11/04/13 13:29:05.11 ArfQD/VC
※このレスはネタバレに繋がる可能性が高いから注意
書き手に真相を隠す意図があれば、物語は「真相から遠ざけるために」書かれる。
シュレディンガーの猫の問いは、本来、箱の中の猫は「生きているか、死んでいるか」。
ところが偽書はこの問いから逃げ続ける。
偽書のエピソードの全てが、ここから遠ざかるように作られている。
猫箱という言葉で別の定義を作って話をすりかえてまで、本来の命題から逃げてる。
「人間犯行説か、魔女犯行説か」という問いは、
「どっちを選んでも死亡説」という2択で、まさに詐欺なのに、
偽書はそればかりやらせてきた。
EP7まで全ての偽書が惨劇を主張し、しつこく惨劇を描写してきた。
EP2からは、わざわざ赤字を用意して死亡を断定し、
毎回ルールを変えてきて何がどこまで正しいのかを疑わせつつ、
惨劇があったことだけは確定と思わせる方向で誘導してきた。
最後のEP8にしても、一見仲良い六軒島を描きつつも荒唐無稽なファンタジーと
混ぜてその描写は信用できないという印象を与えることに力を注ぎ、
なんだかんだで島の真相は惨劇で親族同士が殺しあったっぽいと思わせ、
もうこの悲劇を考えるなと誘導している。
つまり、偽書を書いた人には、「惨劇があったと思わせたい」という極めて強い意志がある。
それも、
「どんな惨劇だったかはどうでもいい。惨劇があったと思わせさえすればそれでいい」
「ただし読者にはどんな惨劇だったかを延々考えさせたい」
「死亡説の範囲でならどんな推理だろうがOSSでどうでもいい」
「全員orほぼ全員が生存と思われるのだけは絶対に困る。それだけは全力で阻止」
という強い意志だ。
てことは隠したがってた真相は見えてくるわけだ。