10/10/24 23:31:09 Sk6RVG7V0
他のスレにて行われている「ピサロが客観的に悪だ」主張が正当でない理由について
>Q.恋人のロザリーを殺されて復讐に燃えた、悲劇の悪役というのが世間評ですよね?
>A.イムルの夢の1回目をよく思い出してください。
> ロザリーが健在だった頃に人類根絶を決めています。
1.ロザリーが健在だった頃に人類根絶を決めたのは事実ですが、それだけでは、ピサロが客観的に悪である根拠にはなりません。詳細は下の質問にて。
2.ロザリー死亡後、自らを実験台にしてまで復讐に燃えています。そういう意味では悲劇の英雄という見方もあながち間違いとは言えません。
> また、ロザリーヒルの会話ではピサロは元々ロザリーと一緒に暮らしていたのに
> ある日世界征服の野望に燃えて村を飛び出した、という話も聞けます。
話としては聞けませんが、それが事実である保障がありません。
他人の行動を見てその人の考えを予想した場合に、常に正しいわけではありません。
>Q.だとしても魔族の繁栄を願っての行動でしょう?
>A.そんな事のために侵略戦争を仕掛け、大虐殺を行う事が許される道理はどこにもありません。
他者を大量に殺害すること自体、自然淘汰の世界において普通に行われています。
よって、このこと自体が客観的に悪であるという根拠にはなりえません。
>Q.勇者をほっとくと危ないからなんじゃないの?
>A.地獄の帝王の復活=人類の滅亡ですが、地獄の帝王を滅ぼす=魔族を滅ぼすではありません。
滅亡動向に関わらず、自分達に害をなすと予想される相手を事前に対応しようとするのは、ごく自然の発想です。
>Q.勇者も殺してるし、どっちもどっちなんじゃないんですか?
>A.勇者に限りませんが、人類はあくまで凶暴化した魔族に対して自衛で戦っている形です。
> 魔族は世界征服を掲げ、身勝手な侵略を行っています。どっちもどっちな訳がありません。
人類が自衛で戦っているという事実はありません。(予想としては可能ですが。)
また、身勝手な侵略かどうかも作中では明確に判断できません。(解釈が人によって異なるでしょうが。)
質問のとおりですね。
>Q.そもそもピサロは人間ではなく魔族であり、人間とは違う価値基準を持っているはずです。
> 人間の価値基準で彼らの所業を悪だと断じることはできませんよね?
>A..「ピサロに同情する」という意見も人間の価値観でのものです。
> 「ピサロに同情する」と主張する時にはピサロを人間と同様の存在のように位置づけて自論を展開しておきながら、彼の行いを正当化する際には「ピサロは人間じゃなく魔族だから」と魔族の価値観について持ち出すのは、
>ダブルスタンダード以外の何物でもありません。
前半のピサロに同情すると言う意見は主観です。
そして、ピサロを魔族の価値観で判断するのも主観です。
ただ、人間が判断することと魔族の立場で判断することはダブルスタンダードになりません。
続いて同情の余地について
>Q.作中の登場人物、そして私もピサロに同情しています。同情する者が一人でも居る以上、それは
> 同情の余地があるという事ではないのですか?
>A.一般的に「同情の余地」とは、同情する人が居るかどうかとは無関係な使われ方をしています。
いいえ、そのような事実はありません。
このような事実誤認を平然と書いている時点で、程度が知れるという者ですね。
> このスレでも同様です。同情するしないは個人の自由ですが、「同情の余地」が有るか否かは
> あくまでも酌量の差し引きによって(一般的な意味で)客観的に決めるという考え方をします。
> 現実にも凶悪犯に同情して獄中結婚する事例がありますが、だからといってその凶悪犯に
> 「同情の余地」があったという事にはなりません。
そして、主観として上記の判断をすることについては構わないのですが、
客観性の欠片もありません。
同情の余地は、個人の主観によって決まるものですので、
ある人が同情するのであれば、その人にとっては同情の余地があるのでしょう。
過去に同情の余地を客観的に判断された例はなく、
実際、同情の余地を客観的にないと判断することは困難ではないかと考えられます。