11/08/04 22:57:01.29 kJ8IKb5n
極端な話をすれば、そもそも侵略SFとして見るならば『鬼隠し』から『祭囃し』までの世界は
「雛見沢に逼塞していた異星人が日本全国へと版図を広げるのに成功しました、これからは
園崎家なんてケチな道具とはおさらばして政府の機関を自前の暴力装置として使いますw」
ってな風にも考えられるわけで、そんな次元で「反省」とか「謝罪」とかがどれほど意味があるか
激しく疑問。(異星人にとっての)土人や猿の反省や謝罪なんて根本的に無意味だし、
土人や猿を宣撫教化するために用意した上っ面の「物語」では鷹野に全責任を押しつける事が
確定しているんだから、あとは土人や猿の自己満足の問題という事になるよね?
本来は、作者に無限の時間と機会があれば、『罪滅し編』あたりでレナが「全ての」真相を
探り当ててしまったり、圭一がごく一部のご都合な転生の記憶だけでなくて「全ての」真相を
知ってしまったり、沙都子に「全ての」真相がばれたり、それに絡んで園崎姉妹が本当の対決を
始めてしまったりして、お前は何処の『イデオン』だ『エヴァ』だって展開があったのかもとも
考えられるけど、現実的な時期で尺に収まるキャッチ―なものを用意しなきゃならないとなると、
やっぱり現状あるとおりの本編を出して、『賽殺し編』等で何かをほのめかすしかなかったんだろう。
しかし圭一の存在は何か切ないな。ギリシア神話の「オイディプス王」っぽい。
ほぼ終始一貫、純粋な無償の善意で行動している。『鬼隠し』から『祭囃し』までの世界の「感動」は
個人的にはほとんど全て彼のおかげ。