11/04/10 20:42:39.75 SS+Le+qN0
俺は手続的正義が大好きでドイツ法学に馴染むから、
「ルールにがっちり厳格に則った結果、試合がぶっ壊れた」としても、
それはまさに正義が貫かれた正当な結果として受け入れる。
逆の考え方で、実体的正義を目指すフランス法学の考え方もアリだとは思うけどね。
「ルールとはあくまで手段であり、『良い試合』という目標を実現するためのツールだ。
ルールを貫いた結果、試合がぶっ壊れるなど、手段が自己目的化した愚かな行為だ」
だからヴェルドネが言ってることもよく分かる。
問題は「良い試合とは何か」というのが、誰にも正確に決めることがでいない点なんだよ。
ある人は「ルールが貫徹された反則のない(反則にきっちりペナルティが付く)試合」だと言うかもしれないし
またある人は「見ていてスペクタクルで、ピッチ上で芸術が表現される試合」だというかもしれない。