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セルゲイエフ先生達のグループ公演の開演前、ロビーでは専門家達の公演に対する懐疑の声が囁かれている。
ロシアでは現代バレエは難しい、セルゲイエフも叩かれて消えるのではないかと。
マクシモフ氏はその声を否定するが、彼らの疑念が消えることはない。
そんな中、リリアナは父に真澄が「春の祭典」の「乙女」を踊ることになってよかったと話す。
あれは真澄のバレエだと気づいていた、彼女がロシアに来ることになったから、自分は役を降りた。
真澄なら先生の求める乙女が体現できる、真澄は必ず成功する、と。
一方、開幕を待つ真澄は、先生と舞台で踊るのはこれが最初で最後かもしれないと思い、絶対に成功したいと意気込む。
そしてセルゲイエフの楽屋を訪ね、先生の「乙女」はこれでいいのかという迷いを口にする。
それに対してセルゲイエフは、「成功にとらわれて舞踊の本来の目的を忘れている」と諭す。
そして「教師として教えられるのは最後になる」と前置きした上で、
忘れるならすべてを忘れろ、何よりも自分自身を忘れろ、自分がこういう人間だという固定観念を手放せ、と語る。