11/10/28 16:36:29.22 mS83eIQLO
ここでちょっと発想を転換させて、外人が日本語で作文する場合を考えてみようじゃないか。
もし、外人が自己紹介で『吾が輩』という一人称を使ったとする。
年寄りでもないのに『わし』という一人称を使う小林よしのりみたいなのもいるように、この『吾が輩』もキャラかもしれない。
同じように、堅い話しぶりや古風な言い方もキャラだと考えれば否定できないんではなかろうか。
個性の否定は人格否定に繋がる。
少なくともこれは、女が『俺』を使うような節操の無い話ではないはずだ。
個性を尊重する欧米の文化の、まさに文化をして文化たらしめる最大要素である言語において、そのような人格否定をするのだろうか。
よって、もし非ネイティブがいっちょ前に「その英語は古い」だの「堅い」だのケチつけたら、文化を巻き込んで(文化論にして)問題提起すればいいんだ。
「もしこの書き方を否定するなら、まず日本語の一人称を“私”オンリーに統一させてみろ。それが出来たらその指摘ものもう」とね。
それに>>465でも書いたが、英語でいう“堅い”ってのは九割方“回りくどい”って意味で、“回りくどい”とは則ち直接的な表現を避ける“丁寧さ”でもあるんだよ。
つまり相手を重んじ、和をもって尊しと為す日本人らしさの表れなんだから、堂々と堅い表現を使うべし。
これは国連事務次長を務めた新渡戸稲造の言葉な。