11/06/16 04:32:32.14 K/7rLL0r
よく言われる代表的な三つの戦いはだいたいこんな感じ
今山の戦い 1970年
大友軍 6万 VS 龍造寺軍 5千
肥前で勢力を伸ばす新興勢力龍造寺に対し、北部九州の雄大友宗麟はその居城佐嘉城を大軍で包囲する
龍造寺の激しい抵抗を受け大友側は遂に総攻撃を仕掛けることを決定、龍造寺の命運はもはや潰えようとしていた
しかし、その前夜龍造寺家武将鍋島直茂は、今山の大友本陣で宴が開かれている情報を入手した
龍造寺は起死回生の奇襲攻撃を敢行する
耳川の戦い 1578年
大友軍 4万 VS 島津軍 4万
島津軍の侵攻に日向を追われた大名伊東義祐、彼は豊後の大友宗麟に救援を申し入れた
大友宗麟は伊東義祐の救援、そして日向にキリスト教王国をつくる野望を抱き軍を発する
”国崩し”などの兵器と共に進撃を続ける大友軍、その勢いは日の出の如くであったが内部には武将同士の不和もまた抱えていた
長く伸びきった戦列、進軍による疲労、そしていよいよ島津軍の猛反撃が始まったのであった
沖田畷の戦い 1584年
龍造寺軍 3万 VS 島津、有馬軍 8千
大友の衰退に乗じ勢力を大きく伸ばす龍造寺は同じく勢力を伸ばす島津と肥後で対立した
肥前島原の有馬晴信は島津方へと叛き、龍造寺隆信は自ら大軍を擁して島原へと攻めかかった
この急報に際し島津家は島津四兄弟の四男、島津家久を3千の兵と共に送り込む
攻め寄せる龍造寺の大軍に対し、島津有馬連合軍は島津家得意の釣り野ぶせを仕掛けることとなる