。
この内、コミンテルン・グループは特に重要な機関のようである。このグループは、汎太平洋通商
同盟(PPTUS)書記局のことであった。更に詳細に調査した結果、この機関の曾ての指導者に、元
米国共産党首のアール・ブラウダーという男が籍を置いていた事が分かった。彼の後任にはユージン・
デニスがなっている。その他、このコミンテルン・グループには、アメリカ共産党の闘士、H・J・ドルソン
とかゲルハルト・アイスラーとか、上海で検挙されたヌーランとか、著名な共産党地下工作員がいた。
この事件が、もし、現在我々の国で活躍中の著名な共産党員にまで、その類を及ぼしたなら、その
歴史的価値は更に増すことであろう。
(※その後、チェンバーズ・ヒス事件など、想像以上の規模のスパイ・リングが明らかとなった)
(中略)
かくしてマッカーサー情報部は、ゾルゲ・スパイ団が上海で活動した後、東京に移ったこと、その
命令は赤軍第四本部から出ていること、そして結論としては、ソ連及びコミンテルンの国際陰謀の
一環としての諜報活動であること等について認識することが出来たのである。
上海は、共産主義諜報活動及び政治的破壊活動の中心地であった。
140:SHANGHAI CONSPIRACY
09/01/18 01:52:44
Shanghai Conspiracy (上海の陰謀) = 赤色スパイ団の全貌―ゾルゲ事件 (1953年)
元米極東軍司令部(GHQ)情報部(G2)部長C.A.ウィロビー少将 (著), 福田 太郎 (翻訳)
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第四部 上海陰謀 (※中国-日本-アメリカにまたがる広汎なスパイ活動の概要)
■上海工部局警察の記録 - 共産主義団体など。特にアグネス・スメドレー。
■中国に於けるアメリカの共産主義者 - 上海はサボタージュと破壊活動の中心地
1927年、第3インターナショナル主催の会議が漢口で開催。
■太平洋問題調査会 - ギュンター・シュタインら。尾崎秀実が調査会と交渉を持っていた。
日本支部:平野義太郎ら中国研究会と密接に連携。アメリカ人も多数関係。
他、政治経済研究所、中日親善協会、日ソ親善協会、中日通商促進協会など。
(類似の名称の団体がアメリカ国内にも存在した。)
■ユージン・デニス別名ポール・ユージン・ウォルシュについて
=元アメリカ共産党党首アール・ブラウダーの直弟子、秘書、後継者。
アール・ブラウダーがコミンテルンの上海機関(=汎太平洋労働組合書記局:PPTUS)を創設
■ヌーラン事件と逃亡者ゲルハルト・アイスラー
タイム誌がアメリカ国際赤色救援会について小型クレムリンの副題を付けて報道。
■コミンテルン機関について - 1930年代のコミンテルンのモスクワ本部はソビエト政府組織と並行
■クレムリン直系の国際団体
プロフィンテルン(Profintern)、クレスティンテルン(Krestintern)、ヴォクス(VOKS)、モップル(MOPR)
・アメリカに於けるモップル=国際労働擁護会(I・L・D)
■アメリカ人権擁護委員会(THE AMERICAN CIVIL RIGHTS CONGRESS)
■国際革命著作家同盟(IURW) - VOKSの後援によって知識階級の同調者を獲得する為に結成
(※ミュンツェンベルク・トラストの言うところの、”イノセンツ・クラブ”である)
■中国の共産党及び共産系諸団体 - 汎太平洋労働組合書記局=コミンテルン・グループ
ヌーラン防衛委員会、ソビエト友の会、中国友の会、中国人権擁護連盟、反帝連盟
141:SHANGHAI CONSPIRACY
09/01/18 03:05:28
Shanghai Conspiracy (上海の陰謀) = 赤色スパイ団の全貌―ゾルゲ事件 (1953年)
元米極東軍司令部(GHQ)情報部(G2)部長C.A.ウィロビー少将 (著), 福田 太郎 (翻訳)
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第一部 ゾルゲ・スパイ団 - 尾崎と国際問題 (※尾崎秀実の敗戦革命への謀略について)
(前略)日本は英・米と衝突する運命にある。緒戦では日本が優勢であるかも知れないが、日本の
経済的脆弱性の故に、また長引いた支那事変の為に、国力が消耗しているから、その優勢も長く
は続かないという解釈をしていた。この予言は1942年3月3日の、尾崎への訊問中にただされた
ものである。(※尾崎秀実「東亜に於ける新秩序」)
(中略)
第二次大戦により負け、または疲弊した列強は社会主義革命を経る。私(尾崎)は世界革命にま
で導く過程を、次のように考える。
(一)ソ連は平和政策を維持するべきであり、そうするだろう。そして帝国主義列強の紛争には超然
たる態度をとるであろう。
(二)日独伊と英米間の紛争は、修正資本主義国家と真の帝国主義国家群との闘争と解せられ、
長期消耗戦の後に一方側の勝利となり、他方には社会主義革命が起こる。
(三)勝った国家も疲弊して、多分、社会主義国家となる。ことにロシアの勢力が比較的増進される。
(中略)私はこの予言を、1941年7月にゾルゲに話した。
※尾崎秀実は日本を対米英の破滅的戦争へ誘導し、レーニンの”砕氷船理論”を推進し、敗戦革命
する事を夢見ていた。この結果、300万人以上の日本人が死亡し、日本国土は焦土と化した。
142:大東亜戦争とコミンテルン
09/01/21 15:27:45
URLリンク(bookweb.kinokuniya.co.jp)
■敗戦謀略の真相 [なぜ第二次世界大戦が起きたか]
(前略)
ある日、元内務相警保局出身の代議士、三田村武夫氏を伴って来た。重要な話だから、充分
時間をとって欲しいということで、馬場恒吾読売新聞社長と二人で何事ならんと聞き耳を立てた。
三田村氏は、一応言わんとするところをタイプに打ってきたと言って、分厚い書類を出し、説明
に入った。題名はたしか「コミンテルンの敗戦謀略」だったと記憶する。それをめくりながら、鋭い
論鋒で迫る彼の弁舌に、私達二人は異常な驚きを覚え、黙って聞き入った。
イデオロギー闘争と並んで、当時の私が自らに課していた一番大きな問題は、我々の先輩が
負けると決まった、あんな馬鹿げた大戦争をなぜやったのか。その真因を追究し、後世の資とす
ることだった。その為に、これからあらゆる努力を払おうとしていた矢先だった。三田村代議士の
分析は、まさにその核心に迫った、驚くべき事実の発掘だった。私は身震いするほど興奮し、そ
の話に聞き入った。
大東亜戦争とスターリンの謀略―戦争と共産主義 三田村武夫 著
URLリンク(bookweb.kinokuniya.co.jp)
143:アグネス・スメドレー
09/01/23 00:53:59
アグネス・スメドレー (Agnes Smedley, 1892年2月23日 - 1950年5月6日)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
アメリカ合衆国のジャーナリスト、ソビエトのスパイ。
中国大陸の近代事情、特に中国共産党に関する著作で知られる。
スメドレーはアーネスト・ブラディン(Ernest Brudin)と結婚し、カリフォルニア州へと移住した。この地
で社会主義の思想に触れた彼女は、6年後に離婚するとニューヨークへと向かった。ニューヨークで
はマーガレット・サンガーと共にBirth Control Review誌で働いている。インド人の共産主義者ヴォレン
ドラナート・チャットパディア(Virendranath Chattopadhyaya)と関係を深めると、彼とともにドイツへ渡っ
た。1929年には初の自伝を書き上げている。
チャットパディアと分かれたスメドレーは次なる興味の目標を中国大陸へと定め中華民国の上海へ向
かった。上海ではソビエト連邦のスパイであったゾルゲと親密に親交し(性的・肉体関係もあった)、後
に彼の協力者となる尾崎秀実を紹介した。尾崎はスメドレーの著作を日本語に翻訳している。このよう
な経緯から、マッカーサーの部下であったチャールズ・ウィロビーはスメドレーをソビエトのスパイであ
ると主張していた。スメドレーはこの主張に対し戦後告訴を試みているが、最近の研究ではこの疑惑は
真実であるとされている。
※ゾルゲ・スパイ・リングはこうしてスターリンのソ連・コミンテルンの指令の下、中国、日本、アメリカに
またがって活動していた。
144:革命的名無しさん
09/01/23 16:54:23
近衛上奏文
URLリンク(www.ne.jp)
早期和平ニ付近衞公爵上奏文(いわゆる近衛上奏文) 昭和20(1945)年2月14日上奏
(Wikipediaより引用)
近衛上奏文(このえじょうそうぶん)とは、太平洋戦争末期の1945年(昭和20年)2月14日に、
近衛文麿が昭和天皇に対して出した上奏文である。
■概要
近衛は昭和天皇に対して、「敗戦は遺憾ながら最早必至なりと存候」で始まる「近衛上奏文」
を奏上し、英米の世論は天皇制廃止にまでは至っていないとの情勢判断の下、いわゆる
「国体護持」には敗戦それ自体よりも敗戦の混乱に伴う共産革命を恐れるべきであるとの
問題意識を示した。
(要旨)
・「大東亜戦争」(太平洋戦争)は日本の革新を目的とする軍の一味の計画によるものであること
・一味の目的は共産革命とは断言できないが、共産革命を目的とした官僚や民間有志がこれを
支援していること
・「一億玉砕」はレーニンの「敗戦革命論」のための詞であること
・米英撃滅の論が出てきている反面、一部の陸軍将校にはソ連軍や中国共産党と手を組むことを
考えるものもでてきていること
近衛は陸軍内に共産主義者が存在し、敗戦を利用して共産革命を行おうとしている旨を述べた。
また、戦争終結のためにはこの一味が障害となること、一味さえ取り除けば軍部を利用していた
共産主義者を抑えることができることを述べている。
145:「ゾルゲ事件」報告書
09/01/24 13:07:50
【米国公文書】ゾルゲ事件資料集 -「ゾルゲ事件」報告書 GHQ・CIS編-
URLリンク(www.shahyo.com)
序文
ゾルゲ事件で主導的役割を果たしたリヒャルト・ゾルゲ、尾崎秀実、宮城与徳は最早この世に
いない。事件そのものが過去の出来事となっている。だが、それは重要な出来事であり、裁判終
結以来、日本の内務省や司法省に放置されていた、秘密記録文書の中に埋もれてしまうには重
要さが過ぎる。そこからは高度な諜報活動の古典的事例が知られる。そこでは共産主義思想の
ある種の並々ならぬ面を率直に浮かび上がらせている。そこからは日本政府の要人の部屋で展
開された葛藤や、戦前数年間の外交に関する情報が得られる。その重要性故に、この事件を研
究用に明かすことにした。
146:革命的名無しさん
09/01/24 19:38:27
ろすけに媚びってるん?
147:革命的名無しさん
09/01/24 20:10:40
コピペのバカ
オウム
創価
共産党
早く、悪い夢から覚めて、人間に復帰してください。
人間
148:「ゾルゲ事件」報告書
09/01/25 01:45:05
【米国公文書】ゾルゲ事件資料集 -「ゾルゲ事件」報告書 GHQ・CIS編-
URLリンク(www.shahyo.com)
二 リヒャルト・ゾルゲ
1924年にゾルゲはフランクフルトでのドイツ共産党秘密総会に出席した。彼はコミンテルン代表
のヨシフ・ピャトニツキー、ドミートリ・ザハロビッチ・マヌイリスキー、オットー・ウィルヘルム・クーシネ
ンとソロモン・アブラモビチ・ロゾフスキーをもてなすための歓迎委員会の一員となった。年末にかけ
てこのソ連代表達の招待でゾルゲはモスクワに送られた。ゾルゲはドイツ共産党を辞めてソ連共産
党入りをし、コミンテルン(共産主義インターナショナル)の情報部の一員となった。
ゾルゲは1927年にはスカンジナビアと英国にコミンテルンの情報・組織局の特別代表として派遣
された。1929年まで留まって、スカンジナビア諸国や英国の共産党と協働して労働問題や共産主義
活動に関する情報を集めた。
※ゾルゲの祖父、アドルフ・ゾルゲはマルクスの第一インターナショナル時代の組織で、カール・マル
クスの秘書をしていた。
149:革命的名無しさん
09/01/27 12:36:30
日中戦争再論
URLリンク(bookweb.kinokuniya.co.jp)
作戦戦闘・外交・経済・国際法・インテリジェンス・メディアなど多彩な視点から迫る日中戦争の総合研究書
日本史上最長・最大の戦争である日中戦争を最新の研究成果に基づき国内外の研究者、実務家らが、多
様な視点から再検討する。最新の日中英語研究文献目録も収録。
第四篇 インテリジェンス・プロパガンダ・メディア
■太平洋戦争下におけるアメリカと中国共産党のインテリジェンス関係
アメリカの情報機関
アメリカ初の対外情報機関「戦略事務局」(OSS:Office of Strategic Service)
「中米合作所」(SACO):対日情報活動
「戦時情報局」(OWI):ホワイトプロパガンダ担当
「経済戦委員会」(BEW):経済情報を収集分析
中国共産党が2つの勢力に分裂
1.党指導部: コミンテルン解散後も親ソ的
2.兵士・ゲリラ: 民族主義的傾向を強めていた
中国・ビルマ・インド(CBI)戦域司令官の政治顧問、ジョン・デイヴィス(John Paton Davies)は、2.が中共の
大きな流れであると認識し、これを支援すれば対日戦に利用出来、且つ、ソ連への接近を阻止出来ると考えた
ようである。その為、共産主義イデオロギーについては不問に付したようだ。一方、蒋介石率いる国民党軍は派
閥争いなどがあり、「真剣に対日戦を遂行していない」と受け止められ、中国共産党支援にアメリカが傾いたとの
説もある。また、そのような噂を中共が流布したとの説もあるようである。この中共接近が国民党も支援していた
アメリカ内部の混乱を起こすことにもなったらしい。
150:革命的名無しさん
09/01/27 15:53:07
大東亜戦争とスターリンの謀略―戦争と共産主義 三田村 武夫【著】
URLリンク(bookweb.kinokuniya.co.jp)
私が政治運動に身を投じてからの最大の関心事は、激変する国際情報と第二次世界戦の
嵐の中で、モスクワを本拠とする共産主議運動が、いかなる戦略戦術を展開して行くか、
更に軍閥の独善的戦争推進の背後にあつて、世界革命への謀略コースをいかにして押し
進めて行くかを怠りなく注視し研究することであつた。
そして、その間に、私が体験し、調査し、研究して得た結論が本書の内容である。
序説 コムミニストの立場から
第1篇 第二次世界大戦より世界共産主義革命への構想とその謀略コースについて
第2篇 軍閥政治を出現せしめた歴史的条件とその思想系列について
第3篇 日華事変を太平洋戦争に追込み、日本を敗戦自滅に導いた共産主議者の秘密謀略活動について
資料篇(「コミンテルン秘密機関」―尾崎秀実手記抜萃;日華事変を長期戦に、そして太平洋
戦争へと理論的に追ひ込んで来た論文及主張;企画院事件の記録;対満政治機構改革問題に関する資料)
151:革命的名無しさん
09/01/27 16:24:04
大日本帝国ってコミンテルンの陰謀に引っかかっちゃうくらいマヌケな国だったのか
152:革命的名無しさん
09/01/27 16:36:37
カクマル「酒鬼薔薇事件もコミンテルンの陰謀」
153:革命的名無しさん
09/01/27 19:10:19
日本共産党が低迷するのも無茶苦茶な路線を押し付けたコミンテルンの陰謀
154:革命的名無しさん
09/01/28 00:28:38
ソ連崩壊もコミンテルンの陰謀だな
155:革命的名無しさん
09/01/29 12:48:35
機密指定解除 - 歴史を変えた極秘文書
URLリンク(ec.nikkeibp.co.jp)
第7章 国家という秘密 48,ソ連スパイ活動の黄金時代 1943年8月 冷戦 - ヴェノナ作戦
世界に数あるスパイ作戦の記録でも、最も長い期間に渡り、最も複雑なのが、暗号名VEONA
(ヴェノナ)という作戦だ。
(中略)
1943年に開始された国家安全保障局(NSA)の前身、陸軍の通信安全保障局(SSA)による
秘密計画に、FBIを参加させることになった。SSAの暗号解読チームは、ソ連の電文の解読に取り
組んでいた。それは、1940年代、米国に置かれたソ連の外交施設からモスクワへ発信された無線
傍受の内容である。そのプロジェクトは、最終的にヴェノナという暗号名がつけられた。1948年、
FBIのロバート・ラムフィア特別捜査官が、この計画に参加した。彼はFBIの連絡係であり、電文情報
の管理者でもあったが、得られた知識はフーバー長官だけに伝えられ、ワシントンの政策立案者に対
しては知らされることはなかった。
1940年代の新聞の見出しに登場した多くの名前、例えばエリザベス・ベントリー、ウィテカー・チェン
バーズ、ジュディス・コプラン、クラウス・フックス、アルジャー・ヒス、ドナルド・マクリーン、そして原子
爆弾スパイ一味の、ハリー・ゴールド、ディヴィッド・グリーングラス、ジュリアス・ローゼンバーグと
その妻エセルなどは、そうした電文の中に潜んでいる。ラムフィアやフーバーとその他少数の捜査官
たちは、電文の中にこうした人たちの名前と合致する暗号名、例えば、ハリー・ゴールドはアルノ、ジュ
リアス・ローゼンバーグはアンテナなどを、少しずつ見破っていった。しかし、そうした電文は告発の
為に利用出来なかった。ヴェノナの口の堅い管理人やFBIは、米国がソ連の主要な暗号方式を解読
したことを明かしたくなかったからだ。
156:革命的名無しさん
09/01/29 16:22:03
真珠湾 日米開戦の真相とルーズベルトの責任 G・モーゲンスターン著 渡邉明訳
URLリンク(www5a.biglobe.ne.jp)
■米国人ジャーナリストが解明した日米開戦の真相とルーズベルトの戦争責任
昭和十六年十二月、ワシントン時間の七日午後の日本海軍による真珠湾奇襲攻撃のニュースは
アメリカの全国民にとって、全く寝耳に水の驚きであった。戦争反対の圧倒的世論の中で、アメリカ
が戦争に巻き込まれることは絶対にない、と明言した大統領ルーズベルトの約束を信じ切っていた
アメリカ国民は、真珠湾攻撃を平和交渉真っ最中の崩し討ちであるとの宣伝を信じ憤激した。そして、
日本人を僧み、挙国一致で対日戦に立ち上がった。「リメンバー・パールハーバー」は、アメリカ国民
の合言葉になり、ジャップを徹底的に懲らしめることに情熱と使命感を燃やした。
当時三十五歳で、米国最大の発行部数を誇るシカゴ・トリビューン紙の論説委員として、国際間題
に健筆をふるっていたジョージ・モーゲンスターンも、海兵隊に従軍し海兵隊総司令部広報部ニュー
ス班長として、戦闘報道員の指導監督にあたった。
157:革命的名無しさん
09/01/29 22:34:46
戦後の外事事件―スパイ・拉致・不正輸出 外事事件研究会【編著】
URLリンク(bookweb.kinokuniya.co.jp)
Ⅰ ロシア(旧ソ連)関係諜報事件
参考2 レフチェンコ証言問題 昭和57年12月9日 米国下院情報特別委員会公表
レフチェンコ証言問題は、KGB情報機関員である
ノーボェ・ブレーミヤ誌(「新時代」)東京支局長 スタニスラフ・A・レフチェンコ (当時38歳)
が米国に亡命し、米国下院情報特別委員会で、ソ連のアクティブ・メジャーズ(政治工作)につい
て証言を行い、多数の日本人エージェントを運営していた実態を明らかにした事案である。
レフチェンコは、昭和50年2月に来日し、日本の各界に対し、
・日本、米国、中国の離間
・親ソ連ロビーの扶植
・日ソ善隣協力条約の締結
・北方領土返還運動の沈静化
等を狙いとした政治工作を行う事を任務とし、昭和54年10月、米国に亡命するまでの間に11人
の日本人エージェントを直接運用していた。
レフチェンコは、その証言の中で、日本人エージェントのコードネームを示し、著名な政党の人物
やジャーナリストが含まれていることを明らかにすると共に、これらのジャーナリストは、自民党や
閣僚メンバーを含む上級政府職員とハイレベルの接触があり、日本政府の内外政策についての秘
密の口頭情報や資料の提供を受けたことを証言した。
158:革命的名無しさん
09/01/30 00:07:29
コピペage
159:「ゾルゲ事件」報告書
09/01/30 02:39:17
【米国公文書】ゾルゲ事件資料集 -「ゾルゲ事件」報告書 GHQ・CIS編-
URLリンク(www.shahyo.com)
1929年の5月か6月にモスクワに戻ったゾルゲは、共産党関連の情報活動からの離脱を
申し出た。政治、経済、軍事情報の収集に特化したかったのである。自分の活動の場は極東、
と決めた。コミンテルン情報部を去った彼は、ソ連の赤軍第四部に配属され、早速第四部内で
極東諸国、殊に日本の政治、外交、財政、経済、軍事、他の資料を集める組織の結成に着手し
た。こういうわけで、彼の仕事の成果がコミンテルンにもたらせるのは、間接的にソ連政府を
通してのみとなった。ゾルゲはこの立場の変更を次のように説明した。
「ソ連共産党はコミンテルン指導部よりも、影響力が強まりました。今日、実際に共産労働
運動の旗振りをしているのはソ連共産党です。このことは現実的にソ連共産党の指導者とコミ
ンテルンの指導者との関係を見れば分かります。」
160:張作霖爆殺とコミンテルン
09/01/30 15:16:42
Will オトナの常識[月刊ウイル]2009年1月号(2008/11/26発売)
URLリンク(web-will.jp)
■中西輝政 田母神論文の歴史的意義
(張作霖爆殺とコミンテルン)
21世紀に入って、ロシアでは「張作霖爆殺はコミンテルン(正確にはソ連軍諜報部)がやったもの
である」という研究や報道が次々と現れ始めた。確定的な一次資料は未だ出ていないが、「日本軍の
仕業」として断定出来なくなってきているのである。
またロシアでの議論に加え、近年、この時期のイギリスの情報部資料が出てきたが、張作霖爆殺
については、当時、イギリスのMI2c(陸軍情報部の中の極東課)が中心になって調査し、事件直後
「ソ連の仕業ではないか」という第一報を送っていたことが明らかに成った。
その後、彼らは東京から入る外交報告で、「日本は自分たちがやったと思っていて、内閣も宮中も
大騒ぎになっている」ことを知り、実際に張作霖爆殺を起こしたのは誰なのか、ということを更にその後、
延々4ヶ月間に渡って調査している。
そして4ヶ月後の1928年10月、まとまった報告書を提出し、そこで「ソ連が主役だ(protagonist)」
と結論し、書き送っている。つまり、関東軍もかんだかも知れないが、ソ連(コミンテルンないしソ連軍
諜報部)が主役だったという結論を出しているのである(その文書番号はWO105-5750, MI2c Note
19 October, 1928)。
こういう文書、史料がようやく今、読めるようになり、それらを検討していくのはこれからの仕事であっ
て、今や「確定している」というのはまかり間違っても言えないことなのである。つまり、日本の歴史教科
書や多くの昭和史の本は、これまでの「確定」調では書けなくなってきているのである。
161:ニコルソン・ベイカー
09/02/01 13:27:29
ニコルソン・ベイカー Nicholson Baker (From Wikipedia, the free encyclopedia)
URLリンク(en.wikipedia.org)
■Human Smoke:
The Beginnings of World War II, the End of Civilization (2008) is a history of World War II that
questions the commonly held belief that the Allies wanted to avoid the war at all costs but were
forced into action by Hitler's unforgiving crusade. It is written in a mostly objective style, largely
consisting of official government transcripts and other documents from the time. He cites documents
that suggest that the leaders of the United States and the United Kingdom were provoking Germany
into war (showing, for example, that Britain bombed Germany before Germany bombed Britain) and
that the leaders of those two nations had ulterior motives for wanting to participate. In the epilogue
to the book he suggests that the pacifists (who are often vilified by WWII historians) had it right all
along, stating: “They failed, but they were right.”
Human Smoke: The Beginnings of World War II, the End of Civilization (ハードカバー)
URLリンク(www.amazon.co.jp)
ニコルソン・ベイカーの著書『人間の煙』は1941年の真珠湾攻撃がルーズヴェルト大統領の対日攻撃意図
に基づく誘導によって生じたものであるということを公開史料から証明していったものである。
2008年の本書、1947年のジョージ・モーゲンスターン著『真珠湾 日米開戦の真相とルーズベルトの責任』
など、今や真珠湾攻撃が米英の陰謀による誘導、そして更にはソ連スターリンのコミンテルン、その傘下の
中国共産党の毛沢東らによる対日ブラックプロパガンダの策謀と総合して理解する事が必要となってきている。
更には当時のアジアが白人帝国主義に蹂躙されていた事なども史実として考慮しなくてはならない。
162:ハリー・デクスター・ホワイト
09/02/03 13:25:37
知られざるインテリジェンスの世界 世界を動かす智恵の戦い
URLリンク(www.php.co.jp)
第2章 情報活動の基本 /雪作戦と日米開戦
ルーズベルト政権の財務長官ヘンリー・モーゲンソーの下で次官を務めたハリー・デクスター・ホワ
イトは、ソビエトの情報機関に操られたスパイであったとされている。モーゲンソーはルーズベルト大
統領が最も信頼を寄せている無二の親友であった。週に少なくとも1回は大統領と昼食を共にしたとも
言われている。
ホワイトはマッカーシー旋風が吹き荒れていた1948年に、議会の調査委員会によって告発され証
言台に立たされた。戦後にソ連のスパイ容疑を掛けられた者の中では、最も高位の連邦職員であった。
彼は国際通貨基金(IMF)や世界銀行の創設に深く関わった人物である。暗号解読によって判明した
彼に対するソビエト側のコード名は、Richard、Lawyer、Reedの3つであった。
ソビエト情報機関は「雪作戦」(Operation Snow)を発動して、ホワイトに対する働きかけを行った。雪
は白い(White)というところからの命名である。まずはアメリカが中国支持を強化する方向に持って行く
ことである。アメリカが中国支持を鮮明にすれば、それは必然的に日米関係の悪化に連なって、日本が
ソビエトを攻撃する可能性が薄らぐからである。当時ソ連が恐れていたのはドイツと日本という敵を腹背
に受けて、二正面作戦を強いられることであった。
須藤眞志『ハル・ノートを書いた男』(p.162)はソ連の情報員の言葉を次のように引用している。
「われわれの目的は、極東のソ連地域を日本の攻撃と侵攻の可能性から守り、安全にすることでした」
ジェロルド・シェクターとレオナ・シェクター共著の『聖なる秘密』(Sacred Secrets, p.23)によれば、ソ連か
らの使者はホワイトに、アメリカが日本に要求すべき事項を伝えていた。それは、
・中国への侵略の停止
・大陸からの軍の撤退
・満州からの全面撤収
の3項目であった。
163:革命的名無しさん
09/02/03 13:56:18
日中戦争再論
URLリンク(bookweb.kinokuniya.co.jp)
作戦戦闘・外交・経済・国際法・インテリジェンス・メディアなど多彩な視点から迫る日中戦争の総合研究書
日本史上最長・最大の戦争である日中戦争を最新の研究成果に基づき国内外の研究者、実務家らが、多
様な視点から再検討する。最新の日中英語研究文献目録も収録。
第四篇 インテリジェンス・プロパガンダ・メディア
■太平洋戦争下におけるアメリカと中国共産党のインテリジェンス関係
アメリカの情報機関
アメリカ初の対外情報機関「戦略事務局」(OSS:Office of Strategic Service)
「中米合作所」(SACO):対日情報活動
「戦時情報局」(OWI):ホワイトプロパガンダ担当
「経済戦委員会」(BEW):経済情報を収集分析
中国共産党が2つの勢力に分裂
1.党指導部: コミンテルン解散後も親ソ的
2.兵士・ゲリラ: 民族主義的傾向を強めていた
中国・ビルマ・インド(CBI)戦域司令官の政治顧問、ジョン・デイヴィス(John Paton Davies)は、2.が中共の
大きな流れであると認識し、これを支援すれば対日戦に利用出来、且つ、ソ連への接近を阻止出来ると考えた
ようである。その為、共産主義イデオロギーについては不問に付したようだ。一方、蒋介石率いる国民党軍は派
閥争いなどがあり、「真剣に対日戦を遂行していない」と受け止められ、中国共産党支援にアメリカが傾いたとの
説もある。また、そのような噂を中共が流布したとの説もあるようである。この中共接近が国民党も支援していた
アメリカ内部の混乱を起こすことにもなったらしい。
164:田母神論文と国家観
09/02/03 22:55:28
財団法人 日本学協会 『日本』平成21年2月号
URLリンク(members.jcom.home.ne.jp)
田母神論文が提起した国家観と侵略戦争論議 永江太郎 軍事史学会監事
■はじめに
今年も、間もなく「建国記念の日」を迎える。しかし、多くの日本人は、「建国記念の日」は
知っていても、国家建設を成し遂げた人物は誰なのか。神武天皇が掲げられた建国の理想は
何か。今年が二千六百六十九年と算定される根拠は何か。これらの質問に明確に答えられる
人はほとんどいないであろう。何故なら、学校教育で全く教えられていないからである。
私が教える短期大学の学生は勿論、交流のある自衛隊の幹部ですら知らない人の方が多い。
田母神論文が提起した問題の一つは、一旦緩急の際に自分の命も家族への思いも断ち切って
国を守る覚悟が求められている自衛官が、部隊全員一丸となって国家に殉じる覚悟をどうして
育てるかという深刻な悩みである。
165:GHQ焚書図書開封
09/02/04 09:40:08
GHQ焚書図書開封 #28◆開戦直後に真珠湾のそばをすり抜け帰国した日本商船
チャンネル桜インターネット放送「So-TV」★平成20年12月20日 公開★
URLリンク(www.so-tv.jp)
私はですね、陰謀説はその通りだと思っています。つまり、これだけ証拠が揃って、そして本を挙げま
すと、私専門じゃないんで、中西輝政さんが沢山の本を挙げています、ズラーッと挙げてこれだけの本
があって論証されていれば(もうルーズヴェルト大統領の真珠湾攻撃誘導の陰謀は明らかである)、特
に私が最近読んだのは文藝春秋から出ているロバート・B・スティネットの『真珠湾の真実』という、これ
は一番新しく出ている出版・翻訳されているルーズヴェルト陰謀説の決め手となるような本ですけれども、
私はそういうものを読む度に、2つのこと(中略)(要約:アメリカが悪意を以て日本を陰謀に嵌めて真珠
湾攻撃に誘導したこと、一方、日本がまんまと策謀に陥れられたことは更に日本人を絶望に追い込むも
のではないか。)アメリカの悪意が知性と結びついて謀略を生んで策略を生んで日本が嵌められたんだ
と、そしてそれはドイツとの開戦というのを期待していたチャーチルの意図があってそうなったんだという
ルーズヴェルトとチャーチルの作戦だったということになると、私達日本人はより複雑な感情を持たざる
を得ない、少なくとも私はそうなんですね。
『真珠湾の真実』ロバート・B・スティネット
URLリンク(bookweb.kinokuniya.co.jp)
166:真珠湾調査委員会
09/02/07 12:10:41
真珠湾 日米開戦の真相とルーズベルトの責任 G・モーゲンスターン著 渡邉明訳
URLリンク(www5a.biglobe.ne.jp)
■米国人ジャーナリストが解明した日米開戦の真相とルーズベルトの戦争責任
しかし一方で、ルーズベルトは、「真珠湾の騙し討ち」に憤激したアメリカ国民の総力を結集して、
第二次世界大戦を戦っている大統領として、当時のアメリカ国民の圧倒的な支持を得ていた。アメ
リカの正義の戦いであると信じ、進んで戦争に参加した人々にとっては、英雄ルーズベルトの名声
を傷つけることは、アメリカの威信ひいてはアメリ力国民を誹謗する者として許せないことであった。
アメリカ国民の戦意と激烈な戦争は、この問題を棚上げにしたが、大統領選挙の一九四四年にな
り、戦争が米国の勝利に終わることが明確になると、改めて再審査の気運が起こった。まず最初に、
真珠湾敗北の責任者として処罰された二人の現地指揮官、海軍大将キンメルと陸軍中将ショートの
正式の軍法会議開催の要求が起こった。法廷で争うことは不利であると判断したホワイトハウスは、
陸・海軍長官に指導監督の権限がちる陸軍査問委員会と海軍査問会議における再審で決着を図っ
た。しかし、再審の判決は、現地指揮官の責任だけでなく、内閣や最高司令部の責任を指摘した。
ここに、改めて議会が調査に乗り出すことになると、ホワイトハウスへは、自ら調査を取り仕切るほう
が賢明であると判断し、与党の民主党主導の調査委員会を設置した。こうして上下両隣合同の真珠
湾調査委員会が設けられたのである。
167:田母神論文と国家観
09/02/07 20:55:48
財団法人 日本学協会 『日本』平成21年2月号
URLリンク(members.jcom.home.ne.jp)
田母神論文が提起した国家観と侵略戦争論議 永江太郎 軍事史学会監事
■はじめに(2/2)
では、自衛官が命を捧げても悔いが残らない日本国家とは何か。少なくとも制度としての
民主主義や社会主義或いは憲法といった時代によって変わるものでなく、その底流にあって
長い歴史と伝統をもつ生命体としての国家そのものの筈である。例えば、かって戦後の我が
国を風靡した社会主義も、ソ連邦の建国からわずか八十年で自壊したことで、その誤りが露
呈された。しかし、社会主義国家の建設から崩壊までの間に散った何千万という人々の犠牲
は一体何だったのか。同じ過ちを自衛官に繰り返させてはならない。
一方、我々の父祖が命懸けで護ってきた日本という国家は、防人の時代も元寇の時代も日
清・日露戦争や大東亜戦争の時代も、そして今日も全く同じ日本国である。我々の父祖が後
に続く我々に期待しているものは、このように建国から今日まで連綿と続く国家であること
に思いを致した時、はじめて使命観・死生観が芽生えて、国家に殉ずる覚悟が生まれてくる
ものである。これはかって自衛隊に勤務した私自身の実感である。
168:革命的名無しさん
09/02/08 03:38:45
第二次世界大戦と日独伊三国同盟―海軍とコミンテルンの視点から
URLリンク(bookweb.kinokuniya.co.jp)
また、近衛文麿は上奏文にてコミンテルンの策謀を指摘していたため、ソ連のスパイであった
GHQ情報部調査課長、ハーバート・ノーマン(『外交官E.H.ノーマン』)により作成された「戦争責任
に関する覚書 近衛文麿」によって自殺に追い込まれているという。彼はコミンテルンと関係が深い
太平洋問題調査会(IPR)のカナダ代表でもあったという。
革新官僚: 稲葉秀三(のちサンケイ新聞社長)、勝間田清一(のち社会党委員長)、
和田耕作(のち民主党代議士会長)
革新外務官僚(近衛外交を推進): 松岡洋右、白鳥敏夫(革新派の政治家や財界人が支援)
朝食会: 尾崎秀実、西園寺公一、犬養健
高度国防国家推進
陸軍統制派: 東条英機、永田鉄山、武藤章、池田純久
ソ連、スターリン、コミンテルン、スパイ・ゾルゲ → 尾崎秀実(日本、アジアの赤化を図ったスパイ)
北一輝『日本改造法案大綱』(日本を共産主義独裁体制にすることを企図した)
→五.一五事件、二.二六事件
2.26で暗殺された山本英輔海軍大将が死の二ヶ月前に送付した手紙が本書で紹介されており、
結局の所、皇道派の陸軍将校の過激派が目指しているものは、終局の目的は社会主義であると指摘
していたとある
169:田母神論文と国家観
09/02/08 12:43:09
財団法人 日本学協会 『日本』平成21年2月号
URLリンク(members.jcom.home.ne.jp)
田母神論文が提起した国家観と侵略戦争論議 永江太郎 軍事史学会監事
■如何にして国家観・歴史観を学ぶか(1/2)
最近、野球並の人気を博している日本サッカーのシンボルマークは八咫烏(やたがらす)
であるが、八咫烏が神武天皇の御東征を先導して勝利を齎もたらした縁起の良い鳥である
ことは知らない。ましてや神武天皇が橿原で宣言された建国の理想が「八紘一宇、民の利益
になることであればどんなことでも行なって、国の隅々までを一つの家族のように治める」
ことであったことは教えられていない。これらの建国神話や伝説は、それが史実であるか
どうかよりも、国史を編纂した当時の我々の祖先が、そう信じていたという事実が重要な
のである。
古代日本における海外進出として有名な神功皇后の朝鮮出兵についても、神功皇后が軍
令の遵守のほかに「略奪や婦女暴行を厳しく戒め、さらに降伏してきた捕虜は殺すな」と命
令されたことは知られていない。このような掠奪暴行を禁じた軍令が出された四世紀後半
期は、ヨーロッパではローマ帝国が東西に分裂した時代、アジアでは支那の王朝が最も目
まぐるしく入れ代わった五胡十六国時代という戦争の全てが略奪戦争だった時代であった。
建国に続く国土統一事業や海外進出といった古代日本の勇壮なロマンと当時の人々の心情
は、『日本書紀』や『万葉集』という原典を繙(ひもと)かなければ到底理解出来ないが、
我国の道徳心の高さは、このように古代から世界に卓絶していたのである。
170:田母神論文と国家観
09/02/11 00:08:11
財団法人 日本学協会 『日本』平成21年2月号
URLリンク(members.jcom.home.ne.jp)
田母神論文が提起した国家観と侵略戦争論議 永江太郎 軍事史学会監事
■如何にして国家観・歴史観を学ぶか(2/2)
近世になってからも、イギリスやオランダが東インド会社を設立して本格的な植民地経営に
乗り出した頃、朝鮮に出兵した豊臣秀吉は、その軍令で「放火や乱暴狼藉を厳しく戒め」さらに
「飢餓に苦しむ者の救援や捕らえた者は在所に返す」よう命じている。これらは一例に過ぎない。
我が国が歴史的に「道義国家」であると自負する所以である。
少なくとも、幹部自衛官を育てる防衛大学校や自衛隊の部内教育で教えるべきことは、戦後
教育の中で育ってきた自衛官に、我々の父祖が大事に守ってきたものは何か。それは古典から
直接学ぶ方法であろう。雑多な情報が氾濫し価値観が動揺している時代の自衛官は、自ら原典
に接して国家観や歴史観を学ぶしかない。
171:田母神論文と国家観
09/02/12 20:06:56
財団法人 日本学協会 『日本』平成21年2月号
URLリンク(members.jcom.home.ne.jp)
田母神論文が提起した国家観と侵略戦争論議 永江太郎 軍事史学会監事
■田母神論文が提起した侵略戦争論議(1/3)
田母神氏の論文は、マスコミには悪評であるが、支持する人も多く講演依頼が殺到
しているとの事である。私も田母神論文に対する意見を、本誌十二月号に投稿したが、
論旨は大筋では間違っていないと述べただけで、肝心の村山談話の当否は論ぜず、
政府見解に過ぎない歴史観を自衛官に強要しようとする防衛省の過剰な反応の批判に
留めた。
そこで、本稿では「日本の戦争は侵略戦争だったのか」という本質的な問題を論じて
置きたい。戦後の政治を侵略戦争論議の視点で大観すると、我が国の戦争に対する見
方が中曽根内閣を境に大きく変わったことが分かる。その原因は、中曽根内閣までの
戦後前半期の政治家や官僚は、そのほとんどが戦争に直接参加していたので、これら
の戦争経験者は、自分達が戦った戦争が侵略戦争であったかどうかを自分の体験によ
って肌で理解していた。大平首相が語った「侵略戦争か否かの判断は後世の歴史家の
判断に委ねる」という発言には、侵略戦争ではないという確信が秘められていたのであ
る。
172:田母神論文と国家観
09/02/14 00:50:19
財団法人 日本学協会 『日本』平成21年2月号
URLリンク(members.jcom.home.ne.jp)
田母神論文が提起した国家観と侵略戦争論議 永江太郎 軍事史学会監事
■田母神論文が提起した侵略戦争論議(2/3)
しかし、戦後後半期の政治家や官僚は戦争の実態だけでなく軍事的知識そのものが欠落
している。そのため、国家の何を守るのか、どうすれば守れるのか、ということに思いを
めぐらせることが出来ない。その実害は、近隣諸国条項、慰安婦問題、化学兵器処理、
村山談話という四大失政となって現れた。失政と断定するのは、それが史実を無視、若し
くは歪めているからである。
例えば慰安婦問題については、強制連行でなかったことは戦争経験者には周知の事実であ
る。この問題の最高責任者であった内閣官房副長官石原敏雄氏や直接の担当者平林外政審議
室長が「強制連行を裏付ける資料は証言を含めても全くなかった」と証言したのは当然である。
そのため「第一次案では強制連行を認めていなかったが、韓国政府が猛烈に反発・抗議したの
で、朝鮮人慰安婦の証言を裏付け調査をせずに採用し、強制連行を認める河野談話を発表し
た」のである。(石原証言)
遺棄と称する化学兵器も、現在処理作業中のハルパ嶺の化学兵器は、終戦時の武装解除で
ソ連軍に引き渡したものであることは軍事的常識である。埋めたのが中共軍自身であること
も判明している。それにも拘わらず遺棄を認めて、その処理に膨大な国費を浪費している。
「近隣諸国条項」と「村山談話」が、ともに認めている「侵略戦争」についても、言葉だけが先
行して、その根拠は全く示されていない。
173:田母神論文と国家観
09/02/14 22:09:07
財団法人 日本学協会 『日本』平成21年2月号
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田母神論文が提起した国家観と侵略戦争論議 永江太郎 軍事史学会監事
■田母神論文が提起した侵略戦争論議(3/3)
まず言葉の定義からみると、国語辞典によると「シンリャク」には、侵掠と侵略の二つ
があり、侵掠とは侵入(入る込むべきでない処に無理に入る)して「財物」を奪うこと、
侵略とは他国に侵入して「領地」を奪い取ることとなっている。この定義に従えば、支那
事変や大東亜戦争で、日本は中国や東南アジアにおいて、寸土もその領地を奪ってはい
ない筈である。村山談話の誤りは、当時の官房長官武村正義氏が記者会見で述べた、
侵略とは「他国で他国政府や民衆の意に反し、軍事行動を展開し、人的物的にも多大の
迷惑をかけること」という迷定義に立脚しているからである。
次に、中国内陸部まで侵入して「現地の中国人に多大の苦難を与えた」という点につい
ても、大陸の奥地まで日本軍を誘致して戦うことは、蒋介石の(空室清野)戦略であった。
蒋介石の側近であった薫顕光が、その回想録で「蒋介石の戦略(揚子江の線から奥地まで
三線の抵抗線を築く) は、一種の焦土戦術で、中国軍の放棄した地域には敵の利用する
家屋も食糧も残されてない。これは実に巧妙な作戦で、その後の戦局の推移は蒋介石の
考えの正しかったことを証明している。この計画が最後の勝利を齎もたらすまでには中
国の民衆は長い年月の苦痛に耐えねばならなかった」と書き残している通りである。
現地に置き去りにされた中国人の苦痛は、彼らのために残すべき何物も残さず持ち去っ
た蒋介石の焦土戦術にあったのである。
174:共産主義黒書
09/02/16 21:07:29
共産主義黒書―犯罪・テロル・抑圧 コミンテルン・アジア篇 クルトワ,ステファヌ
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ロシア革命の世界革命化を狙ったコミンテルンと、人類史上未曾有の犠牲者を生み出し
た アジア共産主義の現実
ナチズムの犠牲者約2500万人に対し、共産主義により殺された人数は、
ソ連2000万、 ★中国6500万、 ベトナム100万、 北朝鮮200万、
カンボシア200万、東欧100万、 ラテン・アメリカ15万、アフリカ170万、
アフガニスタン150万 を数え、合計は1億人に近い。
民族・人種によるジェノサイドと イデオロギーによるジェノサイドはどこが違うのか。
なぜ、共産主義は今日まで弾劾されずにいるのか?
175:共産主義黒書
09/02/17 21:58:19
共産主義黒書―犯罪・テロル・抑圧 コミンテルン・アジア篇 クルトワ,ステファヌ
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中国の章では、 魯迅が「中国人は食人種である」と書いている
と紹介し、共産主義のテロルの中で処刑では犠牲者を少しずつ切り刻み、生きながらに
その肉片を食らう醜悪な中国の文化も紹介されている。 (※凌遅刑)
ソビエトのスターリン主義者が見た毛沢東主義者の手法、として悪名高い”自己批判”、
”総括”、”粛清”の様式が紹介されている。
(※連合赤軍の山岳ベースリンチ殺人事件はこれの模倣だったと言える)
また、毛沢東の”大躍進”における誤った農業指導(過度に濃密に植える、土地に合わない
作物を栽培させる、害虫を駆除する雀を駆除する)によって恐るべき史上最大の飢饉が発
生したことも紹介されている。1959-1961年の間の餓死は2,000万人~4,300万人
であろうと推測されているという。そして
凄惨な人肉食が農村で行われていたという言い伝えが紹介されている。
176:共産主義黒書
09/02/18 23:54:26
共産主義黒書―犯罪・テロル・抑圧 コミンテルン・アジア篇 クルトワ,ステファヌ
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文化大革命の段では、青少年を毛沢東主義に洗脳し、
”紅衛兵”という赤いロボットにしていった歴史
も描かれている。そして彼らが恐るべき非人間性を発揮し、”反革命分子”とみなした人間
に対して残虐で下劣な暴力を振るったことが記されている。1966年前後にこのような事態
が中国では起きていたのだが、当時の日本の大学生の中にはこのようなものに憧れ、極
左テロ活動に身を投じていったというのは良く分からない事である。やはり、美化されて伝
えられた結果、実態を知らずに騙されていたのであろう。その紅衛兵も分裂し、内戦状態と
なり、果ては軍隊が投入されて紅衛兵が処刑されていったのである。なんとも救いのない
話である。
チベットでは数十万人(人口の約10%)が中国によって拘禁され、
その2%しか生存していないという恐るべき実態
や、ダライラマなどへの宗教弾圧、追放・・などなど、中国の非人道性、残虐さがここでも証
明されている。
恥知らずな中国共産党は今なおおぞましい人種差別と民族浄化を継続しているという。
177:大東亜戦争と「開戦責任」
09/02/21 20:47:57
大東亜戦争と「開戦責任」―近衛文麿と山本五十六 中川 八洋 (著)
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前編 近衛文麿-「仮面の戦争屋」
第二章「ハル・ノート」とロシアの積極工作 -財務次官補H・D・ホワイトとルーズヴェルト-
第三節 政府高官を覆う赤い工作網 -日米を操作したロシアの「隠れた手(hidden hands)」
ハリー・デクスター・ホワイトには2人の親友がいた。ルーズヴェルト大統領の行政補佐官ロー
クリン・カリーと国務省のアルジャー・ヒスである。行政補佐官は6名居り、カリーは経済問題担当
であったが、中国など極東問題についてはカリーが独占的にルーズヴェルトに助言していた。
だから、カリーはルーズヴェルトにその親友の一人であるオーウェン・ラティモアを蒋介石に対して
ルーズヴェルトが特派する米国側の顧問に採用させ得たのである。
L・カリーの部屋にいたその右腕の助手は、グリーンバークという英国共産党員であった。
L・カリーは又、最後通牒として「ホワイト試案」を採択させるべく狂奔している。O・ラティモアも
この時、重慶から直接ワシントンに様々な圧力をかけ、同時に中国政府を通じて、米国に対して
「ハル試案」に猛反対させた。11月25日付のO・ラティモアのL・カリー宛電文などは、その残って
いる証拠の一部である。
L・カリーやO・ラティモアの暗躍は、「ホワイト試案」の採択が米国政府の最終の意志決定に、
一部の影響を与えた事は否定できない。とすれば、ソ連の指揮下にあったH・D・ホワイトを含めて
彼ら全員が共産主義者であったことを考えると、「ハル・ノート」は共産主義者の手によって執筆され、
主として共産主義者によって対日最後通牒に採択されたことになる。
178:大東亜戦争と「開戦責任」
09/02/24 20:27:45
大東亜戦争と「開戦責任」―近衛文麿と山本五十六 中川 八洋 (著)
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前編 近衛文麿-「仮面の戦争屋」
第二章「ハル・ノート」とロシアの積極工作 -財務次官補H・D・ホワイトとルーズヴェルト-
第三節 政府高官を覆う赤い工作網 -日米を操作したロシアの「隠れた手(hidden hands)」
「ハル・ノート」問題は、どうやら日米の2国間に限っての問題ではない。”ソ連の防衛”と
”ソ連の膨張”とを聖なる戦いとするソ連による世界共産主義運動の一環として位置づけられるべき
問題である。日本の真珠湾攻撃に激昂して「不介入主義(アメリカ・ファースト)」を棄てた米国の
世論を背景に、ルーズヴェルト大統領がドイツに宣戦布告した12月8日、奇しくも、ドイツのソ連
攻略は、大寒波とソ連側の反抗とによって、確実に頓挫した。モスクワ陥落に失敗したのである。逆
にこの時、さらに米国の後ろ盾を得て、ソ連の共産体制は、万が一にも倒壊することのない状況とな
り、寧ろ戦後に超大国となる基盤が作られていくことになった。
179:茶釜 ◆oz7Wpm.iX2
09/02/24 20:53:48
クワトロどんはのう、現象の説明にご執心なのはいいけどのう、
なんでそんなことが起きたのかの説明には成功しとらんのう。
ワシがいずれ書くぞい。
180:これか?
09/02/24 23:27:20
UWFインターナショナル(ユーダブリューエフインターナショナル)
高田延彦が第2次UWFの解散に伴い、1991年5月10日に旗揚げし、1996年12月に解散した
プロレス団体。
正式団体名は「ユニオン・オブ・プロフェッショナル・レスリング・フォース・インターナショナル
(Union of Professional Wrestling Force International)」、通称:Uインター。
新日本プロレス時代には一若手選手、第2次UWFでは前田日明に次ぐポジションであった高田を
絶対エース(詳細は後述)に据えて、旗揚げされた。
日本プロレス史上、最大の対抗戦となった新日本プロレスとの抗争の実現、桜庭和志の輩出など、
後のプロレス業界、格闘技業界に与えた影響は大きい。
URLリンク(ja.wikipedia.org)
181:大東亜戦争と「開戦責任」
09/02/25 22:37:54
大東亜戦争と「開戦責任」―近衛文麿と山本五十六 中川 八洋 (著)
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前編 近衛文麿-「仮面の戦争屋」
第二章「ハル・ノート」とロシアの積極工作 -財務次官補H・D・ホワイトとルーズヴェルト-
第三節 政府高官を覆う赤い工作網 -日米を操作したロシアの「隠れた手(hidden hands)」
ルーズヴェルト大統領の行政補佐官ロークリン・カリーは、自らが「ソ連のスパイ」であるのが
発覚した、ホワイトと同じ日の先述の喚問の後、直ぐにコロンビアに亡命した。O.ラティモア(1900-89)
だけが、ホワイトやカリーと違って、自殺も亡命も選ばず、太々しく生涯「中国専門家」として活躍
した。O.ラティモアは、上院の外交委員会でのマッカーシー上院議員等からの「ソ連のスパイ」とし
ての追及も躱したし(1950)、続いて上院の司法委員会の国家安全保障小委員会での追撃すらも振り切る
ことに成功した(1951-52)。「共産主義者であること」「ソ連や中国共産党のための工作をなした」
数々の証拠は、これを法的に科罰する証拠とは必ずしも同じでない。この弱点がラティモアの犯罪を
無罪放免としてしまったのである。
Lauchlin Currie(ロークリン・カリー) From Wikipedia, the free encyclopedia
URLリンク(en.wikipedia.org)
Owen Lattimore(O.ラティモア) From Wikipedia, the free encyclopedia
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182:大東亜戦争と「開戦責任」
09/02/26 20:40:23
大東亜戦争と「開戦責任」―近衛文麿と山本五十六 中川 八洋 (著)
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前編 近衛文麿-「仮面の戦争屋」
第二章「ハル・ノート」とロシアの積極工作 -財務次官補H・D・ホワイトとルーズヴェルト-
第三節 政府高官を覆う赤い工作網 -日米を操作したロシアの「隠れた手(hidden hands)」
世界共産化を夢見て晩年はモンゴルの共産化を研究したラティモアの犯罪隠しと自らの虚像の維持
にかける執念は終生変わらなかった。日本で英語・日本語双方で出版されたラティモアの回想録『中
国と私』(1990-92)はこの種のプロパガンダ(嘘宣伝)の事例である。
この「ハル・ノート」の決定過程に、最も露骨に親ソ的で前例の無いほどに頻繁にルーズヴェルト
と日々接触している、しかし一切の公的肩書きのないあのハリー・ホプキンズは、関与したのだろう
か、それともしなかったのか。これも明らかにされるべき問題である。が、ホプキンズは胃癌によっ
て1946年1月に死んだ。その死は、ソ連との特殊な関係を持つホプキンズに関する、既に内偵さ
れつつあった様々な調査の動きを中断させた。ホプキンズの真実は、闇に葬られた。「ホプキンズの
神話」だけが地上に遺った。
Harry Lloyd Hopkins(ハリー・ロイド・ホプキンズ)From Wikipedia, the free encyclopedia
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183:大東亜戦争と「開戦責任」
09/02/27 20:11:18
大東亜戦争と「開戦責任」―近衛文麿と山本五十六 中川 八洋 (著)
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前編 近衛文麿-「仮面の戦争屋」
第二章「ハル・ノート」とロシアの積極工作 -財務次官補H・D・ホワイトとルーズヴェルト-
第三節 政府高官を覆う赤い工作網 -日米を操作したロシアの「隠れた手(hidden hands)」
例えば、「ホプキンズは原子爆弾製造の機密を”銀皿に載せて”ソ連に貢いだ」などの噂の真偽は
永遠に確かめられることは無くなった。また、ドイツのソ連侵攻の直後、ホプキンズはスターリンの
元に急派されてスターリンの要望通りの兵器とアルミなどの軍需物資の対ソ供与に全力を挙げたよう
に、ホプキンズとは、その第二次世界大戦を通じての行動に於いて米国の「高官」なのか、スターリ
ンの対米密使などか - 誰の目にも後者であったが - この問題が不問になってしまった。
Harry Lloyd Hopkins(ハリー・ロイド・ホプキンズ)From Wikipedia, the free encyclopedia
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VENONA暗号解読により、1943年5月、アクメーロフ(ソ連のスパイマスターの一人、GPUの全米
責任者)の報告に出てくる、ルーズベルト大統領とチャーチルの秘密の議論に同席した
コードネーム「19」の人物がホプキンズであると考えられている。
184:大東亜戦争と「開戦責任」
09/02/28 16:50:26
大東亜戦争と「開戦責任」―近衛文麿と山本五十六 中川 八洋 (著)
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前編 近衛文麿-「仮面の戦争屋」
第二章「ハル・ノート」とロシアの積極工作 -財務次官補H・D・ホワイトとルーズヴェルト-
第三節 政府高官を覆う赤い工作網 -日米を操作したロシアの「隠れた手(hidden hands)」
ハリー・デクスター・ホワイトのもう一人の親友アルジャー・ヒスは共産主義者であるが、ルーズ
ヴェルトの側近としてホプキンズと共にヤルタ会談に随行した。ルーズヴェルト、スターリン、チャ
ーチルの三巨頭によるヤルタ会談での米国政府代表部に於いて、ハリー・ホプキンズがルーズヴェルト
の側近ナンバーワンの扱いを受け、アルジャー・ヒスはレイヒー提督に次ぎナンバースリーであった
から、ソ連に日本と中国の主権をスターリンの要求のままに次から次へと貢ぐことになった、日本に
とっての痛恨の「ヤルタ秘密協定」のルーズヴェルトの合意にH.ホプキンズとA.ヒスがかなりの影響を
与えただろう事は疑うまでもない。ホプキンズとヒスとは、ルーズヴェルトと共に日本にとって永遠に
許すことの出来ない米国人となった。
ハリー・デクスター・ホワイト (Harry Dexter White)
URLリンク(en.wikipedia.org)
ハリー・ロイド・ホプキンズ (Harry Lloyd Hopkins)
URLリンク(en.wikipedia.org)
アルジャー・ヒス (Alger Hiss)
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185:大東亜戦争と「開戦責任」
09/03/01 10:54:42
大東亜戦争と「開戦責任」―近衛文麿と山本五十六 中川 八洋 (著)
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前編 近衛文麿-「仮面の戦争屋」
第二章「ハル・ノート」とロシアの積極工作 -財務次官補H・D・ホワイトとルーズヴェルト-
第三節 政府高官を覆う赤い工作網 -日米を操作したロシアの「隠れた手(hidden hands)」
このヤルタ会談から2ヶ月後の4月12日にルーズヴェルトが死んだ。後を継いだトルーマンは、
大統領の金庫に保管されていた「ヤルタ秘密協定」を見て驚きの余り腰を抜かしてしまったが、「ヤ
ルタ秘密協定」こそが後の中国の共産化(1949)の原点となり、金日成による朝鮮戦争とホー・チ・
ミンのベトナム戦争の元凶ともなった。この2つのアジアでの戦争は、それぞれ3万4千人と5万人
に及ぶ米国の青年の生命を奪った。この意味では、ルーズヴェルトと共に、ホプキンズやヒスは、米
国にとっても永遠に許すことの出来ない「政府高官」であったといえよう。
1945年2月11日の「ヤルタ秘密協定」は、このソ連に対して、日本の固有の領土である南樺
太と「クリル諸島」、ならびに満州の旅順と東清鉄道とを貢ぐ約束をルーズヴェルト大統領が為して、
自らが署名したあの大西洋憲章やカイロ宣言の精神に自ら違反した。ソ連だけを例外とする、ソ連の
領土的膨張にルーズヴェルトはお墨付きを与えて協力したのであった。とすれば、「ハル・ノート」
は”ソ連を防衛する”為であり、「ヤルタ秘密協定」は”ソ連の侵略(膨張)を支援する”為である
から、米国にとっての太平洋戦争の全ては、偏にソ連に奉仕する為のものであったということになる。
186:大東亜戦争と「開戦責任」
09/03/06 23:12:06
大東亜戦争と「開戦責任」―近衛文麿と山本五十六 中川 八洋 (著)
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前編 近衛文麿-「仮面の戦争屋」
第二章「ハル・ノート」とロシアの積極工作 -財務次官補H・D・ホワイトとルーズヴェルト-
第三節 政府高官を覆う赤い工作網 -日米を操作したロシアの「隠れた手(hidden hands)」
このように、米国のルーズヴェルトの周辺は共産主義者で固められていたのと同じく、日中戦争の
早期講和を阻み「南進」を決行する日本でもまた近衛文麿首相の周辺は共産主義者の巣窟であった。
近衛文麿が積極的に側近に登用した共産主義者としては、書記官長(=現在の官房長官)の風見章
(親ソ系のマルキスト)、ゾルゲ事件の首謀者の一人として死刑となった尾崎秀実(ソ連のスパイ)、
日中講和の阻止に暗躍した西園寺公一(中国共産党系のマルキスト)や犬養健(同左)、朝日新聞
の佐々弘雄、松本重治など挙げると限がない程多い。
太平洋戦争(日米戦争)に至る、日米それぞれの国家に於ける開戦決定過程で、このようにソ連の
影響や共産主義者が暗躍した事実から、日米戦争とは共産ロシア(ソ連)が誘導した戦争であった、
と言える。ロシアこそが、日米間の戦争を欲して、それなりの努力(積極工作)に全力を投入して
生じた戦争、それが日米両国の死闘を尽くしての太平洋戦争の裏面である。
187:大東亜戦争と「開戦責任」
09/03/12 19:35:34
大東亜戦争と「開戦責任」―近衛文麿と山本五十六 中川 八洋 (著)
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太平洋戦争後のアジア・太平洋行きの新しい地図は、最終的には、ソ連のみが
勢力圏を伸ばす草刈場となり、満州も中国本土も「スターリンの子供」である毛
沢東の共産党支配下に陥り(1949年)、朝鮮北部は同じく「スターリンの子
供」金日成の支配するところとなり(1954年)、ベトナム北部も同じく「ス
ターリンの子供」ホー・チ・ミンの支配するところとなった(1954年)。こ
の余波はその後30年間も続き、1975~79年には、ベトナム南部、カンボ
ジア、ラオスなどインドシナ全域がソ連勢力の掌中に落ちた。
日本の日中戦争も、「南進」に始まる対英蘭米戦争(太平洋戦争)も、この2
つ合わせて大東亜戦争と呼ばれる「8年戦争」の全ては、ただただロシアの利益
に奉仕した。そして、ポスト冷戦時代に至っても、いったん共産ロシアの支配下
に落ちたアジア諸国の中でその共産主義から脱し得た国は、国連のPKOの協力
を得る事の出来たカンボジア一カ国に過ぎない。共産中国、共産朝鮮、共産ベト
ナム、共産ラオスは共に今も健在であり、日本の為したロシアに奉仕した「大東
亜戦争」の後遺症は今日に於いても甚大である。
188:革命的名無しさん
09/03/12 23:37:34
共産主義者の大東亜戦争責任
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189:革命的名無しさん
09/03/12 23:52:26
だ
か
ら
何
な
ん
だ
コミンテルンなんてそんな組織だよ。
負けた腹いせに全てをコミンテルンのせいにしてるってのも情けないけどな。
そもそも当時の世界情勢のイニシアチブ握ってたのはソ連じゃないことだけは確かだろ。
190:大東亜戦争と「開戦責任」
09/03/14 06:59:01
大東亜戦争と「開戦責任」―近衛文麿と山本五十六 中川 八洋 (著)
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前編 近衛文麿-「仮面の戦争屋」
第二章「ハル・ノート」とロシアの積極工作 -財務次官補H・D・ホワイトとルーズヴェルト-
第三節 政府高官を覆う赤い工作網 -日米を操作したロシアの「隠れた手(hidden hands)」
単純化すれば、日本の将兵210万人(『日本の戦争』原書房、p21)と米国のそれ9万人余が生命
を捧げた戦争の結末は、ロシアに奉仕すると同時に、「アジア共産化」の為であった。日中戦争や太平
洋戦争は、日米双方の国益に反した上に、更にアジアの人々に共産主義の抑圧の不幸をもたらしたので
ある。日本に対しても、米国に対しても、ロシアを除く全アジアに対しても、釈明の出来ない愚かしく
かつ「無益な戦争」であった。
一国の外交政策の決定に当り、他国の「隠れた手(hidden hands)」による操作を受けることは主権の
侵害の容認放置であり、あってはならない。「ハル・ノート」や「南進」の決定が、共産ロシアの「隠
れた手」で操作されたとすれば、日本にしても米国にしても双方の国家にとって、これこそ「恥ずべき
怠慢」であったといえる。
191:大東亜戦争と「開戦責任」
09/03/15 07:58:42
共産主義者の大東亜戦争責任(1/3)
URLリンク(www.youtube.com)
共産主義者の大東亜戦争責任(2/3)
URLリンク(www.youtube.com)
共産主義者の大東亜戦争責任(3/3)
URLリンク(www.youtube.com)
192:革命的名無しさん
09/03/21 08:54:28
大東亜戦争と「開戦責任」―近衛文麿と山本五十六 中川 八洋 (著)
URLリンク(www.amazon.co.jp)
前編 近衛文麿-「仮面の戦争屋」
第四章 中国共産化と計画経済の導入 -日中戦争と近衛文麿の「犯罪」(Ⅱ)
第三節 「計画経済」体制への暴走
近衛文麿がその智力の限りを絞って、小さな小さな(盧溝橋)事件を国家間の
死力を尽くした(日支)事変(=日中戦争)にまで拡大すること、及びこの日中
戦争が講和することなく半永久的に長期化すること、この2つに執念を燃やした
が、その真の理由(目的)は何であったか。どうやら3つの目的が有ったとまと
められよう。
先ずは、日中戦争によって、日本に計画経済体制を導入すること。つまり、日
本を社会主義化すること。これが近衛の第一の目的(狙い)であろう。
日本の社会主義化を、如何に日本国民に訴えようともそれが日本の国全体のコ
ンセンサスを得られることなどほぼ不可能に近いことは近衛文麿は熟知していた。
が同時に、近衛は、長期的な消耗戦的な戦争をすれば必ず人的・物的な総動員体制
づくりを不可避とするから、社会主義や共産主義の言葉を一言も発せずして間接的
にこの戦時体制から社会主義体制づくりが円滑に進むことも知っていた。
193:革命的名無しさん
09/04/01 21:00:51
【産経FNN世論調査】北ミサイル迎撃態勢に賛成81% 2009.3.30
URLリンク(sankei.jp.msn.com)
MDについて
自民党支持層: 88.7%が「賛成」
民主支持層: 79.7%
公明支持層: 75.6%
共産党支持層: 「反対」が35.0%で「賛成」は62.5%
やはり、日本共産党は尾崎秀実や近衛文麿と同様、反日組織ですね。
194:革命的名無しさん
09/04/05 15:34:12
コミンテルンは、最初は世界革命の為の国際組織だったが、(ジノビエフや
ブハーリンが指導部だったころ)スターリンによりソ連一国の利益をはかる
組織になり果てた。そもそもコミンテルンという世界党から中央集権的に
各国の共産党を指導するー官僚統制すること自体が無理があった。日共が
振り回されつづけたのもそのためだ。独立した各国の党が対等に連携する
ことこそ正しい国際組織のあり方だ。
195:革命的名無しさん
09/04/12 17:51:59
「コミンテルン・ドキュメント 」現代思潮社を読んでみたら。
196:革命的名無しさん
09/04/18 15:37:22
「大東亜戦争とスターリンの謀略」三田村武夫
URLリンク(www.nicovideo.jp)
「大東亜戦争とスターリンの謀略」三田村武夫 1/4
URLリンク(www.youtube.com)
197:革命的名無しさん
09/05/05 21:41:07
近衛文麿は共産主義者だった
URLリンク(www.nicovideo.jp)
URLリンク(www.youtube.com)
補足事実: 近衛文麿はNHK総裁だった (戦前-戦中-戦後)
198:革命的名無しさん
09/05/20 05:51:07
中国共産党 反日プロパガンダの黒幕 李長春
URLリンク(www.youtube.com)
URLリンク(www.nicovideo.jp)
李長春・中国政治局常務委員、マスコミ代表と懇談 2009.3.30
URLリンク(sankei.jp.msn.com)
「理解広がっている」と小沢氏、中国常務委員との会談で (2009年3月31日)
URLリンク(www.yomiuri.co.jp)
199:革命的名無しさん
09/06/08 06:56:56
近衛上奏文 近衛文麿、共産主義者、革新官僚・革新軍人らの敗戦革命
URLリンク(www.nicovideo.jp)
URLリンク(www.youtube.com)
近衛上奏文(このえじょうそうぶん)とは、太平洋戦争末期の1945年(昭和20年)2月14日に、
近衛文麿が昭和天皇に対して出した上奏文である。近衛は昭和天皇に対して、「敗戦は遺
憾ながら最早必至なりと存候」で始まる「近衛上奏文」を奏上し、英米の世論は天皇制廃止
にまでは至っていないとの情勢判断の下、いわゆる「国体護持」には敗戦それ自体よりも敗
戦の混乱に伴う共産革命を恐れるべきであるとの問題意識を示した。「大東亜戦争」(太平
洋戦争)は日本の革新を目的とする軍の一味の計画によるものであること、一味の目的は
共産革命とは断言できないが、共産革命を目的とした官僚や民間有志がこれを支援してい
ること、「一億玉砕」はレーニンの「敗戦革命論」のための詞であること[、米英撃滅の論が出
てきている反面、一部の陸軍将校にはソ連軍や中国共産党と手を組むことを考えるものもで
てきていること、近衛は陸軍内に共産主義者が存在し、敗戦を利用して共産革命を行おうとし
ている旨を述べた。
200:革命的名無しさん
09/06/21 17:11:29
ひとつ訊くけど、日本の天皇はロシアのツァーとおんなじものなの?
201:革命的名無しさん
09/06/22 07:42:31
今の共産党にとって、コミンテルンはアキレス腱。
戦前の日本共産党はコミンテルンの日本支部であるが、ソ連の指導下にあった現実がある。
一方で、共産党はソ連は社会主義でなかった、巨悪ともいっており戦前の日本共産党は巨悪の指導を受けていたこととなる。
今、共産党は戦前コミンテルンの支部であったことを隠そうとしている。
202:革命的名無しさん
09/06/30 22:31:25
日本共産党は、コミンテルン変質説を日本共産党の80年史で採用している。
日本共産党を指導していた1930年代前半のコミンテルンは健全であったが、弾圧により国内の日本共産党が壊滅して以降、
30年代後半よりスターリンの粛清の嵐がコミンテルンにも吹き荒れ、ソ連在住の世界の共産主義者(日本も含む)が処刑されるという変質が起きたという説を採用している。
30年代のコミンテルンが健全かどうかに関しては、コミンテルンの指導党であるソ連共産党は、1928年に第1五カ年計画を決定し、その中で農業の集団化を実行した。
その農業の集団化の過程そのものが富農(クラーク)の強制収容所への収容や農業の集団化に抵抗する農民の処刑などきわめて暴力的方法で遂行され、
工業化のため、農民より穀物を強制調達し、それを輸出することにより工業化のための外貨を獲得がめざされ、それにより農村では1931年32年時期に深刻な飢餓が訪れ、
数百万の農民の餓死者を出すという事態になっている。
1930年代後半にコミンテルンで、無実の多くの共産主義者が処刑されるという事態が生じたのは、
その指導党ソ連共産党において大量の国民・農民を殺戮する政策が1920年代後半より実行されたことが基礎条件となりおきたものと考える。
コミンテルンを指導するソ連での事態を検討すれば、1930年代のコミンテルンが健全とは評価できないことは明白である。
203:革命的名無しさん
09/06/30 22:52:22
>>202
一般党員は、ソ連と日本共産党は最初から全く無縁だったと本気で信じてるから。
だからなにを言っても無駄。
悔しかったら共産党と同じ数のバカをオルグするしかない。
204:革命的名無しさん
09/07/03 20:32:58
>>202
天皇陛下及び皇室は、WW2戦勝国側が創作したような狂信の対象ではなく、議会による補弼の度合いが大き過ぎると
海外から批評されるほどの存在であった。 >>200が謎をかけてきたのも、戦前、一旦は共産主義思想に惹かれ
集った人々も、天皇のについて、コミンテルン指導者側がツァー(ツァーリ)と同等の位置付けをすることに少なからぬ
違和感を覚え呆れかえって離れていったという史実があるからだ。
というわけで、>>202のようなロシア共産党批判も全くの無駄なのですよw
205:204
09/07/03 20:35:49
>>204は推敲前に送信してしまった。句読点を含め何箇所か修正を加えたいが、
明らかにおかしいところを直すだけにとどめておきましょう。失礼しますた>all
×「天皇のについて」 → ○「天皇について」
206:革命的名無しさん
09/07/03 20:56:25
>>204
日本共産党に残った連中は、モスクワ盲従集団だったわけね。
207:革命的名無しさん
09/07/03 21:01:02
>>206
戦前の共産党で、自主独立路線をとったのは山川均など戦後の社会党の左派になる労農派の人たち。
ヨーロッパは、社会民主党から共産党が分裂してできたが、日本は共産党から社会党左派の人が分裂して出て行った。
208:革命的名無しさん
09/07/03 21:01:20
>>206
左様
209:革命的名無しさん
09/07/03 21:12:18
>>208
モスクワ盲従集団が70年代にモスクワ盲従集団を罵倒したのね。
210:革命的名無しさん
09/07/03 21:18:22
>>209
まさしく
211:革命的名無しさん
09/07/04 14:56:44
今共産党は、コミンテルンに加入していた事実を隠そうと歴史の歪曲しているな。
ほとんどの党員は、戦前の共産党とコミンテルンの関係知らないようだ。
212:革命的名無しさん
09/07/07 00:18:12
ムルデカ 17805 インドネシア独立と日本軍兵士
URLリンク(www.youtube.com)
URLリンク(www.nicovideo.jp)
ムルデカ トレーラー
URLリンク(www.youtube.com)
遙か南方の地で、インドネシア独立の為に誇り高く戦った日本人兵士たち。
1945年、日本敗戦 - そして、もう一つの戦いが始まった
[ムルデカ=MERDEKA]とは
インドネシア語で「独立」を意味する言葉。激しい独立戦争を戦い抜いたインドネシアの
人々の精神的な支えとなった合い言葉。
[17805]の意味
後の正副大統領・スカルノとハッタは、日本への感謝を表し、インドネシア独立宣言文に
日本の皇紀「2605(=西暦1945年)8月17日」で年号を書き入れ署名した。これを、日・月・年
の順に並べた5ケタの数字は、独立を宣言した日として、いまもインドネシア国民に記憶さ
れている。
※砕氷船理論に操られながら、欺瞞の為に掲げられた理想を本物の理想として実現した日本は凄い。
人類史を変えてしまった。
213:革命的名無しさん
09/08/01 22:06:13
田母神俊雄さん事務所開き 2009.7.26
URLリンク(sankei.jp.msn.com)
「日本は侵略国家ではない」とする論文をめぐって航空幕僚長を解任された田母神
(たもがみ)俊雄さんが、相次ぐ講演依頼などに対応するため個人事務所を開設し、
東京都内で17日、関係者にお披露目した。友人や編集者ら30人以上が訪れ、田母神
さんの軍事評論家としての門出を祝った。
田母神さんは昨年10月の解任以来、今年7月末までに共著を含め単行本10冊を
出版。現在も雑誌連載2本を抱え、月に30回近い講演を全国で続ける“超売れっ子”
状態が続いている。
※田母神閣下、今や”超売れっ子”状態です!
214:革命的名無しさん
09/08/23 22:07:34
-公式- 田母神俊雄後援会
TSC (Toshio Tamogami Supporters Club)
URLリンク(www.tamogami.sc)
志は高く、熱く燃える 前航空幕僚長 田母神俊雄
私たちの愛する日本のため・・・
田母神俊雄氏の言論活動が全国各地で円滑に普及することを支援目的とした
後援会の発足です。
将来は田母神氏の志に続く言論の輪が全国に広がる活動展開を様々な角度か
ら同会は支援して参ります。
8/25(火)
田母神俊雄前航空幕僚長 時局講演会「誇りある国、日本を語る」
定員:1000名
8/27(木)
田母神俊雄特別講演会「誇りある国、日本」
定員:300名(先着順)
他多数
215:革命的名無しさん
09/09/12 21:33:56
防人の道 今日の自衛隊 -平成21年09月03日号
ゲスト:瀧澤一郎(国際問題研究家・元防衛大学校教授)
★平成21年9月3日★
URLリンク(www.so-tv.jp)
■ 「鳩山民主党政権」対露外交の行方
(前略)
説明不能な様な事をですね、平気でやる。鳩山代表もですね、中国に行っちゃあですね、
物議を醸す発言してる。媚中派なんてもんじゃないです。こういう事がですね、彼等が政権
を獲った後も続くんでしたらね、恐ろしい事になりますよ。
-今日の本題であります鳩山民主政権の対ロシア外交、新聞やマスコミを見ても余り触
れられていないんですけど、私はこれが意外に重要な問題じゃないかと考えて瀧澤先生
をお呼びしたんですけれども、鳩山代表のお爺さんがですね、1956年に平和条約締結
後に歯舞色丹島を日本に引き渡す日ソ共同宣言ですね、締結した本人であるわけです
から、その孫が、今回、日本の総理大臣になる予定なワケですね。-
そのね、鳩山一郎ね、お爺ちゃん。鳩山一郎のDNAが来てるんですよ、ずっとね。それで
鳩山一郎のね、日ソ国交回復の時のこの対ソ外交の過ち、その過ちがずーっと引っ張って
きて日本は苦しんでるんですよ。どういう過ちかというとですね、まぁ、僕は実はあのー1955
年から1956年の日ソ交渉でアメリカで学位取ったんですね、論文書いて。だからここで何時
間でもベラベラ話し出したらやめられないちゅう事なんですけど(笑)、まー三点だけね、指摘
しておきたい。
216:革命的名無しさん
09/09/12 23:40:04
■ 「鳩山民主党政権」対露外交の行方
先ず、第一点。これはね、あのー、故鳩山一郎とですね、ロシアの交渉が始まったのはで
すね、実はスパイとの間の交渉なんです。これは有名な話なんですけど、1955年の1月
にですね、鳩山家のですね、裏口から、当時のソ連の漁業代表部の副代表というですね、
ドムニツキーという男がコソコソ入ってきたんですね。これが始まりなんです。で、このドム
ニツキーという人間がどういうものか、今迄まったく分かってなかった。英語で書いた本も
ドイツ語で書いた本もロシア語で書いた本も日本語で書いた学術論文もドムニツキーが何
者かは一切書いてないです。それを僕は最近、発見したんです。今日ここで初めて、歴史
的事実を公開する。この男は、ソ連海軍情報部のスパイだったんです。最近ですね、ロシ
アで情報公開が起こってですね、この当時のソ連諜報部の名前がですね、あの、公表でき
るようになった。それをいち早く僕はソ連側からですね資料を見まして、それで彼の名前を
発見したんです。ですから、スパイが裏口から入ってきてる。で、これをですね、手引きした
のがですね、日本の左翼なんですね。例えば田英夫。知ってますか?田英夫という社会党
の赤い議員が居ましたね。あのー共同通信の、記者してて、それからTBSでキャスターに
なって、で日本で初めてですね、TVで見てですね、あのーあ、あれはいい男だとかいうこと
で国会議員になった人なんですよ。ね、濱口さんがそうなんですね、今に。
-いやぁ、私はわからないですけどね、それは(笑)
217:革命的名無しさん
09/09/13 21:49:09
■ 「鳩山民主党政権」対露外交の行方
その第一号なんですよ、田英夫は。ところがこれが赤い人でしてね、あのー、ベ平連ともく
っついたり反米闘争とかそういうもの、ずっとやった男で。ですからちゃんとソ連諜報部と
結びついてて、ドムニツキーを連れてきた。もう一人ですね、馬島?(まじまかん)というです
ね、赤い医者が絡んでるんですよ。これは友愛会というですね、あのー共産党に近いです
ね、医療機関を経営してずっとやった人なんですけれども、あのー、産児制限運動とかで
すね、そのー男女の性行為をやたらに関心持つのは、あのー、日本の共産党系の人なん
ですね。今、あのー小学校で低学年に性教育じゃなくて性交教育というのやってます。模型
でなんかやってるっていう、恐ろしい事やってるワケです。ね。あのー生殖器の模型でこう
なってるとかやってる。そんなの必要ですか小学校に、ね?今の子、やられてるんですよ。
これをやってるのがね、みんな共産党系のアレで。この指導要綱とか発行してるのがみん
な共産党系の出版社です。で、そのー馬島?というのもそうなんですね。その元祖みたいな
奴で。コレは、もう、友愛外交の友愛もですね、馬島?辺りから来た。でですね、そういうのが
大挙して左翼から入ってきた。で、これは何もですね鳩山一郎はその時初めてそういう胡散
臭い怪しげな連中と付き合ったんじゃなくて、前から付き合っていたワケです。だからもうで
すね、DNAがあるわけです。
※鳩山由紀夫の”友愛”とは、共産党系の赤い医師、馬島(まじま・かん)の”友愛会”から
来た疑いが強いという。
218:おてんば私立学院総長 ◆gqBBZUnUPk
09/09/13 22:42:30
>>214
田母神おじさん、”ほめ殺し戦術”で落とすのが効果的なようだね。
ま、しばらくは田母神おじさんに言いたいことをドンドン言わせておいて、
あとは綿で首を絞めるように… ね。
219:おてんば私立学院総長 ◆gqBBZUnUPk
09/09/13 22:54:51
>>213
まあそりゃ、必ずしも日本は終戦までの間「侵略行為」をやってたというわけじゃあないのさ。
田母神おじさんの主張、ある程度までは賛同できる部分がある。
だが、統一協会みたいな後援組織によって当人も気づかぬうちに誑かされて自滅の方向に持っていかれるかも知れぬ。
真に愛国心を持っている人々に同調するふりをしては、極右売国勢力というのは日本を壊そうと企んでいるのだから。
真の愛国者よ、間違っても極右売国勢力に好意を抱いたりはするなよ!
統一協会なんて、あくまでも韓国発のゴロツキ勢力でしかないのだから。
220:革命的名無しさん
09/09/14 21:02:48
■ 「鳩山民主党政権」対露外交の行方
そしてですね、あのー1955年の6月からですね、ロンドンで交渉が始まるワケですが、
このロンドンにおけるですね、日本代表団の中の一人がですね、怪しいという情報が来
た。つまりソ連にやられた人間だと。いう情報が入って。国会でですね、小坂善太郎とい
う自民党の議員、後の外務大臣、この人がですね、あのー質問に立って、今度の全権
団に怪しい人間が居る。指摘した。そしたらですね、一人ね、突然首になった人がいるん
です。都倉英二って人なんです。この人はですね、果たして本当にソ連のスパイかどう
かは私はここでは断言できません。だけど、あのー、都倉俊一さんて作曲家がいるでしょ、
ね。あのー山本リンダの「のってけのってけ止まらない」っていうスゲー歌を作った人なん
ですよ、ね。あのー作曲家のお父さんです。この人はですね外語大を出てハルビンの領
事館でですね、通訳やったりしてた時に、捕まって、抑留されたんですね。そこで洗脳され
た。まぁ、あーその人は首になった。そういう色んな怪しげなことがある。じゃ、誰がそういう
人を入れたのか?政府ですよね。で、しかもですね、この、鳩山さんは、ソ連とことを構え
始めたのはですね、全く反吉田からなんです。つまり、外交戦略としてソ連とですね、国交
を回復することがどうこうということよりも、吉田憎しで始めたんです。
221:革命的名無しさん
09/09/16 21:06:17
■ 「鳩山民主党政権」対露外交の行方
で、鳩山さんの外交顧問であった杉原荒太っていう人がいる。これはですね、外務省の
外交官なんですが、外務省にいた時ですね、吉田さんが外務大臣だった時にY項パージ
ってやったんですね。親ソ的な傾向がある人をですね、みんなクビにしたんです。凄い
パージをやったわけです。それでやられた人なんで、もう吉田憎しで凝り固まってる。
これが鳩山さんの外交顧問になった。だからね、ただただ闇雲にソ連に突き進んだわけ
ですね。こういう外交が成功する筈無いんで。当時ですね、ソ連のフルシチョフ首相とい
うのが居た。これはですね、北方四島、二島は即返還の構えでいたんです。それをですね、
あのー二島返還も出来ないで、結局今になってですね、北方領土問題が残っちゃったと。
で、その時ですね、鳩山さんにくっついてったのが河野一郎というね、当時の自民党の領
袖ですね。これがまた悪い奴でしてね、魚の利権をですね、背後にした男なんです。当時、
大日本水産会、平塚常次郎っていうのが居ましてね、これが河野一郎と盟友関係にある。
当時、河野一郎はですね、一声一億って言ったの。漁業界にワッと声出すと一億、河野に
政治資金が来たの。当時のね、昭和29年、30年の頃の一億。今だと10億どころじゃない
ですよ。20億ぐらいかも知れない。それで、あのー彼はですね、北方領土は返してくれな
くて良いって言っちゃったの。その代わり、北方領土問題と漁業問題を絡めてくれと。これ
はですね、実は河野さんがクレムリンにですね、一人で入っていって交渉した時に、日本
の新関(欽哉)さんっていう、後にソ連大使になった人がですね、一緒に行こうとしたらクレ
ムリンの入り口で「オマエは外で待ってろ」と。一人で入って行っちゃう。で、秘密交渉した。
だから彼が秘密交渉した内容は一切漏れないと思ってそういう酷い、国を売るような交渉を
したわけですね。ところがですね、その事実がロシア側から漏れちゃった。その時、ロシア
の代表団から通訳してた人が、アドルハエフという人が一切合切暴露しちゃった。
222:革命的名無しさん
09/09/17 21:45:30
■ 「鳩山民主党政権」対露外交の行方
ま、そういう酷いですね、日ソ交渉したわけですが、そのDNAが今、来てるワケですよ。
モロに。それでですね、僕が心配してるのは、今迄自民党の時はですね、北方領土問題
は進まなかった。これは自民党のせいもありますけれど、殆どロシアのせいです。ロシア
はこれはもう絶対に返さない。ロシアはですね、北方領土を返して貰いたかったら、もう一
度戦争をやろうと。これ本音です。僕もモスクワ行ってですね、ロシアの研究者や政治家
らと北方領土問題でロシア語でですね、激論しますけどね、その時彼等は言い詰められ
ると、「じゃ、もう一回やるか」と。これはもう常套文句です。その時ですね、こっちは詰まっ
ちゃうわけですね。覚悟がないですから。覚悟持てばですね、明日にでも返ってきます。
まぁ、そういう問題ですけれど。で、その北方領土問題が進まないというのは今度の民主
党政権もそのままです。だけれど、北方領土という政治問題が進まないのに、経済がどん
どん先走りする。こういう心配を私はしています。つまりですね日本は自民党政権が最近
ですね、21世紀前後から政経不可分と、政治の輪と経済の輪は一緒に進まないといけな
い、と。なかなか上手くいかないんですけれど、ところがですね、民主党はですね、経済の
車輪がどんどん進んじゃって、政治が後になって日本の国益が主張されない。こういう風
になるんじゃないかと。
223:革命的名無しさん
09/09/18 23:33:13
■ 「鳩山民主党政権」対露外交の行方
でー今ですね、あのーロシアの新聞は鳩山首相、次期首相のことを、非常にあれこれ論
じています。日本の新聞に書いてあることくらいはみんな分かってます。ところがですね、
今度の政権が自分たちにとって色々好機でありチャンスであると、いうことは書いてない。
それは書く筈無いでしょ。本音は出しませんから。で、ですね、手ぐすね引いて待っている
でしょう。それでもう、中国は彼を招いていますね、招請してますね。だから、あー政権就
任後ですね、第一の訪問国が中国になるのか、これもおかしな話ですけどね。今度はロ
シアだとかですね、いうような事になってきてですね、私が北の豺狼と呼ぶですね、中国、
ロシア、北朝鮮に対する外交がですね、全部ヘナヘナになってしまうんじゃないか。こうい
う悪いお爺ちゃんのDNAが来てますから。心配してるんです。
-外務大臣を民間からという話が上がっていますが、アノ方(寺島実郎(日本総研
理事長))がなったらこれはかなり・・・
アノ人もマルクス・レーニン主義者ですよ。あのー昔からアノ人はアメリカが駄目になるって
言ってるんでね。大体ですね、この数年、イラク戦争このかたですね、日本の左翼的な評
論家は全部、「アメリカはもう終わりだ」とかですね、「ドルはもう世界通貨でなくなる」とか、
ずっと言ってるんですけどね、全然そうじゃないでしょ?去年の9月に始まるリーマン・ブラ
ザーズのショックで世界の通貨がドターンと落ちた。落ちなかったのはドルと円だけですよ。
ね。アメリカは世界のキーカレンシー(基軸通貨)でなくなる、なーんてね、口を開けば言う、
赤い経済評論家、TVでしょっちゅうそういう人が出てきますけれど、この頃黙っちゃいました
ね。次期外務大臣にその下馬評に挙がってた民間人と称する方もそういう事をずっと言って
きた。これはもうね、全共闘と同じですよ。
224:革命的名無しさん
09/09/20 21:18:04
■ 「鳩山民主党政権」対露外交の行方
-日中三角外交なんて事もいってますね。
三角なんてなる筈無い。日本は覚悟持てば三角ですよ。空想的な平和主義とですね、
なんらですね、レアル・ポリティーク、現実政治に基づかない理論を玩ぶ、ディレッタント
ですね。こんな人は外務大臣になったらもう、世も末ですね。
-民主党政権で取り返しのつかない事になるかも知れませんね。
それが一番心配なんですよ。国民はちょっとね、児童手当が増えるくらいで投票したか
も知れないけれど、今後、下手すると50年くらい、拭い去れない傷がね、鳩山政権によ
って、民主党政権によって残っちゃうんじゃないか。鳩山さんはですね、息子さんは紀
一郎さんっていうんですけどね、ロシアに送ってるんですね。下手するとこれ、ロシアに
人質になったようなもんですよ、子供がね。こんな状況ですよ。ですからね、もう、尻の
毛を抜かれ、なんとか玉を握られっていうようなね、とんでもない事になっちゃうんです
よねぇ。
225:革命的名無しさん
09/09/20 22:05:06
コミンテルン=経済還元主義=スターリン主義。
よって、人間の観念領域が把握できない。終了。
226:革命的名無しさん
09/10/20 21:16:51
『1984』 (ジョージ・オーウェル)
URLリンク(www.amazon.co.jp)
(映画予告)
URLリンク(www.youtube.com)
日本は大中華圏の中で”日本社会主義”=ジャップソックとして全体主義、
独裁の圧政の中に沈む。最終的に民族浄化で地上から絶滅される。
映画 「1984」本編 Part : 01 of 12
URLリンク(www.youtube.com)
映画 「1984」本編 Part : 02 of 12
URLリンク(www.youtube.com)
映画 「1984」本編 Part : 03 of 12
URLリンク(www.youtube.com)
映画 「1984」本編 Part : 04 of 12
URLリンク(www.youtube.com)
映画 「1984」本編 Part : 05 of 12
映画 「1984」本編 Part : 06 of 12
227:革命的名無しさん
09/10/21 20:59:01
※ジョージ・オーウェルが危惧した英国の全体主義化。
2009年、日本がその恐るべきヴィジョンの実像になる。
映画 「1984」本編 Part : 07 of 12
URLリンク(www.youtube.com)
映画 「1984」本編 Part : 08 of 12
映画 「1984」本編 Part : 09 of 12
URLリンク(www.youtube.com)
映画 「1984」本編 Part : 10 of 12
URLリンク(www.youtube.com)
映画 「1984」本編 Part : 11 of 12
URLリンク(www.youtube.com)
映画 「1984」本編 Part : 12 of 12
URLリンク(www.youtube.com)
※イングソックとはニュースピーク(新語法)による単語であり、「イングランド社会主義」
(English Socialism)の略称。1984年に公開された映画『1984』では、イングソックは党
の名前でもあった。
これを現在の日本、民主党の当てはめると、さしずめ「ジャパン社会主義」(Japan
Socialism)の略称としてジャップソックにでもなるのであろうか。
全体主義国家の中国に支配されるジャップソック。悲惨過ぎます><
228:革命的名無しさん
09/10/24 06:53:20
民主党 新体制の展望2010 (少し変えてみた)
URLリンク(www.youtube.com)
3つのスローガンが制定され、至る所に表示される。
敗北は平和である (DEFEAT IS PEACE )
隷属は自由である (SLAVERY IS FREEDOM)
無知とは力である (IGNORANC IS STRENGTH)
※イメージです
(ジョージ・オーウェル『1984』より)
229:間接侵略から日本を守ろう!
09/10/27 19:57:10
民主党 新体制の展望2010
URLリンク(www.youtube.com)
ダブルシンク(doublethink、二重思考)
小説『1984年』に登場する思考能力であり、物語の中核をなす概念。
それは「相反し合う二つの意見を同時に持ち、それが矛盾し合うのを承知しながら
双方ともに信奉すること」である。
現実認識を自己規制により操作された状態でもある。
「友愛」の二重の意味も同時に信じる事が出来るようになるのである。
過去を支配する者は未来まで支配する。現在を支配する者は過去まで支配する
古代の専制者は命じた。汝、するなかれと。全体主義者は命じた。汝、すべしと。
我々は命じる、汝、かくなり、と
2足す2は5である(2+2=5、Two plus two makes five)
最終的には犯罪中止と二重思考を使い、「2足す2は5である、もしくは3にも、同時に
4と5にもなりうる」ということを信じ込むことができるようになる。
※イメージです
(ジョージ・オーウェル『1984』より)