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評論は98年まで
たとえば、大問1の評論について言うと、97年度までの傍線Dと98年度からの傍線Dを比べてみると明らかな違いがあります。
それにともない問題文の字数も増加しています。
詳しくは言えないのですが、新たに傍線部D用の展開が本文に付け加えられました。
114 名前:大学への名無しさん[] 投稿日:2010/10/15(金) 11:50:53 ID:4s2kZolL0 [4/5]
設問としては、98年度評論は「何々とはどういうことですか?」型ばかりなのに、97年以前は「(グループに)わける」問題がありました。
というか昔は小説・古文・漢文は今と同じに(パッと見)見えるのに、評論はかなり違いますね。95年本試評論なんてそのへんの私大かと思いました。
ところで「わける」型の問題も文章が読めてるか、論理展開が追えてるかを確かめるのにはこれはこれでいい問い方だと思うのですが何故潰したのでしょう?
115 名前:国語講師[sage] 投稿日:2010/10/15(金) 12:34:23 ID:CU3vVB9b0 [8/9]
>>114さん
そのとおりです。98年度からは傍線Dが追加され、傍線4本が定番となっています。
また、その内容も変わっています。
「わける」型の設問もたしかに有意義ですね。なぜ消えたのでしょうか。
ちょっと考えてみたいと思います。
116 名前:国語講師[sage] 投稿日:2010/10/15(金) 12:38:14 ID:CU3vVB9b0 [9/9]
「わける」型設問は、「AかBか」、すなわち二項対立的なものがほとんどです。
その意味で、二項対立的な本文展開において意義ある問題と言えるでしょう。
(一昔前の評論は、このような展開に終始していました。)
しかしながら、最近では「AでありながらBでもある」という、
やや複雑な展開がみられる評論も増えてきています。
相反する二つのものが、対立的にではなく、調和的に共存しており、
両者をより高い次元で統一しようとする試みです。「わける」とは逆の発想です。
このような展開においては、二項対立的なグループ分けは意味をなさなくなります。
ゆえに、「わける」型の問題は、「わける」意義を失ったことによって、
設問としての存在意義も失ってしまったのではないでしょうか。