11/08/06 20:05:29.84 TZQr01QK
>>396
二度と姿を現さないって難しいんだよ。
>被害者は目に後遺症があるんだから、目に不自由な人の介護を手伝うとか
この活動によって、新聞に載るとか関係者の機関紙に載るとする。当然被害者に知られやすいよね。
被害者がそれで納得することはあるかもしれないけれど、同時に
それが被害者の前に姿を現したことになって、心のキズをえぐるのかもしれない。
それは被害者自身にしかわからないよ。
じゃあ何をどこまでやるんだよってのが>>351あたりからの話。
>>351の問いに>>354の「謝罪」しか答えだされてないけどねw
自分の答えは、謝罪の気持ちがあって「被害者に有意義なこと」をいくらやったところで、
見る人には偽善にしか見えないし、自己満足としか言われない。
それでも「見える形」ってのは或る程度必要で、
圭一の場合は親が出て行って謝罪して、引越ししてることが作中で表現されてる。
謝罪の気持ちを受け取るのは被害者であって、加害者も第三者もそこに立ち入ることはできない。
いくら謝罪してもし足りない。
それならあとは加害者自身の心の持ちよう、二度とそんなことしない、っていう心の持ち方だけしかないよ。
で、それは作中で表現されてるよ。行動で見えないから「ない」と断言する?