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全てが伝説⑤】名も無い小さなジムは警察署の2階の狭くて粗末なフローリングの部屋だった。かつての
名トレーナーである老人が時代遅れの技術論で素質の無い不良少年達を教えるジムは、ボクシング関係者の
笑いものだった。世界一のボクシングビデオマニア、ジム・ジェイカブスのコレクションを教科書にした
“授業”も笑いものの対象だった。
「あのジイさんは50年前の軽量級のビデオを見せて教えている」「ロビンソンの動きをヘビー級で
再現させるんだってさ」・・・老人が最後の作品を世に送り出してから何十年も経っていた。確かに時代は
様変わりした。アリが登場しホームズが継承し、ヘビー級は大型化し鈍重な牡牛が角を突き合って揉みあう
ような退屈な展開がヘビー級の最終進化型なのだと、専門家もファンも達観していた。ロボンソンの血統を
受け継いだレナードを中核にした軽量級(米国での軽量級はライト~ウエルター、それ未満は存在がほぼ無視
されている)に人気が集まったのは自然の成り行きだった。
老人の教えは単純だった。ヘビー級のパンチは絶対にもらってはいけない。相手がパンチを返せないサイドから
のみパンチを打ち込め。何もわからない観客は無抵抗の相手を殴ってるだけにしか見えないだろうが、それが理想だ。
相手がパンチを打てる角度に入るときは必ずアゴをガードしろ。少年には両拳の親指を咬むように指導した。
公立中学校から帰ると激しい練習に明け暮れた。1983年は最初の果実が実った素晴らしい年だった。全米選手権で
全KO勝ちで優勝。もはや彼らを馬鹿にする関係者は1人も存在しなかった。リングの上にはマルシアノよりも好戦的で
デンプシーよりも荒々しく、アリよりも狡猾で、そして信じられないことにロビンソンよりも速い少年が躍動していた。
「伝説の名トレーナーが最後にして最高傑作を今まさに完成させようとしている」。翌年には冷戦下でアメリカが国家の
威信をかけて成功させなければならない世界最大のスポーツの祭典を控えていた。殆ど全てのメディアが報道したように、
少年は「ロスアンゼルスに輝く一番星」になるはずだった。