11/02/21 23:36:24.46 Tr2xvpIa
>>944
言葉をきちんと使って考えてみようか
感性っていうのは、感覚的能力で判断することなのね。暖かい、痛い、感触が悪い、などね
それに対して悟性あるいは理性は、言語能力あるいは言語で推論する能力で判断することなのよ。これ経験論やカントの区分で、日本語もそこから輸入してるからだいたい同じね
で、美を判断するのは快・不快の感情だけど、これは厳密に言うと感性のような感覚的な能力とは違うの。主観的な感情から出発して美の客観的な合目的性≒美の形式へと達しようとする欲求なわけ
あなたがPVを不快と呼ぶ限り、伝達可能な言語を媒介してるわけだから、あなたが自分で客観的と思ってる美の形式を前提にして語っているの。それに対して感性は個人的な感覚の度合いを表してるから、他者に伝えることができないの
だからアートを感性で語るというのは、日本語としてはあまり正しくはないわけ。自分が前提にしている美の客観的な形式を無視しているから
じゃあどうやってアートや美、快不快を語ればいいかというと、自分が前提にしている客観的な形式を参照しつつ語ればいいわけ。だから俺はPVにおけるアナロジーの存在と、非日常的なカメラワークという形式を出したのよ
同じように不快を述べるなら、自分が前提にしている美の客観的な形式を明らかにしつつ、そこからの逸脱として不快を語る必要があるの。言語で表現したいならね
そのうえで相違があるのなら、なぜ求めている美や快不快に差異が生じるのか議論するなり、互いの意見を尊重するなりせればいい
俺に絡んできたパフュヲタさんに欠けてるのは、自分が前提にしている快不快の根拠=美の客観的な形式の説明ね
2ちゃんでマジレスきもいね。てかなんで授業してんの俺
疲れたから消える