コミンテルンat KYOUSAN
コミンテルン - 暇つぶし2ch50:革命的名無しさん
08/12/07 22:02:18
>>23
おsageさんのようにSGIにホイホイと乗せられている人もいます。

51:真珠湾調査委員会
08/12/08 19:25:21
真珠湾 日米開戦の真相とルーズベルトの責任 G・モーゲンスターン著 渡邉明訳
URLリンク(www5a.biglobe.ne.jp)

■米国人ジャーナリストが解明した日米開戦の真相とルーズベルトの戦争責任

 延べ七十日の聴聞会(三百三十一名の証言記録)と提出書類及び審問調書等の一千万語に及ぶ
調査記録は、開戦か屈服かの窮地に陥った日本政府に、開戦以外には選択の余地がないことを悟
らせるために米国政府がとった一連の行動、これと全く矛盾する日米友好を印象付ける米国民向け
の発言、平和を熱望していた日本が、ハル覚書によって戦争を決意したことを、暗号解読によって
ルーズベルトをはじめ、米国政府首脳が熟知していたこと等の実態を明らかにした。
 それでも、多数派の民主党委員の判決は、当初の予定通り責任は現地指揮官にあるというルーズ
ベルト擁護の結論であった。しかし、二人の共和党委員(ファーガソン、ブリュースター両上院議員)
はそれを認めず、ルーズベルト政権と陸海軍最高司合部首脳部の責任を厳しく追及した報告書を
提出した。

52:真珠湾調査委員会
08/12/09 18:38:33
真珠湾 日米開戦の真相とルーズベルトの責任 G・モーゲンスターン著 渡邉明訳
URLリンク(www5a.biglobe.ne.jp)

■米国人ジャーナリストが解明した日米開戦の真相とルーズベルトの戦争責任

 この調査において最も重要なことは、調査委員会が収集した全資料が、合計四十巻に及ぶ『真珠
湾攻撃記録および報告』として、公表されたことである。
 その結果、常に真相を追及すべき立場のジャーナリストや史料の評価と分析によって、史実を解明
することを専門とする歴史学者の圏から見ると、多数派報告は、史料の評価方法を全く無視した、事
実と余りにも乖離した結論であることが明らかであった。
 まず、ジョージ・モーゲンスターンが、この膨大な資料を精力的に調査・分析する作業を始めた。
そして、終戦から僅かに二年目の一九四七年に、ルーズベルト政権の陰謀と戦争責任を明らかにした
『パールハーバー-秘密戦争の物語-』を刊行し、忽ちベストセラーになった。戦後間もない戦勝気分
にあふれていたアメリカにおいて、国民的英雄であったルーズベルトを、意図的に国民を欺いた大統領
として非難することは、アメリカ人が正義と信じて戦った戦争を根底から否定することであり、アメリカを
愛する人々にとっては、忍び難いことであった。

53:オミンスさん必死すぎw
08/12/09 20:10:24
50 名前:革命的名無しさん 投稿日:2008/12/07(日) 22:02:18
>>23
おsageさんのようにSGIにホイホイと乗せられている人もいます。




54:革命的名無しさん
08/12/10 19:07:41
オミンスさんて何? おsageさんて何? SGIはあれか?

55:真珠湾調査委員会
08/12/10 23:58:07
真珠湾 日米開戦の真相とルーズベルトの責任 G・モーゲンスターン著 渡邉明訳
URLリンク(www5a.biglobe.ne.jp)

■米国人ジャーナリストが解明した日米開戦の真相とルーズベルトの戦争責任

 しかし、彼は、ルーズベルトの開戦前の言動と真珠湾調査委員会の報告書を詳細に調査し、アメリカ
の国益を守るためには参戦が必要であると確信していたルーズベルトが、選挙のためにそれを隠し、
当選すると国民との公約を無視し、日本を開戦に追い込むことによって参戦の目的を達成した、と断定
した。そして、大統領の絶大な権限は、国民との信頼の上に成り立っているのであって、公約を破るため
の謀略は、米国の理想と憲法の精神に反するとして糾弾した。
 本書の著者モーゲンスターンも、日本をジャップと呼んでいることにその片鱗を見せているように、決し
て親日家ではない。しかし、真実を追及すべきジャーナリストとしての責任感、事実を秘匿する方が、
アメリカの誇りとする良心に反するとする正義感が、ルーズベルトー派の日本に対する卑劣で陰険な
策謀と誓約に背き米国国民を騙して参戦させた行為を、見逃すことができなかったのである。

56:真珠湾調査委員会
08/12/11 19:40:47
真珠湾 日米開戦の真相とルーズベルトの責任 G・モーゲンスターン著 渡邉明訳
URLリンク(www5a.biglobe.ne.jp)

■米国人ジャーナリストが解明した日米開戦の真相とルーズベルトの戦争責任

 真珠湾の真相を実証しようする本書には、モーゲンスターン特有の明敏な観察力とともに根拠を
明確にした厳密な論証にその特色がある。それは「本文」四三○頁に対して、「註」が八○頁、活字
の大きさを考えればご二分の一を占めると言っても過言でない綿密な「註」に明らかである。また、
ジャーナリストらしい鋭い切り口が随所に見られる。ハル覚書への日本政府の回答を、最後通牒と
認識した途端に、米国政府及び軍の要人が一時的に判断力を失い、真珠湾が攻撃されるまで全く
無能になったこと、そして、この一時的無能者が、その後異常な昇進を遂げた反面、この時真珠湾
攻撃の可能性を進言する等、適確な行動をした者は、その後の昇進がストップしたことへの皮肉を
こめた指摘は、その一例である。

57:革命的名無しさん
08/12/12 07:07:03
共産党は古今東西、イデオロギーのために人の生命や人権を軽んじて手段にしてきました。
また、イデオロギーのために、嘘を捏造し正当化してきました。
要するに、基本的人権をイデオロギーより重視できないから悪です。

左右異なっても、昭和の軍国主義と同じ悪です。

真正の尊王派にとっては、天皇を自分の権力のために利用した東條は仇敵です。東條を擁護することは昭和天皇に対する反逆を意味します。
東條の靖国合祀を認める保守の人がいますが、そういった人々は皇室を尊重していません。ただの身勝手か、昭和の軍国主義に忠実なだけなのです。
皇室2000年の歴史、とりわけ、聖徳太子以来の伝統から見れば 、昭和の軍国主義などは、皇国を窮地に貶めた害毒に過ぎません。



58:真珠湾調査委員会
08/12/13 00:49:23
真珠湾 日米開戦の真相とルーズベルトの責任 G・モーゲンスターン著 渡邉明訳
URLリンク(www5a.biglobe.ne.jp)

■米国人ジャーナリストが解明した日米開戦の真相とルーズベルトの戦争責任

 一九四七年、東京では極東軍事裁判が真っ最中の時機に、これだけの著書が刊行されたことに
深い感慨を覚える。しかし、戦時検閲で米国に不利となる情報を遮断していたGHQは、当然のこと
として日本での発売を厳禁した。それから五十二年、去るの十二月八日、前記の『東京裁判却下・
未提出弁護側資料』の編集主務者として有名な渡邉明氏によって、この名著が日本語に翻訳・出版
されたことは、まさに快挙である。
 同時に、チャールズ・A・ビーァド博士の『ルーズベルト大統領と一九四一年の開戦』(一九四八年
刊行)と双璧をなす、この貴重な書物が、これまで日本で翻訳ざれなかったことは全く不思議である。
日米開戦に関する日本の研究が、多数派意見に同調して、史実の解明に不徹底で、隔靴掻痒の感
がある原因が、ここに潜んでいるように思われる。

59:張作霖爆殺とコミンテルン
08/12/13 22:49:20
【張作霖爆殺の真実】1/3 田母神論文「コミンテルンの謀略」【桜 H20/12/13】
ゲスト:瀧澤一郎(国際問題研究家・元防衛大学校教授)
URLリンク(jp.youtube.com)
URLリンク(jp.youtube.com)
URLリンク(jp.youtube.com)
(3分50秒辺りから本題)

防人の道 今日の自衛隊 『田母神論文が問うた「コミンテルンの謀略」 』1~3
URLリンク(jp.youtube.com)
URLリンク(jp.youtube.com)
URLリンク(jp.youtube.com)

大東亜維新史観 概説
URLリンク(www.nicovideo.jp)
URLリンク(jp.youtube.com)

【マスコミ】コミンテルンと大東亜戦争【田母神閣下支持】
スレリンク(mass板)

60:コミンテルン 赤い蜘蛛の巣
08/12/15 19:52:01
防人の道 今日の自衛隊 『田母神論文が問うた「コミンテルンの謀略」 』
URLリンク(www.nicovideo.jp)

ゲスト:瀧澤一郎(国際問題研究家・元防衛大学校教授)
★平成20年12月11日★

キャスター:濱口和久・佐野綾香

■ 田母神論文が問うた「コミンテルンの謀略」 - 瀧澤一郎氏に聞く
ロシア情勢にお詳しい瀧澤一郎氏をお迎えし、この程、ロシアで出版されたという画期的な書籍を
ご紹介しながら、“ロシア革命の輸出総合商社”たるコミンテルンの成り立ちから世界中に向けて
展開してきた工作活動がどのようなものだったのかまで、機密文書を元に読み解いているその内
容から導き出される張作霖爆殺事件の真相や、その史実を引いた田母神論文の成したものなど
について、お話を伺います。

参考文献 『赤い蜘蛛の巣』 (未邦訳)
URLリンク(www.chtivo.ru)
URLリンク(www.chtivo.ru)

61:文藝春秋 日本を破滅に追い込んだスパイ
08/12/16 20:43:24
文藝春秋 2009年1月号
URLリンク(www.bunshun.co.jp)

「真珠湾」六十八年目衝撃の真実
日米開戦 ─日本を破滅に追い込んだスパイ 西木正明

(本文引用)
 結論を先に言えば、日米交渉とは英米のインテリジェンス機関によって最初から仕組まれた
ものであり、結果として日本は真珠湾攻撃を決行し、あの国家を破滅に導く戦争に誘い込まれ
ていったのである。

■関係人物
ウィリアム・ワイズマン (クーン・レーブ商会(後のリーマン・ブラザーズ)共同役員)
  米英諜報機関同士の連絡窓口
ルイス・ストラウス (クーン・レーブ商会社員、米大統領ハーバート・フーバー私設秘書)
ジェームス・ドラウト師 (メリノール教会聖職者訓練学校長)
ジェームズ・ウォルシュ司教 (メリノール教会派総長)

■参考文献
エール大学所蔵『ワイズマン文書』

■背景
ルーズヴェルト大統領の周囲に蠢く200名以上の共産主義シンパ(ピンコ)
中国共産党・毛沢東によるホワイト・プロパガンダ及び対日ブラック・プロパガンダ
日本国内のコミンテルンのゾルゲ及び尾崎秀実ら共産主義者、朝日新聞などの敗戦革命計画

62:田母神閣下支持
08/12/18 00:39:24
月刊 WiLL 2008年01月号 (2008年11月26日発売)
URLリンク(web-will.jp)

■新年特大号!総力大特集 田母神論文、どこが悪い! 総力特集100ページ

・田母神前空幕長 独占手記50枚!
・中西輝政 田母神論文の歴史的意義
・渡部昇一 「東京裁判史観」の呪縛 「村山談話」は「外務省談話」だ
・西村眞悟 「村山談話」こそ更迭せよ!
・荒木和博 「虚構の国防」で国が滅びる
・西尾幹二 何に怯えて「正論」を封じたのか

・田母神論文も全文一挙掲載 田母神俊雄 「日本は侵略国家であったのか」

63:革命的名無しさん
08/12/18 01:14:15
最近何かと話題多いね。。。

あと、こんなん発見した。

URLリンク(www.gikaijin.com)

64:革命的名無しさん
08/12/18 11:10:52
~あなたの知らない本当のイギリス~
欧州最狂の【反日トンデモ国家】の実像とは?

①イギリスの反日洗脳教育
南京大虐殺30万人、従軍慰安婦20万人という特ア製プロパガンダが完全に直訳のまま学校の教科書に掲載されています。
むしろ、中国産の反日プロパガンダをヨーロッパで拡大輸出している犯人はイギリスというのが事実です。
イギリスの高校のメジャーな修学旅行先は「タイ」。なぜだか分かりますか?
「イギリス人捕虜がここで野蛮なジャップどもに虐待されたのです。父祖の屈辱を忘れてはいけません。」
という反日野外授業をするためです。自分たちが植民地で有色人種を動物以下に扱っていたことなど一切教えません。

②反日マスゴミ
イギリスのマスゴミは、一つの例外もなく全てが反日です。日本の良いところなどまず書きません。
東京に滞在しているイギリスマスゴミ各社の特派員はほぼ全員がノリミツオオニシの劣化コピーだと思ってください。
それくらい酷いです。国営放送のBBCですら日本は歴史教科書を書き換えて子供に戦争犯罪を教えていないだの
中国の工場は毒ギョーザなんて作ってなかっただの日本は外国人お断りの看板だらけの人種差別国家だのと平気で嘘八百を報じます。
また特アの受け売りだけでなく反捕鯨や死刑制度叩きという欧米独自の嫌がらせも行います。

③日本文化の不人気
イギリス人は日本のアニメや漫画をあまり好みません。イギリスで流通しているもののほとんどはアメリカからの二重輸入品か
ドイツ・フランス・スペインあたりからの重訳です。その一方で残酷なアニメや変態漫画を取り上げてマスゴミが日本叩きをしたり
イギリス政府が国連の人権委員会などに働きかけて日本への非難勧告を何度も決議させています。

④皇室侮辱
ヒロヒトは悪魔、今の天皇は悪魔の子。これがイギリスの常識です。プリンセス・マサコが幽閉・虐待されているという話が大好きなのは
日本の皇室がイギリス王室より腐っていてほしいという願望の表れでもあります。
英語には敬語表現がありますが、日本の皇室関係者が訪英した時などもマスゴミはイギリス王室だけに敬語を使い、まるで日本が下僕であるがごときナレーションをします。
江沢民が天皇に尊称を使わなかったのと同じようなものです。

65:田母神閣下支持
08/12/18 20:41:37
月刊 WiLL 2008年01月号 (2008年11月26日発売) 大増刷出来!
URLリンク(web-will.jp)

■新年特大号!総力大特集 田母神論文、どこが悪い! 総力特集100ページ

月刊「WiLL」編集部ブログ:オトナのジョーシキ
月刊誌『WiLL』編集長と編集部員が交代で更新する“編集日誌”ブログ
URLリンク(monthly-will.cocolog-nifty.com)

「田母神論文」問題へのご意見募集中! 2008/12/1
URLリンク(monthly-will.cocolog-nifty.com)

皆さま、「朝まで生テレビ」はいかがだったでしょうか。
最後のアンケート結果を見て、私はやはり「田母神論文」が出てきた意味はあったと思いました。
田原総一朗氏は、私とは異なる考え方をお持ちのようですが、それでも「日本の分岐点」だとおっしゃっ
ていたのには、同意します。
(中略)
追伸 WiLLはおかげさまで増刷しました。ありがとうございます。

66:革命的名無しさん
08/12/18 22:16:21
バカは死ななきゃ治らない。勝手に氏ねば。

67:田母神閣下支持
08/12/20 02:43:45
月刊 WiLL 2008年01月号 (2008年11月26日発売) 大増刷出来!
URLリンク(web-will.jp)

■新年特大号!総力大特集 田母神論文、どこが悪い! 総力特集100ページ
・中西輝政 田母神論文の歴史的意義
 「真珠湾論争」についての章を抜粋

 現に最近も、カナダ・オタワ大学の歴史学者ブライアン・ヴィラとティモシー・ウィルフォードは、権威
ある学術誌にこの「真珠湾論争」をきちんと整理し直し、修正主義派(いわゆるルーズヴェルト陰謀説)
との公平かつ真摯な議論の大切さを訴えている(Intelligence & National Security, August 2006)。
なお、彼ら自身も、自ら「修正主義者」と規定しているのである。
 戦争が終わってすぐに出版されたチャールズ・ビアード著『ルーズヴェルト大統領と第二次大戦』と
いう古典的な書籍があるが、これはルーズヴェルト大統領は真珠湾攻撃を知っていたといういわゆる
「真珠湾陰謀説」の嚆矢である。チャールズ・ビアードは20世紀前半のアメリカを代表する偉大な歴史
家だったが、この本を出版した為に彼は大いなる顰蹙を買い、失意の内に亡くなった。
 その後も、ジョージ・モーゲンスターン著『真珠湾-日米開戦の真相とルーズヴェルトの責任』(194
7年、邦訳は錦正社、平成11年)がずっと読み継がれており、後には80年代にジョン・トーランド著『真
珠湾攻撃』(文藝春秋)が出版されている。
 トーランドは立派な歴史家であるが、『真珠湾攻撃』を書いた途端に袋叩きに遭うことになった。
 しかし、『真珠湾攻撃』から10年後には、ジェイムズ・ラスブリッジャーとエリック・ネイヴの共著『真珠
湾の裏切り-チャーチルはいかにしてルーズヴェルトを第二次世界大戦に誘い込んだか』(文藝春秋)
が出版される。これも重要な書籍で、共著者の一人であるエリック・ネイヴはまさに「自分がそこにいた」
という立場から書いているのである。彼はイギリス海軍における暗号解読と日本語翻訳の専門家であっ
た。これも「陰謀説」に分類されるものだ。

68:ニコルソン・ベイカー Human Smoke
08/12/21 18:49:31
ニコルソン・ベイカー Nicholson Baker (From Wikipedia, the free encyclopedia)
URLリンク(en.wikipedia.org)

■Human Smoke:
The Beginnings of World War II, the End of Civilization (2008) is a history of World War II that
questions the commonly held belief that the Allies wanted to avoid the war at all costs but were
forced into action by Hitler's unforgiving crusade. It is written in a mostly objective style, largely
consisting of official government transcripts and other documents from the time. He cites documents
that suggest that the leaders of the United States and the United Kingdom were provoking Germany
into war (showing, for example, that Britain bombed Germany before Germany bombed Britain) and
that the leaders of those two nations had ulterior motives for wanting to participate. In the epilogue
to the book he suggests that the pacifists (who are often vilified by WWII historians) had it right all
along, stating: “They failed, but they were right.”

Human Smoke: The Beginnings of World War II, the End of Civilization (ハードカバー)
URLリンク(www.amazon.co.jp)

ニコルソン・ベイカーの著書『人間の煙』は1941年の真珠湾攻撃がルーズヴェルト大統領の対日攻撃意図
に基づく誘導によって生じたものであるということを公開史料から証明していったものである。
2008年の本書、1947年のジョージ・モーゲンスターン著『真珠湾 日米開戦の真相とルーズベルトの責任』
など、今や真珠湾攻撃が米英の陰謀による誘導、そして更にはソ連スターリンのコミンテルン、その傘下の
中国共産党の毛沢東らによる対日ブラックプロパガンダの策謀と総合して理解する事が必要となってきている。
更には当時のアジアが白人帝国主義に蹂躙されていた事なども史実として考慮しなくてはならない。

69:ニコルソン・ベイカー Human Smoke
08/12/21 19:04:40
ニコルソン・ベイカー Nicholson Baker (From Wikipedia, the free encyclopedia)
URLリンク(en.wikipedia.org)

Human Smoke: The Beginnings of World War II, the End of Civilization (ハードカバー)
URLリンク(www.amazon.co.jp)

GHQ焚書図書開封 #28◆開戦直後に真珠湾のそばをすり抜け帰国した日本商船
★平成20年12月20日 公開★
URLリンク(www.so-tv.jp)

今年になりましてもニコルソン・ベイカーという人がですね、「Human Smoke」という本を書いていて、これ
は普通の人の読むような、誰も否定できないような新聞記事や、事例、出典などを掻き集めてですね、
何年かに亘ってアメリカ大統領ルーズヴェルトの対日攻撃意図というものをずーっと論証していく本で、
今年になってですよ、2008年、非常に話題になっておるんですね。ということは、新しい例証で、公開さ
れた史料なんです、全部。公開された史料を積み重ねていっても、どうもアメリカ・ルーズヴェルト大統領
の日本に対する攻撃的悪意というものが論証される、ということで、アメリカ人の中で、日本を追い込んだ
事に対する強い反省の念が湧き起こっているというのが今の実態で、もうそれが、陰謀説と一体化する様
な形で論証が進んでいるわけで、歴史というのはね、学問的にどれが正しいとか、今の学会が認めてる認
めてないとかこんな事言っちゃ困るんですよ。歴史は動くんですから。(後略)

70:革命的名無しさん
08/12/21 19:11:05
チャンネル桜ってところで引いた人って俺だけ?w

71:GHQ焚書図書開封 28
08/12/21 20:16:21
GHQ焚書図書開封 #28◆開戦直後に真珠湾のそばをすり抜け帰国した日本商船
チャンネル桜インターネット放送「So-TV」★平成20年12月20日 公開★
URLリンク(www.so-tv.jp)

私はですね、陰謀説はその通りだと思っています。つまり、これだけ証拠が揃って、そして本を挙げま
すと、私専門じゃないんで、中西輝政さんが沢山の本を挙げています、ズラーッと挙げてこれだけの本
があって論証されていれば(もうルーズヴェルト大統領の真珠湾攻撃誘導の陰謀は明らかである)、特
に私が最近読んだのは文藝春秋から出ているロバート・B・スティネットの『真珠湾の真実』という、これ
は一番新しく出ている出版・翻訳されているルーズヴェルト陰謀説の決め手となるような本ですけれども、
私はそういうものを読む度に、2つのこと(中略)(要約:アメリカが悪意を以て日本を陰謀に嵌めて真珠
湾攻撃に誘導したこと、一方、日本がまんまと策謀に陥れられたことは更に日本人を絶望に追い込むも
のではないか。)アメリカの悪意が知性と結びついて謀略を生んで策略を生んで日本が嵌められたんだ
と、そしてそれはドイツとの開戦というのを期待していたチャーチルの意図があってそうなったんだという
ルーズヴェルトとチャーチルの作戦だったということになると、私達日本人はより複雑な感情を持たざる
を得ない、少なくとも私はそうなんですね。


『真珠湾の真実』ロバート・B・スティネット
URLリンク(bookweb.kinokuniya.co.jp)

72:GHQ焚書図書開封 28
08/12/21 20:56:19
GHQ焚書図書開封 #28◆開戦直後に真珠湾のそばをすり抜け帰国した日本商船
チャンネル桜インターネット放送「So-TV」★平成20年12月20日 公開★
URLリンク(www.so-tv.jp)

(日本の)南進を誘って、ソ連と戦争をさせないようにしたのも謀略で、尾崎秀実のスパイ、ゾルゲ
事件、それからゾルゲが近衛内閣の情報を悉くモスクワ、クレムリンに報じていた、ということで、
そしてそれが真っ直ぐ又ワシントンに繋がっていた、そのワシントンに繋がっていたのが田母神さん
が例を出しているハリー・デクスター・ホワイトというスパイが、ワシントンのアメリカ大統領府の中
枢部にいたと、まぁこの話も最近では段々明らかになってきているわけで、つまりコミンテルンの
謀略によって大東亜戦争というものは誘発されたんだとすると、我が国は、要するにアメリカの謀
略だけではなくて、モスクワの謀略、クレムリンの謀略という十重二十重の謀略だったんだという
ことが言えるわけなんですね。そういうものに騙されたんだというのは物凄く悔しいことであって、
戦争をすることは見事であったけれども、日本人の戦争は勇敢武勇だったけども、みんな本当、
死ぬ覚悟で商船までが戦ったんですからね、ですが、同時にしかし、知力、騙されないという国
際社会の中で騙されないで生きるという事ももっと大事なことだという風にも思って今、改めて歴史
を回顧する(略)

73:田母神閣下支持
08/12/24 20:10:51
自らの身は顧みず 田母神俊雄著
URLリンク(www.web-wac.co.jp)
URLリンク(bookweb.kinokuniya.co.jp)

「日本は素晴らしい国だ」 「侵略国家などではない」
と言った私は、航空幕僚長を解任された。しかし、国益を損なうと思ったことについては、日本の
立場をきちんと主張しなければならない。国家防衛の基盤は愛国心である!

■中西輝政氏 京都大学教授
重要なのは、「日本だけが侵略国家ではなかった」という点だ。 東京裁判史観を支える論者には、
常に国際的視野が欠けている。

■高山正之氏 ジャーナリスト
中国に行って、軍の幹部に、「中国の歴史認識は間違っている」と断言した田母神氏。 媚中政治
家は田母神氏の爪の垢でも煎じて飲め。

■小林よしのり氏 漫画家
田母神前幕僚長は大したもんだ。 へなちょこの政治家に比べて、サムライの気構えを感じる。
自衛隊の思想統制を絶対に許してはならない!

■日下公人氏 評論家
空幕長更迭は悲しい事件である。 今回の更迭による士気の低下を、マイナス30%とすれば、自
衛隊の損害は37兆5千億円にあたる。

URLリンク(www.exblog.jp)
URLリンク(www.exblog.jp)

74:田母神閣下支持
08/12/24 21:44:40
月刊WiLL | 最新号目次
URLリンク(web-will.jp)

新春特大号!
総力大特集 田母神論文を殺すな!

憤激対談 
■小林よしのり・田母神俊雄
憲法に書かずに文民統制もへったくれもない

■櫻井よしこ
誰もわかっていない「文民統制」

■渡部昇一
ヒトラーも「文民」だった

■潮 匡人
防衛音痴のアホ、バカ文化人・言論人

■柿谷勲夫
軍の尻を叩いた朝日新聞

田母神論文、読者投稿 
■読者はこう考える10編

75:革命的名無しさん
08/12/25 09:33:08
>>70
それはコミンテルンの陰謀

76:革命的名無しさん
08/12/25 09:35:00
それはコンツェルンの陰謀

77:田母神閣下支持
08/12/25 20:39:11
【書評】『日本は「侵略国家」ではない!』渡部昇一、田母神俊雄著 2008.12.21
URLリンク(sankei.jp.msn.com)

 先の大戦を「日本の侵略だった」とする見方を真っ向から否定した懸賞論文を発表した航空自衛隊
の田母神(たもがみ)俊雄前空幕長と、論文の審査委員長で保守の論客、渡部昇一氏の共著。

 どのような経緯で田母神論文が最優秀作と決まり、空幕長職の解任劇につながったのかを説明。
論文内容のどこが問題視されたのかを丁寧に解き明かしながら、日本が「侵略国家ではない」ことを
力説する。

 両氏に共通するのは祖国を愛し、「ゆがんだ歴史認識が国を滅ぼしかねない」と危ぶんでいることだ。
中でも、歴史認識についての政府見解である「村山談話」を痛烈に批判する。

 田母神氏は「ゆるぎない愛国心こそが国を守る原動力だ」と訴える。文民統制や国防のあり方を考える
ヒントが詰まった一冊だ。22日発売。(海竜社・1260円)



日本は「侵略国家」ではない!渡部昇一 田母神俊雄 海竜社 (2008/12 出版)
URLリンク(bookweb.kinokuniya.co.jp)

78:田母神閣下出演予定
08/12/25 21:30:38
日本文化チャンネル桜

平成20年12月29日(月)から平成21年1月3日(土)にかけての1週間、チャンネル桜では、
年末年始特別編成 にて番組をお送りいたします。

1月2日(金) 19:30-20:30
新春特別企画 「日本の現在と未来を語る」 パート1
1月3日(土) 19:30-20:30
新春特別企画 「日本の現在と未来を語る」 パート2

 戦後レジームの大いなる矛盾を見事に白日の下にさらし、真に日本を思う人々を勇気づけられた
 前航空幕僚長の田母神俊雄氏をお迎えし、この国の現状と未来についてじっくりと語り合った
 新春特別企画をお送りします!

■出演
 田母神俊雄 (前航空幕僚長)
 中條高徳 (日本戦略研究フォーラム 会長)
 渡部昇一 (上智大学名誉教授)
■司会進行
 丹羽文生 (拓殖大学海外事情研究所客員研究員・東北福祉大学講師) ※ パート1のみ
 水島 総 (日本文化チャンネル桜 代表)

※ 1月2日(金) So-TV 配信予定
※ 番組内容は変更になる場合もございますので、予めご了承ください。

79:張作霖爆殺とコミンテルン
08/12/27 18:32:31
Will オトナの常識[月刊ウイル]2009年1月号(2008/11/26発売)
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■中西輝政 田母神論文の歴史的意義
(張作霖爆殺とコミンテルン)

 21世紀に入って、ロシアでは「張作霖爆殺はコミンテルン(正確にはソ連軍諜報部)がやったもの
である」という研究や報道が次々と現れ始めた。確定的な一次資料は未だ出ていないが、「日本軍の
仕業」として断定出来なくなってきているのである。
 またロシアでの議論に加え、近年、この時期のイギリスの情報部資料が出てきたが、張作霖爆殺
については、当時、イギリスのMI2c(陸軍情報部の中の極東課)が中心になって調査し、事件直後
「ソ連の仕業ではないか」という第一報を送っていたことが明らかに成った。
 その後、彼らは東京から入る外交報告で、「日本は自分たちがやったと思っていて、内閣も宮中も
大騒ぎになっている」ことを知り、実際に張作霖爆殺を起こしたのは誰なのか、ということを更にその後、
延々4ヶ月間に渡って調査している。
 そして4ヶ月後の1928年10月、まとまった報告書を提出し、そこで「ソ連が主役だ(protagonist)」
と結論し、書き送っている。つまり、関東軍もかんだかも知れないが、ソ連(コミンテルンないしソ連軍
諜報部)が主役だったという結論を出しているのである(その文書番号はWO105-5750, MI2c Note
19 October, 1928)。

 こういう文書、史料がようやく今、読めるようになり、それらを検討していくのはこれからの仕事であっ
て、今や「確定している」というのはまかり間違っても言えないことなのである。つまり、日本の歴史教科
書や多くの昭和史の本は、これまでの「確定」調では書けなくなってきているのである。

80:マッカラム覚書
08/12/28 00:54:17
Will オトナの常識[月刊ウイル]2009年1月号(2008/11/26発売)
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■中西輝政 田母神論文の歴史的意義
(新史料「マッカラム覚書」)

 ルーズベルトの対日政策をみる時、特別に重要な部署であった海軍情報部の対日責任者、マッカ
ラム少佐が1940年10月に書いたこの覚書は、簡単に言えば、「三国同盟を結んだ日本はアメリカが
政策転換(欧州参戦)を行う上で非常に都合のよい位置に自らを投げ入れた。日本を追い詰めていっ
て日本から先に攻撃に出ざるを得ないような事態を作り出せば、ルーズベルト大統領の最大の悩み
(アメリカ世論が欧州参戦に反対という問題)が解決できるだろう。その為には次のような政策がある。
第一に・・・」というような主旨で8項目を挙げている。
 その8項目の殆どはその後の1年でほぼ実施されているが、一番典型的なのは「在米日本資産凍結」
と、オランダやイギリスと一緒になって行った「対日石油禁輸」である。明らかに、これを行うと「日本は必
ず暴発する」という考えで書かれている。

81:陸軍長官スチムソン
08/12/28 11:52:20
Will オトナの常識[月刊ウイル]2009年1月号(2008/11/26発売)
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■中西輝政 田母神論文の歴史的意義
(いかに日本を追い込むか)

 あるいはルーズベルトの信任厚い陸軍長官スチムソンは1941年10月、アメリカは第二次世界大戦
への参戦を可能にする為に、米海軍の基地があるフィリピンを日本に奇襲攻撃させるよう仕向けるべき
だ、とはっきり述べている(Stimson Diaries, October6&16, 1941)。更には11月25日の閣議でルーズベ
ルトは「問題は、いかにして日本に最初の一発を撃たせるように追い込んでゆくかである」と語っている
(同右、November25, 1941)。
 その上、ハル・ノートを用意していることが明らかになった時点で「我々は裏口のドアから参戦するのだ」
ということを閣僚同士が話している史料も残っている。
 これらがアメリカ側に「日本を罠に嵌める」とか「欧州参戦のために日本を暴発させる」という戦略があっ
たということの雄弁な根拠だと私は考える。これすらも否定するとすれば、「私は今から日本を罠に嵌めま
す」というルーズベルト自身が書いた文書でも見つからない限り、この間のアメリカの策略については語れ
ないということになる。
 「マッカラム覚書」はルーズベルト自身の目にとまり承認された可能性がかなり高いものだと言えるが、
それすらも無視する人々は、一体何が出てきたら田母神論文の批判派が言う「通説」を改めるのであろう
か。

82:近衛上奏文
08/12/28 12:51:34
Will オトナの常識[月刊ウイル]2009年1月号(2008/11/26発売)
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■中西輝政 田母神論文の歴史的意義
(「近衛上奏文」も無視)

 先に蒋介石もコミンテルンによって動かされたと述べているように、「コミンテルン」(狭義のコミンテ
ルン以外に、KGBの前身たるソ連情報部そしてGRUすなわち赤軍諜報部そしてGRU即ち赤軍諜
報部を含む)という存在が日本と大東亜戦争を考える時、非常に重要な存在なのだが、田母神論文
はこれを総称して「コミンテルン」の果たした役割の重要性を繰り返し訴えているのである。
 これは当にソ連崩壊後に出てきた「コミンテルン」ないしソ連諜報機関の活動に関する文書が、近
年広範に読めるようになった新しい歴史研究の成果を踏まえて論文を書いているということだ。
(中略)
 蒋介石もルーズベルトも「コミンテルン」に動かされていたが、忘れてならないのは、実は一番動か
されていたのが日本の近衛内閣であったことだ。そのことを近衛文麿公は昭和20年になって知った
ため、既に自らの政権におけるコミンテルンの暗躍から8年近くも経ち、時既に遅かったのである。

83:ルーズベルトの昭和天皇宛親電
08/12/28 18:22:30
防人の道 今日の自衛隊 -平成20年12月26日号 ゲスト:杉原誠四郎(歴史学者・評論家)
URLリンク(www.so-tv.jp)<)

〈特別読物〉一挙100枚! 日米開戦最後の秘密
 ルーズベルトの昭和天皇宛親電はどうなったか
 なぜ戦争回避につながる親電案を用意したのか。“工作”を読み解く
 歴史学者・評論家 杉原誠四郎

日米開戦以降の日本外交の研究 (新訂版) 杉原 誠四郎【著】
URLリンク(bookweb.kinokuniya.co.jp)

84:ルーズベルトの昭和天皇宛親電
08/12/28 19:21:12
防人の道 今日の自衛隊 -平成20年12月26日号 ゲスト:杉原誠四郎(歴史学者・評論家)
URLリンク(www.so-tv.jp)
★平成20年12月26日★

■ルーズベルトの昭和天皇宛親電
10.18 東条英機内閣成立
11.15 来栖三郎、ワシントンに赴任
11.23 朝河貫一、「天皇宛親電案」 作成
11.25 軍事会議で日本に最初の一弾を撃たせる相談をする
11.26 栗栖、東郷茂徳外相に親電構想の意見具申
 ハル、ハル・ノートを日本に突きつける
11.27 野村、栗栖、ルーズベルト大統領と会談
11.27~28 ウォーナー、複数の政府高官に親電案を渡す
11.28 東郷、親電構想拒否の回答
 軍事会議でルーズベルト大統領、親電構想を打ち出す
11.29 天皇宛親電(第一次案)できる
12.3  ジョーンズ、ルーズベルト大統領と会う
12.4 シカゴ・トリビューン、「戦争計画」を暴露

85:近衛上奏文
08/12/28 20:17:17
Will オトナの常識[月刊ウイル]2009年1月号(2008/11/26発売)
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■中西輝政 田母神論文の歴史的意義
(「近衛上奏文」も無視)

 「近衛上奏文」は、近衛首相自ら天皇に対して「上奏文」という極めて重要な形式を取って提出した
文書であり、しかもその内容については東条内閣以降、戦争の成り行きを非常に懸念していた吉田
茂などの国際情勢に最も精通している人たちが参加して、その案文を作ったのである。これを一顧だ
にしないかのような姿勢で戦後史家は通り過ぎ、あたかも見て見ぬふりをしている。
(中略)
 この上奏文は周知のように、日本の内閣の中枢や軍の大きな動きの背景に、実はその中に紛れ込
んでいた「コミンテルン」の工作員たち、例えば尾崎秀実やゾルゲのような者が多くいて、「そのような
見えない力に私は動かされていたように思います」という主旨で、かっての自分の政権の中にも多くの
隠れ共産分子がおり、日本を罠に陥れていったことが今になって分かってきたとして、敢えて自らの不
明を詫びつつ、しかもそれを天皇に上奏したものである。
 これはゆるがせに出来ないものだと思うが、「近衛上奏文」の背景或いは近衛、特に吉田茂らが言わ
んとしたことをきちんと検証した戦後の歴史家は一人としていないし、彼らにそうしたことを気づかせた
根拠に関し、国際的にどのような資料があったのかを調べた人もいない。

 これには戦後、隆盛を誇ったマルクス主義史観からの反撃を恐れ、遠慮してきたことが大きな要因だ
ったと思われる。強大なマルクス主義史観の歴史学会や、それに影響されるマスコミ出版会に遠慮して、
ソ連の工作が日本を動かしていたとか、尾崎秀実は日本を裏切っていたことを採り上げ、戦前の日本
政府内に潜行していた共産系の工作について悪口を言うことが出来なかった名残であろう。

86:ラストボロフ事件
08/12/30 01:04:33
警備警察50年◆現行警察法施行50周年記念特集号◆
URLリンク(www.npa.go.jp)

第2章 警備情勢の推移 対日有害活動
URLリンク(www.npa.go.jp)
1 ロシアによる対日有害活動
(1)ラストボロフ事件(昭和29年1月24日 米国に亡命)

この事件は、ソ連の情報機関員とみられる
 在日ソ連通商代表部二等書記官 ユーリー・A・ラストボロフ(当時32歳)
が、日本の内外政策に関する情報収集の任務を帯びて来日し、外務省、通産省事務官等多数の日本
人エージェントを使って情報収集活動を行っていたスパイ事件である。
ラストボロフは、昭和29年1月24日、米国に亡命し、記者会見に於いて、日本に於ける情報収集活動
の実態を明らかにした。ことに、終戦後のシベリア抑留中の日本人に対するエージェント工作の実態を
暴露し、昭和25年までにソ連のエージェントとなることを誓約させられた日本人は約500人、その他の
情報提供者を含めた潜在エージェントは8,000人以上に達することを明らかにした。

戦後の外事事件―スパイ・拉致・不正輸出 外事事件研究会【編著】
URLリンク(bookweb.kinokuniya.co.jp)

↑コミンテルンは1943年に解散したが、上記の如く旧ソ連が操る対日有害活動エージェントは昭和29
年の時点に於ては8,000人以上に達し、特に約500人は誓約帰国者として運用されていた。
戦後日本は、アメリカのGHQ、旧ソ連のエージェントなどが入り乱れるスパイ天国となっていたのである。
今なお、コミンテルンの影響力は強力に残っている。

87:ゾルゲ事件
08/12/30 23:56:53
戦後の外事事件―スパイ・拉致・不正輸出 外事事件研究会【編著】
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Ⅰ ロシア(旧ソ連)関係諜報事件 参考1 ゾルゲ事件 昭和16年10月18日 警視庁検挙

 この事件はソ連の情報機関員とみられる
   ドイツ新聞日本特派員 リヒアルト・ゾルゲ (ドイツ人 当時46歳)
を中心に外国人、日本人で組織された在日スパイ組織が、8年間にわたって我が国の政治、経済、軍事
などの機密情報を収集し、ソ連に報告していたスパイ事件である。
 ゾルゲは昭和8年9月、ドイツ及びオランダの新聞社日本特派員として身分を偽装する一方、ナチス党
員の資格を持って入国し、新聞記者で後に内閣嘱託、満鉄調査部嘱託となった
   中国問題評論家A(=尾崎秀実)
ら日本人、外国人多数で構成するスパイ網を組織し、日本の対ソ攻撃計画に関する情報収集を任務とし
て活動していた。
 ゾルゲはドイツ共産党からソ連共産党に転籍したソ連スパイであるが、ドイツ政治学博士の学位を有し、
偽装の為ナチス党籍を獲得し、かつ、有数の東洋通であったことから在日ドイツ大使館の信任も厚く、日
本の中枢部に入り込み、我が国の政治、経済、軍事などの機密情報を収集し、無線電信などによりソ連
に報告していた。
 ゾルゲが我が国に派遣された昭和8年から16年に至る時期は、第二次世界大戦勃発前後の最も複雑
な国際情勢にあり、ゾルゲの広汎、緻密な情報は、ソ連の政策決定に大きな影響を及ぼしたと見られる。
 特に、昭和16年、ゾルゲは今まで集めた情報の分析に基づき、
 「日本は南進政策を採り、ソ連攻撃の意図は無い。」
と、本国へ打電し、ソ連はこの情報により、当時我が国を警戒してソ連シベリア国境地帯に配備していた
ソ連軍の部隊をヨーロッパに移動増強する事が可能となった。

88:レフチェンコ証言問題
08/12/31 00:40:17
戦後の外事事件―スパイ・拉致・不正輸出 外事事件研究会【編著】
URLリンク(bookweb.kinokuniya.co.jp)

Ⅰ ロシア(旧ソ連)関係諜報事件
 参考2 レフチェンコ証言問題 昭和57年12月9日 米国下院情報特別委員会公表

 レフチェンコ証言問題は、KGB情報機関員である
   ノーボェ・ブレーミヤ誌(「新時代」)東京支局長 スタニスラフ・A・レフチェンコ (当時38歳)
が米国に亡命し、米国下院情報特別委員会で、ソ連のアクティブ・メジャーズ(政治工作)につい
て証言を行い、多数の日本人エージェントを運営していた実態を明らかにした事案である。
 レフチェンコは、昭和50年2月に来日し、日本の各界に対し、
  ・日本、米国、中国の離間
  ・親ソ連ロビーの扶植
  ・日ソ善隣協力条約の締結
  ・北方領土返還運動の沈静化
等を狙いとした政治工作を行う事を任務とし、昭和54年10月、米国に亡命するまでの間に11人
の日本人エージェントを直接運用していた。
 レフチェンコは、その証言の中で、日本人エージェントのコードネームを示し、著名な政党の人物
やジャーナリストが含まれていることを明らかにすると共に、これらのジャーナリストは、自民党や
閣僚メンバーを含む上級政府職員とハイレベルの接触があり、日本政府の内外政策についての秘
密の口頭情報や資料の提供を受けたことを証言した。

89:レフチェンコ証言問題
08/12/31 01:41:14
戦後の外事事件―スパイ・拉致・不正輸出 外事事件研究会【編著】
URLリンク(bookweb.kinokuniya.co.jp)

Ⅰ ロシア(旧ソ連)関係諜報事件
 参考2 レフチェンコ証言問題 昭和57年12月9日 米国下院情報特別委員会公表

 日本に於けるKGBの実態について、レジデントと呼ばれる在日KGB機関長の下に、
   ・ラインX (科学技術情報収集担当)
   ・ラインN (イリーガル支援担当)
   ・ラインKR (防諜担当)
   ・ラインPR (政治情報担当)
と呼ばれる各ラインが組織されており、ラインPRは、
   ・アクティブ・メジャーズ班
   ・米国を担当する主敵班
   ・中国班
から構成されていたことなどを明らかにし、1970年代のアクティブ・メジャーズの中で最も成功
したケースの一つに「周恩来の遺書」の捏造を挙げている。「周恩来の遺書」は、日中離間を最大
目的としてKGBによって捏造され、在日KGB機関員が、サンケイ新聞社の記者を通じてサンケイ
新聞に掲載(昭和51年1月23日付朝刊)させることに成功し、その後、タス通信がこれを取り上げ
て大々的に世界中に伝えた背景を証言した。

※こうした工作はサンケイ新聞のような保守系メディアの方が有効である。
※対日工作においてはラインXが非常に成果をもたらし、その上リスクがスパイ天国日本では少な
いとして人気があったという。
※ラインNの未遂に終わったRテロ計画などはミトロヒン文書などにも記されている。

90:ハリー・デクスター・ホワイト
08/12/31 04:58:00
知られざるインテリジェンスの世界 世界を動かす智恵の戦い
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第2章 情報活動の基本 /雪作戦と日米開戦

 ルーズベルト政権の財務長官ヘンリー・モーゲンソーの下で次官を務めたハリー・デクスター・ホワ
イトは、ソビエトの情報機関に操られたスパイであったとされている。モーゲンソーはルーズベルト大
統領が最も信頼を寄せている無二の親友であった。週に少なくとも1回は大統領と昼食を共にしたとも
言われている。
 ホワイトはマッカーシー旋風が吹き荒れていた1948年に、議会の調査委員会によって告発され証
言台に立たされた。戦後にソ連のスパイ容疑を掛けられた者の中では、最も高位の連邦職員であった。
彼は国際通貨基金(IMF)や世界銀行の創設に深く関わった人物である。暗号解読によって判明した
彼に対するソビエト側のコード名は、Richard、Lawyer、Reedの3つであった。
 ソビエト情報機関は「雪作戦」(Operation Snow)を発動して、ホワイトに対する働きかけを行った。雪
は白い(White)というところからの命名である。まずはアメリカが中国支持を強化する方向に持って行く
ことである。アメリカが中国支持を鮮明にすれば、それは必然的に日米関係の悪化に連なって、日本が
ソビエトを攻撃する可能性が薄らぐからである。当時ソ連が恐れていたのはドイツと日本という敵を腹背
に受けて、二正面作戦を強いられることであった。
 須藤眞志『ハル・ノートを書いた男』(p.162)はソ連の情報員の言葉を次のように引用している。
「われわれの目的は、極東のソ連地域を日本の攻撃と侵攻の可能性から守り、安全にすることでした」
ジェロルド・シェクターとレオナ・シェクター共著の『聖なる秘密』(Sacred Secrets, p.23)によれば、ソ連か
らの使者はホワイトに、アメリカが日本に要求すべき事項を伝えていた。それは、
 ・中国への侵略の停止
 ・大陸からの軍の撤退
 ・満州からの全面撤収
の3項目であった。

91:ハリー・デクスター・ホワイト
08/12/31 06:42:05
知られざるインテリジェンスの世界 世界を動かす智恵の戦い
URLリンク(www.php.co.jp)

第2章 情報活動の基本 /雪作戦と日米開戦

 ホワイトに対するソビエトの働きかけは巧妙で、米ソは相互理解と共通の利害関係に結ばれている
とする雰囲気を盛り上げていった。平和の維持と米ソ関係の改善を目指しているかのように思い込ま
せて、その実ソ連の意図を徐々に浸透させていったのであった。そしてホワイトを通してモーゲンソー
を動かし、モーゲンソーの「考え」はルーズベルトに達していたのである。
 ホワイトは理想主義に基づいた戦争の回避を主張しているかに見えるが、実はソビエトの恐れる日本
軍のシベリア進行阻止に加担していたのである。彼がソビエトの意向通りに動いた結果、アメリカは日本
に対して中国からの全面撤兵を要求し、石油の全面禁輸を実施した。これがパールハーバー攻撃を誘
発したとされている。またホワイトは日本の進出を抑える為に、中国に対して多額の借款を与えることも
考えていた。
 当時の状況として、駐日アメリカ大使のジョセフ・グルーは日本に対する強攻策が戦争を誘発するこ
とになると恐れていたが、国務省の極東部部長のスタンレー・ホーンベックは、日本に支援を与えるのは
間違いで、軍事力で対抗すべきだという意見であった。日米交渉のアメリカ側の当事者はコーデル・ハル
国務長官で、彼が1941年11月26日に日本側が提示した文書に、いわゆるハル・ノートがある。日本側
はこれを最後通牒、つまり事実上の宣戦布告と受け取った結果、この文書が太平洋戦争開戦の切っ掛け
となったことは知られている。このハル・ノートを起草したのはホワイトであるが、本当の発案者はスターリ
ンだという人もいるくらいである。
 後の東京裁判で梅津美治郎被告の弁護人となったベン・ブルース・ブレイクニーは、「もしハル・ノート
のようなものが突きつけられたなら、ルクセンブルクのような小国も武器を取り、アメリカと戦っただろう」
と発言している。

92:ハリー・デクスター・ホワイト
08/12/31 07:54:54
知られざるインテリジェンスの世界 世界を動かす智恵の戦い
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第2章 情報活動の基本 /雪作戦と日米開戦

 (ヤルタ会談に於いて)ホワイトが作成した財務省提案は、ソ連に巨額の借款を30年間低利子で供与
する。またドイツに要求する予定の200億ドルに上る賠償金の半額をソ連に与えるというものであった。
更にソ連の意に沿って、ドイツの化学、電気、冶金の諸産業を完全に廃止させるということも盛り込んで
いた。
 しかし国務省の反対で、借款とドイツの非産業化は実現しなかった。但しドイツの賠償金に対する提案
は、チャーチルの反対にも関わらず、ルーズベルトが賛意を表しているのである。この様なスパイを味方
に持てば大変心強いが、敵にすれば気づかぬ内に危機的状況に追い込まれる可能性が有る。
 なお、このヤルタ会談について、アメリカのブッシュ大統領は「歴史的誤り」として非難した。2005年
5月7日のことである。

(中略)
 アメリカがソビエトの無線通信に対して行った暗号解読作戦であるヴェノナ(Venona)が明らかにした
ところによると、ソ連の人民内務委員会(NKVD)は、ルーズベルト政権の主要部全てに浸透することに
成功していたのであった。

93:ルーズベルトとチャーチル
08/12/31 21:12:23
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第1章 戦争の裏側で何が? 9,盗聴されたルーズベルトとチャーチルの交信
 1940年8月 第二次世界大戦 - 基地秘密協定の為の駆逐艦

 1940年5月15日の午後、英国海軍の密使が、一通の文書を新首相の執務室から米国大使館
へ運んだ。大使館の暗号室でその文書は暗号化され、ホワイトハウスの暗号室へ送信され、解読
された上でフランクリン・D・ルーズベルト大統領に手渡された。
 ルーズベルトとチャーチルは、この数ヶ月間密かに連絡を取り合っていた。海軍大臣としてのチャ
ーチルは、ルーズベルトに、大西洋上で巡視している米国海軍艦船が発見したUボート関連の情報
を回してくれるように依頼した。ルーズベルトは直ちにこれに応じた。英国海軍情報部の責任者は
チャーチルに、「米国は既に中立の立場とは言えない」と告げた。ルーズベルトとチャーチルは、共
に米国の中立法違反を見逃していることが公になると米英の関係を損ない、間もなく三期目に立候
補しようとするルーズベルトを政治的に傷つけてしまうことを承知していた。

94:ルーズベルトとチャーチル
08/12/31 21:18:58
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第1章 戦争の裏側で何が? 9,盗聴されたルーズベルトとチャーチルの交信
 1940年8月 第二次世界大戦 - 基地秘密協定の為の駆逐艦

 両者の秘密交信がドイツに傍受されていることに、二人は気付いていなかった。米国大使館の暗
号室で勤務していたのはタイラー・G・ケントで、彼はルーズベルトとチャーチルとが共に謀って「米国
を密かに参戦させる画策をしている」と信じていた。公然たる反ユダヤ主義者のケントは、ルーズベル
トは”ユダヤの手先”だと思っていた。ロシア生まれのケントの愛人で親ナチ派、アンナ・ウォルコフも
またそう考えた。彼女は帝政ロシア最後の皇后に使えた侍女だった。ケントは文書を写真に撮り、アン
ナに渡した。アンナはその写真をロンドンのイタリア大使館の連絡員に渡した。イタリア大使はその情
報をローマへ転送する。イタリア駐在のドイツ大使は、その情報をベルリンの外務省へ送った。
 ロンドンのブレッチリー公園にある英国の暗号解読部隊の中枢部では、ドイツ外務省の通信を日常
的に傍受し解読していた。5月のある日、ローマからベルリンへ送られる通信の中で、チャーチルへ
送信されたルーズベルトの秘密電文を見て度肝を抜かれた。それには「40隻ないし50隻の老朽駆逐
艦を引き渡すのは可能だが、議会の特別承認を必要とする。現状では、それは容易なことではない」
とあった。

95:スターリンと朝鮮戦争
08/12/31 22:40:09
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第1章 戦争の裏側で何が? 12,スターリンが是認した朝鮮戦争
 1950年4月 朝鮮戦争 - 韓国侵攻でのソ連邦の役割

 1945年8月29日、北朝鮮ハムフンの近くでソ連の戦闘機が、米軍の「超空の要塞」B-29爆撃機
に発砲、強制着陸させた。このB-29は、日本軍が最近放棄したばかりの捕虜収容所に取り残された
連合軍後呂に補給物資を投下する作戦行動中だった。第二次世界大戦はその15日前に終結していた
が、B-29の乗組員たちは新たな戦争が始まったことを知らなかった。それは「冷戦」と呼ばれること
になる。
(中略) 米国とソ連両政府は、軍事境界線(38度線)を設け、ソ連が支援する北朝鮮と米国が支援する韓国
に分離した。
(中略) その頃、米国の情報機関は、金日成に対して韓国を襲撃するように、ソ連がどの程度強く指示してい
るのか理解していなかった。また、中国が金日成の計画に関わっていることにほとんど気付いていなか
った。ソ連と中国の結びつきは、ソ連が崩壊し冷戦が終結、ロシアの記録が歴史家の目に触れるまで、
余り知られていなかった。だがいまや歴史家たちは、ソ連の指導者ヨシフ・スターリンと中国の指導者
毛沢東が、朝鮮戦争へ繋がる数々の事件の黒幕だったという文書記録の証拠を持っている。
 例えば或る文書は、金日成が赤軍大将のテレニティ・シトゥコフからいかに戦争へ煽られたかを明らか
にしている。このシトゥコフは、かつて北朝鮮でソ連軍を指揮し、1948年に駐北朝鮮ソ連大使として赴任
した人物だった。同時にこの文書では、金日成が1950年4月にモスクワでスターリンと密会したことなど
も明らかにしている。

96:アルジャー・ヒス
08/12/31 23:27:50
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第2章 二重スパイ 裏切り者 反逆者たち 20,カボチャ文書(パンプキン・ペーパーズ)
 1938年1月 冷戦 - チェンバーズ・ヒス事件

 チェンバーズの標的はワシントンで華麗なキャリアを持つ男だった。その男、アルジャー・ヒスは、
1928年、ハーバード大学法学部卒業後、最高裁判所判事オリバー・ウェンデル・ホームズの秘書
を務めた。1930年代前半、ルーズベルト大統領のニューディール政策に参画し、当初は農務省、
次に国務省で働いた。1941年、40歳になった彼は極東問題調査部門で重責を担った。第二次世
界大戦末期には、国際連合を立ち上げる担当者でもあった。またヒスは、戦時にルーズベルト大統
領や英国のウィンストン・チャーチル首相、ソ連の独裁者ヨシフ・スターリンが会したヤルタ会談で、
ルーズベルト大統領の補佐役を務めた。1947年ヒスは、国務省を平穏に辞し、カーネギー国際平
和財団の総裁になった。
(中略)
 チェンバーズ・ヒス事件が再燃したのは、1996年、国家安全保障局(NSA)が、超機密作戦、暗
号名ヴェノナの結果を発表した折だった。1940年代のソ連の秘密情報を解読したヴェノナ文書は、
ヒスをスパイ活動と結びつけた。憶測は、すぐにヒスが戦時中接触した人物へ飛んだ。それは、英国
外務省の外交官ドナルド・マクリーンで、ヒスと共に国際連合の枠組みづくりなどに取り込んだ人物だ
った。マクリーンは、ソ連邦へ質の高い情報を提供した「ケンブリッジ・スパイ」一味の一人だった。

※ドナルド・マクリーンが属した”ケンブリッジ・スパイ・リング”、マグニフィセント・ファイブは余りにも
有名である。その中心人物、キム・フィルビーをモデルとした小説、映画は枚挙に暇が無い。

97:VENONA(ヴェノナ)
09/01/01 14:26:26
機密指定解除 - 歴史を変えた極秘文書
URLリンク(ec.nikkeibp.co.jp)

第7章 国家という秘密 48,ソ連スパイ活動の黄金時代 1943年8月 冷戦 - ヴェノナ作戦

 世界に数あるスパイ作戦の記録でも、最も長い期間に渡り、最も複雑なのが、暗号名VEONA
(ヴェノナ)という作戦だ。
(中略)
 1943年に開始された国家安全保障局(NSA)の前身、陸軍の通信安全保障局(SSA)による
秘密計画に、FBIを参加させることになった。SSAの暗号解読チームは、ソ連の電文の解読に取り
組んでいた。それは、1940年代、米国に置かれたソ連の外交施設からモスクワへ発信された無線
傍受の内容である。そのプロジェクトは、最終的にヴェノナという暗号名がつけられた。1948年、
FBIのロバート・ラムフィア特別捜査官が、この計画に参加した。彼はFBIの連絡係であり、電文情報
の管理者でもあったが、得られた知識はフーバー長官だけに伝えられ、ワシントンの政策立案者に対
しては知らされることはなかった。
 1940年代の新聞の見出しに登場した多くの名前、例えばエリザベス・ベントリー、ウィテカー・チェン
バーズ、ジュディス・コプラン、クラウス・フックス、アルジャー・ヒス、ドナルド・マクリーン、そして原子
爆弾スパイ一味の、ハリー・ゴールド、ディヴィッド・グリーングラス、ジュリアス・ローゼンバーグと
その妻エセルなどは、そうした電文の中に潜んでいる。ラムフィアやフーバーとその他少数の捜査官
たちは、電文の中にこうした人たちの名前と合致する暗号名、例えば、ハリー・ゴールドはアルノ、ジュ
リアス・ローゼンバーグはアンテナなどを、少しずつ見破っていった。しかし、そうした電文は告発の
為に利用出来なかった。ヴェノナの口の堅い管理人やFBIは、米国がソ連の主要な暗号方式を解読
したことを明かしたくなかったからだ。

98:VENONA(ヴェノナ)
09/01/01 15:25:12
機密指定解除 - 歴史を変えた極秘文書
URLリンク(ec.nikkeibp.co.jp)

第7章 国家という秘密 48,ソ連スパイ活動の黄金時代 1943年8月 冷戦 - ヴェノナ作戦

 ヴェノナの解読で発覚したソ連のスパイの浸透は、政府の奥深くに広がっていた。モスクワからの一通
の電文は、財務省の工作員が既に多過ぎる為、作戦要員に、これ以上工作員を配置しないよう依頼した
ものだった。ソ連の工作員は、ホワイトハウスにも、上院委員会職員にも、米国陸軍やOSS、国務省、
司法省、それに軍需生産委員会にもいた。
 ヴェノナの秘密、それを隠す覆いには穴が開いていた。ヴェノナの存在は、電文を処理していたロシア
語言語学者、ウィリアム・ワイズバンドによってソ連に知らされた。ヴェノナを極力隠しておきたい為、
彼は遂にスパイで告発されることはなかった。

 長年の間ヴェノナは、米国の防諜活動の最も重要な拠点だった。ヴェノナは、ソ連情報機関による密か
な米国人勧誘が成功してきた事実を明らかにした。スパイとなった米国人は、秘密の情報源として、
ホワイトハウス、国防省などの政府機関に潜入、それのみならず、マスコミやハリウッドなど様々な領域に
侵入した。この時期を米国に於けるソ連スパイ活動の黄金時代、と呼ぶ人もいる。ソ連の手先となった
人物は、350人近くに及ぶとされたが、その半数は、未だに姓名が判明していない。

※田母神論文の”フランクリン・ルーズベルト政権の中には3 百人のコミンテルンのスパイがいた”という
記述は公開されたヴェノナ・ファイルに基づいていることが分かる。

99:田母神前空幕長出演
09/01/02 14:50:10
新春特別企画 「日本の現在と未来を語る」-Part1 ★1月2日公開★
URLリンク(www.so-tv.jp)

戦後レジームの大いなる矛盾を見事に白日の下にさらし、真に日本を思う人々を勇気づけられた
前航空幕僚長の田母神俊雄氏をお迎えし、この国の現状と未来についてじっくりと語り合った新春
特別企画をお送りします!

出演:
 田母神俊雄(前航空幕僚長)
 中條高徳(日本戦略研究フォーラム会長)
 渡部昇一(上智大学名誉教授)
聞き手:
 水島総(日本文化チャンネル桜 代表)
 丹羽文生(東北福祉大学講師・拓殖大学海外事情研究所客員研究員)

100:コミンテルンの対外情報工作
09/01/02 15:47:01
KGBの内幕―レーニンからゴルバチョフまでの対外工作の歴史〈上〉〈下〉
クリストファー・アンドルー、オレク・ゴルジエフスキー 著
URLリンク(bookweb.kinokuniya.co.jp)
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第三章 ジェルジエンスキー時代の”積極工作”  コミンテルンの対外情報工作

 ソヴィエト・ロシアは組織的な対外情報収集活動を開始する前においてすら、国境を越えた秘密
工作という野心的な計画に乗りだしていた。内戦中のチェーカーは国内に於ける真偽取り混ぜた
陰謀からボリシェヴィキ政権を防衛していたが、ソヴィエトの国外工作員の任務は、先ず何よりも
革命の拡大に向けられた。だが、秘密工作の殆どを組織したのはチェーカーではなく、コミンテルン、
即ちソヴィエト支配の共産主義インターナショナルだった。コミンテルン執行委員会(ECCI)は自ら
を”世界革命の参謀本部”と考えたのだ。
(中略)
 ジノヴィエフはコミンテルン大会で、コミンテルン執行委員会(ECCI)は、共産主義インターナショナ
ルに加盟し、または加盟を希望している諸政党の活動に”干渉する”権利ばかりでなく、干渉する義
務を有すると述べた。そのような”干渉”の主要な武器は、コミンテルン執行委員会(ECCI)から
加盟政党や共産主義グループに派遣される”モスクワの目”とあだ名される代表だった。

※毛沢東も中国共産党内の活動を”モスクワの目”によって監視され、やがてコミンテルンの援助
によって指導的地位に就くこととなる。毛沢東がスターリンに頭が上がらなかった所以である。

101:ゾルゲの対日工作
09/01/02 17:14:12
KGBの内幕―レーニンからゴルバチョフまでの対外工作の歴史〈上〉〈下〉
クリストファー・アンドルー、オレク・ゴルジエフスキー 著
URLリンク(bookweb.kinokuniya.co.jp)
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第六章 シギント、工作員の浸透戦術  [ゾルゲの対日工作]

 ベルジン配下の最も成功した浸透工作員は、リヒアルト・ゾルゲだった。1964年、つまりその死
から20年後にはゾルゲはソヴィエトの英雄となり、一連の公認の聖伝刊行と-外国人の工作員に
はきわめて珍しいことだが-特別の郵便切手の発行によって名誉を称えられた。
(中略)
 第一次大戦後、ゾルゲはハンブルク大学で政治学の博士号を取り、共産党の闘士として働いた。
1924年遅く彼はモスクワへ移り、1925年初頭にコミンテルンのOMSで働き始め、ソヴィエトの市民
権を取った。1927年から1929年にかけて、OMSは彼をドイツでの一連の情報活動に派遣した。
彼が後に語ったところによれば、イギリスとスカンジナヴィアへも行ったという。1929年11月、彼は
ベルジン将軍に目を掛けられて個人的に第四部に徴募された。もっとも、ピヤトニツキーやOMSとも
引き続き関係を保った。
 ゾルゲの最初の任務は、ドイツのジャーナリストを装って上海でスパイ・ネットワークを運営すること
だった。そこで彼は、後に彼の最も重要な工作員となる一人の日本人のジャーナリストを徴募した。
それは、日本政府と類ない繋がりを持つ裕福な出身の尾崎秀実という若い理想家肌のマルクス主義者
だった。

102:ゾルゲの対日工作
09/01/02 17:54:37
KGBの内幕―レーニンからゴルバチョフまでの対外工作の歴史〈上〉〈下〉
クリストファー・アンドルー、オレク・ゴルジエフスキー 著
URLリンク(bookweb.kinokuniya.co.jp)
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第六章 シギント、工作員の浸透戦術  [ゾルゲの対日工作]

 1933年9月に東京に着いた時、ゾルゲが受けた命令は、「日本がソヴィエト連邦攻撃を計画して
いるかどうかに関する問題を十分慎重に研究せよ」というものだった。彼は8年後に逮捕された後で
こう書いている。
 ”これは、多年にわたって私と私のグループに命ぜられた最も重大な任務だった。それが日本に
おける私の使命の唯一の目的だと言っても大きな間違いではないだろう・・・”
(中略)
 リヒアルト・ゾルゲに関するソヴィエトの公認の賛辞の全てには、少なくともこれまで西側には知ら
れていない一つの故意の歪曲が含まれている。それは、ゾルゲの情報報告はたいていは、ソヴィエト
のシギント活動、つまりグラスノスチ時代にあっても依然として公式には言及する事が出来ない形態
の情報活動の成功を隠す為に用いられているということである。シギントは、ゾルゲ自身よりも遙かに
重要な日本に関する情報源だったと言って良い。

103:ミュンツェンベルク・トラスト
09/01/02 23:07:20
KGBの内幕―レーニンからゴルバチョフまでの対外工作の歴史〈上〉〈下〉
クリストファー・アンドルー、オレク・ゴルジエフスキー 著
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第三章 ジェルジンスキー時代の”積極工作” [ミュンツェンベルク・トラスト]

 トリッセルが1921年にINO(秘密警察チェーカーの外国部門の後継組織)を引き継いだ頃、コミン
テルンはその海外工作員の秘密ネットワークを運営する為、秘密の国際連絡部(OMS)を組織した。
OMSは外国の共産党員とその同調者(共産党シンパ、ピンコ)を秘密情報活動に引き込むことで、
INOにとって貴重な働きをした。こういう人々は、ソヴィエトの秘密情報機関が直に接近するよりも、
コミンテルンが支援を訴える方が効き目があり、1930年代のOGPUとNKVDの最も優秀な対外工作
員の多くは、最初は自分たちがコミンテルンの為に働いていると信じていた。
 OMSは、後にソヴィエトの重要な”積極工作”(影響力行使型工作)の手段となる”フロント組織”の
先駆けとなった。OMSの資金で設置されたフロント組織の中で最大の手腕を発揮したのは、ドイツ
共産党の代議員ヴィリー・ミュンツェンベルクで、その”生涯のパートナー”のバベッテ・グロスが愛情
込めて”同調者たちの守護聖人”と評する人物だった。1921年のロシアの飢饉の時代に、ミュンツェ
ンベルクはベルリンに本部を置いて”国際労働者救済会(IWA)”を設置し、瞬く間にコミンテルンの
最も効果的な宣伝担当としての地位を確立した。

104:ミュンツェンベルク・トラスト
09/01/03 00:07:47
KGBの内幕―レーニンからゴルバチョフまでの対外工作の歴史〈上〉〈下〉
クリストファー・アンドルー、オレク・ゴルジエフスキー 著
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第三章 ジェルジンスキー時代の”積極工作” [ミュンツェンベルク・トラスト]

 IWAは党内では”ミュンツェンベルク・トラスト”と呼ばれるようになった。
(中略)
 IWAは、ミュンツェンベルクが密かに”イノセンツ・クラブ”(ここではイノセンツは”愚か者”の意)
と呼んでいた一連の組織のはしりであり、それは、コミンテルンの密かな指導の下に時流に乗っ
た様々な目的を支援することによって”インテリを組織する”ために作られていた。彼は、プロレタ
リアートとの精神的連帯という響きの良い言葉で惹き付けた”イノセントな”ブルジョア・インテリ層
に対して友情ある軽侮の念を抱いていた。ミュンツェンベルクの主たる関心は宣伝活動にあった
が、彼は”イノセンツ・クラブ”をOMS(コミンテルン国際連絡部)の情報活動ネットワークの隠れ蓑
として利用した。そのネットワークの中には、彼自身が誘い込んだインテリの内の何人かが含ま
れている。

※無防備地域宣言運動全国ネットワーク(無防備マンで知られる)が極左過激派であるMDS
(民主主義的社会主義運動)のフロント組織=イノセンツ・クラブであることも了解できよう。
現在の日本でもミュンツェンベルク・トラストと類似の活動は続いているのである。

105:革命的名無しさん
09/01/03 00:17:23
うんこ

106:大東亜戦争とコミンテルン
09/01/04 01:21:04
戦後マスコミ回遊記 柴田秀利 著
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■敗戦謀略の真相 [なぜ第二次世界大戦が起きたか]
(前略)
 ある日、元内務相警保局出身の代議士、三田村武夫氏を伴って来た。重要な話だから、充分
時間をとって欲しいということで、馬場恒吾読売新聞社長と二人で何事ならんと聞き耳を立てた。
 三田村氏は、一応言わんとするところをタイプに打ってきたと言って、分厚い書類を出し、説明
に入った。題名はたしか「コミンテルンの敗戦謀略」だったと記憶する。それをめくりながら、鋭い
論鋒で迫る彼の弁舌に、私達二人は異常な驚きを覚え、黙って聞き入った。
 イデオロギー闘争と並んで、当時の私が自らに課していた一番大きな問題は、我々の先輩が
負けると決まった、あんな馬鹿げた大戦争をなぜやったのか。その真因を追究し、後世の資とす
ることだった。その為に、これからあらゆる努力を払おうとしていた矢先だった。三田村代議士の
分析は、まさにその核心に迫った、驚くべき事実の発掘だった。私は身震いするほど興奮し、そ
の話に聞き入った。

大東亜戦争とスターリンの謀略―戦争と共産主義 三田村武夫 著
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107:大東亜戦争とコミンテルン
09/01/04 02:18:14
戦後マスコミ回遊記 柴田秀利 著
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■敗戦謀略の真相 [尾崎・ゾルゲ事件]

 三田村武夫代議士と松前重義氏(東海大学総長、世界柔道連盟会長)の持ち込んだテーマは、
実に驚嘆に値するものだった。「馬場さん、ソ連のスパイだった尾崎・ゾルゲ事件をご存じでしょう。
私どもは警保局でこの事件を担当して以来、一貫してその内容の分析、調査をしてきましたが、
ようやくことの真相を突き止めることができました。実を言うと、彼らは単なるスパイではなかったん
です。コミンテルンの世界革命計画に従って、負けると決まっている戦争に日本を駆り立て、敗戦に
導くことによって、一挙に暴力革命を達成しようという、大変な戦略、つまりこれを名付けて『敗戦謀略』
といいますが、その大罠に日本を嵌め込んだ、とんでもない、壮大な政治謀略家だったんです。
愚かにも日本は、ウマウマとその手に乗っかって、今日の惨状を招くに至ったという事に目を開かせな
きゃいかんと思って、お伺いしたわけです。」

大東亜戦争とスターリンの謀略―戦争と共産主義 三田村武夫 著
URLリンク(bookweb.kinokuniya.co.jp)

※三田村氏の証言は近衛文麿公にも衝撃を与え、近衛上奏文の元ともなった。
※正力松太郎を描いた佐野眞一著『巨怪伝』にもこのエピソードが出てくる。
※ルーズベルト大統領と近衛文麿公、即ち日米中枢にまでコミンテルンは及んでいたのである。

108:大東亜戦争とコミンテルン
09/01/04 03:13:20
戦後マスコミ回遊記 柴田秀利 著
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■敗戦謀略の真相 [尾崎・ゾルゲ事件]

(27年テーゼ、32年テーゼの解説省略)
 究極の世界革命達成のためには、先ず資本主義国同士を戦わせ、その負けた国から一つずつ
革命していき、大勢の決まったところで一挙に世界暴力革命に突入する-という筋書きだったという。
それを彼らは敗戦謀略と名付け、日本をその絶好の生け贄と見てとったのだった。

 幸か不幸か、時の宰相近衛文麿公爵は、学生時代から公卿には珍しい進歩主義者で、学習院から
東京帝大へ進まず、自ら希望して京都大学へ入った。『貧乏物語』で青年を惹き付けていたマルキスト
河上肇教授を慕ってのことだったという。当然、彼の頭の中に巣食ったものは、マルキシズムに他なら
なかった。こうして成長した彼の側近には、本モノ、偽モノを含めて、そのほとんどがいうところの進歩主
義者で埋め尽くされ、モスクワの使者、尾崎秀実が潜入するには、何の障壁も無かった。

109:大東亜戦争とコミンテルン
09/01/04 04:03:14
戦後マスコミ回遊記 柴田秀利 著
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■敗戦謀略の真相 [尾崎・ゾルゲ事件]

 ゾルゲの指示に従って近衛内閣の嘱託となり、近衛を取り巻くブレーン・グループが構成していた、
いわゆる「朝飯会」の有力メンバーとなった。その主な顔ぶれを見ただけでもゾッとする。

 風見章、富田健治、西園寺公一、笠信太郎、原貞蔵、松本重治、田中慎太郎、犬養健、牛島友彦・・。

 身近な秘書から大臣、書記官長(今の官房長官)に加うるに、親戚、縁者、ジャーナリストから学者を
加え、揃いも揃ったり、といいたいところだが、これだけ集まれば、国の最高機密だって、何でも取れる。
また、国政を左右しようとすれば何でも出来る。スパイにとって、これ以上の宝庫は無かった。また謀略
政治家にとって、これ以上の醸造工場は無かった。当然あらゆる機密はモスクワ直通となり、近衛の
頭の中は、スターリンのタクト通りに、右曲がり、左曲がりしながら、次第に思う壺に嵌っていくことになっ
てしまった。
 その最初の重要な落とし穴が、重慶との和平工作の挫折であった。両者が漢口を中心に話し合い成立
に近づいた時、双方に異なる情報を売り込んで、ブッ壊し工作に成功したのが、さきに述べた朝飯会の
メンバーの一人だった。

110:大東亜戦争とコミンテルン
09/01/04 15:58:40
戦後マスコミ回遊記 柴田秀利 著
URLリンク(bookweb.kinokuniya.co.jp)

■敗戦謀略の真相 [北進から一転仏印へ]

 日本は中国大陸の泥沼に半永久的にはまり込んでいくこととなったが、、同時にこの時、既に日本側
からばかりでなく、モスクワ側からも巧妙な破壊工作の手が延安を通じて伸びていた。それが何と、日
本軍の手で暗殺された張作霖(註:この事件については近年、ソ連GRU、エイティンゴンの関与が示唆
されている)の息子、張学良による蒋介石監禁事件であった。当時は満州族による勢力挽回のための
一策ぐらいにしか受け取られていなかったが、後になって分かったところによると、あに図らんや、この
時、張学良を裏から操っていたのが、後の北京政権の名宰相周恩来だった。したがって、中国側でも
この時を境に、全く相容れないはずの国共合作が出来上がり、抗日戦線の統一となって、大陸の泥沼
は一層底なしの深さとなった。これが延安に落ち延びていた中共軍を引き出し、拡大、強化させ、やがて
大陸制覇、政権確立への道を拓き、逆に蒋介石、張学良ともども台湾へ逃げ込まざるを得なくさせた、
近代中国史の一大転換点となろうなど、当時の誰が想像し得たであろうか。
 ともあれ、近衛文麿公は何の見通しもないまま、心なくも例の「蒋介石、対手にせず」の声明を発表し、
汪兆銘を担いで南京政府樹立の祝砲を打ち上げ、大東亜新秩序建設の新時代を拓こうとした。これも
また、尾崎の描き出したポンチ絵とはつゆ知らずに・・・。それら全てが全くの空砲に終わってしまう運命に
あったとは・・・。

111:大東亜戦争とコミンテルン
09/01/05 23:37:06
戦後マスコミ回遊記 柴田秀利 著
URLリンク(bookweb.kinokuniya.co.jp)

■敗戦謀略の真相 [北進から一転仏印へ]

 自由主義者であり、平和主義者であったはずの近衛文麿公の足下で、この頃から本格的な臨戦
体制が次々と打ち出され始めた。
 先ず、「近衛新体制」と称して「翼賛政治会」の名の下に、政党は解体統一された。相前後して「大
政翼賛会」の名の下に、下は下町の片隅にまで隣組組織がくまなく網を張り巡らされ、瞬く間に日本
は全体主義的統一国家へと変貌していった。近衛自らの達筆になる「上意下達、下意上達」の迷文
句が、氏神様のお札のように、全国至る処にベタベタと張られだしたのもこの頃だった。それにも関わ
らず、議政壇上で、「何故にかかる全体主義的な非民主的統一国家、独裁体制を作るのか」と政党
代表に詰問され、追い詰められた時、一国の、しかも非常時を背負う総理大臣が、「実は私にも、ど
うしてこうなったのか、全く何も分からぬままに来てしまったのです・・・」といって絶句し、白いハンカチ
で眼を拭って、泣き出してしまったのを、駆け出しの記者の私も目撃している。世の中にこんな不思議
なことがあってたまるものかと、憤激を覚えたことが、昨日のことのように想い出される。彼がいかに
目隠しされた操り人形であったかを如実に物語るシーンだった。

112:革命的名無しさん
09/01/06 08:45:28
ところで、ふつうの読者には、この「左翼」という人間たちの政治思想なるものの内部の争い、
ということが、どうもピンとこないようである。そこで、ここで超簡単に説明しておこう。
日本の左翼には二種類がいるのである。旧い方の、「旧左翼」は、簡単に言えば、共産党と
社会党である。あるいは、この二つの政党に、長い間、意識的に信念を持って投票してきた人々
は結局これである。単なる反自民党ということだけではない人々だ。それに対して、一九六〇年
の「安保闘争」(この年に、「日米安全保障条約」という、対ソビエトの日米軍事同盟条約に
反対した大きな国民運動があった)の前後に日本共産党のいうことをきかなくなった学生たちが
始めた新しい学生左翼たちの運動があって、これを「新左翼」と言う。簡単に言えば、これは、
今でも「元学生運動活動家」とか「過激派」と呼ばれる連中である。評論家の西部すすむ氏や、
日本独特の思想家・吉本隆明(吉本ばななの父親)などがこっちである。その他に、現在、
大学教授や評論家になっている人々のうち、多くの人々が、昔この「新左翼」系の活動家だったり、
あるいは、その影響を強く受けた人々である。こっちの「新」方は、全部合わせると、50万人
ぐらいいる。この元「新左翼」はたちは、「自分たちは正しかったが、「旧左翼」はソビエトに
「洗脳」されていたから集団だから、愚かである」と思っている。
結論から言えば、「旧左翼」も「新左翼」もどちらも愚かだったのである。大きな意味では、ソビエト
帝国の振りまいた病原菌に冒されていた。だから、「旧」も「新」も甲乙つけがたく日本国民多数
からは相手にされなかった。
副島隆彦「決然たる政治学への道」P242~243


113:革命的名無しさん
09/01/06 10:17:23
コピペ天国もコミンテルンの陰謀

114:大東亜戦争とコミンテルン
09/01/06 22:30:15
戦後マスコミ回遊記 柴田秀利 著
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■敗戦謀略の真相 [北進から一転仏印へ]

 三田村武夫(衆院議員)、松前重義(東海大学総長、世界柔道連盟会長)両氏の説明によると、
尾崎秀実(コミンテルン、ゾルゲ・グループ、朝日新聞記者、日本共産党員)の筋書きに近衛文麿
公の親友、後藤隆之助たちが乗って、「昭和研究会」とか「国策研究会」をつくり、そこでこれら新
体制なるものの綿密な全体計画が練り上げられていったという。しかも表面上は、日増しに強くな
ってきた軍閥の力を抑制するには、これ以外にないというのが、ここに集まった進歩主義者たちの
言い分だった。しかしそれら全てが裏を返せば、近衛なき後、軍閥が政権をとれば、そのまま
ヒットラーやスターリンと全く同じ、軍事独裁政権確立のための巧みなお膳立てとして、着々と
進んでいたこととなる。

115:大東亜戦争とコミンテルン
09/01/07 05:41:58
戦後マスコミ回遊記 柴田秀利 著
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■敗戦謀略の真相 [北進から一転仏印へ]

 ゾルゲ、尾崎秀実が彼らにとって最後の、そして最大の花を咲かせる時が来た。昭和16年である。
ゾルゲはドイツ大使オットーの信任を得ていたので、ヒットラーが独ソ不可侵条約を裏切ってソ連に
侵攻することをいち早く察知し、その正確な期日までモスクワに打電した。しかし、それでもソ連は押し
まくられ、遂にスターリングラードの死の攻防戦となった。それまで日本を猿扱いしかしていなかった
ヒットラーが、この時ばかりは枢軸国日本に対し、背後から今一押ししてくれれば勝てるからと、日本
軍のシベリア出兵を矢のように催促してきた。軍はそれに応えて7月、関東軍特別大演習、つまり
「関特演」の名目で、総力を満州と朝鮮半島に集結させた。この大戦力がもしあの時、そのまま北へ
歩を進めていたら、ソ連は一たまりも無かったはずである。戦後の世界も、また今日とは全く違った
様相となっていたに違いない。ソ連はまさに累卵の危機に直面し、震え上がった。ゾルゲ、尾崎にとっ
てもその使命上、最大の危機となった。この時二人が日本軍の北進を食い止めるためにどのように
動き回ったか、詳しいことは分からない。しかし、この時尾崎が説いて回った「北方傾斜論」という
論文が残っているという。

※「北方傾斜論」は三田村武夫著『大東亜戦争とスターリンの謀略』解説編第三篇の”二、日華事変
より太平洋戦争へ”の「独ソ開戦とシベリヤ傾斜論」で示されている。”北方傾斜論”よりは”シベリヤ
傾斜論”が正しい表現であろうと思われる。

116:大東亜戦争とコミンテルン
09/01/09 00:35:02
戦後マスコミ回遊記 柴田秀利 著
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■敗戦謀略の真相 [北進から一転仏印へ]

 それ(尾崎秀実の『シベリヤ傾斜論』)は「今北進すれば、シベリアは苦もなく手中のものとなろう。
だがツンドラのシベリアを手に入れても何になるか。そこからは日本が必要とする石油の一滴すら
取れないではないか。それよりも、北方にいささかの懸念もなくなった今こそ、進んで軍を南へ向け、
豊かな石油資源を手に入れる絶好のチャンスであり、その方がどれほど賢明か。選ぶとすれば、
北進か南進か、いずれをとるか?しかも今日本を真に敵視しているのはソ連ではない。米英である。
米英は、日本がこの北進作戦で、なけなしの石油と鉄を使い果たすのを見届けた上で、必ず日本を
討って出るに違いない」というもの。
 これが決定的な礎石となった。最高政策の決定は、彼の主張通り北から南へ180度転換した。
即ち仏印進駐となって現れたのだった。それを知った尾崎は、自ら満州視察に出掛け、その目で確認
して帰り、もはや日本軍に北進の意図なし、とゾルゲに報告した。同時に南進すれば、いよいよ米英仏
蘭を向こうに回し、筋書き通り、小さな卵が世界大戦の巨壁に自ら体当たりして、自滅し敗戦する。
クレムリンの期待はこれで100%達成されたも同然となった。これをソ連に打電して、初めて二人は
「わが事成れり!!」と乾杯したという。日本の運命はこれを境に釣瓶落しになっていくなど、何人が
気付いていたか。最大の分岐点がこの瞬間にあったといえる。

117:大東亜戦争とコミンテルン
09/01/10 00:56:27
戦後マスコミ回遊記 柴田秀利 著
URLリンク(bookweb.kinokuniya.co.jp)

■敗戦謀略の真相 [北進から一転仏印へ]

 ちょうどその頃 (尾崎・ゾルゲらによって日本軍が北進から南進へ転換した1941年)、
先般20数年ぶりに北京から帰国した (1980年9月3日、逃亡した中国から27年ぶりに帰国)
伊藤律 (日本共産党No.2、1951年中国へ密航、徳田球一、野坂参三と共に北京機関で活動)
の自白で、(尾崎・ゾルゲらへの)捜査の手が伸び始め、昭和16年10月15日に尾崎、次いで
18日にゾルゲも逮捕されることとなった。
 その上、ABCDライン(包囲網)による(対日)経済封鎖が、近衛文麿公の和平への道を完全に
塞ぎ、内閣のバトンは近衛文麿から東条英機へと引き継がれた。筋書き通りに、日本は軍事政権、
世界大戦へと突入していったのだった。

※伊藤律(いとうりつ)
URLリンク(ja.wikipedia.org)
URLリンク(gonta13.at.infoseek.co.jp)
伊藤律 帰国事件 - 1980
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118:大東亜戦争とコミンテルン
09/01/10 19:54:56
戦後マスコミ回遊記 柴田秀利 著
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■近衛総理の上奏文
 尾崎秀実、ゾルゲ(朝日新聞、日本共産党による敗戦謀略)のあらましは、以上の通りだが、
三田村(武夫)論文によると、この敗戦によって32年テーゼにあった、いわゆる二段革命論の
第一段階であるブルジョア民主革命は完遂されたこととなった。即ち天皇、官僚、財閥の力が
崩れ去った。そして既に第二段階の直接革命に突入する段階に来たという。その第一目標が
三大新聞の一つを手に入れて、それを公的な党の宣伝機関として活用すること。それと並行し
て交通、通信、エネルギーの三大機関を止めれば、国家は一瞬にして真っ暗闇の麻痺状態と
なる。そこで一挙に暴力革命に突入する準備は万端整っていたとうのである。
 「読売は、まさにその第一目標にされていたわけですよ」

※読売争議 読売新聞 出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
URLリンク(ja.wikipedia.org)
★第1次争議 業員側は闘争宣言を発し、鈴木東民(日本共産党)を委員長とする闘争委員会を結成した。
10月10日には府中刑務所を出獄した日本共産党の徳田球一、志賀義雄、金天海が熱狂の中で迎えられ、
蔵前工業会間では日本全国から戦前の労働組合関係者170名あまりが集まり第一回労働組合再建懇談
会が開かれている。
★第2次争議 1946年に入るとチャーチルの「鉄のカーテン」発言から冷戦が事実上開始され、GHQの方針
に微妙な変化が起こり、これが「民主読売」の前途に暗雲をもたらした。
1946年6月、馬場はGHQの支援を取り付けた上で、鈴木たち共産党員6名に退社命令をだした。これがきっ
かけで争議が再発した。民間情報教育局(CIE)は第1次争議では従業員側を影ながら応援していたが、こ
の第2次争議では馬場ら経営側を応援した。従業員側はストライキで抵抗し、経営側の人間だった務台光
雄はこれに対抗すべく警察担当となって、従業員排除のために警察やMPの出動を要請した。GHQの後ろ
盾が急に無くなった従業員側は初めから不利であり、警察やMPともみ合いになって血まみれになりながら
輪転機を守ったが、10月には鈴木ら労組の幹部だった37名が退社処分となって「民主読売」は崩壊した。

119:大東亜戦争とコミンテルン
09/01/10 20:35:22
戦後マスコミ回遊記 柴田秀利 著
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■近衛総理の上奏文

 私(=柴田秀利)はかねがね、極東裁判で東条英機がA級戦犯第一号に指定されたことに疑問
を抱いていた。なるほど、真珠湾攻撃の現行犯としてはやむを得ない。それは連合国の結論であ
る。しかし日本人として、戦争を起こした真因を追究するとすれば、近衛文麿が先に述べた仏印進
駐によって、日米会談その他すべての和平工作を塞がれ、あまつさえACDCラインによる経済封鎖
を受けて、総辞職した途端、政権の座に就いたのが東条英機だった。つまり、拳骨を振るう以外に
道無き時に、軍を代表して総理となったものである。東条英機としては当然、振り上げるべくして振
り上げた拳骨だった。だから確かに現行犯には違いない。しかし、あれだけの大戦争である。到底
一日や二日の準備で出来る筈のものでは無い。政治的、道義的には、少なくともそれ以前4、5年
の政権を担当してきた者が、戦いの止むなき原因を積み重ねてきた、その累積の結果だと見なくて
はなるまい。とすれば、それは近衛文麿をおいて他に無い。酷に過ぎると言えばそれまでだが、一番
大切な政治的・道義的責任の観点からすれば、

             全ては近衛文麿公に有りと断定せざるを得ない。

その近衛文麿公は重ねて言うが、自由主義者、平和主義者で、世界大戦を志向する意志など、絶対
に持ち合わせていなかったと信ずる。それが何故こういう屈辱の帰結を結んだか、それが最大の疑問
であり、その失政のもとはどこにあったか。それは依然、後世史家の徹底的な究明の課題かと言える。
しかしその前に、尾崎、ゾルゲが昭和19年11月7日、ロシア革命の記念日に死刑を執行された3ヶ月
後、遅過ぎはしたが、近衛文麿公は自らの責任を痛感して次のような上奏文を奉呈している。

近衛上奏文
URLリンク(www.max.hi-ho.ne.jp)

120:大東亜戦争とコミンテルン
09/01/10 21:21:32
戦後マスコミ回遊記 柴田秀利 著
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■近衛総理の上奏文
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 「敗戦は遺憾ながらもはや必至なりと存じ候・・・」と前置きした上で、
「国体護持の建前より最も憂うべきは、敗戦よりも、敗戦に伴って起こることあるべき共産革命
に候」と視点をここに据えている。
 「かの1935年人民戦線戦術、即ち二段革命戦術採用以来・・・」とコミンテルンの世界革命戦
略を説き、既に国内に共産革命達成のあらゆる条件が具備されてきたことを力説して、軍人、
革新官僚ばかりか、「皇族方の中にも、この主張に耳を傾けらるる方ありと仄聞いたし居り候」
と、まさに思い切った指摘までしている。
 「このことは過去50年間、軍部、官僚、右翼、左翼の多方面にわたり交友を有せし不肖が、
最近静かに反省し到達したる結論にして、この結論の鏡にかけて、過去10年間の動きを照らし
見る時、そこに思い当たる節々すこぶる多きを感ずる次第に御座候」
 と、自分が如何に迂闊、不明であったかを詫びている。
 そして、この必死の覚悟で書いたと見られる上奏文の最後で、
「この一味を一掃し、軍部の建直しを実行することは、共産革命より日本を救う前提、先決条件
なれば、非常の御勇断こそ望ましく候」
と訴えている。

※近衛文麿は上奏文にてコミンテルンの策謀を指摘していたため、ソ連のスパイであった
GHQ情報部調査課長、ハーバート・ノーマン(『外交官E.H.ノーマン』)により作成された「戦争責任
に関する覚書 近衛文麿」によって自殺に追い込まれているという。
(参考)われ巣鴨に出頭せず―近衛文麿と天皇 (単行本)
URLリンク(www.amazon.co.jp)

121:大東亜戦争とコミンテルン
09/01/11 05:45:46
戦後マスコミ回遊記 柴田秀利 著
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■近衛総理の上奏文 1945年(昭和20年)2月14日
URLリンク(josaito.sakura.ne.jp)
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 それ(近衛上奏文)は余りにも遅過ぎた。指摘通り、投げられたサイの目は、誰の目にも既に
敗戦、破局をハッキリと明示していた。泣いても、訴えても、今更どうしようもない時点だった。
それにしても、コミンテルンの二段革命論にはまり込み、この国が当に革命の巌頭に立たされて
いることに気付いただけでも、この告白的上奏文の持つ史的意義は大きかった。だまされ、利用
され続けてきた、かつての青年マルキストなればこその覚醒だったといえる。遺憾ながら、このよ
うな重大な元総理の上奏文が出たなどということは、当時では誰一人知る者とて無かった。(ただ、
軍部だけはこれを察知し、この上奏文に関係した者として、後の首相吉田茂氏を憲兵隊に留置し、
告白させようとしたが、吉田氏は頑として口を開かなかった。筆者は岩淵辰雄さんだった。)

 それは戦後、近衛が巣鴨入りを潔しとせず、服毒自殺したあと、丁度この三田村論文を知った
後だったと思うが、初めて公表され、識者に衝撃を与えた。

近衛文麿の上奏文(抜粋)
URLリンク(www.cc.matsuyama-u.ac.jp)

122:大東亜戦争とコミンテルン
09/01/11 06:17:11
戦後マスコミ回遊記 柴田秀利 著
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■スターリンの罠

 これ(近衛文麿公の自殺(1945年12月)後、近衛上奏文の公表後)と相前後して、尾崎秀実
の獄中から家族に宛てた書翰集が、『愛情はふる星のごとく』と題して出版され、大変なペスト・
セラーとなった。読売はいち早く昭和20年末に本事件の概要を出したが、一周忌を前にして朝日
が、これこそが真相として書いた記事は、一転して自社(朝日新聞)出身の尾崎を愛国者に仕立
て上げ、その流れが今日まで続いている。ともあれ、このベスト・セラーとなった書翰集の跋の中
で、尾崎秀実の親友、印刷出版労組の初代書記長松本慎一が、「尾崎は祖国を売りはしなかった。
祖国を救うため、祖国の繁栄のために命を賭けて行動した・・・」と讃えながら、そのあとの文言は
ハッキリ覚えていないが、

 「そのために尾崎は戦争に反対するどころか、逆に日本を戦争へ戦争へと積極的に駆り立てた」

という意味のことを書き留めているのを見た。ただし、版を重ねる内に、いつの間にかこの論文は
切り捨てられたように記憶している。

 当時から日本共産党は、戦争反対を終始一貫主張し続けてきたのは我が政党だけである、と
一枚看板のように宣伝していた。しかし、松本慎一のこの一文は、はからずもそれが真実では
なかったことを告白した証拠と見られなくもなかった。私はここに、三田村武夫論文の「敗戦謀略論」
が単なる作り話ではないことを確認した。

123:大東亜戦争とコミンテルン
09/01/11 06:50:38
戦後マスコミ回遊記 柴田秀利 著
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■スターリンの罠

 そして考えた。もしこの大東亜戦争が三田村武夫論文通り、スターリンのタクトに振られて、踊ら
されたものだとすれば、必ずやスターリンは、同じような罠を、敵国のアメリカ側にも張り巡らしてい
たに違いない。今まで日本に指令されてきた占領政策の数々も、裏を返せば、ことごとく日本を弱体
化させ、必然的に社会主義化させようとするものばかりだったといっても過言ではない。受ける側の
日本からすると一層それがハッキリと見えていた。日米共に莫大な血の犠牲を払わされ、戦い終わ
って蓋を開けてみたら、何のことはない、双方共々スターリンの手のひらに乗って、踊らされた阿呆
同士だったじゃないか、ということになりかねない。私は、双方がそれに気付いて、眼を開くことを熱望
した。
 翌朝、早速馬場恒吾読売新聞社社長にこの筋書きを話し、これは是非GHQ情報部長ウィロビー少将
に読ませましょうや、と進言した。争議の時に散々世話になった関係もあり、社長も良かろう、というの
で二人で出掛けて行った。
(中略)
私は、「この調査の結果、必ずやクレムリンが、同じような手口で、ワシントンの中枢にも伸びていた
ものと推察します。殊にヤルタ会談の演出者と極東委員会の内部に是非メスを入れて下さい」と付け
加えた。ウィロビー少将は一瞬、愕然とした面持ちを見せた。
「喜んで拝読し、十分検討してみます。その上で改めてこちらから意見を申し上げますから、それまで
しばらくお時間を下さい」と言って雑談に入り、帰社した。

※この事は後に、VENONA暗号解読などにより裏付けられていくことになる。

124:大東亜戦争とコミンテルン
09/01/11 15:44:22
戦後マスコミ回遊記 柴田秀利 著
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■敗戦謀略の本格調査

 半月ほどしてGHQ参謀第2部(G2)部長チャールズ・ウィロビー少将から連絡があり、馬場恒吾
読売新聞社社長と二人で出掛けた。今度は彼一人ではなく、数人のスタッフを揃えて待ち構えて
いた。
 「先日頂いた『敗戦謀略』の論文、つぶさに検討しました。全く驚き入った事実を教えられて、目
の皮が剥がれた思いがしました。そこでGHQ最高司令官マッカーサー元帥以下、全員の意志で
本件の本格的調査、研究をする特別委員会を郵船ビルに設置することを決めました。ワシントン
とも連絡し、委員長に専門家の将官が着任することまで決定したことをお知らせします。われわれ
にとって、実に得難い課題を提供して頂いたことを心から感謝します。」
 真に決意に溢れた、丁重な挨拶であり、回答であった。
(中略)
 ウィロビー少将のやることは全く素早かった。昔の担当検事、特高、それに旧軍の情報担当幹部
が続々と呼び出され、委員会はたちまち膨大な組織に膨れ上がっていった。しばらくして、ワシントン
から着任したという専門家の少将に帝国ホテルでご馳走になり、これは必ずワシントンばかりか、
世界を驚かす調査になりますよ、といった、張り切った意気込みを聞かされ、私は非常な満足を覚
えた。
 ここに三田村武夫氏(『大東亜戦争とスターリンの謀略』)が参画したことは言うまでもない。

125:大東亜戦争とコミンテルン
09/01/11 16:28:02
戦後マスコミ回遊記 柴田秀利 著
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■敗戦謀略の真相 [集中排除法案]

※要約:経済力集中排除法案(極東委員会指令二三〇号=FEC230)
 日本企業約300社を分割・解体し、日本を貧農国化→赤化し社会主義国化を企図した法案
 1946年の日本は1930-1934年の工業平均指数平均の45%、輸出10%、輸入30%
 FEC指令230号は、この危篤状態の日本から、更にその肺と心臓をえぐり取ろうとするものに
 他ならなかった。これを推進したのがアメリカの共産主義者たちだった。

※上記の対日敗戦謀略をGHQに伝え、阻止し、占領政策を「破壊から建設」へと転換させ、
戦後日本の復興の起点づくりに貢献したのが著者らであった。

 こうしてごり押しの集中排除法案を、時計を止めてまで国会を強行突破させ、成立させてGHQ
はじめワシントン本部のラディカリスト(=共産主義シンパ、ソ連のスパイ、ピンコ)たちが乾杯し
ている頃、そのまた大奥の大統領周辺に彼らが思いもしなかった調査の手が深く潜行し始めて
いようなどとは、誰知る由も無かった。戦後最大のソ連スパイの一人と見なされる
ウィテカー・チェンバーズ(Whittaker Chambers, From Wikipedia, the free encyclopedia)
URLリンク(en.wikipedia.org)
が検挙され、その巨大なネットワークが次々と明るみに出されてきたのだ。その概要を知らされて、
私は、遂に私の直感した本物が、ワシントンの中枢部から掘り出されてくるのもほど遠くない事を
期待した。

126:大東亜戦争とコミンテルン
09/01/11 17:49:03
戦後マスコミ回遊記 柴田秀利 著
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■敗戦謀略の真相 [赤いネットワーク]

 雑誌タイムの老練記者だったウィテカー・チェンバーズが、自らソ連の手足だった事を告白する
と同時に、自分は縁を切ったが、クレムリンの指令に基づいて、赤い巧妙なネットワークが政府最
高幹部の頭脳の中に潜入し、明日の世界地図を真っ赤に塗り替えようとしているという、重大な証
言を下院の非米活動調査委員会(the House Un-American Activities Committee; HUAC)で行い、
一大センセーションを巻き起こしていた。なかんずく、彼が政府の最上層部に食い込んでいる指導
的メンバー7人の名を挙げた中に、

アルジャー・ヒス(Alger Hiss) フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 と
URLリンク(ja.wikipedia.org)
URLリンク(en.wikipedia.org)
ハリー・デクスター・ホワイト(Harry Dexter White)
URLリンク(ja.wikipedia.org)
URLリンク(en.wikipedia.org)

の名前が有った。ヒスは戦後世界の分割統治を決めた最も歴史的な米英ソ三巨頭によるヤルタ会談
に、年老いて死期を目前にしたルーズベルト大統領を連れ出し、その特別顧問として暗躍した。
そしてスターリンの要求通り、満州と樺太、千島の権益をソ連に与えるという、戦後のアジアや日本に
とって最大の課題となった案件を、巧みに呑み込ませてしまった張本人である。彼の正体を暴いた
『反逆の種』SEEDS OF TREASON. The Strange Case of Alger Hiss (Hardcover) by Ralph and Lasky, Victor De Toledano
URLリンク(www.amazon.co.uk)
はたちまちベストセラーとなり、全世界を動転させた。

127:大東亜戦争とコミンテルン
09/01/11 18:38:33
戦後マスコミ回遊記 柴田秀利 著
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■敗戦謀略の真相 [赤いネットワーク]

 アルジャー・ヒス(Alger Hiss)こそはまさに、私がかつて推測したとおり、アメリカにおける尾崎秀実
だった。そして今一人のハリー・デクスター・ホワイト(Harry Dexter White)-彼は何とヒスの片腕とし
て、ルーズベルト大統領時代の財務長官ヘンリー・モーゲンソウ(Henry Morgenthau)の次官を務め、
次いで極東委員会が構成され、その委員長にモーゲンソウが座ると同時に、その事務局長として事実
上の対日占領政策立案の全てを掌握していたのだった。それが発覚すると相前後して、どうした訳か、
彼はこの世を去ってしまった。

ヘンリー・モーゲンソウ(Henry Morgenthau)
URLリンク(en.wikipedia.org)
URLリンク(ja.wikipedia.org)
E3%83%BC%E3%82%B2%E3%83%B3%E3%82%BD%E3%82%A6_(%E6%94%BF%E6%B2%BB%E5%AE%B6)

モーゲンソー・プラン(Morgenthau Plan)
URLリンク(en.wikipedia.org)
URLリンク(ja.wikipedia.org)
%A8%88%E7%94%BB

※モーゲンソウは、日独の復興を妨げ、産業やインフラを徹底的に破壊しようとしていた。
実に、アメリカの赤いネットワークは、ソ連スターリンのコントロールを受けながら、日独を解体・赤化
しようとしていた事になる。

128:大東亜戦争とコミンテルン
09/01/11 19:26:15
戦後マスコミ回遊記 柴田秀利 著
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■敗戦謀略の真相 [赤いネットワーク]

 学生時代からモスクワ芸術座の演出とドラマトゥルギーの熱心な学徒だった私にとって、これ
以上にスリリングな政治劇は無かった。東京とワシントン(※そして恐らくはベルリンも)の双方で
渦巻いていた、絵に描いたように見事な二つの相似形のクレムリン・スパイ・リングが、単なるス
パイではなく、遙かに高度な政治謀略の役割を担って、世界革命への台風の目となって、着々と
進行していたことが、これで見事に浮かび上がってきたのだ。尾崎秀実・ゾルゲ事件のもたらした
教訓が、いかに偉大なものであったか、感慨ひとしおという他はない。

■消された老兵
(中略:要約 マッカーサー元帥がトルーマンの奸計により更迭されたエピソードを紹介し、まるで
真珠湾攻撃を事前に知っていたルーズベルトと同じやり口だ、と評論)

 マッカーサー元帥はアメリカに帰国して、米議会であの有名な「老兵は死なず、消え去るのみ」の
演説をしたあと、三日連続して軍事・外交合同委員会で詳細な証言を行った。その時発行されたニュ
ーズ・ウィークの特集号が、最大限の努力を集結して報道した中で、ハッキリと謳い上げたことがあ
った。それは、帰国に当たって、マッカーサーが日本から船で持ち帰った数々の宝物の中で、一番
大切で、しかも大半を占めたものは、尾崎・ゾルゲ特別調査委員会が集めた、膨大な資料の山だっ
たという指摘であった。
 これが読売争議を切っ掛けとして始まったマッカーサー並びにGHQ幹部との結びつきが描き出した、
占領下での数々の想い出にピリオドを打つべき一大異変だったと言える。

129:革命的名無しさん
09/01/11 20:09:49
誰もヨマネーよ



130:戦後マスコミ回遊記
09/01/13 04:55:45
柴田秀利氏のホームページ (1986年、69歳歿)
URLリンク(www.hm2.aitai.ne.jp)

[ ENGLISH ] Profile of Mr. Hidetoshi Shibata
URLリンク(www.hm2.aitai.ne.jp)
戦後、日本の復興を自分の使命とし、新聞、ラジオ、
テレビのメディア界を縦横に疾駆した柴田秀利氏の紹介です。

柴田秀利氏は、終戦直後の混乱期から、新聞、ラジオ、テレビのメディア界を中心に活躍したマルチ
ジャーナリストです。柴田氏はこの間に皇室と親交を深め、GHQ、さらにこの関係を利用しアメリカ
国内等に広範囲にわたる人脈ネットワークを築き上げ、また、この結果、吉田茂首相をはじめ、日本
の政府要人とも広く交友関係を結びました。そして、こうした人脈と卓抜した企画力を駆使して日本の
復興に多大の貢献をしました。特に、柴田氏は、戦後の混乱期に発生した戦後最大の労働争議であ
る"読売新聞社労働争議"の解決、日本のテレビ時代の幕開けとなった"日本テレビ放送網株式会社
の設立"、また、将来の重要な項目でもある"原子力平和利用時代"、さらに、ゴルフブームの仕掛け
を演出した「戦後時代のプロデューサ」です。

ノンフィクション作家、佐野眞一さん柴田秀利さんを語る
URLリンク(www.voyager.co.jp)

『戦後マスコミ回遊記』 は電子本としてボイジャー理想書店より出版されています。
URLリンク(www.voyager.co.jp)

『戦後マスコミ回遊記』オンデマンド印刷本
URLリンク(www.dotbook.jp)

131:赤色スパイ団の全貌
09/01/13 20:51:58
Shanghai Conspiracy (上海の陰謀) = 赤色スパイ団の全貌―ゾルゲ事件 (1953年)
URLリンク(www.bk1.jp)
URLリンク(www.jstor.org)
URLリンク(www.amazon.com)
GHQ参謀部情報第2部(G2)部長C.A.ウィロビー少将 (著), 福田 太郎 (翻訳)

ウィロビー報告 - ゾルゲ事件
モスクワ - 上海 - 東京 - サンフランシスコ - ニューヨーク

 ゾルゲ事件は日本の運命を左右し、今日に至らしめた!火を吐く熱戦の裏に、不気味な
冷戦の陰に間断なく暗躍する第二、第三のゾルゲがいる!
 スターリン亡き後、ソ連は再び如何なるスパイ網を張り巡らさんとしているか?

(マッカーサー元帥序文より一部抜粋)
・・・ゾルゲ事件は、単に東京に於て終始した局部的なものではなく、ソビエト連邦が中国を
中心とする極東謀略全体に関連しているものであって、世界的規模の陰謀を背景として考察
されねばならない。また、ゾルゲ・スパイ団の最も活躍した中国・上海は、世界制覇を目的
とする狂信的共産主義者の温床であった。今日の中国の完全赤化へと発展した所以である。


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