10/09/24 00:11:49 lntufE6z0
続いて同情の余地について
>Q.作中の登場人物、そして私もピサロに同情しています。同情する者が一人でも居る以上、それは
> 同情の余地があるという事ではないのですか?
>A.一般的に「同情の余地」とは、同情する人が居るかどうかとは無関係な使われ方をしています。
いいえ、そのような事実はありません。
このような事実誤認を平然と書いている時点で、程度が知れるという者ですね。
> このスレでも同様です。同情するしないは個人の自由ですが、「同情の余地」が有るか否かは
> あくまでも酌量の差し引きによって(一般的な意味で)客観的に決めるという考え方をします。
> 現実にも凶悪犯に同情して獄中結婚する事例がありますが、だからといってその凶悪犯に
> 「同情の余地」があったという事にはなりません。
そして、主観として上記の判断をすることについては構わないのですが、
客観性の欠片もありません。
同情の余地は、個人の主観によって決まるものですので、
ある人が同情するのであれば、その人にとっては同情の余地があるのでしょう。
過去に同情の余地を客観的に判断された例はなく、
実際、同情の余地を客観的にないと判断することは困難ではないかと考えられます。